最終話 元の世界へ。だが騒動は続く
太陽が真上から強い日差しを浴びせている頃。
森の狩人、ジの集落の広場で英太が全身を汗でびっしょりにしながら朗々と呪文を唱えている。
本来狩人は獣の活動が活発な早朝と夕暮れ時に森に入るため、この時間帯は各々家で休んでいることが多いのだが、今は興味深げな顔で広場を囲んで数十分に及ぶ詠唱を飽きもせずに見守っている。
といっても、これまで2回ほど失敗して最初からやり直しているので、今残っているのは半数ほどだ。
比較的涼しい森の中とはいえ、かれこれ1刻半(約3時間)近く炎天下の中でくそ長い呪文を一語一句間違えないように詠唱するのは魔改造済みの若者とはいえ相当キツい。
なにしろ半ば以上理解できない文章を薄い文庫本と同じ量丸暗記し、それを唱えながら複雑な文様を描かなければならないのだから、その難易度たるや難関大学の入試が遊びのように感じられるくらいだろう。
英太が額に玉の汗を大量に浮き出させながら続けることさらに十数分。
カラカラに乾いた喉から出る声はかすれてはじめていたが最後の一節を叫ぶように絞り出した直後、地面に描かれた魔法陣の中央の景色が歪み始め、やがてぽっかりと真っ暗な空間が出現した。
「え、あれ、成功? マジ?」
空間の境界線は景色が陽炎のように歪んでいるが不安定さは感じられず、ずっと見守っていた香澄が、かつて自分の時に伊織がしたように地面の魔法陣を足で消したり、等間隔に並べられた魔法具を動かしても空間が消えることはなかった。
「っっっっしゃぁぁぁっっ!!」
香澄が笑みを浮かべながら親指を立てたのを見て英太が両腕を高々と挙げて雄叫びを上げる。
「嬉しいのはわかるけど、喜ぶのはまだ早いわよ。いったん空間を閉じて、もう一度開くことができなきゃ意味ないんだから」
「そ、そうだった」
相棒の少女にたしなめられ、英太は異空間を閉じるともう一度気合いを入れ直し、今度は魔法具だけを使って再度異空間を開く。
そして、無事に開くことができたことを確認すると、その場で崩れるように座り込んだ。
「お疲れ様」
香澄が珍しく優しげな笑みを見せながら冷たいスポーツドリンクのペットボトルを手渡す。
「サンキュ」
英太はそれを受け取ると、一息に飲み干して大きく伸びをした。
「エータ、おめでとう。とうとう異空間倉庫の魔法を成功させたわね」
「あ~、人間びっくり箱がまた一人増えたのかよ。頼むから旦那みたいにならないでくれよ……手遅れかもしれんが」
リゼロッドは魔法の専門家として立ち会い、ジーヴェトもそれに付き合ってこの場にいた。
「いや、嬉しいのは嬉しいんすけど、一発で成功させたリゼさんに言われると複雑な気が」
実はリゼロッドも伊織から教わって先日、異空間倉庫の魔法を成功させている。
以前から覚えたがっていたのを、これまでの報酬代わりということで教えたのだ。もちろん必要な魔法触媒も提供し、さらにはリゼロッドやジーヴェトが操作を覚えた様々な機材も譲渡するらしい。もちろん、様々な酒類も、大量に。
そんなわけで、英太に先んじて、リゼロッドもこの集落で魔法に成功し、伊織が預かっていた古代魔法王国で回収した財宝の彼女達の取り分もすでにそちらに移動させてある。
「私は元々魔法研究者よ。全体的な能力ではエータ達に及ばないけど、知識だけは負けてないからね」
腰に手を当てて誇らしげにふんぞり返る残念美女。
とはいえ、リゼロッドの知識と魔法技能は伊織も太鼓判を押しているほどで、膨大な呪文の詠唱もすぐに習得し、魔法構築も一発で成功させている。
英太はというと、呪文の暗記こそなんとかなったものの、詠唱につまずいたり魔法陣を間違えたりして2回失敗しているのだ。
ちなみに、彼らが未だに狩人達の集落に滞在している理由だが、ひとつは今のような魔法をオルストの王都でおこなえば有象無象の連中を引き寄せることになってしまう。
それに、英太やリゼロッドに、伊織の持つ様々なアイテムを引き渡すのを見られるのもまずいということもある。
元の世界に帰る英太はともかく、こちらの世界に残るリゼロッド達が使えばいずれ知られるとはいえ先延ばしにできるのならその方が都合が良いだろう。
言うまでもなく、一番喜んだのは一生かかっても飲みきれないほどの酒の数々だったりするのだが。
「それじゃ、私も異空間倉庫を開くから、英太の分の装備を移しちゃいましょう」
「了解」
香澄が英太の展開した異空間倉庫のすぐ前に開き、手分けして伊織から英太用に割り振られた装備を移動させていく。
その様子にリゼロッドとジーヴェトはもはや苦笑いを浮かべるしかない。
「あいつら、次はどこの世界を征服するつもりだ?」
ジーヴェトがすべてを諦めたような表情でこぼすのも無理はない。
なにしろ次々に運ばれていく装備、というと聞こえは良いが、彼らが乗ったことのある軽装甲機動車や歩兵戦闘車のみならず戦闘ヘリや汎用ヘリ、戦闘爆撃機、水上飛行機に、はてはF16戦闘機やミサイル発射車両まで、オッサンに操縦&操作をたたき込まれた数々の兵器や建設機械、重機などが現れては異空間倉庫の中に消えていくのだ。
もちろんそれだけでなく普通の自動車やトラック、クルーザー、コンテナハウス、大量の資材や食料まである。
「イオリの話だと、10万人規模の都市をゼロから建設して、補給なしで数年は養ったり守ったりできるだけのものを貯め込んでるらしいわ。目標は100万人規模の都市を10年維持できるだけの資材と装備を集めることだそうよ」
「あの人はどこを目指してるんだ?!」
現地人二人がそんな会話を交わしているうちに装備の移動が終わったらしい。英太と香澄が異空間倉庫を閉じて疲れた顔で戻ってきた。
「そういえば伊織さんはどこに行ったんだ?」
「オルストの王都に用事があるって言ってたわよ。ウェルゾ族の件は全部終わってるはずだから別件なんじゃない?」
英太の疑問にリゼロッドが答える。
「また余計な仕事を引き受けなきゃいいけど」
「さすがにこれ以上引き受けると帰るのが遅くなるからやらないとは言ってたけどね」
彼女の言葉通り、森の狩人であるウェルゾ族は伊織の仲介によって各氏族長とオルストの国王であるアレクシードが直接面会し、オルスト西部の森全域をウェルゾ族の領地として自治権を認めることが公式に決められた。
これによって、それまでどの国家にも属していなかった狩人の一族はオルスト王国の臣民となり、一定の義務とともに森におけるある程度の治外法権を含む自治権を認められることになった。
さらに、狩人達の生活水準を考慮して租税の免除と、森で採取される鉱物や素材を扱う行商人への税の軽減もアレクシードの名で約束されている。
この特別扱いとも思える処遇に、反発する貴族が居るかと思われたのだが、元々が大陸西部との交易路を整備することが決まるまで放置されてきた場所であり、鉱物資源は他にもとれる場所があることもあって、屈強な狩人を敵に回してまで文句を言う利もないために反対意見はほとんど出なかったらしい。
仲介したのが伊織だったというのも影響しているような気もするが。
その他の細々とした取り決めも、伊織の助言を受けながら過不足なくおこなわれ、現段階で考えられる問題は一通り片付いている。
おかげで伊織の仲間である英太達も狩人達からすっかり信用されていて、こうして煩わしい王都から離れた森の集落でのんびりと魔法修練をしていられるというわけだ。
そして当の伊織はといえば、夕暮れ時には戻ってくるもののほとんど出かけてしまっている。
なんでも、王都で色々と用事があるそうなのだが、その内容を聞いても「もう少ししたらわかるから」としか言わない。
ちなみに、愛娘であるルアもお留守番なのだが、英太達がそばに居るし、集落の小さな子供達とも仲良くなっているので我慢できるようだ。
そうして、英太とジーヴェトは時々集落の男達と一緒に狩りに同行したり、香澄とリゼロッドが女性達に料理を教わったりしつつ数日を過ごしていると、ようやく伊織の用事が終わったらしく、森を離れることになった。
「世話になった。貴様達は我等ウェルゾ族の友だ。いつでも森に戻ってくるが良い」
ジの族長、ザム・ジが鹿爪らしく言う。
最初に会ったときの印象そのままで笑みなどを見せることはないが、その目はどことなく温かみがある。
「こちらこそ、世話になった。おかげで余計なことに煩わされずに済んだからな。あと数日すると遺跡の発掘に王都の連中が来るだろうからよろしく頼む。といっても別に余計な気を遣う必要はないし、無礼な奴は叩きのめしてもかまわないぞ」
伊織がニヤリといつもの人の悪い笑みを浮かべて答える。
「ふん! 貴様達は我等の友だが、石の都の連中は別だ。そうそう気を許せるか」
息子であるガル・ジが吠える。が、それは彼流の軽口なのだろう。
滞在中に打ち解けた英太やジーヴェトと握手を交わしてから腰に差した脇差しをポンポンと叩く。
これは英太が伊織の許可を得て彼に譲ったものだ。
他にも森の狩人達には伊織から大量の刀や鋸、農具などが滞在費という名目で贈られている。特殊鋼で作られたこれらの道具類はたいそう喜ばれたようだ。
「ルア、元気でね!」
「またこいよ! オレの
ルアも親しくなった集落の子供達に別れを惜しまれているようだ。
「イオリ、年端もいかない子供に凄むのは大人げないわよ」
ニヤニヤ笑いのまま青筋を立てて5歳くらいの男の子を睨みつけるオッサンに全員が呆れた目を向ける。ルアは嬉しそうだが。
他のメンバーもそれぞれ親交を深めた者達と別れの挨拶を終え、巨大タイヤの車両に乗り込んだ。
そしてすぐに出発する。
名残惜しさなどまったく感じられないあっさりとしたものだが、出会いと別れを何度も経験しているとこんなものなのだろう。
森を抜けて街道に出ると車両を軽装甲車両エノクに変え、ひとまず王都に向かう。
といっても半刻ほどで王都の外門に到着すると、門兵はエノクを止めることなく急いで道を空けた。
こんな荷車を乗り回しているのは伊織達しか居ないのでわざわざ誰何する意味などないからだろう。
運転する伊織も、速度を落としたもののそのまま王都の中に入っていった。
「ねぇ……なにか、変な家が見えるんだけど」
「……明らかに周囲から浮いてるな」
「お、大きさは同じくらいじゃね?」
「屋根の上にソーラーパネルが無ければ、ちょっと変わった家って言えないことも」
大河に挟まれた巨大な砂州に築かれた王都の中心部。王城を中心としたいわゆる貴族街に入った途端目に飛び込んできた家を見たリゼロッド達の感想である。
ルアはというと、車の揺れが眠気を誘ったらしく、香澄の膝枕で夢の中のようだ。
面々を呆れさせた家はというと、周囲の下級貴族達の邸宅と規模こそ同じくらいだが、ヨーロッパの古都を思わせる石造りの家とは明らかに異なる直線的で頑丈そうな外見をしている。
屋根の上には隙間なく大きなソーラーパネルが敷き詰められ、この世界では不可能なほど大きな窓ガラスが各部屋に取り付けられている。
家を取り囲む塀はそれほど高くないが、その上には5m近い格子があり、そう簡単に越えることはできなさそうだ。
こんなものを用意する人間など思い当たるのはひとりしかいない。
「リゼには色々と世話になったからな。今後はオルストを拠点にするって聞いてたから王様に相談してたんだよ。そしたら貴族街の端っこにちょうど良い場所があるって言うから……作っちゃった」
悪戯が成功した悪ガキのような顔で笑う無精ひげのオッサン。
これっぽっちも可愛げが無いが、相変わらず身内に甘く、やることが斜め上である。
「多分やるとは思ってたけどね」
「まぁ、リゼさんもジーさんも現代地球の便利さにすっかり染まってたからなぁ。元の生活に戻れって言われてもキツいとは思うけど」
快適な室温を保つ冷暖房に、いつでも冷えた飲み物が飲める冷蔵庫、他にも炊事や洗濯の便利さは言うにお及ばず、資料の整理や研究に大いに役立つ電子機器、発掘や野営を別次元のものにする装備の数々。
ここ数年の伊織との旅ですっかり馴染んだそれらを今後は享受できないとなればかなりのストレスだろう。
たとえそれが単純に元の生活に戻るだけだとしても、人間というのは一度便利さを知ってしまうと、手に入れられなかった時よりもダメージが大きいものなのだ。
エノクが門の前まで来ると、伊織が小さなリモコンを操作して車を降りることなく門扉を開ける。
敷地は貴族の邸宅としてはそれほど広くないが、バーラに住んでいた頃のリゼロッドを考えるとこのくらいでも維持できるか怪しいくらいだろう。
建物の方はおおよそ下級貴族の邸宅と同じ程度で、外から推察するに部屋数は20部屋程度だろうか。
2階建てでかなり厳つさすら感じられる堅牢さが見て取れる。
「冷暖房完備でソーラーパネルと蓄電池設備も完備だ。さすがに自動防御システムまではつけてないが、リゼとジーさんなら大丈夫だろ?」
「でも維持できるんすか?」
「設備の交換やメンテナンスはこれまでジーさんにも手伝わせてたしマニュアルも準備したぞ。補充部品や交換用の機材もたっぷりあるから100年以上は維持できるはずだ」
「ちょ、ちょっと待って! 確かにイオリの道具が使えなくなるのは辛いけど、ここまでしてもらうわけにはいかないわよ!」
「そ、そうだぜ。それにここはオルストの貴族しか住めないんじゃないのか?」
「そいつは大丈夫だ。アレクシードがリゼとジーさんに叙爵するって言ってたからな。オルストの市民権の取得と同時にリゼは伯爵、ジーさんは子爵になるんだってよ。おめでとうさん」
「いつの間にそんな話になってるんだよ!」
ジーヴェトが思いっきりツッコむ。半ば涙目である。
「元々クーデターの阻止やグローバニエとの紛争でリゼに報賞を贈るって話があったからな。俺達は辞退したからその代わりって形だけどな。あと、今回のウェルゾ族との交渉は全部ジーさんの功績にしておいた」
あっけらかんと言ってのける伊織に、二人はもう乾いた笑いしか出てこない。
普通に考えれば同盟国であるバーラ出身で高名な遺跡研究者でもあるリゼロッドはともかく、最近交易が始まったばかりのアガルタ帝国出身で、国を揺るがす問題を引き起こしたキーヤ光神教の聖騎士だったジーヴェトが叙爵されるわけがない。
ウェルゾ族との交渉も実際にはほとんど関与していないわけだし、間違いなくこの不良中年のゴリ押しである。
しかしそこはそれ、伊織とともに旅をしてきたことで磨きがかかったスキル“諦め”の効果でなんとか立ち直って見せた。
家の中も現代地球の家電製品が揃っており、地下にはワインセラーや食料の備蓄庫もある。
各部屋にはベッドや机、ソファーなどがすでに用意されているらしい。
1階の奥にリゼロッドの広い研究室と資料倉庫、その隣が主寝室となっていて、研究を始めると寝食を忘れるリゼロッドに配慮した形になっている。
「で? なによ、このベッド」
寝室に案内されたリゼロッドは20畳ほどの部屋の奥側に置かれたものを見て頬を染めつつ文句を言う。
キングサイズの天蓋付きベッドには柔らかそうな枕が
理由は、まぁ、説明しないでおくとする。
リゼロッドの異空間倉庫に運び込んでいた財宝や装備は後ほど自分たちで整理するとのことだったので、目的を果たした伊織達は再びエノクに乗り込む。
目的地はグローバニエ王国。
地球への帰還には高度な魔法を使わなければならないのだが、ほんのわずかなミスでも失敗につながりかねない。
魔法が発動しない程度なら問題ないのだが、場合によっては全然違う世界や、地球であっても地中や海中、空の上なんて場所に転移したら即座にゲームオーバーとなってしまう。
その可能性を少しでも無くすため、召喚されたその場所で帰還をおこなうことにしたのだ。
途中、一晩だけキャンピングカーで野営し、何事もなく王都グロスタに到着する。
かつて王国東部の遊牧民族であるジギの侵攻を受けたグロスタだったが、豚からメタモルフォーゼを果たしたピグモ新王によって見事復興を遂げ、多くの貴族から取り上げた私財を惜しみなく使って公共事業をおこなったことで活気に満ちあふれている。
王都の門兵はエノクを見るなり急いで王城に報告に走り、門でもそれほど待つことなく衛兵の迎えが到着した。
召喚された場所は王城内にあるため、当然ながらピグモ王に許可を得なければならない。
「イオリ殿、よく戻って来られた」
王城に到着するや、真っ先に出迎えたのはなんと君主であるピグモだった。
「なんか、会うたびに外見が変わるな。ホントに本人か?」
伊織が苦笑いをしつつ差し出された手を握る。
精悍な長身と理知的な眼差しを持った偉丈夫。
伊織が召喚された頃のブクブクに太り、卑屈で酷薄な表情だった頃とは完全に別人だ。
「イオリ殿にいただいた新しい人生を悔いなく終えるために日々精進しているつもりだ。優秀な臣下も助けてくれるしな」
そう返すピグモはどこから見ても聡明な君主といった姿だ。
「考えてみたら、伊織さんに一番魔改造されたのってこの人じゃね?」
ボソリと呟いた英太の言葉に、香澄が吹き出すのを必死にこらえる。
最初期のピグモを知らないリゼロッドやそもそも初対面のジーヴェトは理解できないので後ろでおとなしくしているようだ。
「できれば歓待したいのだが、そうはいかないかな?」
「そうだな。気を遣ってくれるのはありがたいが、あまりのんびりするとドンドン帰るのが遅くなりそうだからな。悪いがまたの機会にしてもらおうか」
伊織の言葉に、ピグモは驚いたようだ。
「ということは、とうとう元の世界に帰る目算が付いたのか。我が国の過ちで貴公等には苦労をかけたが、ようやく少しは肩の荷を下ろすことができそうだ。だが、その言い方だとまたこちらに来ることもできるのか?」
これには英太や香澄も驚く。
「あっちこっちで目印を残してきたからな。互いの世界を探すのが難しいだけで行き来する方法はあるんだよ。簡単ではないけどな」
ある意味これは伊織の警告なのかもしれない。
伊織達によってもたらされたこの大陸の新しい流れを、居なくなった途端に元に戻そうとする者も出てくるだろう。
だが、いつか戻ってくるかもしれないとなれば再びの暴虐を恐れ、躊躇するかもしれないし、この世界で縁を結んだ者達の安全にもつながることになる。
だがピグモにとってそれは忌避することでは無いようだ。
「ならば、その時までにこの国、グローバニエをさらに暮らしやすい国にしてみせよう。次に会ったときは苦労話を聞いてもらいたいものだ」
力強いピグモの言葉に、伊織は珍しく楽しそうな笑い声を上げる。
「ああ、楽しみにさせてもらおう。その時はとっておきの酒を馳走するさ」
含みの無い清涼なやりとり。
おそらくはここで初めてピグモが伊織に認められたということなのだろう。
これ以上の話は無用と、ピグモ自らが先導してかつて召喚に使われた建物跡に案内する。
伊織達がこの国を出奔する際、建物を爆破したので残っているのは床に使われていた石畳だけで、崩壊した瓦礫はすでに取り除かれている。
刻まれていた魔法陣もごく一部が消えずに残っているだけでほとんど見えなくなってしまっているようだ。
伊織とリゼロッドが早速その場を綺麗にしてから新たな魔法陣を特殊な顔料で描き始める。
リゼロッドが構築して紙に描いていた設計図を二人で確認しつつ、一筆一筆間違えないよう慎重に、丁寧に。
半刻ほどで陣を描き終えると、所定の場所に異空間倉庫の時と似た形の法具を並べる。
顔料も法具も材料に賢者の石が、その他様々な触媒も大量に使われていて、手間とコストがとんでもないことになっているのだが、今更それを気にする者など居ない。
「おしっ! 英太と香澄ちゃんは魔法陣の真ん中に、ルアは紐で固定するから俺に抱きつけ」
「は、はい!」
「わかった!」
「うん!」
伊織の指示に、魔法陣をかき消さないように足下を注意しながら高校生コンビが移動し、ルアも抱っこひものような物で伊織の胸に固定される。
「イオリ、素敵な経験をありがとう。エータ、カスミ、ルアちゃんも元気でね。また……会いましょう。絶対にまた来てね!」
「旦那ぁ、色々と大変だったし、もう二度とごめんだけどよ、まぁ、楽しかったぜ。次は飲み比べでもしようや」
離別の時。
伊織の合図でリゼロッドが呪文を詠唱し、やがて魔法陣が起動すると伊織達の姿が歪み始める。
リゼロッドとジーヴェトがそれぞれの言葉で別れを告げ、英太と香澄が手を振る。
ルアは目に大粒の涙を浮かべながらジッと二人の顔を見つめ、伊織は、
「んじゃ、またな」
いつもの笑みを返した。
その直後、魔法陣を強い光が包み、それが収まったときにはそこに彼らの姿は無かった。
景色が歪む。
王城の庭園に囲まれた明るい場所の風景は消え失せ、まるでテレビの画面のように唐突に別の場面に切り替わる。
「……帰ってきた、な」
「えっと、成功、なんですよ、ね?」
伊織の呟きに、香澄が困惑気味に応じた。
ルアはギュッと目をつぶったまま伊織の胸に顔を押しつけているようだ。
「えっと、ここ、どこ?」
英太が視線だけを動かして周囲を見回す。
建設途中か、それとも廃墟なのか、コンクリートがむき出しになった広い建物の中のように見える。
「で、ここの人たちは、誰なんすかね? あまり歓迎されてないっぽいんすけど」
英太の言葉に香澄もようやく冷静に周囲の状況を確認する。
伊織達がいるのはだだっ広いホールのような場所。
その周囲を20人近い男達が5mほどの距離を置いて遠巻きにしている状況だ。
ただし、男達の手には拳銃やナイフのような物が握られていて、驚いたような、困惑したような顔で伊織達の様子を窺っていた。
「あ~、何だったっけ? 確か、ここは……歳取ると忘れっぽくなるからなぁ。俺の感覚だと3年以上前だし?」
「いやいやいや、伊織さんが元々居た場所でしょ?!」
英太がツッコむと、伊織がポンッと手を叩いた。
「あ、そうそう、知り合いの警察幹部に頼まれて麻薬を密輸してる外国人犯罪グループを調べてたんだった! んで、くしゃみしたら見つかったんでどうしようかと思ってたときに召喚されたっけ」
緊張感のかけらも無い口調で説明する伊織。
大声を出したせいで周囲の男達がビクリとわずかに下がり、すぐに銃口を向けてきた。さらにはアジア圏の言葉が口々に叫ばれる。
「……どうすんの?」
「……どうするんですか?」
帰還するのが現代日本ということで、香澄も英太も現代的なカジュアルウェア。もちろん銃器も太刀も身につけていない。捕まってしまうから。
「パパ?」
ルアが不安そうに伊織を見上げる。
「とりあえず、ヤッテおしまい! あ、面倒だから殺さないように、ね?」
実に腹の立つ仕草と笑顔で言ったオッサンに、とうとう高校生コンビの堪忍袋の緒が切れた。
「「ふ、ふざけんなぁ~!!」」
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というわけで、今回が本編の最終回となります。
この作品を投稿始めたのが2020年の1月ですのでまる3年ちょっと。
ここまで続けられたのは読んでくださった読者様の応援のおかげです。
思ったほどブクマが伸びず、書籍化には至りませんでしたが、それでも投げ出すことなく完結を迎えられたのはホッとしたというのが本心ですね。
重ねて皆様に心からの感謝を申し上げます。
さて、事前に告知していたとおり、この作品ではまだまだ書きたいエピソードがあり、読者様の中には帰還後の彼らの活躍?が気になるという声もいただきました。
なので、少しばかりのお休みをいただいてから番外編としていくつかのエピソードを続けていきたいと思います。
今回でいったん完結という形にさせていただきますが、ブックマークはそのままにしていただけると嬉しいです。
お休みの期間は未定ですが、新作の準備をしつつ構想を練っていくつもりです。
とりあえずは日常に戻った高校生コンビの話から、かな?
彼らの恋模様も進展させたいものですが……
他にも、ストーリーの進行上没にしたエピソードもいくつかありますし、場合によっては再度リゼロッド達のところに訪問したり、リゼロッド達が主役のエピソードなんかも書きたいなぁ。
それでは、完結までありがとうございました!
そして番外編での再会を楽しみにしております!
2度目の異世界は周到に 月夜乃 古狸 @tyuio
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