第36話 原石

 柳生は旧知の友人・浜岡満はまおかみつるに声をかけた。浜岡は大手芸能プロダクションの部長職に就いていたが、かつては独立への夢を語っていた。プロダクションを立ち上げ、自らの手でスターを世に出したい。叶えることのできなかった浜岡に、柳生は宮田朱里の存在を打ち明け、話を持ちかけた。


―独立して勝負してみないか―


 音楽活動は自分が引き受ける、すでに曲は出来上がっている、宮田朱里のために書いた曲だ。あの子は可能性を秘めている。

 宮田朱里をメインに据えたアイドルグループの結成、それが柳生の描いた青写真だった。


 浜岡の胸に、かつて見た夢が沸々と甦ってきた。当時は目ぼしい当てがなく具体化出来なかったが、峠を越したとはいえ柳生隆星は音楽業界のビッグネーム。グループが乱立するアイドル界であっても、柳生が後ろ楯になってくれるのなら勝算が見込める。


 浜岡は宮田朱里のもとへ足を運んだ。連絡は一切取っていないが事務所から養育費を振り込んでいる、かつて柳生が宮田順子に買い与えたマンションに今も暮らしているとのことだった。


 スカウト部にいた頃は、多くの新人を発掘した。原石を見出す眼力には自信があった。現在勤務するプロダクションの看板女優も浜岡がスカウトした一人で、美少女がいると噂を聞きつけ、部活帰りの田舎道で声を掛けた。白いヘルメットを被って自転車に乗ったジャージ姿のあか抜けない少女だったが、浜岡は一目見ただけで惚れ込み、自宅に通い詰めて説得しデビューさせた。現在放送中のドラマでも主演を務める押しも押されもせぬ人気女優だ。

 その目はまだ鈍っていない。鈍っていたとして、その目でも瞠目に値しない程度なら独立という賭けには出られない。メイクや髪型、服装は何とでもなる。要は、周りの力ではどうにもならないものを持っているか。


 宮田朱里は柳生の娘と同い年の高校1年生。柳生から大まかな印象は聞いたが、それは忘れていい。宮田にタレントとしての価値があるなら、一目でそれとわかるはずだ。


 浜岡はマンションの前に公園のベンチに腰を下ろした。隣に缶コーヒーを置き、カモフラージュの新聞を広げ、意識はその外に向けて宮田の帰宅を待った。午後2時を回ったばかり、まだ時間が早いせいか、制服姿は見られない。無邪気に遊ぶ子供たちの声ばかりが耳に届いた。


 逸る気持ちはなかった。スカウトは発掘作業だが、掘れば必ず見つかるものでもなく、じっと耐え忍ぶことも必要。それに、浜岡にあるのは期待ばかりではなかった。作曲家として名高い柳生隆星であっても、素質を見抜く目は自分の方が上だと自負している。我が子可愛さで贔屓目に見てしまうのはままあること。失望も勘定に入れておくべきで、現在の地位は易々とは捨てられない。


 しばらくすると、下校時間になり、制服姿が目に付き始めた。その中に、明らかに他とは異なる空気をまとっている子を見つけ立ち上がった。


 浜岡は迷いなく声を掛けた。ずんぐりむっくりの体形で人相もお世辞にもいいと言えない、初対面ではとりわけ警戒されやすい浜岡だが、こういう時の立ち回りにはなれている。見知らぬ男の誘いを、顔を伏せ足早に立ち去ろうとした少女に、柳生隆星の名前を出すと表情が一変した。柳生の使いだと告げ、近くの喫茶店に場所を移した。


 宮田朱里は高校生にしては化粧っ気がなく、髪型もそっけなく、垢抜けていないが、大きな目には光りが宿っていた。頭の中でメイクをして衣装を着せるとスポットライトを浴びたステージで踊り始めた。グループ像までありありと想像できた。

 地中に立てたスコップが金属とかち合う音が聴こえた。スカウト部時代の吉兆だった。


―アイドルになってみないか―


 浜岡は単刀直入に切り出した。見開いた目に希望が射したのを見逃さなかった。浜岡はたたみ掛けるように柳生から託された手紙を差し出した。これまでの謝罪と今後の展望が綴られていた。


―自分に歌うことが出来るのか?―


 じっと目を落としていた便箋をから顔を上げた宮田の問いは、決意を表していた。


 君には全てを乗り越える魅力が宿っている。レッスンも用意している。バックアップは惜しまない。なにより、君には柳生隆星の血が流れている。


 最後の言葉が宮田朱里の扉を開けた。高校1年生が終わろうとしている頃だった。



 宮田朱里が小学6年生の時だった。夕飯を済ませ、食器がテーブルの上に残ったままの食卓で、テレビの画面を顎で指して母親が言った。


―この人があなたのお父さんよ―


 映っていたのは時たまテレビで見かける、おじさんだった。芸能人ではなく、肩書きは作曲家。冗談など言ったことのない母親だから真偽は読み取れた。淡白な物言いは、真の感情かただの強がりか。高岡の父との不倫騒動があって、中学入学を控えた時期だっただけに、母親なりの思惑はあったようだ。


 宮田朱里は幼い頃に一度だけ、父親のことを訊いたことがあった。あなたが生まれる前に死んじゃったのよ、が母親の答えだった。実際一度として対面していないのだから真に受けたが、近所の噂を聞かされたり、それなりの暮らしが出来ていたり、年を追うごとに何か事情があると察するようになっていた。


―わたしたちを捨てたのよ―


 視線をテレビに向けたまま母親が吐き捨てた言葉に、宮田朱里は総毛立った。身の上と照らし合わせれば、中学入学前の少女にも、その言葉の意味することが理解出来た。画面に映る顔が急に汚らしく見え、テレビ越しでさえも2度と見たくなかった。その日から柳生隆星は嫌悪の対象になった。


 家庭環境も影響し、子供の頃から人見知りでコミュニケーションをとるのが苦手な宮田朱里だったが、友だちのいなかった中学時代は決して本意ではなかった。同級生たちのように楽しい学校生活を送りたかった。それで、自分を変えたいと、高校進学後高岡優子に勧められたボランティア活動を始めてみた。アルバイトや部活より自分に向いている気がした。


 インターネットで探して初めて応募したのは、子供のための電話相談窓口を開設している団体の、各地の学校に郵送する資料の封入作業だった。ビルの1室で行われたボランティアは、入室前は緊張したものの、名札を首に掛けるだけで自己紹介といった堅苦しいことはなく、スタッフも受け入れに慣れている様子ですんなりと場に溶け込め、2時間程の単純作業はストレスを感じる前に終了した。

 同様に初めのうちはなるべく短時間の作業を選び、いくつかこなすうちに場慣れした。ボランティアには少なからず団体の紹介や活動内容の説明など参加者に対するPRも含まれていると知った。


 世の中の役に立てているのかもしれない。自分の存在が意味のあるもののように思え始めていた。


 自分を変えるためのもう一つの施策が、コンタクトレンズだった。かなりの近眼で、小学生の頃からずっと眼鏡で過ごしていたが、高校1年の夏休みに、思い切ってコンタクトにしてみた。自分の中だけに仕舞っていたことだけれど、人より大きな自分の目がずっと気に入っていた。家で一人、鏡を眺めていることもあった。恥ずかしくて学校にはして行けず、ボランティアの時だけだった。コンタクトをつけると本当の自分になれる気がした。


 いつものようにインターネットで見つけて、いちボランティアとして応募したのが『ゴールドミュージックEXPO』の運営スタッフだった。募集サイトには審査員の記載はなく、当日の業務説明で審査委員長が柳生隆星だと知らされた。


 そこに初めて見る父親の姿があった。この日を境に、運命の歯車が回り始めた。


 浜岡から誘いを受けた宮田朱里は、それまで忌避していた柳生隆星の曲を聴くようになった。空いた時間を見つけては柳生が手掛けた曲を聴いた。誰もが知るミリオンセラーから演歌、ポップスからアニメの主題歌まで、世代を超えて聴き継がれている曲がたくさんあって、柳生隆星という作曲家の功績を思い知らされた。娘であることがいつの間にか誇らしく感じられるようになっていた。


 自分のために書いてくれた曲を歌ってみたい。保留していた浜岡への返事も、心は決まっていた。

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