第150話 狩人の宴とジーさんのこれから
オルスト西部に広がる樹海に暮らす狩人の一族、ウェルゾ族。
森に集落を造り、様々な獣を狩ることを生業とする彼らだが、別に原始人のような生活をしているわけではなく、オルストから訪れる行商人を介して獣の毛皮や牙、角、森で採れる希少な鉱物などを鉄器や布、道具類と交換することでそれなりに文明的な生活をしている。
ウェルゾ族は6つの氏族からなり、それぞれが長を頂点として森の各地に点在して縄張りを作っていた。
氏族同士の交流は多くないが、それでも血が濃くなり過ぎないよう時折嫁や婿を取ったり、獲物の分布具合によって縄張りを調整したりと、全体として調和を保ちながら適度な距離感で接しているらしい。
行商人がすべての集落を巡るわけではないので、手に入れたオルストの産物も互いに融通する必要もあるので関係はそれなりに良いと言ってもいいだろう。
そして、6氏族で一番オルストに近いジ一族の集落。
その中央にある広場ではいくつもの篝火が焚かれ、地平に沈んだ太陽の代わりに周囲を照らしている。
いつもは日が沈めば狩人はそれぞれの家に帰り、家族と絆を深めるのが彼らの生活である。
だがこの日はほとんどすべての狩人とその家族、それだけでなく近在の氏族からも多くの狩人達が広場に集まっており、そこかしこで車座になりながら会話を交わしていた。
「むぅ、石の都に住む連中は常にそんなことを考えているというのか」
「別にいつも人を欺したり陥れることを企んでいるわけじゃないさ。ただ、この森より遙かに多くの人間が暮らしているから、中にはろくでもない奴もいる。身を守るためには警戒してなきゃならない」
「我等にとって偽りを口にすることや理由なく他者を害することは許されざる罪だ。街の者はそうではないのか?」
「森の中で危険や野獣を狩りながら生きていくには力を合わせなきゃならないだろうから、ウェルゾ族の生き方は間違ってない。それぞれの環境に合わせた生き方があるということだ」
広場の片隅ではザム・ジ達各氏族の長が伊織に質問をぶつけている。
伊織の力を見たということもあるが、何よりガル・ジと力比べをしながら語った言葉に動かされたのだ。
伊織がこの世界では規格外な存在であることを知らない狩人達にしてみればオッサンとジーヴェトの強さは街の人間に対する評価を改めるには十分な力だった。
となれば、街の人間を侮るということは一族の力ない女子供が危険にさらされることになる。
力比べの前までは『言いたいことがあるのなら聞いてやろう』程度の認識でしかなかったのが、今では真剣に伊織の言葉に耳を傾けている。
「……街の人間の話はまどろっこしくて頭が痛くなる。我等は刀を振るって戦うしかできん。小難しいことは抜きにして、貴様はどうしろというのだ?」
「すまぬがザム・ジの言うとおり、我等には街の者の考えは理解できん。筋違いだろうが知恵を貸してもらおう」
散々質問を繰り返したものの、根本的な価値観が異なるため、やはり理解しきれなかったのだろう。
街の人間の考え方や権力者の謀略を知ることが必要なのは理解できたものの、対策などを一朝一夕に思いつくはずもない。
結局、彼らが力を認め、ウェルゾ族に好意的だと判断した伊織の助言に従おうと考えたらしい。
「丸投げってのはどうかと思うが、今は仕方ないか」
伊織が苦笑いで肩をすくめる。が、すぐに表情を真剣なものに変えた。
「最初にしなければならないことは、オルストの権力者にウェルゾ族の自治権を認めさせることだ」
「自治権?」
「この森がウェルゾ族が管理する領地であり、森のことはあんた達が決める。森の外に影響があるものを除いて石の都の連中は干渉しないということを公式に許可してもらうんだよ」
「それは今までとなにが違うんだ?」
「形式上、ウェルゾ族はオルスト王家の臣下になるから、森の外では狩人達も連中に従わなきゃならない。王家の人間や、王家に権限を与えられたが森に来た場合もだ」
「むぅ、仕方あるまい」
「税の取り決めや、森の掟に従わない者への処分、無許可で入り込んできた者の対応なんかも決めなきゃならないが、まぁ、それは国王と直接やりとりする機会を作ってやるよ」
相変わらず気に入った者への面倒見は良い伊織である。
「次は、力比べでも認めることが決まったが、遺跡の調査と発掘に来る奴らと交流しろ。人選はボラージに責任を持たせるから変な連中は連れてこないはずだ。そこで、街のこと、住んでいる連中の生活や価値観、考え方、貴族達のことを教えてもらい、代わりに連中の住居や食事を手助けしてやると良い」
「ふん、一度では理解できなくても何日も顔を合わせればいろいろと知れるということだな。女子供を近づけさせる気はないが」
本人の知らないところで仕事を増やされるボラージだが、オッサンが関わる以上は諦めてもらうしかない。
その後もしばらく問答が続き、それが落ち着いた頃にはすっかり空が漆黒の闇に包まれていた。
話し合いが終わるのを見計らって、ジの女達が晩餐の料理を並べる。
多くの狩人達が集まっているため伊織も食材や酒を提供したのだが、全員に行き渡るだけの料理を作るだけでも大変だっただろう。
狩人が狩った獣の肉が串に刺されて焼かれた物や野草と木の実の蒸し物、肉がたっぷり入った汁物など、品数は多くないが木の大皿に山盛りになった料理が用意され、酒も配られると広場のあちこちで歓声が上がる。
娯楽の少ない森の狩人は、こうして集まればすぐに宴に変わるらしい。
「聞けい! 場を用意したジの長が口上を述べる! 此度は石の都からの客人を迎え、そしてその力を示して友となった!
『応っ!!』
ガル・ジが杯を掲げると狩人達が声を上げた。
「お疲れかしら?」
篝火に照らされた広場から少し離れ、木皿に乗った数本の串焼きを脇に置いて杯を傾けていたジーヴェトに、リゼロッドが歩き寄ってきた。
「疲れたにきまってんだろ。ったく、次から次へと相手させられたんだぜ」
心底疲れたと言わんばかりにため息を吐きながら言葉を返すと、リゼロッドがクスクスと笑い声を上げる。
「人気者は大変ねぇ」
「笑いごっちゃねぇって。旦那の方が強いんだからそっちに行けば良いのに、なんで俺のところにばかり向かってくるんだか」
「イオリ相手だと、けむに巻かれた感じになるからつまらないんでしょ」
リゼロッドの言葉に苦虫を噛み潰したような顔をするジーヴェト。
宴が始まった途端、力比べを見ていた狩人達からジーヴェトは挑戦を受ける羽目になってしまったのだ。
一族から力を認められている狩人を一蹴した強さを目の当たりにした彼らの血が騒いだらしい。
勝てないまでも力のほどを感じたいと考えたのか、壮年から、まだ半人前と見なされている若者まで、次々に挑みかかってくる狩人達を相手に、関係を悪化させないよう断り切れず引き受けざるを得なかった。
いくら実力では圧倒していても、きりがないほど挑まれれば疲労困憊となるのは当然だろう。
半刻(1時間)近く力比べを続けてようやく解放してもらったというわけである。
正確には、英太がジーヴェト以上の実力者だとバラして押しつけてきたのだが。
杯という名の大ぶりのコップを飲み干すと、すぐにリゼロッドが追加を注ぐ。
「悪いな。先生は飲んでるか?」
「もちろん。なかなか美味しいわよね」
酒好きの二人である。
狩人達の造る酒をここぞとばかりに楽しんでいるようだ。
ウェルゾ族の酒は、最も原始的な酒と言われる蜂蜜酒に香草などを漬け込んだ物だ。
香草の清涼でスパイシーな香りと蜂蜜の甘い香りが良い具合に混ざり合い、意外に強い酒精を軽く感じさせている。油断すると飲み過ぎてしまいそうだ。
伊織もリゼロッドも気に入ったらしくご機嫌で飲みまくっているが、逆に狩人達は伊織が提供したビールや焼酎を奪い合うようにして飲んでいる。
中には強い酒精が特徴の泡盛の
二人は並んで杯を傾けながら、未だに賑やかな広場を眺める。
ジーヴェトは時折串焼きに齧りついているが、飲んべのリゼロッドはつまみ無しだ。
「余所者が居るとは思えないほど楽しそうね」
「旦那はどこに行ってもすぐに打ち解けるからな。トラブルが一緒について回るのは困りもんだが」
「あら、今でも付いてきたのを後悔してる? 最初の頃はグチグチ言ってばかりだったけど最近は馴染んでるように見えたのに」
リゼロッドの言葉に頭を掻く。
「まぁ、最初は大変だったからな。何度も死ぬかと思ったし、やることなすこと全部普通じゃ考えられない大事になってばかりだ。俺みたいな庶民が平然と付いていけるわけがないだろ」
「今は?」
「……悪くない、かもな。なにしろ一生遊んで暮らせるほどの財宝も手に入ったんだしよ」
どこか不本意そうに言うジーヴェトに、呆れた目が向けられる。
「せ、先生はどうなんだよ」
「私? 楽しかったわよ。バーラに居たら絶対に行けなかった場所をたくさん見られたし、いつかたどり着きたいと思ってた古代魔法王国のこともわかったわ。イオリ達にはいくら感謝してもしたりないくらい」
リゼロッドの言葉に嘘は無い。
この世界では生まれ故郷を離れる者は少なく、隣国までですら行く者は稀だ。
遺跡研究者である彼女はそれなりに行動範囲が広かったが、それでも国を出るだけで数日、数十日かかる移動手段しかないはずなのに、気がつけば大陸をほぼ一周してきたのだ。
いくら望んでも、一生をかけても為し得ないことができたのは伊織の持つ常識外れの道具類があってこその奇跡のようなものだ。
特に、大陸中央部の大砂漠の中心になど、どれほど準備しようと目にすることはできなかっただろう。
「でも旦那達が帰っちまったら苦労しそうだよな。なんだかんだ大変だったのは確かだけど、それ以上に快適だったからよ」
「ほんと、そうよねぇ。真夏にクーラーの効いた部屋で飲むビールも、真冬に炬燵に入りながら飲む熱燗も、すっかり癖になっちゃったわよ」
彼らが受けた恩恵は移動手段だけではない。
あり得ないほど快適な宿泊設備や多種多様な料理と酒。
手に入れた財宝をすべてつぎ込んだとしても再現することは不可能だ。
ただ、それ以上に、伊織や英太、香澄、ルアとの旅は浮き立つほど楽しく、刺激的で、忘れられない日々だった。何より、気に入らない連中を容赦なく叩き潰した爽快感はこの先絶対に感じることはできないと確信している。
「寂しいわね」
「そうか? そうだな」
リゼロッドの口をついた言葉に沈黙が降りる。
広場から歓声が上がり、同時に4人の狩人を下した英太が高々と右手を挙げているのが見えた。
リゼロッドが最初にあった頃はまだ頼りなさと不安定さがあった英太達若者コンビも、今ではすっかり伊織に毒されて、どんな状況でも楽しげに振る舞うようになっている。
「ジーヴェトはイオリ達が帰った後はどうするつもりなの? そろそろほとぼりも冷めた頃だし、アガルタ帝国に戻る?」
「戻ったところで家族が居るわけじゃねぇからな。ほとぼりが冷めたって言ってもいまだに恨んでる奴も居るだろうし。さすがにそろそろ一カ所に落ち着きたいとは思っちゃいるが。先生の方はどうすんだ?」
「う~ん、魔法王国時代の中心だったクルーシュセが滅びた理由はわかったけど、まだまだ知りたいことが多いし、研究者として集めた資料を調べたり、古代魔法の研究をするつもりよ。時々は気分転換に遺跡発掘もしたいからオルストに拠点を移しても良いわね」
それを聞いて、ジーヴェトが言い辛そうな仕草を見せる。
「どうかした?」
「いや、その、先生は旦那と一緒に向こうの世界に行きたいとは思わないのか?」
言外に、伊織との関係を匂わせながら訊ねられ、リゼロッドは困ったような顔を返した。
「行かないわよ。異世界に興味がないわけじゃないし、ルアちゃんと別れるのも悲しいけどね。でも、私は伊織と一緒に人生を歩みたいとは思わないわ。というか、私じゃ無理ね。支えることも受け止めることも」
リゼロッドから見て、伊織が男性として魅力的なのは確かだ。事実、仄かな想いを抱いた時もあった。
だが、付き合いが長くなり、伊織の内面を知る機会が増えるにつれ、その強さの根幹を形作っているモノを知ることになった。
リゼロッドにはその荷をともに背負うだけの力はない、そう感じて想いに蓋をしたのだ。
「イオリは一人で生きていける人間よ。いえ、むしろ誰かと歩み続けることはできない種類の男ね。でも私は一時の慰めや止まり木で満足する女じゃないもの。私の理想は、研究馬鹿で生活能力皆無の私を受け入れてくれて、わがままにも付き合ってくれるような、体力と精神力を併せ持った男の人が良いわ」
そう言って意味ありげな視線を送るリゼロッド。
会話している最中も、止まることなく狩人の蜂蜜酒を口にしていたので若干口調が怪しくなりつつある。
ただでさえ酒が絡まなければ誰が見ても目を引かれる妙齢の美人だ。
それなりに歳を重ねたジーヴェトですら背中がムズムズするほど居心地が悪くなり、顔を背けてしまう。
そんな様子を気にとめることなく、リゼロッドが言葉を続ける。
「行くところが決まってないなら、これからも私の手伝いをしてくれない?」
「べ、別にそれは構わねぇが、いつまでだ?」
「ずっとよ、ず~っと。幸い暮らしていくには苦労しないだろうし、家事は……誰かを雇えばなんとかなる、と思う」
「……悪く、ねぇかもな」
「でしょ?」
酒のせいか、妙に赤らんだ顔で二人は笑い合った。
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