終末雪国アポカリプス
奥山柚惟
前編
雪が降る。
白い雪の
……いつもこれくらいならいいのに、と俺は心底思う。
たぶん全市民が全会一致でそう思うに決まっている。
ゴーグルに覆われた目をパチパチ瞬かせた。雪に反射した日光は目を焼くくらいに眩しく、更に全身を覆うウェアの蛍光オレンジが、五メートルを超える雪山に反射しているのだ。ゴーグル越しにも目がやられそうである。
文字通りの一息をつき、すぐにスヌードを口元に戻した。
「……さァて、もう一息だッ」
足元の雪に刺していたエレキスコップを引き抜き、取っ手のスイッチを押すと、わずかな振動が分厚い手袋を通して伝わってきた。
まだ手付かずの前方の雪の絶壁に向かって、作動済みのスコップを刺した。
そして雪を掻く。雪を削って地面に落としていく。落ちた雪は
それらがある程度溜まった頃、スコップのスイッチをもう一度押して【半凝固モード】から【凝固モード】に切り替えた。
手に伝わる振動が更に激しさを増す。少し間をおいて、俺はスコップの背中側で雪隗を叩いて地面を
これで数立方メートル分の雪が、あっという間に固い地表雪に変化した。
この作業を繰り返していると、スコップに何か硬いものが当たった。周りを掻いていき、やがて居住区の出入口に繋がるシェルターが姿を現した。鈍色に光るそれには「D-7」と記されている。
スヌードとゴーグルに隠された俺の顔が思わずほころんだ。
喜びを噛みしめながら、ウェアのポケットから無線機を取り出し呼び掛けた。
「こちらヤソスケ09。D-7地区のシェルター口を発見。繰り返す、目標発見」
『ヤソスケ00了解。09は集合場所へ戻れ』
「了解」
無線を切り、拓いてきた道を戻りながら再び新鮮な空気を味わう。吐き出した息がまるで仕事終わりの一服のようだ。
遠くでは除雪車が動き始めたようだ。シェルター口が見つかった今、ちまちまとスコップで雪を均しながら探る必要はない。あとは大型の除雪車で雪を凝固させ、一帯の雪を均せば、与えられた仕事は終わる。
「よく見つけたなあマシュウ。お手柄だ」
集合場所に戻ると、同じ蛍光オレンジに身を包んだ仲間が合図していた。分厚いウェアでは判断が付かないが、声からするにあれは同じ分隊のソウヤだ。
ソウヤは稼働中の除雪車三台の轟音に負けないよう声を張り上げた。
「なんもさァ、こんなに降ることねえよな。シェルター口が隠れるぐらい降るってどんだけよ」
「な。思ったより早く見つかってよかったよ」
「グッジョブ、マシュウ。これで今日の除雪車じゃんけんで勝ってたら文句なしだったんだけど」
除雪車係は毎度じゃんけんで決まる。今日この分隊に割り当てられた除雪車は三台。いつもは一台か二台なので、今日は大盤振る舞いだ。
今除雪車を動かしているのはルベシベ、ボコイ、それからニシチャ。……大雑把な三人だが、今日の作業は大胆さが必要だし、適役だろう。
「今日も今日とて寒いな。ああ、朝のじゃんけんで負けてなけりゃなあ」
「お前前回やったべ。諦めろ」
戻ってきた他の仲間たちに合図して、俺はソウヤの肩を叩いたのだった。
***
災害認定されるほどの積雪量を観測するようになって、もう十数年経つ。
それまで四季の彩り程度、とは言ってもたびたび大雪だとか大寒波だとかでニュースを忙しくさせていたが、あくまでその程度であった。子供は雪遊びをするし、ホワイトクリスマスなんていうロマンに溢れた言葉もまだ生きていた。
ところがある年、大雪が降った。
ひと月かけて降るべき量の雪が僅か三日で降った。それも
本土や諸外国からの支援も雪に阻まれ、死者や行方不明者が増大するのと比例するかのように、積雪量も着実にその高さを増していった。あまりの積雪量に気象庁は避難指示まで出し、昼夜を問わず除雪業者に消防に、果ては自衛隊まで動員された。
本土で立春などとのたまう頃になっても雪の壁はそびえ立ち、
大型連休になっても冬タイヤが手放せず、
梅雨が過ぎ、全国各地で最高気温の記録更新合戦が起こる頃にようやく雪が見えなくなった。ただでさえ列島国家の最北に位置するこの土地が、とうとう気候区分まで仲間外れとなり、冬季間は実質的に国家からも孤立するようになってしまったのだ。
これを受けて自治体は「雪災」への全面的な対策のために国から予算を下ろしてもらい、急ピッチで制度化が進められ、
──俺たちの所属するこの組織、“スノウショベル隊”が結成されたわけである。
***
第十七支部の施設は雪下にある。積雪を利用して地上にかまくら式の出入口シェルターを作り、そこからエレベーターなり階段なりを使って地下に降りる。
人の命が掛かっていたためか、あらゆる科学技術は目覚ましく進歩を遂げ、その成果は大いに人々を助けている。耐雪構造の建築物はもちろん、雪を効率よく掻くためのエレキスコップ、数メートルの積雪にも負けぬ除雪機、色は気に入らないがこのウェアやゴーグルも本土のそれより品質がいい。
本土よりも先に近未来を迎えたような節さえあるが……近未来というより終末世界かもしれない、雪の終末「スノウアポカリプス」などと騒がれた時期もあったほどだ。
分隊員九名を引き連れる分隊長ヤソスケが、灰色の金属のドアをノックした。簡素なコンクリートの廊下にその音はよく響き渡る。
「はあい、どうぞ」
間延びした返事を聞き、ヤソスケがドアノブを回す。
部屋は四畳半ほどの事務室で、十人も入れるほど広くはない。ヤソスケと、前の方にいた数名が部屋に押し込まれた。俺もぎゅうっと中に詰め込まれた。
「ヤソスケ隊、只今D-7地区の除雪作業より戻りました」
「了解。Dの
「分かってます。報告書でしょ」
よく通る低い声でヤソスケはカラッと笑った。
記録用紙に記入を済ませたその女性は申し訳なさそうに眉を下げる。
「ま、パッパと書いちゃいますから。目立った問題もなかったし」
「そうですか。では、よろしくお願いしますね」
また俺の体がぎゅうっと外に押し出され、部屋より広い空間に思わずよろめいた。気をつけろ、と誰かが背中を叩いてきたが、ウェアのおかげで全然痛くない。
全員で廊下をダッシュし、ロッカールームに雪崩れ込んだ。
ゴーグル、帽子、スヌード、手袋、ブーツ。それらをロッカーに放り込み、人間の抜け殻と化した上下ウェアを適当にハンガーにかけて防水スプレーをしこたま浴びせる。
あとは仕舞っておいた上履きを履いて、ようやく解放感が味わえる。顔を上げるとロッカーの鏡に俺の顔が映った。装備を身につけていてはまったく見えない、しっかりと雪焼けした俺の顔。
まだ着替え中のメンバーに先に戻るぞと声をかけ、俺は廊下に出た。
そして身震いする。むき出しのコンクリート造りの空間は外とは違った寒さがある。早く部屋に戻ってココアを飲もう。
「あれ、マシュウじゃん。おかえりィ」
「いって……」
バン、と背中を叩かれて涙目で振り返ると、歯を見せてニッコリ笑うショートヘアーの女がいた。同期のフラノだ。
「おう、ただいま。そっちはこれから外?」
「そうなのさァ……さっき招集かかって。まあ五日も止まなかったんだし仕方ないよね、今日はみィんな出ずっぱり。ヤソスケ隊は大変だったっしょ、雪止んですぐ駆り出されたんだって?」
「それが止んでねんだわ。まだちらほら降ってる。“
“遣らず雪”……「雪災」をもたらした激しい天気のことだ。大量の雪と異常な風が吹きすさび、一度降り始めれば最低でも三日は止まない。屋外にいればまず助からない、「誰も外へ
三年前、それが除雪作業中にやってきて、俺のような作業員が十数名巻き込まれる事故があった。降り出した激しい雪で支部へ帰還が叶わず、即席かまくらを掘ってやり過ごそうとしたが──無事生還を果たしたのは僅か二、三名だった。
嫌なこと思い出させちゃったね、とフラノは肩を竦めて苦笑いした。
「別に大丈夫さ。もう行くんだろ? 薄曇りだから眩しいぞ」
「うん。技術部署さまさまだね。ホント、ゴーグルには助けられるわー。じゃね」
出動に向かうフラノを見送り、俺も自室へ向かおうとしてようやく
「暇人かよお前らこの野郎。ヤソスケ、お前分隊長だろ、報告書さっさと書け!」
口笛を吹いて囃し立てる男どもを潜り抜け、ココアを求めて足早に廊下を進んだのだった。
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