雪迎え~秋の終わりのおくりもの

RIKO

雪迎え~秋の終わりのおくりもの

 小春日和の秋の日のことです。


 ぽかぽかと鼻先にあたるお日様がくすぐったくて、一匹の子猫がくしゅんと、くしゃみをしました。

 子猫に名前はありません。なぜなら、生まれてまだ少ししかたっていませんでしたから。


 子猫は小さな段ボールの箱の中で、白い毛糸玉のような体をもぞもぞと動かしました。

 段ボールが置かれた丘には、優しい風が吹いていました。けれども、お日様がかげると、辺りはしゅんと暗くなり、とたんに空気が冷たくなるのでした。


「あったかいの、どこ?」


 子猫は心もとないような気持ちになって、段ボールの箱から顔を出しました。

 すると、お日様も顔をだしてくれました。

 子猫はほっとしてうれしくなり、短いひげをぴんと動かしました。


 その時です。子猫のちょうど頭の上に、きらきらと輝く小さな光の粒がたくさん流れてきたのです。


「うわぁ、きれいだ」


 子猫がアーモンドのような茶色の瞳をこらして見上げると、光の一つ一つには細い絹のような白い糸がついていました。


「あれは、何だろう」


 すると、小さな声が聞こえてきたのです。


「ぼくらは、クモの子どもだよ。村の人たちは、僕らのことを”雪迎え”って呼ぶけれど」


 驚いて声がした方を見てみると、子猫の肩に米粒くらいの小さなクモが乗っていました。


「雪迎え? それが、きみのなまえ?」


「違うよ。ぼくらの名前は”クモ”で、”雪迎え”っていうのは、僕らが空を飛んだ後には、初雪が降るから、村の人たちにそう呼ばれているんだよ」


「ふぅん、 ぼくはね……う~ん、よく分からない」


「変なの。きみはどう見たって、可愛い子猫なのに」


 子猫が首を傾げるのを見たクモの子は、また言いました。


「きみ、誕生日はいつ? 今日は、ぼくらの誕生日なんだ! 空からたっぷりのお日様と、気持ちのいい風を贈られて、ぼくらは、これから遠い国へ旅をするんだよ」


 空からのおくりもの! 子猫はクモの子の話を聞いて、自分もわくわくした気持ちになってしまいました。

けれども、


「ぼく、自分の誕生日なんて、分からないよ」


「へええっ、驚いた。きみのお母さんは、それも教えてくれなかったの」


 クモがいう”お母さん”っていうのは、そばにいると美味しくて、温かだったあの”ぬくもり”のことを言うのかしら。

 子猫は首を傾げましたが、あまりに早く”それ”と別れてしまったので、うまく思い出すことができないのでした。


 クモの子はふぅんと小さくつぶやいてから、いいました。


「僕、もう行くよ。仲間が待っているんだ。ここには、もうすぐ冬が来るから、いそいで、出発しなきゃ」


 子猫が空を見上げると、白い糸をお尻につけた小さなクモたちが、風に乗って飛んでゆくのが見えました。明るいお日様を浴びた糸と小さなクモたちは、きらきらと銀色に輝いて、とても綺麗でした。


 子猫は、クモのことが、うらやましくなってしまいました。それに、ちょっぴり、かなしいような気持ちもしました。ところが、クモの子どもは、もじもじと体を動かすだけで、一向に飛び立つ様子を見せないのです。


「こまったなぁ」


「どうしたの?クモくん」


「いい風が降りて来てくれないんだ。ほんのちょっと、風が吹いてくれれば、僕はお尻から出した糸を帆の代わりにして、空に飛びたてるのに」


 それを聞いて、子猫はどうにかして、クモを空に飛ばしてやれないかしらと考え込みました。


「そうだ! ぼくがふぅっと息をはいて、クモくんを上の方へ飛ばしてみたら? そしたら、風に乗って、クモくんは仲間のところへ行けるでしょ」


「それは有り難い! 子猫くんってやさしいんだねぇ」


 喜んだクモの子供は、止まっていた子猫の肩から、鼻先に向かって登ってゆきました。それから、くるりと後ろを向くとお尻を空に向けて、白くて細い糸を出し、ふわりと空にたなびかせました。


「子猫くん、今だ、思いっきり息を吐いて!」


 ふううっっ!


 子猫は、この時ばかりと、つよく息を吐き出しました。


 クモの子どもは、お尻から噴き出した糸を上手に操って、丘の上に吹いてきた季節風に乗りました。

 北から西に吹く秋の終わりの風の中では、同じように白い糸をたなびかせた沢山の仲間のたちが、小グモを待っていました。


「さあ、新しい国をめざすぞ!」


 クモの子は意気揚々と声をあげました。その時、丘の上でこちらを見つめている子猫の姿が目に入ってきたのです。

 クモの子は、ぽつんと一匹で丘の上に残された子猫のことが心配になりました。なぜなら、冬が来るのです。自分の名前も知らない小さな子猫は、きっと冬の寒さも知らないのだろうと。


* *



「ああ、雪迎えが飛んでるよ。雪が近いぞ。もう冬が来るんだね」


 丘へ続く道で、一人の村人が空を指さし、彼の子どもたちにいいました。

 子供たちは、男の子と女の子で、村人は兄妹たちの父親でした。


 彼らは丘へ行く道に落ちている、どんぐりの実を拾って遊んでいたのです。けれども、ひっきりなしに飛んでくる、お日様の欠片のような光に立ち止まり、空を見上げました。


 この地方は豪雪地帯です。

 雪迎えを仰ぐ彼らの心に、初雪を迎える嬉しさと、これから、長く雪に閉ざされた日々に入るのだというわびしさが、同時に広がってゆきました。


 その時です。


”丘の上にいいもの、あるよ”


 耳元にそんな声が聞こえてきたのです。三人は一瞬、顔を見合わせ、同時にこういいました。


「丘の上に行ってみようよ!」



* *


 年が明け、村には、雪がこんもりと積もったお正月がやってきました。


 屋根に積もった雪を下ろす雪かきをする声が、家の中まで響いてきます。

 それが終わったら、お母さんが焼いてくれたお餅を皆で食べるのです。


「ぼくには、どんなごちそうを出してくれるのかしら」


 居間にあるコタツ布団から顔をだして、子猫はわくわくと耳を動かしました。


 村はずれの丘で、この家のお父さんと二人の兄妹に出会った時には、子猫はまだミルクしか飲めませんでした。でも、今は、かたい小魚だって食べることができます。


 昨晩から降り続いていた雪は今日は止み、つかの間の青空からはお日様の光が差し込んでいました。

 ガラス窓には五角形の雪の結晶が姿を見せ、ぴりりとした外の寒さを感じさせましたが、子猫はちっとも寒くありませんでした。


 それは、コタツの中にいるから? いいえ、そうではありません。


「みー太、雪かき終わったよぉ!」

「みー太、遊ぼうっ!」


「だめだめ、お餅を食べるのが先だろ」

「なら、みー太にはかつお節ごはんね」


 みー太って、すてきな名前を兄妹たちに、つけてもらったこと。

 ここの家族になれたこと。


 子猫は、ぽかぽかした気持ちで、また、ガラス窓に映る空を見上げました。すると、子猫の胸にあの丘の上で出会った小さなクモの子が姿がはっきりと浮かんできたのです。


 ”雪迎え”


 白絹のように美しい糸をはためかせ、体を銀色に輝かせた姿が、

 いくつもいくつも青空を通り過ぎていった、秋の終わりの日のことを。


 それは、一人ぼっちだった子猫への空からの”おくりもの”だったのかもしれません。



        ~ 完 ~



*  *


あとがき


 この「雪迎え」が見られるのは、山形県米沢盆地の東北部に限られているということですが、中国においては、この現象は「遊 糸」とよばれ、漢詩の世界でもよく使われているそうです。


 文学的には、美しくファンタジーを感じさせる光景ですが、小クモたちが糸で風に乗って移動する目的は、住家の過密を避けることと子孫繁栄のためで、クモたちも生き残るために色々と苦労しているようです。

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