後編

 自治体とか国とか、とにかく公の機関というのはネーミングセンスがなくて困る。雪災対策に発足した除雪組織、「スノウショベル隊」通称SS隊、市民が呼ぶには「雪掻き隊」、

 ──所属する者たちから常日頃不満の声が上がっているが、名称変更には面倒な手続きが必要とかで、改称の動きは未だない。英語にすればそれらしくなるだろうとでも考えたのだろうか。


 急ごしらえで編成されたSS隊だが、雪対策は凄まじく先進的な発展を遂げる。

 特に、先にも触れた雪の凝固技術は全世界が目を瞠った。それまで広い場所に集めて融けるのを待つか、薬剤や機械で雪を融かす「融雪」しか選択肢がなかったが、凝固技術を確立させたことであることを実現できた。


 つまり、凝固雪による、市民居住区の冬季限定地下街化である。

 冬が来る前に居住区に巨大な柱を立てておき、雪が降ったら凝固雪で居住区を覆って地下街化し、あとは適度に居住区の天井を除雪して換気口を確保したり、居住区の凝固雪の修繕も担う。SS隊に所属する者の大半が、そうした作業員だ。


 そのような生活では空を見ることが叶わず、精神を病む者も少なくはない。だから“遣らず雪”の降らない時はシェルター外部を開放し、SS隊の巡回の下、外の空気を吸いに出かける市民もよくいる。




 ──が、厄介なことに、許可も付き人も、家の人への言付けも無しに、ある子供が外へ出てしまったのだ。






     ***






「捜索対象者は八才の少女、名前は“ニコロ”。午前七時半に母親と食事を摂った後、遊びに行くと言って外出、それきり姿が見えない。外への出口を見張る作業員が交代する隙をついて外へ出たようだ、監視カメラにその様子が映っていた」



 緊迫した事態のため、今回の出動は分隊四つの四十名体制。概要を説明する分隊長バラトが長い棒でホワイトボードに貼られた資料の一つを指した。棒の先には少女の写真。黒髪が顎のラインで切りそろえられ、くりっとした大きな瞳はややまなじりが上がっている。



「カメラの映像では、ニコロちゃんはピンク色のスキーウェアを着ていた。帽子は白。ゴーグル無し、身長は130センチほど。ここまでいいか」



 バラトが狭い会議室内を見渡し、質問がないことを確認すると早口で続けた。



「事態は最悪だ。数時間後に“遣らず雪”の予報が出ている。既に空模様も怪しい。下手をすると三年前の事件と同じになるかもしれん。各自、携帯食やカイロ、バッテリー等十二分に用意すること。急ぐぞ、死ぬなよ、行動開始!」



 掛け声が上がるとともに、蛍光オレンジ集団が一斉に忙しなく動き出した。






 俺の持ち場は除雪作業が完了していない地帯だ。これらの雪は凝固せず、居住区から外れた場所へ移動させる予定だったのが、“遣らず雪”が来ると言うので断念されたのだ。

 これはマズいかもしれない。雪山の間に隠れていたら見つけにくい。俺はスヌードを下げて口の横に手をかざした。



「ニコロちゃーん! いたら返事してくれー!」



 しばし耳を澄ませるが、聞こえるのは凍てついた風が鳴らす笛の音のみ。胸がざわつく、“遣らず雪”の前は決まってこういう風が吹く。

 焦りに突き動かされるようにして、早足で雪山の陰を、雪原の向こうを、白い景色の狭間を睨むようにして歩いた。いや走った。何度も何度も叫びながら、空気に肺を凍らせながら。



「ニーコロちゃーん! どこだー!」



 風がどんどん強まる。心臓が肋骨を痛いほど叩く。耳元を吹きすさぶ風笛は、願いに反してますます強くなる。分厚い雲で陽射しが翳り、夜と紛う暗さが風に煽られ近づいてくる。




 ──と。

 反射的に俺は全力で走り出した。分厚い装備が疾走を邪魔して苛立つ。

 微かに、本当に微かだが、確かに聞こえたのだ。風の鳴る合間にその声が。


 着いた。足を止めた。荒い息を何とか御し、ピンクのスキーウェアに身を包んだその子に声をかける。



「……ニコロちゃん、で合ってるかな」



 その子は頷いた。さぞ心細かったろう、綺麗な黒目がちの瞳が大きく潤んだ。

 無事でホッと胸を撫で下ろしたが、吹きつく風に雪の礫が混じり始めているのに気が付いた。あと数分もすれば立っていられないほどの強風と雪に変わる。少女を伴ってこれから支部へ帰還するのは、現実的とは到底言えない。


 “遣らず雪”だ。

 呟く声は風に流された。ああ、間に合わなかった。


 絶望感に苛まれる前に無線を手に取り、無心で通信を飛ばした。最後の通信にならないことを祈りながら。



「こちらヤソスケ09。捜索中の全機に告ぐ、目標の少女発見、繰り返す、目標の少女発見。ただし帰還は困難と判断した。これより危険回避行動に入る」



 しばらく応答はなかった。当然だ、俺だって返す言葉に困る。

 やがて聞こえてきた通信は、バラト分隊長の声だった。



『バラト00……了解した。いいかよ。死ぬな、死なせるな。──健闘を祈る』


「了解」



 必死に感情を抑え込むバラトの声がいつまでも俺の中を駆け巡った。

 死ぬな、死なせるな。ああその通りだ。

 無線をポケットに仕舞い、少女の目線の高さにしゃがんで精一杯の笑みを向けた。


「大丈夫。俺が絶対に君を助ける。さあ、まずはへ避難だ」






     ***






 うず高く積もった雪山にかまくらを作って二人で中に入った。風さえ凌げば幾分温かくなる。凝固した雪で入り口を塞ぎ、壁や地面を均して整え、最後に地面の中央にスコップを突き立てて懐中電灯をぶら下げた。



「さあお待たせ。座ろうか。ケツ冷えちゃうけど」



 わざとおどけて言って見せると、少女ニコロはけらけら可笑しそうに笑った。

 その場に腰を下ろしてウェアのジップを寛げ、内ポケットから貼るカイロを取り出してニコロに見せた。



「これを背中に貼るんだ。上着脱いでくれ」



 素直にスキーウェアを脱いだその背中にカイロをピタッと貼り付けた。カイロは小さな背中の半分を覆った。ついでに腕や首回り、顔面に防寒クリームを塗ってやる。凍てつく外気から肌を守り、凍傷を防ぐのだ。

 それが済むとまた上着を羽織らせ、今度は別のポケットからチョコレートを出して見せた。



「チョコだ!」

「好きかい?」

「うん。腹ペコだったの」

「そうか、そりゃよかった」



 封を開けて差し出すと、まあるい頬っぺたを幸せそうに動かしてチョコを頬張った。遭難時の携帯食の一つで、半日活動できるカロリーを摂取できる。

 緊張が解れたと見て取って、俺も携帯ビスケットを食べながら話を始めた。



「ニコロちゃんだっけ。俺はマシュウ、SS隊だ。よろしく」

「……こんにちは」



 おっと、余計に緊張させてしまったか。

 と思ったら少女はペコっと頭を下げた。



「ごめんなさい。勝手におもてに出ちゃって」



 俺は笑った。ニコロが驚いて顔を上げた。



「うん。もう勝手に出ないこと。俺は君を叱らないけど、後でちゃんとおうちの人に叱られなさい。……けど、それにはまず、俺らが無事に家に帰らなきゃな」



 ビスケットを飲み下し、俺は少しだけ顔面に真面目さを戻した。ニコロも空気が変わったのを感じ取ったのか居ずまいを正す。



「正直言うと、今の状況は最悪なんだ。“遣らず雪”は降り出したら三日は止まない。この雪の間は外に出たら死ぬ、それぐらい激しい吹雪だ。だから絶対俺の言うことをよく聞くこと。約束できるか?」



 真っ青な顔が頷いた。胸がチクリと痛んだが、事実だしこれくらい言わないといけない。



「よしいい子だ。まあ大丈夫だ、お腹は一杯にならないけど食べ物はあるし、水は融かせばそこら中にあるし、カイロもまだまだあるし、それに」



 立ち上がってスコップを引き抜く。ショベル部分が僅かに光を帯びているのを見て、ニコロの目が見開かれた。



「これがちょっとした暖房代わりになる。な、助かる気がしてきたろ?」



 ニコロが恐る恐るスコップに手を近づけて、かわいい声を上げた。思わず笑ってしまった、フラノではないが技術部署さまさまだ。






 ニコロにスコップの傍で休むよう言うと、横になって五分と経たずにすうすうと寝息が上がった。疲れているのも無理はない、居住区の人間は積雪の地面に慣れていない。雪を漕いで歩くのは全身を使うし、極寒の風に長時間吹き曝されたのだ。


 時計を見て薄く息を吐く。かまくらに入ってから二時間も経っていない。ニコロには過酷だが、ここからはが生存の鍵になる。ニコロに優先的に物資を使いつつ、俺も効率よく体力を使わねば。


 ぐっすり眠るニコロに俺の上着を掛け、スコップを引き抜いてある一点を崩し始めた。支部への方角は確認済み、こちらに真っ直ぐ進んで行けばいずれ支部に辿り着く。

 【半凝固モード】で雪隗化、【凝固モード】で均し、再び【半凝固モード】で雪塊を増やす。いつもと同じ除雪作業だが、今回は二人の命が掛かっている。



(死ぬな、死なせるな)



 通信の最後のやり取りをひたすら反復する。

 死なせてたまるか。──死んでたまるか。



(兄貴。今だけでいい、俺に力を)











 時計のアラームでパチッと目を開けると、ニコロが俺を覗き込んでいた。

 起き上がって時刻を見る。孤立してから十時間と少し。まだ一日も経っていないのか。



「おはようおじさん」


「ああおはよう……“おじさん”」



 少しへこむ。俺まだ三十二だぞ。まあ八才からしたらおじさんか。



「おじさんが掘ったの? すごいね」


「魔法のスコップが凄いのさ。さあ、ビスケットを食べよう。悪いけど半分こな」



 大分色よくなった顔色が大きく頷く。見張りの目を掻い潜って外に出るような子だから、俺が思うよりもずっと賢い子なのだろう。

 ビスケットを齧りながら、気になることを問うてみた。



「なして外に出ようと思った? 責めるわけじゃないんだけど」



 ニコロは少し俯いて、ぽつりぽつりと話した。

 弟がいること。体が弱く、先日も熱を出したばかりなこと。近所のおばさんに雪だるまの話を聞いて、見たがる弟のために作ってあげようと思ったこと。



「でもね、雪だるま作れなかったの。かたくって」


「シェルターの周りは固めた雪だからな。それであんなところまで柔らかい雪を探しに行ってたのか」



 しゅんと小さな肩が狭まる。手袋を外した手でぽんぽんと頭を撫でてやった。



「したら俺が作ってあげるよ。持って帰れはしないけど、写真にでも撮ればいい」


「本当?」



 パッと顔が明るくなる。俺はスコップで雪隗を作り、二つをくっつけて地面に置いた。それを大きさを変えながら幾つか作る。お父さん、お母さん、お姉ちゃんと弟。顔は作れないが、これだけでニコロは大喜びしてくれた。



「じゃ、写真撮ってる間に俺は一仕事するよ。スコップなくて平気?」


「うん。背中のカイロがまだあったかい」



 キッズ携帯で夢中になって雪だるまを撮るニコロに背を向け、俺は雪洞の続きを掘りに向かった。ニコロが寝ている間に二百メートルは掘り進んだろうが、支部まではまだまだ遠い。もう百メートル掘ったら休憩地点を作ろう。






     ***






 孤立して三十六時間が経過した。

 ニコロのカイロを取り換えた。低音やけどが心配だったが問題ないようだ。俺も腰に貼ってあるカイロを交換し、二人でチョコを分け合って食べた。

 高カロリー食を口にしているとはいえ極限状態、ニコロは少しずつ元気をなくしてきている。寝ている時間が増えた。スヌードをニコロに貸し与え、俺は雪を掘る。


 最初のかまくらから四百メートルほど進み、現在かまくらは二つ目。着実に支部へ近づいているが、残りの物資が心許ない。

 特にエレキスコップのバッテリー。スコップは日中であれば多少の曇天でも太陽光充電ができるのだが、日の射し込まない“遣らず雪”の間はそれが不可能。バッテリー頼りの苦しい状況だ。


 俺自身の体力もしっかり管理しなければならない。ニコロを死なせないためには、俺も死ぬわけにはいかないのだ。

 鉛のようになってきた腕を振り上げ、延々と転がる雪隗を叩いた。






 ──六十時間が経過。

 ニコロがぐったりしている。ストーブ代わりのスコップから無闇に遠ざける訳にもいかず、俺は四つ目のかまくらでニコロと一緒にスコップで暖を取っている。


 俺に寄りかかるニコロの口を開かせ、小さく割ったチョコを入れてやる。更に融かした雪を含ませて飲み込むまで見守った。

 俺も残りのチョコを口にして、雪壁にもたれた。気力も体力も、食糧もバッテリーも尽きかけている。仮眠を取りながら作業しているが、やはり睡眠不足か。


 思考が朦朧としてくる。眠るわけにはいかない、寝落ちてはマズい。

 意思とは裏腹に、疲れ切った体は次第に船を漕ぎ始めた──。











 雪を掘る。積もった雪を必死で雪隗に変える。

 晴れていた。数日ぶりの晴天だった。嫌味なほど清々しい青空を背に、俺たちは目を血走らせて祈るようにスコップを振っていた。


 無事であってほしい。

 どうか、頼むから。


 やがて無線で通達が入った。最後の行方不明者が発見されたとの知らせに、俺は走った。

 走って走って……暴力的な冷気で肺を痛めながら走って、の元に辿り着いた。


 ビニールシートの上に横たえられた、五つの凍死体。

 真ん中で凍ったまま目を開けない、俺とそっくりの男。


 俺の喉から絶望の慟哭が絞り出される。青い空、白い雪、輪を描いて飛ぶ鳥、何もかもが恨めしかった。こんな世界は滅んでしまえと、強く。



「マシュウ! このバカ弟が、目ェ覚ましやがれ!」



 ──凍っていたはずの男、俺の兄が目の前に立っていた。

 刹那、兄の怪力パンチが顔面に飛んできて、











 ……ハッと目を開けた。

 崩れた雪が顔面に零れ落ちていた。時計を見ると、既に七十五時間が経過していた。

 心臓に氷柱が刺さったような心地になった。ニコロ、俺が寝ている間に手遅れになっていたら──慌てて横を見ると、ニコロは肩で息をしていた。かじかむ手を額に当てると熱かった。汗を拭ってやり、チョコを口に押し込むと弱々しく咀嚼した。

 発熱は生命維持反応だ。急げばまだ助かる。



(兄貴、ありがとう)



 立ち上がるとふらついた。芯から冷え切った体は言うことを聞かない。

 融け雪を飲んでスコップを振るって、通路の天井を崩しにかかった。遣らず雪が止んでいなければ塞がねばならないが、もう三日経った、止んでいる可能性に賭ける。

 雪隗を固めて土台にし、更に上へと掘り進める。途中バッテリーを交換した。最後のバッテリーだ、もしこれで雪が止んでいなければ一巻の終わりだ。


 土台が一メートル、二メートルと高くなっていく。

 まだ光は見えない。


 酸欠で視界に星が飛び始めた。

 まだ光は見えない。


 冷えて痺れる顔面に雪隗が直撃した。

 まだ光は見えない。



 ……痛む顔面に兄貴の拳を思い出した。



 雄叫びを上げて、深々とスコップを刺した。大きな雪隗がボコッと転がり落ち、次の瞬間予期せぬ眩さに目を瞑った。



「は……はは」



 ゆっくりと力なく笑い声が漏れていく。目を覆う手を退けると、灰色の空から雪の欠片がふわふわと降りてきていた。俺は久方ぶりにゴーグルを装着した。



 “遣らず雪”が止んでいる!



 高鳴る胸を抑え、かまくらに急いで戻ってニコロを負ぶった。ぐったりと重たくなったニコロが高熱を出しているのが俺の背中に伝わる。

 雪隗で作った足場をよじ登り、雪の穴から半身を出した。スコップを空に掲げてスイッチを長押しした。エレキスコップの緊急機能、救難信号の発信。……三年前の事故の後、技術部署が付け加えた機能。


 この時ほど神に祈ったことがあっただろうか。兄貴が埋まった時よりも切に願った。死ぬな、死なせるな。頼むから俺たちを死なせないでくれ。




 頼む。




『……こち……サ……応答……』



 無線が鳴った。ポケットから出すと少しクリアになった。



『こちらヌサマイ03。救難信号を受信した。発信者は応答せよ』



 届いた。

 ゴーグルの中に俺の涙が溜まっていく。声が霞む。



「こちらヤソスケ09。少女ニコロ、隊員マシュウ、両名とも生きてる。至急救援を──」






     ***






 三か月後、ニコロから俺宛てに手紙が届いた。

 助けてくれてありがとうございました、という内容が覚えたての漢字で綴られていた。雪だるまの写真と、色鉛筆で描いた俺の絵も添えてくれた。俺は微笑んで、机の引き出しにそっと仕舞った。


 俺は顔面に軽度の凍傷と、脱水症状を発症して入院していた。ニコロは衰弱して高熱を出していたが、数日もすれば退院の許可が出たという。子供は元気だ、鍛えていた俺の方が退院に時間がかかった。情けない。

 鏡を見ると、顔に出来ていた凍傷はすっかり治っていた。髭を剃り歯を磨く。事後処理や報告、リハビリトレーニングも終わり、今日ようやく現場へ復帰するのだ。



「じゃあな兄貴。行って来ます」



 誰もいない部屋に一声かけて、俺は自室を出た。






 雪が消え去るまで、あと三か月。

 今日も俺は、雪を掻く。

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終末雪国アポカリプス 奥山柚惟 @uino-okuyama

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