第149話 狩人の矜持

 オルスト西部の森林にはいくつもの川が木々を切り裂くように流れている。

 伊織達が出会った狩人、ウェルゾ族の一つ、”ジ”という氏族はそんな森を流れる川近くに集落を築いていた。

 その場所は古代魔法王国時代の遺跡があり、彼らはその遺構を利用しながら家を建てているようだ。

 とはいえ、別に遺跡守という意識があるわけではなく、単に便利だから使っているのだという。

 周囲は杭に梁を渡しただけの簡素な獣除けの柵で覆っているが侵入者を防ぐほどのものではない。そもそもその必要を感じていないのだろう。


 集落の中心には広場があり、今は数十人の狩人が集まってきている。

「んで? なにがどうなれば現地人と力試しなんてすることになったの?」

「いや、俺に聞かれても知らねぇよ。旦那があちらさんの族長と話してたと思ったら、狩人と力比べするから残りの連中連れてこいって言われたんだから」

 Ark3400のところに戻ってきたジーヴェトに案内されてここにやってきた英太に訊かれ、ジーヴェトはそう言って肩をすくめた。

 ふたりともどこか諦めたような笑みを浮かべているが、騒動の原因となるのはいつも同じ人物なのだからそれも仕方がない。


 車両は集落の手前に駐め、ボラージ達、発掘師も全員広場に来ているのだが、集まっている揃いも揃って大柄で屈強そうな狩人達の姿に居心地が悪そうにしている。

 見た目だけで言えば元無法者である彼らも負けていないのだが。

 そんな彼らのところに相変わらず飄々とした態度で伊織が歩いてくる。もちろんルアはその腕の中だ。

「ご苦労さん。全員集まるのにもう少し時間がかかりそうだから適当にしててくれ。勝手に家に入ったりしなければ近くを見て回っても良いらしいぞ」

「落ち着かねぇよ! ってか、話し合いはどうなったんだ?」

 暢気に言ってのける伊織にジーヴェトが噛みつく。


「何かを求めるならその覚悟と力を示せ、ってのが連中の流儀らしいからな。なんで、ご希望の遺跡の発掘も要求するつもりだからボラージも参加な」

「ちょ、旦那?!」

 いきなりの飛び火に慌てるボラージだったが、当然おっさんが気にするわけもなく。

「あと、ジーさんも参加。この世界の人間の行く末を決めるのに、相手が異世界の人間だけってのも良くないからな」

「やっぱり俺もかよ! どうせ嫌だって言っても聞いてくれないんだろうから、もう諦めたけどな! けど、結果には責任持てねぇぞ」

 付き合いが長いだけあって諦めるのも早いジーヴェトではあるが、一応そう釘を刺しておく。


 その後、リゼロッドや香澄も交えて、これまでの経緯や力比べの内容が伊織から説明された。

 それによると、狩人の一族は古くからこの森に暮らしているらしい。

 森には糧となる獣もいれば脅威となる獣も多く、彼らは強い狩人を中心にして氏族をつくり、いくつかの集落に分かれて点在している。

 互いの氏族とはそれなりに交流があり、氏族間のトラブルや氏族を跨いでの嫁取りなど、問題が起こればこうして各氏族を代表する狩人が力比べをおこなって、それぞれの要求が正当なものかを問うということだった。


「なんていうか、原始的っすね。脳筋っぽいし」

「こういった厳しい自然の中で自分たちの力を頼りに暮らしている種族だと、こういうやり方が一番後腐れがないんだろうな。俺達の世界でだって近代に入るまでは珍しいやり方じゃなかったわけだし。それに、詳しいルールを聞けば割と穏当だぞ」

 力比べは1対1で武器は持たず、上半身裸の状態で戦うという。

 ただし、彼らの本質であり、最も大切なのは獣を狩ることだ。だから一時的にでも狩りができなくなるほどの怪我を負わせることは禁じられていて、もし、怪我をさせてしまった場合はその相手は負けたことになり要求を拒否できなくなる。もちろん目潰しや急所攻撃は絶対に許されない。

 戦いのイメージとしてはモンゴル相撲に近いが、殴る蹴るなどもありで、背中が地面に着いた時点で勝敗が決まるそうだ。

 野生動物との戦いで地面に背中から倒れるのは死、つまり完全な敗北を意味する。それに倣ってということなのだろう。


「内容がウェルゾ族全体に関わることだからな。ジの一族だけでなく他の氏族も集めてやるらしい」

「こっちの代表はボラージさんとジーさん、俺も出たほうが良い?」

「いや、英太や香澄ちゃんでも狩人達には勝てるだろうけど、今回の目的は勝つことじゃないからな。連中の意識を変えるには単純に力を見せつけるんじゃ駄目だ、なんで俺がやるさ」

 すでに3組が力比べを行うことは決まっているらしい。

 それぞれが自分たちの要求を最初に述べ、力比べをおこなった後にその内容に関わる氏族長が決定を下す。


「そうすると、俺はやっぱり遺跡の調査と発掘ですかね」

「俺は、ちょっと思いつかねぇな。まぁ、適当に相手を怒らせない程度のものを考えとくよ」

 ボラージ達の目的は一貫しているので悩むことでもない。が、ジーヴェトとしては単に伊織にくっついてきただけなので要求と言われても特にないのだ。

 しばらく考えていたジーヴェトだったが、結局思いつかなかったらしくリゼロッドに相談していた。


 しばらくそうして待っていると、広場にはさらに多くの人達が集まってくる。

 その多くは狩人だと思われるが、中にはまだ幼いと言って良いほどの若者や女性の姿も見える。

「ほえ~、男は厳ついけど、女の人はスッゴい美人ばかりっすね。って、痛ぇ!」

「……そうね。スタイルも良いし、うらやましいわね」

 ニッコリ笑顔の香澄に脇腹を抓られ悲鳴を上げる英太。

 とはいえ、香澄やリゼロッドでも目を奪われるほどウェルゾ族の女性は見目が整っているのは確かだ。

 狩人達とは異なり、幅の広い一枚布を体に巻き付けているので露出は高くないが、それだけにスタイルの良さが際立っている。

 豊かな胸と尻に反して細い腰、露出している肩や腕から見える肌はきめ細かな褐色で、赤金色の長い髪を色鮮やかな貴石の飾りで纏めている。

 発掘師達はその姿を目で追っているし、美女を見慣れているはずのジーヴェトも落ち着かなそうに目を泳がせているほど。


「石の都の者よ、準備が成った」

 やがて狩人の一人が近づいてそう言ったので後に続く。

 すでに広場は納めきれないほどの狩人でごった返していたが、その中央部がぽっかりと空けられている。

 直径10mほどの円形を狩人達が囲んだ空間に居たのはザム・ジと、5人の男だ。

「ふん、貴様等が石の都から不快な話を持ってきたという者か」

「我等の流儀に従うというのなら是非もない。まずは力を見せてもらおうか」

 ザム・ジに負けない体格と迫力を持つ狩人達。ジの他の氏族長らしい。

 これですべての氏族が伊織の話を聞くことになったということだ。


「では、古からの習わしに則り、力比べをおこなう!」

 ザム・ジの声が広場を震わし、囲んでいる狩人達が怒号に似た歓声を上げる。

「うぉっ?!」

「ビビったぁ!」

 その迫力にボラージ達発掘師の顔が引きつる。


「此度は三つの要求を3人の狩人、3人の石の都の民によって示す! 前へ!」

 再びザム・ジがそう告げると、狩人達が静まりかえる。

 そこに一人の若い狩人と、ボラージが前に出た。

「求めるものを告げよ!」

「ええい! やってやらぁ! 俺達の望みは森にある遺跡の調査と発掘だ! 手伝えとは言わねぇが、俺達や街の者が森で活動するのを認めてもらいたい」

 ビビり気味だったボラージだが、ここにきて開き直ったのか、相対する狩人を見据えて声を張り上げる。

 それに対し、ボラージより頭一つ高い若い狩人は真剣な顔で頷き、要求を返す。

「ジのセバが受ける! こちらの望みは貴様達が腰に下げたハガネだ!」

 ハガネ、つまり小剣や斧を寄越せということ。

 ほぼ自給自足している狩人とはいえ、布や鉄器の類いは行商人から手に入れるしかないらしく、高額な刀剣類や斧、鋸などは常に不足しているらしい。

 だから彼らとしては妥当な要求なのだろう。


「始めぃっ!!」

 要求を伝え合い、広場の中央で二人が向かい合うと、すぐに力試しが始まった。

「うぉぉぉっ!」

「ぬぅっ?!」

 先手必勝とばかりに身体を低くしてタックル気味に突っ込むボラージ。

 彼も荒事は慣れているので戦いが始まれば躊躇はしない。

 背丈は差があるものの幅と厚みは負けていないので、セバと名乗った若狩人も油断せずに迎え撃つ。

 足に取り付こうとするボラージを身体を捻って躱し、逆にその側頭部に裏拳をたたき込む。

 それを両腕で受けつつさらに掴み掛かろうとするが、素早さではやはりセバに分があるようでなかなか相手に触れることができずにいる。


「くそったれ! うぉっ?!」

 焦れたボラージがヤケクソ気味に再度タックルをした瞬間、速度を上げたセバが伸ばされた腕を掴んで捻り上げつつボラージを持ち上げようとした。

 が、ボラージは両足をセバの腰に絡めてしがみつくようにしてこらえる。

 はっきり言って見てくれは悪い、というかみっともない戦い方だ。

「くっ! 離せ!」

「離してたまるかよ!」

 ボラージがセバに抱きつきながらバランスを崩そうと身体を揺らし、ついでに肘や頭でセバの顔に攻撃を加える。だが、距離もなく体勢も悪い状態では当然ダメージなどない。

 それでもなんとかセバを引き倒そうと力を込めるが、鍛えられた狩人の体幹は崩れることなく強引に振りほどかれた。

 そして、着地したボラージが体勢を立て直す間を与えず、今度はセバがタックルして両腿を抱えると、全身のバネを使って引っこ抜くように持ち上げる。


「うわぁっ! ぐえっ!」

 元々技量に大きな差があり、両足を抱えられたまま地面を離れた状態ではこらえることもできず、ボラージは背中から地面に叩きつけられた。

『おぉぉぉっ!!』

「っしゃぁ!」

「ああ、くそっ! 負けたぁ!」

 力強く片手を上げて勝利をアピールするセバと倒れたまま悔しそうに顔を覆うボラージ。


「それまで! では、今の力比べ、どちらの求めを聞くか、狩人達よ、応えよ!」

「は?」

 ザム・ジの言葉に、てっきり今の勝負で終わりかと思っていたボラージが間の抜けた声を上げる。

「石の都の男、ボラージの求めはいかに!」

『うぉぉぉ!』

 狩人達が手を打ち鳴らし、足で地面を踏みしめる。

「ジの狩人、セバの求めはいかに!」

『うぉぉぉ!』

 その言葉にも同じように音を鳴らす狩人達。音の大きさは似たようなものだ。


「ふん、では家長たる俺が裁定を下す。石の都の者には遺跡とやらを調べることを許し、引き換えにセバにハガネを譲れ。反対の者はいるか?」

 ザム・ジがそう言うと、狩人達は声を出さずに一度だけ足で地面を叩いた。

「ど、どうなってんだ?」

 意味がわからず伊織のほうを向くボラージ。

「力試しってのは勝敗だけで決めるって訳じゃないらしい。そうじゃなきゃ強い狩人がどんなことでも好き勝手できることになるからな。戦う姿勢、戦い方、要求と対価を見て狩人達が決めるってことだ。少なくとも、ボラージの要求に見合う戦いだったってことだな」

 伊織が苦笑いを浮かべながらそう言うと、いつの間にか近づいてきていたザム・ジが頷いた。


「俺達にとって、貴様等が遺跡と呼ぶ場所など大した意味はない。だが、石の都の者が好き勝手に森を動くのは気に入らん。貴様の戦いは無様だったが、狩人相手にあそこまで粘ったのだから多少の望みは受け入れてやろう。ただし、それだけではセバに利がないから対価をもらう」

 結局、ボラージはその言葉を受け入れた。

 剣や斧は街に帰ればいくらでも買えるし予備もある。その程度で遺跡の調査と発掘ができるなら安いものだ。


「意外と民主的なんすね」

「力を示せなんて言うからてっきり勝たなきゃ駄目かと思ってたんだけど」

 高校生コンビがそう驚くが、伊織が言ったとおり、力とは覚悟も含めた意志の強さなのだろう。

 とはいえ、ウェルゾ族にとって遺跡はただの地形であって価値を認めていないからこそなのだろうが。


「次の力比べをおこなう! 両者前へ!」

 しばしの間をとって、ジーヴェトと別の狩人が広場の中心に立った。

 狩人のほうは先ほどよりも身体が大きく、成熟した落ち着きを感じさせる男だ。

「求めるものを告げよ!」

「あ~、大したものじゃねぇが、あんたらの飲んでる酒を飲ませてくれ。俺にだけじゃなくて仲間にもだ」

 頭を掻きながらジーヴェトがそう口にすると、周囲の狩人から笑いが漏れる。嘲笑というわけではなく、単純にその要求が面白かったのだろう。

 対戦相手である眼前の狩人も厳つい顔のまま口元を押さえて笑いをこらえているようだ。


「俺の求めは、あの奇妙な荷車に乗ることだ」

 狩人の番になると、表情を改めてボソリとつぶやくように言う。

「俺達も乗せろ!」

「……求めを変える。望む狩人すべてを乗せてほしい」

 別のところから飛んできた言葉を聞いて、男は前言を訂正する。

 だが、ジーヴェトにそれを決める権限はないので伊織の顔を伺うが、伊織も苦笑いを浮かべながら頷いたので、それが要求に決まった。


 改めて狩人とジーヴェトが向かい合い、開始の声が響く。

「始めぃっ!!」

 互いの求めのせいか、それまでどことなく浮ついた雰囲気になっていた両者が、途端にピシリと空気が凍り付いたかのように張り詰める。

 両者ともに上半身裸、武器も持っていない。

 だが、かなりの腕利きと思われる狩人はもちろん、ジーヴェトもひとかどの戦士だ。

 先に戦った二人とは違い、今にも殺し合いが始まりそうなほど空気が重くなる。

 彼我の距離は2mほど。

 ジーヴェトは両手を下げた自然体。

 狩人のほうは柔道のように両手を前に出して腰を落としている。


 わずかな膠着の後、攻める隙を見いだせなかった狩人の男がジーヴェトと距離を保ったまま周囲を回り出した。

 が、次の瞬間、ジーヴェトが予備動作なしに一気に距離を詰める。

「な?! くっ、うぉ!」

 トサッ。

 決着は一瞬だった。

 躱す間もなく懐に入られた狩人が驚きつつも、驚異的な反射で腕を振るう。

 だがその腕は、予測していたジーヴェトにあっさりと掴まれ、引っ張られる。そして抵抗しようと腕を引いた瞬間、反動を利用して押し込まれた狩人の身体はフワリと浮き上がって背中から地面に倒れたのだった。


 静まりかえる広場。

 おそらくジの一族の中でも有力な狩人だったのだろう。

 それが為す術なく瞬殺されたのが信じられないように驚きの表情のまま固まっているようだ。

「っ、それまで!」

 ザム・ジの声に我に返るもざわめきが広がるばかりだった。

 落ち着くのを待った裁定では、ジーヴェトの結果は最初はパラパラと、次第に興奮したように手足の音が大きくなり、結果に文句は出なかった。


「考えてみたら、ジーさんって、伊織さんに散々しごかれてたんだからこれくらいはできるよな」

「客観的に見て、この世界で上から数えた方が早いくらいの実力なんじゃない? じゃなきゃイオリがルアちゃんを任せるわけがないし」

「すでに魔改造済みってことよね」

 とは外野の感想である。


「……続いて、最後の力比べをおこなう!」

 ザム・ジの声に、伊織が前に出る。

 そして、相対したのは最初に出会った狩人であるガル・ジだ。

「この男の求めは先に聞いている。我等ウェルゾ族にとって大きな決断が必要なことだ。相手は我が息子であるガルが務めるが、不満があれば申し出よ!」

 この言葉は他の氏族に向けたものだ。

 話がジの一族だけのことではなく、他の氏族も関わることだからだ。

「ガル・ジの力は知っている。だが、戦いに納得がいかなければ我が氏族からも狩人を出す」


 各氏族にも強い狩人はいるのだろう。

 だがそれでもまずは戦いを見ようということらしく、それ以上の声が上がることはなかった。

「奇妙な文様だな。戦いを汚すものではないのか?」

「魔法紋と呼ばれちゃいるが、使わないから安心してくれ。見た目は、まぁ、消せないから我慢してくれとしか言えないが」

 伊織も上半身はむき出しで、タトゥーとして刻まれた文様が露わになっている。

 それを気にするガル・ジに説明すると、嘘は無いと判断したらしい。


「では、始めよ!」

「うぉぉ!」

 合図と同時に飛び出したのはガル・ジのほうだ。

 伊織を吹き飛ばす勢いでショルダータックルの姿勢で突っ込んでくる。

 迎え撃つ伊織はといえば、躱すこと無く自分も肩を突き出して激突した。

「うぉっと、なかなかのパワー」

「なんだと?!」

 二回りは大きな身体で突っ込んでくるガル・ジの肩に、自分の肩をぶち当て、完全に勢いを殺した伊織に、ガル・ジが驚きの声を上げる。


 だがすぐに気を取り直し、掴もうと手を伸ばしたガル・ジに、伊織も手を伸ばして指を絡める。

 手四つと呼ばれる力比べの体勢だ。

 当然、ガル・ジはその大きな身体を生かして上からのしかかるように力を込める。

 徐々に押し込まれるように腕を引く伊織だったが、すぐにその動きは止まり、逆にガル・ジの手を押し返していく。

 体格は違えど、力はほぼ互角らしい。


「チッ!」

 力が膠着し、ガル・ジが引いて手を振り払う。

「力比べて負けたことは無いが、強いな」

 素直に感嘆の言葉が漏れる。

 次いで、今度はガル・ジが腰を落とし、拳を握って伊織に殴りかかった。

 女性の太ももほどもありそうな腕を縦横に振る攻撃に、伊織は逃げること無く鏡写しのようにはじき返していった。

 拳には掌を、肘には腕を合わせ、ガル・ジに怪我を負わせないようにしながらいなす


「奴は本当に石の都の者なのか?」

「ガル・ジが力で勝てぬとは」

 見ていた他の氏族の男が小さくこぼす。


「どうした! なぜ本気をださん! 俺を愚弄する気か!」

 伊織の、ガル・ジに合わせたような戦いに、本人の顔が怒りで赤く染まる。

「いや、こっちも本気さ。さすがにこれじゃ押し切れないけどな。それにこれは力比べ、だろう? だからまず、力を示した。次は、技を見せよう」

「なに?!」

 いったん距離をとった伊織がそう言ったと同時に、その姿がかき消える。

 実際に消えたわけでは無く、ほんのわずかな隙にガル・ジの死角に移動した伊織は、間髪入れずに膝裏を蹴り上げた。


「くっ、このっ!」

 危うく転びかけた身体を強引に修正し、伊織に向けてバックブロー気味に拳を振るう。

 が、それが空を切ったとガル・ジが認識した瞬間、さほど力を込めたとは思えないのに、伊織に掴まれた手首を支点に身体が宙に浮く。

 とっさに身体を捻ってうつ伏せに倒れると、すぐに立ち上がる。

「まさか、ガル・ジが子供扱いされるとは」

 小さなつぶやきが、意図せずにガル・ジの耳に届く。


 ギリッ!

 奥歯が割れんばかりに音を立てる。

「……今のはなんだ?」

「言ったろ? 今度は技を見せるって。力はほぼ互角だった。だが俺が技を使うと手も足も出なくなる。違うか?」

「舐めるな!」

 煽るような言葉に激高したガル・ジが、両腕で頭を護りながら突っ込む。

 そして激突する寸前、伊織の腕を掴もうとするが、今度は両足が宙を舞い、顔面から地面に叩きつけられることとなった。


 ザワッ。

 一転してあまりに一方的な戦いとなったのを見て周囲の狩人達がざわめく。

「森の狩人の力は大陸でも有数だろう。運動能力も高い。だが、それだけだ」

 冷徹な伊織の指摘に、車座に座っていた族長達の腰が浮く。

「うぉぉぉっ! ぐぁ!」

 唇から血を流したガル・ジが果敢に掴み掛かるも、伊織に触れることすらできず翻弄され、宙に浮く。

 高い運動能力で背中から落ちることだけは防いでいるものの、明らかな実力差に悔しげに顔を歪ませる。


「石の都に住む人間は、長い歴史の中で数え切れないほど争ってきた。力で剣を振るうだけじゃ無い。だまし、欺き、弱みを握る。味方のふりをして油断を誘い、甘言や欺瞞で陥れる。そんな戦いに慣れているんだ」

 伊織の目は今やガル・ジではなく、ザム・ジを含めた氏族長達に向けられている。

「森に暮らし、一族で道を決め、歩む。間違っているわけじゃ無い。だが、素直すぎる。実直すぎる。どれほど力をつけようと、それだけでは狩人の矜持は守れない」

 語る言葉を聞きながらも、ガル・ジは諦めず伊織に掴み掛かろうとする。


「相手を知れ、誇りを持ったままで良い。手口を知れ、自分たちの生き方を守るために。相手を屈服させることだけが勝つことでは無い。自らの矜持を守り抜くことが勝つことと知れ」

 悲鳴にも思えるほどの雄叫びを上げながら、渾身の力を振り絞ったガル・ジが振るった拳を、優しさすら感じさせる表情を浮かべながら掌で受ける伊織。

 そして、ガル・ジがそれを認識した刹那、彼の顎を伊織の掌底が打ち抜く。

 その場で崩れ落ちる狩人を抱き留め、地面にそっと横たえた。


「今の石の都の王は話がわかる人間だが、将来はわからん。だが、約定を結ぶことでその行動を制限することはできるだろう。俺が言えることはそれだけだ」

 伊織の言葉に、返す者は誰も居なかった。

 

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