第8話(後) 私たちの噂
残っていた職員たちとジャッカル副会長、そしてマナミは最上階でマシンをどうすべきか会議をしていた。
男女A2名は、真っ暗な第3作業棟の広間にあるテーブルで、キャンバスを縫い続けていた。
体をくっつけあい、黙々と、スマホのライトで手元を照らしながら…。
翌朝、女子Aはテーブルで目を覚ました。
「あ、ヤバい! 起きて!」と隣で寝ている彼を起こした。
「う、何時だ!?」
「6時だよ! 多分!」
7時だった。そろそろ二人への講評会が始まる時間だった。
外は吹雪が止んで、晴天の朝だった。
「ねぇ、あれ見て…」
女子Aは広間の中央を指さした。
床には天井窓の隙間から滴り落ちたマシンのインクが溜まり、挿し込む陽に輝いていた。
「…一体、ケイイチは何を描きたかったんだろう」
彼女がそう言うと、男子Aがキャンバスを持ち上げた。
「何をしたかったのか俺たちも今から聞かれるぞ! これを早く木枠に張ろう!」
二人は教室に戻り、何気なく電気をつけた。
「あ、停電は終わったのか!」
「よかった! 暖房をつけよう!」
木枠を組み立てキャンバスを張ろうとしたが、ボロボロなので張る途中で破けてしまいそうだった。そこで、男子Aが途中まで下書きしていた自主作品の大きなキャンバスの上に張ることにした。
「いいの?」
「いいよ。下書きの鉛筆を消して、まっさらにしよう。縫い付けるんじゃなくて、接着剤で中央に貼り付ける。そうすれば、このボロボロのキャンバスが浮いて見える」
二人はキャンバスをキャンバスの上に貼ると、木枠を立てて眺めた。
ふー、っとため息が出た。
女子Aは指に巻いたバンソコウを見て、視線を彼に移した。
「これが終わったら春休みだよ」
「俺は今日、単位を落としたら留年だ」
「そうなったら一緒に卒業しましょう」
準備が整うと、二人のスマホに教授たちから連絡がきた。
【雪のためテレビ電話にて講評会を行う。教室に機材があるので、セットができたら連絡ください】
「冗談でしょう!?」
「仕方ない。晴れたけど交通は途絶えてるだろう」
二人は授業を受けている教室に行くと、教壇の脇にあるテレビ電話用の機材をセットした。
カーテンを開けると、真っ白な世界がまぶしく教室の中を照らした。
二人はキャンバスを持ちあげると、お互いを見た。
「準備は?」
「いいよ」
男子Aがリモコンでテレビをつけ、テレビ電話のチャンネルにログインした。
普段、教授は3名だったが、テレビモニターには教授以外に関係者が10人もいた。
二人は驚いて顔を見合わせた。
教授たちは挨拶より先に、カメラ越しに二人の作品を見つめた。
そして微笑むのだった。
授業の担当教授が腕を組んで語り始めた。
「はい、おはようございます。今日、生徒も呼んで講評会を、と思ったのだけど雪で電車も車もまだ動きません。申し訳ないけどテレビ電話です。そこで、私たちだけではなく、学部主任、学園長、教務課の主任、札幌にいる僕の友人の作家さん、教育委員会の会長さん、あと写真学科の長谷川先生ね。それに中央木立ノ美術予備校の校長先生にも来ていただいています。さて、とりあえずいつも通り講評会を始めようか。まずお二人のお名前をお願いします」
男子Aは一瞬彼女を見ると、先に自己紹介をした。
「2年の黒崎アオです」
そして彼女が続いた。
「1年の笹島アオです」
教授たちがうなずいた。
「二人とも同じ名前なんだよね。だから頭文字をとって『男女Aグループ』とか呼ばれてるんだっけ? まぁよくケンカをするペアでしたね」
「ホント、よくケンカしてたね。それでキャンバスを破いてまで争ったけど、作品はできたみたいだね?」
黒崎が小さくうなずいてキャンバスを見せた。
「これが俺たちの作品です」
教授たち他、評論家たちが作品をじっくり見つめた。
「…もったいない。カメラじゃなくて生で見たかったよ。これ、コンセプトを聞きたいな」
二人は顔を見合わせてほほ笑んだ。
「コンセプトだって」
「あったっけ?」
そしてモニターを見て笹島が答えた。
「破いてしまったものを縫い合わせました」
「どちらが決めたか忘れましたが、俺たちは縫い合わせたかったんです」
「でもケチャップがついたり」
「血がついちゃったり」
「煙草の火で焦げてしまったり」
「野犬にも噛まれたし」
「この上で食事もした」
「傘にもした」
「でも縫い続けました。必ず二人で」
教授たちは腕を組んで見つめた。そして一人が訪ねた。
「この課題をどう思う? まず留年したらヤバイ黒崎君に聞こうか」
「はい」
笹島は不安げに黒崎を見た。
「無茶な課題です。キャンバスは一つしかないのに二人で描くなんて。それも初めて話す相手と急に組まされて…」
「なるほど。では笹島さんは?」
「私も無茶苦茶な課題だと思います。でも…」
彼女は黒崎を見つめた。
「私たちが一緒にならなかったら、こんな作品はできなかった。このキャンバスは、私たちの思い出の断片が焼きついてます…」
黒崎が続けた。
「楽しい思い出もあるし、にくったらしい思い出もあるし…ここにはその気配が少しだけ残っている」
「最初にキャンバスを配られた時と同様、私たちも真っ白だった」
「でも筆を通しては描けないものです」
写真学科の長谷川教授が反応した。
「すいません、僕からいいですか? 例えば、次に二人で絵を描くとしたら、同じ様に描きますか?」
「彼女を描きたいです」と黒崎が言うと、
「私も彼を描きたいです」と笹島が即答した。
教授たちは笑った。
「なるほどね。キャンバスの上にキャンバスを張った理由も、何となく察しがついた」
「でもまぁ、今日はそこが重要な訳じゃ無い。君たちに伝えたい事があるんだよ」
授業担当の教授が気を取り直して言った。
「お二人さん。この授業は5年ほど前にできた授業です。今まで単位を落としたペアはいません。なぜなら、とりあえず絵が描けて提出できれば良いから。もちろん君達みたいに喧嘩する学生はいます。でも単位を落としたくないから、ペアのどちらかが描いて出すか、適当に済ませて出してくる。君達みたいに単位を無視して本気で喧嘩をして、どうにかベストを尽くした学生は、まだいません」
そして他の教授が続けた。
「この課題は、絵の技術を見ているのでは無い。偽りなく二人が摩擦を起こしても、偽りなく互いを認め合おうとし、その感情を作品にするかどうかだ。二人で一つ作品を生み出すとはどういうことか? その化学反応が、そのキャンバスに描かれていく」
二人は互いを横目に見た。
「さて、その作品のタイトルは?」
「…『キャンバス』」
黒崎は、勝手に答えた彼女を見て笑った。
教授たちは頷いてメモを取った。
「『キャンバス』…。なるほど。では、これで無事提出という事で。こちらの皆さんで評価いたします。その作品は講評会用の棚に保存してください。あとはカメラとモニターの電源を切っておいてください。良い春休みを。お疲れ様でした」
「ありがとうございました…」
教授たちが画面から消えていくと、黒崎がリモコンで電源を落とした。
二人はキャンバスを支えながら見つめ合った。
「春休みだって。2ヶ月くらいあるんじゃない?」
「長いな…」
「私たち、これからどうする?」
「とりあえず…何か食べよう」
二人はキャンバスを教室の正面棚に置いた。ここにはこの授業で出された作品が正面を向いて立てかけられており、講評会に使われる。
立てかけられた『キャンバス』は、教室を出ていく二人の背中を見送った。
パフォーマンスホールに行くと、ジャッカル副会長が居残りグループに朝食を振る舞っていた。
二人は暖かい紙皿を持って、広間のテーブルで食べた。そして中央にたまったマシンのインクを見つめていた。
「描けなかったのかもな…」と黒崎が呟いた。
笹島は微笑んだ。
「絵具や筆じゃ描けない絵もあるのね」
彼女は少し緊張した腕をそっと彼の腰に回した。そして彼の肩に顔を寄せて、ささやいた。
「ねぇ、大切なものは描けないと思うの」
「どうして?」
「大切なものの絵は、大切なものが存在し続ける限り、その愛おしさを超えられないのかも」
「じゃあ、お前を描くのはしばらく先だな」
…棟の外は真白だった。
冷気を吸いに出てきたマナミの足跡だけが、中庭にあった。
彼女は静かに佇み、体にたまった昨夜の会議の熱気を逃していた。
「マシンは撤去ですね」
そこにジャッカル副会長が暖かいコーヒーを飲みながらやってきた。
「昨夜は迷惑かけて、ごめんなさいね」
「いえ、ここじゃ誰だって刺激しあっているじゃないですか。自然でさえ、参加してくる」
彼はそう言って東の方を指さした。
構内の柵の向こう側、山の麓になる場所に、野犬の群れが見えた。
彼らは静かに山の中へと向かって行った。
そのうちの一頭、どうやら地下フロアに入ってきた野犬が、遠くから二人を見ていた。
マナミも、その野犬を見つめていた。
「マナミ先輩、最近は絵を描かいるんですか?」
「いえ……。でも、こういう真っ白な世界を見ると、いてもたってもいられなくなるわ」
彼女がそう言うと、
あの野犬が、
そっと山奥へと消えていった。
ーーーおわりーーー
隠されたアトリエと男女Aのアレやコレ @Mukade95
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