第37話 星の定め(終)

 この日、老人ホームで開かれる文化祭の手伝いのボランティアに参加する宮田朱里は、不慣れな場所だったせいで集合時間より早く到着しすぎてしまった。駅のベンチに腰掛け、スマートフォンで動画を眺めて時間を潰していた。


 自分が生まれるより前にレコード大賞を受賞した柳生隆星作曲の歌を聴いていた。今では時々バラエティ番組で見かける男性歌手が、若いのに貫禄のある風貌で声量いっぱいに歌い上げていた。

 馴染みのなかった歌謡曲を、この頃聴くようになった。歌謡曲というジャンルが不思議と心に響くのは日本人だからか。柳生隆星の血のせいかもしれない。


「古いの聴いてるね」


 後ろからスマートフォンを覗き込んだのは柳美月だった。ボランティアで出会った、高岡優子以来の友だちといえる存在。この日も示し合わせて一緒に応募していた。


「その歌好きなの?」


 肩越しに顔を覗き込まれた宮田は、本当のことは言えず曖昧に頷いた。


「どうしよっかなー。言っちゃおっかなー」

 柳は意味深長な、それでいていたずらっぽい笑みを浮かべた。

「実はさぁ、内緒なんだけど、学校の友達とかにも秘密にしてるんだけど、アカリにだけ教えてあげる。実はその歌作曲したの、私のお父さんなんだ」


 ―――


「そんなにびっくりしないでよー。柳生隆星はペンネームで、本名は柳隆男やなぎたかおっていうんだけど。嘘じゃないよ?ほら」


 自分のスマートフォンの画像を開いて見せた。柳生隆星と、今より幾分幼い柳美月が腕を組んでいる。柳は満面の笑みを浮かべて反対の手でピースを作っていた。父娘の関係がよく分かる1枚だった。


「ていうかもしかして柳生隆星知らない?そうだよねー。若い子には知られてないんだよねー。結構すごい作曲家なんだよ、って私が言うのもなんだけど。親の世代なら知らない人いないから、家帰ったら訊いてみて」


 柳美月は屈託のない顔で続けた。


「本当は若い子にも聴いてもらえる曲を今からでも書いてほしいんだけどねー。若い世代にも柳生隆星を知ってもらいたいから。でももう無理かな。いい歳のおじさんだしね」


 ネット検索で出てくる柳生隆星の情報は限られていた。手掛けた曲や受賞歴は出てくるものの、プライベートは公にしない主義らしく、人物像の手がかりになるものは乏しかった。家族や自分のことを隠す意図だろうと宮田は理解した。

 ただ、結婚していることだけは分かった。自分の母親は未婚の母で金持ちの愛人だった。誰とはなしに聞かされた噂は真実だと知った。


「ミヅキって呼んで」


 初めて会った日に言われた。高岡は「優子ちゃん」だった。初めて下の名前で呼び合う友だちは、シャツを1枚脱いだように心地よく、スマートフォンも『ミヅキ』で登録した。この頃は学校では同じクラスではなかったから苗字を意識することもなかった。柳生隆星の本名を目にしても、結びつけることはなかった。


 ミヅキは母親違いの姉妹だった。ミヅキはその事を知らない。きっと父親に他に子供がいることも。


 もし自分がアイドルになって、柳生隆星の曲を歌ったら、ミヅキはどう思うだろう。若い子に柳生の曲を聴いてほしいと願っていたから、喜んでくれるかも。

 だけど、どこからかこの事実が漏れて、ミヅキが知ってしまうかもしれない。自慢のお父さんに隠し子がいた。それが私。ミヅキは傷つき、親子関係も自分達の関係も崩れてしまうだろう。

 そんなこと受け入れることなど出来るはずがなかった。


 宮田朱里は浜岡にアイドルグループからの辞退を申し出た。


 宮田の母親とは一切連絡をとっていなかったから、二人の娘が同じ高校に通っていてクラスメイトで友だちだったなど柳生も浜岡も知る由もなかった。


 アイドルデビューに際し、宮田が柳生の隠し子であることは無論秘すべき事実だった。それが薄氷の上に乗っていた。


 二人は毎日学校で顔を合わせる。何も知らない柳美月は、宮田のアイドル活動に興味を示すだろう。後ろにいるのは父・柳生隆星。何がきっかけで事実が露呈するか分からない。学校という不確かな空間で、どこから誰から事実が漏れるか分からず、マスコミが嗅ぎ付ければ、面白おかしく書き立てるのは疑いない。高校生の娘に背負わせるには重過ぎる十字架だった。

 責任は柳生にあるのだから、宮田の申し出は受け入れざるを得なかった。


 すでに退社の意志を告げていた浜岡は予定通り、長年在籍したプロダクションを辞め、シエルプロダクションを立ち上げた。そして宮田抜きでオーディションを開催し、ホシトソラを結成した。

 当初の計画が棚上げとなり、窮地に追い込まれた浜岡だったが、望みを捨てたわけではなかった。高校さえ卒業すれば。顔を合わせる機会が少なくなるし、事実を知っても柳美月も理解してくれるのではないか。宮田朱里もアイドル活動に乗り出してくれるかもしれない。そうすればまた柳生と手を組める。浜岡は先行きを模索した。


 そこへ予期せぬことが起こった。柳生隆星急死。心労がたたったのかもしれなかった。


 宮田朱里と柳生隆星が会えたのはあの日のたった1度きりになった。


 宮田は、葬儀への参列を躊躇った。そこには柳美月がいる。しかし、大勢の人が参列するから不審がられることはない、何か聞かれたらボランティアで一緒になったとでもいっておけばいい、最後の別れはきっと柳生も望んでいると浜岡が諭した。参列した宮田はその通りに葬儀で顔を合わせた柳に答えた。嘘ではなかった。


 葬儀が終わると、浜岡は再び宮田朱里のもとを訪れ、熱心に訴えた。


 柳生隆星は君に曲を遺した。君と出会ったことで生まれた、君のための曲。柳生隆星最後の作品。ホシトソラに加入してこの曲を歌わないか。この曲に命を吹き込めるのは君しかいない。


 浜岡には打算もあった。群雄割拠のアイドル界で、生半可では先頭集団に太刀打ちできないが、『柳生隆星の遺作』は売りになる。仮に宮田の出生が明るみに出ても柳生が死去した今なら美談に仕立てあげられるかもしれない。

 年末にかけ、こぞって放送される大型歌番組では、音楽業界に多大な功績を残した柳生隆星の追悼企画が放送されるだろう。それまでにCDをリリースすれば番組内で取り上げてもらえるかもしれない。あわよくば、出演も叶うかもしれない。

 ホシトソラがのしあがるには宮田朱里が必要で、大手プロダクションの部長職を捨ててまで立ち上げたシエルプロダクションを軌道に乗せるには、今がまたとないチャンスだった。


 曲を遺してくれた柳生の想いに応えたい。それは柳美月が願った、若い世代に柳生隆星の曲を届けることにもつながる。宮田朱里はホシトソラ加入を決断した。


 しかし宮田朱里の知らないところで、事態が急変していた。娘に無断で、母・順子が死後認知と遺産相続を求めて訴訟を起こしたのだ。宮田朱里は母親に、柳生との出会いや柳美月の存在を明かしていなかった。


 隠し子と名乗り出た人間からの認知と遺産の要求、あろうことかそれが宮田朱里。父親の急死で打ちひしがれていた柳美月に追い討ちをかけた。さらには宮田はアイドルとして活動を始めた。時期を見れば柳生の名前を使ったのは間違いない。最愛の父の死を利用されるとは許しがたい屈辱だった。妹と認めることなど出来るはずがなく、学校では冷たく当たるようになった。それが友達に伝播し、いつしかいじめに発展した。


 いつか分かってくれる時が来ると信じ、宮田朱里はじっと耐えた。そして加入から3ヶ月目に、ホシトソラのCDデビューが決定した。柳生隆星が宮田朱里のために遺した曲。浜岡は誰よりも先に宮田朱里に伝え、スケジュールの空いていた日曜日に連れ立って柳生の墓前に報告した。


 ホシトソラに加入してから、グループレッスンとは別に、いつの日か柳生が遺してくれた曲を歌うために人知れず続けてきた歌唱レッスンが、ようやく実を結ぶ時がきた。この曲をたくさんの人に聴いてほしい。でも誰よりもミヅキに聴いてもらいたい。


 浜岡は刷り上がったばかりのデビュー曲のフライヤーを、真っ先に宮田に手渡した。揃いの衣装で並ぶホシトソラのメンバー、そこには『柳生隆星最後の作品』と記されていた。宮田はスクールバッグに忍ばせた。本当は真っ先にミヅキに見せたいけど、きっとまだ喜んではくれない。でもいつの日か。


 宮田朱里の希望、柳美月の願い、柳生隆星の想い。全てが詰まったデビュー曲を天国の父に、そしてミヅキに届けたい。


 もうすぐ叶うはずだった夢は、目前で儚く砕け散った。



 アイドルグループによるメンバーの殺人という幕切れを迎えたこの事件は世間に大きな衝撃をもたらした。止めどなく増殖するアイドルグループのあり方を問う声も聞かれた。相対して「人殺し」と罵倒された柳美月の周辺は落ち着きを取り戻しつつあった。インターネット上では、僅かに謝罪のコメントも見られたが、大多数はまるで他人事のように見向きもしなくなった。いじめていたのは事実なのだから叩かれて当然、と開き直りともとれる意見も少なくなかった。

 振り上げた拳は目測を誤っても殴り付けなければ収められない人々は、同士を見つけることでそれが正義と慰めあった。そしていまその同士たちの矛先はホシトソラに向けられていた。


 柳美月は大学の推薦入学を辞退した。高校卒業後は進学せずに福祉活動の道へ進むことを決めた。柳生隆星の遺志を継ぎ、音楽による社会貢献。そしていつか柳生の遺産で音楽福祉財団を設立することを目標にした。


 新しい道を歩み始めた柳のもとに1枚のCDが届いた。ジャケットは空色の衣装をまとったホシトソラのメンバー、中央で宮田朱里が笑っている。父の最後の、妹にはたった1つの作品、発売されることのなかったホシトソラのデビュー曲『デスティニー』だった。

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偶像(ゆめ)の中 すでおに @sudeoni

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