賽の釣り場

おこげ

第1話

 ――先行く殿方、奥様方々。家路恋路と帰路着く前に、ちょいとその脚小石を積んであっしの小咄お聴きくだせぇ。決して損はさせやせん。夕餉ゆうげのツマミに夜事色事やごといろごとのお供にとさかるこぼれ話の一つとしてお持ち帰りくだせぇな。

 これからお話致すのは、今から七曜しちよう跳ねた一週間、満月みつつきやにわに赫染めなすった当の日に語り申したその続き――。



 あるところに優吉朗ゆうきちろうという町一番の大地主がいた。サンフランシスコ講和条約の締結により、日本が連合国軍からの占領を抜けだしてまだ年月としつきの浅い頃である。

 彼は当時では大変珍しい慈善家で、住民に食糧を分け与えたり、家を失った者たちを離れに住まわせては仕事を提供したりと、時間も金銭も惜しまない利他主義者として多くの者から慕われ、人望の厚い男でもあった。



 ――奇特な御仁で敬愛される優吉朗ではありやすが、実のところそれは表向きの顔でしかない。まことの素性というのがまた末恐ろしく、顔のつらが厚いの何の。ベリベリと皮を剥ごうものなら狐も狸もびっくり仰天!腹出しへそ出し失神するときたもんだ――。



 本来の優吉朗は私欲の塊と言って相違ないほどに強欲かつ残忍であった。あるときは食糧をカンパしたのだからとその家の娘をめかけとして差し出すよう要求し、あるときは離れの浮浪者をそそのかして闇市での商売に密造酒の製造を従事させ、あるときは日本ではまだ認知の低かった移植手術に眼を付け、労力としては使い物にならない者たちの臓器を海外へと流し、それが適わぬ者に関してはシシの加工肉として認可されていない小売市場に流通、或いは篤志的とくしてきな方面で乞食に恵み処理するなど、彼の悪行は数え上げれば切りが無い。



 ――誰しも普通の暮らしに憧れ平穏を求めるなかで、私腹を肥やしほくそ笑んでいた優吉朗。そんなある日、一人の旅芸人が彼の元を訪ねて来やす――。



 小汚い継ぎ接ぎだらけの粗衣姿の旅芸人は、その身なり相応に芸も不出来で一向に興が乗らない。こんな男さっさと追い返してしまおうと優吉朗がそんな事を考えていると、男はやおら興味深い話を始めた。


 「お館様お館様、見ず知らずの人間に手を差し伸べる人の出来た素敵なお方。そんなあなた様のお耳に入れたき話がございます。実はこちらの地に着く道中、島根に脚を運ぶ機会がありまして。中海なかのうみに隣接する小さな村なんですがね。その村が大層奇妙な場所でして、行き交う村人すべてが巨万の富を蓄えた立派な豪家の者なのです。金に銀にと平屋に詰まった山のような宝石、奇術が如く囲炉裏から湧き出る大量の米、手に腰余る淫奔な情婦に将来有望な生娘ちぎょたち。これほどの贅を尽くすのだから、よほどの不埒な所業をしてきたのだろうと探りを入れてみましたところ、その者たち驚くほどに人情深く、宿を点々とする自分に労いの言葉を掛けては温かな食事と布団を用意してくださり、更には眼を疑うほどの心付けをお渡しくださいました。邪推に勘繰った自分が途方もなく情けなくなり、殴られるのを覚悟で心中を打ち明けたところ、気にするなのひと言でお咎めなし。ここで吐露致しますと、自分かつては民家に火を点けては金品をせしめる火事場泥棒をやっておりました。それも指の数では足らぬほどに。本来、その村を訪ねたのも盗みが目的でした。ですが有り余る私財に囲まれ豊潤な生活を送りながらも不義に染まらぬ村人たちの純真さを目の当たりにし、強く胸打たれたのです。去り際にくださろうとした金品は受け取らず、その後は見せ掛けに騙っていた旅芸人を本職としてこうして各地を巡っております。下手の横好きですので稚拙な技芸はどうかご容赦ください」


 『随分と頭のおかしい輩の溜まり場があるものだ』


 優吉朗は己がそうであるように他人の親切を素直には信じられないでいた。


 『そやつらが所有する財産も元は余所者から剥ぎ取ったものだろうよ。此奴に親身になったのも、どうせ穢れきったよこしまな思惑があったからだ。そうでないなら何故なにゆえ他者を奉仕する必要があるのか。奉仕とは即ち、甘い蜜を吸わせ続け快楽から抜け出せなくすることだ。従順になったところをじっくりと骨の髄までしゃぶり尽くす、そのための課程、一種の投資事業なのだ』


 そんな醜悪さを内に孕みつつ、優吉朗は穏和に言う。


 「それはそれは出来た者たちばかりの村とは畏れ入ります。戦後、未だどこもかしこも困窮に悩まされ資金繰りの苦しいなか、まさかそのような善人の集う場があるとは。して、そのような話をどうしてわしにされるのですかな?」


 「いえいえここまでは単なる前置き、謂わば何事も天秤でしか量れぬ凡人のつまらぬ依怙贔屓えこひいきです。自分の生き方を変えてくださった尊敬すべき御仁のことを、同じくひもじさで苦しむ人々を無償で助けるお館様に自慢したくありましたので。不躾な物言いお許しください」


 男は快活に謝罪を済ませ、


 「本当にお話したいのはここからです。その村は山間やまあいに位置しておりまして、山岳から流れる沢により村の正面には美しい小川があります。上流へと進んでいきますと麓には大きな池沼ちしょうが広がり、その池沼には大層不思議な逸話があるのです」


 男が言うには、その池沼で夜釣りをすれば、月の光を身に受けて眩い光沢を照り返す、金銀細工がわんさと得られるという。村民はその池沼を〈傘寿さんじゅ御池みいけ〉と呼び親しみ、そこで手にした金品を持ち帰っては旅人に差し出すのだそうだ。


 そんな話、眉唾物だと優吉朗は撥ねのけようと思ったが、ふと考えを改め直し、その村の所在地を詳しく訊くことにした。


 『からかわれたことに気付かぬ愚鈍な阿呆が鵜呑みにした作り話だろうが、火のない所に煙は立たぬ。たとえ戯れ言でも、それに基づく事実は少なからずあるはず。村の住人が如何程の欺瞞をもってしてもこちらも騙りのプロ。全て喝破した上で宝をわしの懐に収めてくれよう』



 ――こうして優吉朗は島根を目指しやした。お伴に一人使用人を連れて当時は珍しい自動車を走らせやす。景色など見ても腹の足しになりゃせんと、優吉朗は助手席でグーグーいびきを掻くばかり。肩身の狭い使用人は主の命に忠実にと、二六時中寝る間も惜しんで運転しやした――。


 ――目的の村は市街を遠く離れた山間僻地。住宅地を抜ける頃には未舗装の砂利道へと変わり、人気ひとけは途絶え、饂飩うどんのようにぐにゃりぐにゃりと道のりはますます険しくなる。高く照りつけていたお天道様は一旦沈んでまた昇り、また沈んではまたまた昇る。辿り着いたのは出発から二日後の暮れ六つ。酉の上刻にて山腹の隙間から覗くは闇夜を呼び込む夕陽の灯火。黄昏色を背に受けて、西方には山の稜線がくっきりと浮かび上がる。黄昏時とは逢魔が時、不吉な気配漂うなかでそんな事とは露知らず、丘越え山越え傘寿さんじゅを越えて、祝いの贈答品がきんとはめでたいと使用人に下卑た笑いを飛ばす優吉朗でござりやした――。



 優吉朗は木造家屋がぽつぽつ並ぶ集落を眺めていた。

 玉石転がる小川は陸地を隔てるようにどこまでも延び、自動車で渡るのは無理だった。以前は歩行者用の木橋を利用していたようだが、先端部分を残すだけで崩落している。今は渡し舟が村までの交通手段のようで、優吉朗は使用人に漕がせて暮れゆくなかを進んでいた。


 向こう岸の渡し場で舟を降り、近場の家屋へ向かう。


 「ご免ください」


 使用人が引き戸を開けて声を掛けると居間の方からすっかり髪の抜け落ちた初老の家主が現れた。


 「久方ぶりに遠方へと脚を伸ばしてみたものの道に迷ってしまい、あてどなく車を走らせていると偶然こちらの集落を見つけました。夜も更けて参りましたし外は何かと物騒なご時世です。申し訳ありませんが、こちらで一晩泊めていただけないでしょうか」


 土地勘のない憐れな旅行客を装い警戒心を解かんとする優吉朗。話を聞いた家主は「それはご苦労なすって」と気を掛け快く承諾してくれた。


 家主に先導され居間に入るも優吉朗たちは脚を止めてしまう。眼前の奇妙な光景に声が出ない。

 居間の中央には床を四角く切り取った囲炉裏がある。だがそこには五徳に火箸、鉄瓶など火焼きに用いる道具はあれど肝心の灰がなく、その代わりにと湯気がほくほくと立ち昇る白米が敷き詰められていたのだ。


 唖然とする優吉朗たちをよそに、家主は囲炉裏の前に腰を降ろすと傍にあった茶碗と杓文字しゃもじで米を三人分取り分けた。すると更に驚くことにかさの減った部分には米がどこからともなく湧いてきて、元の状態に戻ったのだ。


 「さあさあ、そんなとこ突っ立ってねぇでこっち来て座りんさい」

 「い、今、おかしなことが……」

 「その囲炉裏、いったいどうなっているのだ!?」

 「村の足許に水脈が流れとるんでね。何ら不思議な事ありゃせんよ」


 大したことはないと当然のように振る舞う老人。まさかと優吉朗は頭に手を当て言う。


 「あの噂は本当だったのか……」

 「はて?お客さん、傘寿の御池をご存知で?」

 「あ、あぁ。いつだか屋敷を訪ねた男がそんな話を――」


 そこで旅芸人から聞いた話を家主にしてやった。


 「ああ、あの若者かい。だったでね。あれもちょうどこの家に泊めてやったんよ。そうかいそうかい、あれがあんたたちに」

 「島根にあるとは聞いていたが、正確な位置は知らんかったのでね。来られたのも奇跡だが、まさかあの男の話が本当だとは思わんかった」


 金目に食い付いた俗物だと悟られぬよう細かな嘘を交える。回りくどい質問をせずに済んだと気を良くし、優吉朗はさっそく本題に入ることにした。


 「してご老人、その逸話に出てくる夜釣りの話、あれも事実なのか?」

 「ええ、紛う事なき真実で」


 そう答えた家主はおもむろに立ち上がると、優吉朗たちに背を向け襖に指を掛けた。


 優吉朗は眼を見開き驚嘆する。

 襖を開けると、眩むほどの黄金が家主の足許へなだれ込んできた。奥には居間の灯りを押し返さんばかりに燦然と輝く山、山、山があった。


 優吉朗は四つん這いで駆けつけては金貨に指輪に首飾りと眼前の財貨を両手で掴み上げ、


 「ここに竿はあるか?!」手元に釘付けのまま、優吉朗が叫ぶ。


 「部屋の脇に立て掛けとるよ」


 優吉朗は使用人に釣り竿を持ってこさせると、池に行ってこいと声を張る。


 「まあそう凄まんでもよかろうて。わざわざ行かずとも、ここにあるもんなら好きなだけ持って帰って構わんよ」


 家主はからからと笑った。


 「それより長旅で疲れておろう。今夜は肉肌浴びてたっぷり癒されんさい」


 手を鳴らす家主に二人は振り返る。玄関を開ける音が聞こえ、大勢の女が居間へやって来た。どの女もなかなかの上物で、皆々不自然なほどに呼吸が荒い。すぐに部屋は埋め尽くされ、優吉朗たちはその淫靡いんびな雰囲気に取り込まれてしまった。



 ――熱い吐息が優吉朗の肌をなぶりやす。まさにこの世ならざる神の息吹、触れられるほどに身体は火照り頬は蕩け、疼く悶える胸跳ねる。淫らな女たちは男二人を奪い合うように抱いては繋がり狂い咲く。御年五十の優吉朗、貯蔵尽きても怒張収まること知らず、女の数だけおのの剣山を突き立てやす。脳内麻薬に心攫われ、官能快楽に女体貪る。もはや本能に溺れる動物へと落ちるに落ちた主は、秘情事さなかに使用人が姿を消す非常時に気付かず。我慢できず抑制できず歯止めきかず思うがままに家兎かとを喰らった。そうして淫猥な饗宴は陽が昇ろうとも続けられやした――。



 目覚めたときには既に陽は沈もうとしていた。

 クセの強い体液のにおいに満たされた家屋。大の字で眠っていた優吉朗は人を堕落させる臭気に当てられながら、格子窓から射し込む斜陽が作る縦縞の影に踏まれていた。


 『しまった!眠りこけてしまったか』


 がばりと身を起こし居間を見渡す。優吉朗以外には誰もいない。


 理性が低迷し、何度も性感帯を刺激され、優吉朗は身も心もあやふやのまま臨界点を越えていた。ほとんど失神するように脳は休息を求めて眠りに落ちていた。


 「ようやっと起きなすったか」


 夕映えの空を見ていると外から家主が帰ってきた。


 「夜通し楽しんでおられたからのぅ。体調はいかがで?」

 「ん、ああ、お陰様で存分に満喫させて頂いた。いやはや大変素晴らしい宴だった」

 「享楽は人の幸福と言いよるでな。満足されて何よりだわい」

 「とはいえやはり歳には勝てぬものだな、

 「地位名声は高まれど、うぶさ失うのが老いつうもんよ」

 「ふむ、確かに……それよりわしの従者が何処にいるかご存知か?」

 「お付きのもんならば夜更けに一人釣り竿を持って出て行きよったよ」


 やはりそうかと優吉朗は顔を顰める。


 『あの男、主人を出し抜いて一人占めする気だな。せっかく眼を掛けてやったというのに、恩を仇で返すばかりか恥まで掻かせよって』


 憤怒沸き立つ優吉朗。この恨み白紙にはできんと力む拳で床を殴り積怨を吐き出す。


 立ち上がり大股で外へ向かうのを家主がなだめる。


 「まあまあそう急く必要もないさ。夜が更けんとどうしようもないでな。それよりも何か食わんか?何をするにもまずは腹に詰めんと力も出んでよ」


 家主は背負っていた風呂敷を開いた。昨夜は大した食事は出せなかったからと山や畑で採ってきた山菜野菜を優吉朗に見せる。倉庫には干し肉もあるらしい。

 憤激し息巻いていた腹の虫は途端に空きっ腹に取って代わり、優吉朗は喉を鳴らし素直に腰を降ろした。


 食事をすれば気分が落ち着き頭も冴える。


 『車の鍵はこちらにある。エンジンが掛からなければあんなものただの鉄の塊でしかない。アレ無しで。欺いたつもりだろうが真に追い詰められたのは恩知らずの畜生の方だ』


 下劣な笑みを浮かべ箸を動かす優吉朗。食べ終わる頃には外はすっかり闇に染まっていた。


 家主から新たに釣り竿を借り受け、優吉朗は意気揚々と家屋を後にした。

 村のなかを歩いていると幾つもの家屋が玄関脇の松明で照らされ、どこもかしこも嬌声が漏れていた。昨夜は情事に夢中で気付かなかったが活気溢れ

る良い村だと思った。周辺の山を買い上げ、歓楽向けの町を築けば尚盛り上がるだろうとも――その為にもこの村に眠る宝を丸々手中に収めなければ。

 下種ゲスな案を巡らせにやける優吉朗。自ずと歩みも速くなる。


 今宵は星がとても出ていた。山麓にある池沼は村から少しばかり距離があったが、簡素に土をならしただけの小道を頭上の夜光が照らしてくれたおかげで難なく辿り着くことができた。


 池沼は見事なまでに美しいものだった。

 山と村とに挟まれて位置するそれは、まるでで描かれたかのように真ん丸な円を縁取っていた。中央には月が浮かび、小さく波打つ水面を泳いでいる。


 優吉朗は傍の石に腰掛けるや早速釣りを始めることにした。

 釣りをするにあたり、老人から二言の忠告を受けていた。一つは釣り糸の先端は重石を掛けるだけでいいこと。一つは何があっても決して泉へ飛び込んではならないこと。

 重石を糸に結び、優吉朗はせいと勢い付けて池沼へ投げ入れた。


 竿を握っていると烏の鳴き声が聞こえてきた。夜の帳に紛れ何羽もの烏が鳴き合っている。夜烏とはまた不吉だが、そんな気味の悪さが我に返る一役を買う。


 『も針もない竿を垂らしたところでどうなるというのか。わしはきんを得るためにここへやって来たのだ。呑気に釣りなんぞするためではない。そもそもこの池に魚などおるのか?水面を跳ねるのはおろか泳ぐ影すら見当たらん』


 だがくだらんと思うものの、釣りをやめる気にはなれない。


 『とはいえ、村で眼にしたことも事実。囲炉裏もそうだがあの金の山、幾ら何でも多すぎる。こんな山奥の集落にどうなればあれほどの財を積めるのか。やはり奇っ怪な秘め事がここいらにあるのだろうか……』


 あれこれ思案していると、ふいに竿に手応えを感じた。おや、と意識をそちらに向けてみると小刻みに竿が揺れていて――突如、大きくしなった。



 ――悲鳴を上げる釣り竿。その粗末な竹竿を奪われぬよう、優吉朗は腰を浮かせ力一杯に引きやす。顔を真っ赤に息も絶え絶えな初老間近の優吉朗。引きつ引かれつの綱引き合戦は長期に渡り、もはやこれまでと思った矢先、情けか先に力尽きたのは相手方。だが急に抵抗をやめるもんだから、優吉朗は踏ん張ることも出来ず尻餅をついてしまいやす。石に尻を打ちつけ痛い、ひっくり返り地に腰も打ちつけまた痛い。痛みそれでは飽き飽き足らずと、頭を上げた優吉朗目掛けて何かが飛んでくる。額を直撃、視界には星が爆ぜて火花がパチパチ散りやした――。



 痛みを堪え、優吉朗は上体を起こすと飛来してきたものを探した。だがそれを眼にした途端、ジンとする痛みは吹き飛んだ。


 柔らかな光を放つ金の耀きがそこにあった。茶瓶である。全高十センチほどの、あられ模様が立派な金瓶。その取っ手には重石を結んだ糸が絡まり、優吉朗の横に転がる釣り竿と繋がっていた。

 慌てて金瓶を拾い上げまじまじと眺める。ずっしりと手元に届く重量感、並みの職人では表現できない精巧さ。間違いなく高価な工芸品だった。


 「ほ、本物だ!凄い、凄いぞ!」


 心昂る優吉朗。がはは、と醜悪な笑い声が烏夜うやに轟く。武者震いする腕で乱暴に糸を解き、再び竿を池沼に向けて振った。面白いくらいに金銀細工が釣れていき……見る間に足許は黄金で溢れた。


 際限ない奢侈しゃしに心奪われ、もはや優吉朗の頭には大量の金品をどうやって持ち帰るのか、裏切り者の従者はいったいどこへ行ったのかなど、すっかり抜け落ちていた。


 やがて背が埋もれるまでの山を作り上げた頃、一際大きな手応えがあった。

 これは大物だと心躍る優吉朗。「次は何だ?茶釜か、それとも達磨か」爪が食い込むほどに強く竿を握りしめた。つま先で地面を掘り固め、獲物を逃がすまいと脚を踏ん張り、そして――。


 乾いた音が響いた。

 釣り竿が重みに耐えきれず折れたのだ。ささくれ立った切り口を残して竿の頭は無慈悲に池に沈んでいった。


 絶句。

 優吉朗は頭を抱えた。もはやただの棒きれとなった竿を足許に落とし、声も出ない。


 だが直後に起きた出来事に優吉朗の瞳は輝いた。池の中央でぶくぶくと何かが上がってきたのだ。今まで釣り上げたどれよりも大きい。優吉朗は忠告など忘れて池へと飛び込んだ。


 歳を感じさせない見事な泳ぎっぷりでそこにあるものを確認する。用箪笥だった。大小の引き出しが備わった小型のもので、当然ながら全てが金で出来ていた。箪笥を運ぶため優吉朗が腕を回そうとしたところ、突然引き出しがカタカタと鳴り出した。

 何事かと眼を見張る。尚も引き出しは小刻みに揺れている。鼠でもいるのかと考えたが、それならとっくに溺死しているだろうとすぐに改めた。そうして考えが煮え切らないうちに揺れはぴたりと止んだ。


 優吉朗は覚悟を決めた。腕を伸ばし、把手を撮み、唾を呑み込み、ゆっくりと引き出しを開ける。恐る恐る中を覗き込むと闇に紛れた黒い穴のようにどこまでも暗く深く……何も無いかに見えた。

 だが刹那、変化が現れる。引き出しの黒影が焼き餅みたく膨れ上がってきた。影の膨張は止まらず、鼻提灯から水風船、蹴鞠へと見る見る大きくなっていき……ようやっと膨らみが収まったのは優吉朗が頭をもたげるほどになってからだった。


 特異な光景に茫然と見上げるだけでいたが、その呑気すぎる脳が一瞬にして叩き起こされる。

 巨大な黒い風船が優吉朗の方へ倒れ込んでくるや上部に空洞が生まれた。猪口チョコ菓子を熱で溶かすように中心から均衡に穴が広がっていく。赤い内部を晒すと同時に外周から白い棘――否、鮫のように何層にも並んだ牙が剥き出しとなり、優吉朗に襲い掛かってきた。


 あわや噛み千切られるすんでの所で、優吉朗は身をかわして難を逃れた。牙は池のなかに突っ込み大きな飛沫を上げる。金の箪笥を従えて異形の怪物がこちらに向き直るのを見るや、無様な叫び声を上げて泳ぎだした。手脚をバタつかせ必死に岸へと向かう。全身の血管が凍り付くような悍ましい寒気、背後に感じる死の気配に恐怖し涙が止まらない。


 岸に手が届き池から這い上がる。間一髪、先ほどまでいた岸辺が砕けた。

 優吉朗は転がるように池沼から離れ、振り返る。怪物は地上での移動は苦手らしく、尺取虫のようにのろのろと迫ってくる。その度に地面は抉れ、周りの雑草が瘴気を浴びたかのように枯れていく。優吉朗は震える脚で掛けだし、金品そっちのけで村へと逃げた。


 何度も躓きぼろぼろになりながらも、なんとか村へと辿り着いた優吉朗。松明も消え静寂に包まれた村のなか、老人の住む家屋に飛び込み叫ぶ。


 「助けてくれっ!ば、化け物が!!」


 だが助けを呼ぶ声は瞬時に悲鳴へと変わった。

 居間には先客がいた。背を向けていたが身に着ける衣服からそれが家主の老人だと信じて疑わなかった。しかし肩越しで振り返ったその顔は血で洗ったように赤く、額には二つの角が生えていた。優吉朗がそれを目に留めるのを合図に奥にあった黄金も石や砂へと姿を変えてしまう。


 扉をぶち破り、再び駆け出す優吉朗。確信した、ここは生者が踏み入れてはならない場所だと。


 『あの旅芸人に嵌められたのだ。いや、そもそもあの男も犠牲者なのだろう。でなければ自動車もなしにどうやってこの村まで来たというのか。あれは恐らく人の皮を被った黄泉人だ。何てことだ、わしは知らぬ間に黄泉の地へいざなわれていたのか。従者も既にこの世にいないに違いない。わしはまだ死にたくない。死ぬわけにはいかんのだ!』


 この場に留まり続ければ間違いなく助からない。優吉朗は行きに渡った川を目指した。


 川岸に辿り着くや、優吉朗は愕然とした。水嵩みずかさを増した川が嵐のように荒れ狂っている。どこを探しても乗ってきた舟は見当たらない。


 焦る心に追い打ちを掛けるようにやにわに裾が引かれた。

 驚き飛び跳ねる優吉朗。そこにいたのは六、七歳ほどの少女だった。


 「ごめんなさい」


 俯き啜り泣く少女から声が漏れる。


 「ごめんなさいごめんなさい、悪い子でごめんなさい。良い子になります。もう悪いことはしないから。だからおじさん連れてって。わたしをお家に連れてって」


 そう言って見せた少女の顔は無惨なものだった。右頬が爛れ落ち、咀嚼筋が露出していた。


 「置いてかないで」とそっと腕を伸ばす少女。優吉朗は怯えて払いのけると、紙を裂くよりも呆気なく少女の肩から引き千切れた。だが少女は痛みに呻くことなく、「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返すばかり。その声に重なるように少女の背後から十人ほどの子供が這い寄ってきた。腕に胸に腿にと、どれもがどこか欠けていて明らかに生者ではなかった。


 来た道は塞がれ村の方へは戻れない。優吉朗は荒々しく波打つ川に飛び込むほかなかった。

 川の中を必死に進む。凍えるような冷水に心臓を締め付けられ、水を吸い込んだ衣服に脚をすくわれ、体力だけでなく気力までもが奪われていく。頭痛が止まず気分が悪くなり、胃のなかの物を吐き出した。月に照らされた

 摩耗する精神で優吉朗はただ帰ることだけを考えた。


 『金もいらない女もいらない、贅など知らずただ静かに暮らせればそれでいい。もう何も望まない、だからせめて我が家にだけは帰してくれ』


 だがそんな願いも叶わず。

 川の半ばにて、突如波が止まった。嵐の前の静けさと不安になるのも束の間、四方から無数の蒼白い腕が川のなかから突き出た。絶句する優吉朗の顔目掛けて手のひらが降り注ぎ、そのまま川へと呑まれていった。



 ――憐れ優吉朗、懸命に藻掻くも虚しく、己に宿る邪の心が尾を引き根を引き脚を引き、鉛となったその身体を傘寿の水子に引きずり込まれた。優吉朗とその従者、端からその身はあっしら鬼のに過ぎず。もしも清き者ならば命からがら逃げ果せたろうに。だが万も一億も一、千五百ちいほの数だけ四肢首折ろうも、そもそも此岸にそのような者おりゃしやせん。清廉潔白いようものならとうの昔に仏になるが常でありやす――。


 ――所詮、人とは煩悩に飢えた畜生よ。喰う喰われるでしか価値を測れん能なしよ。神は崇めるもので乞うものでなし。願うばかりで敬い忘れ、私利私欲剥き出す者なら、その魂八大地獄でやり直し――。


 ――はてさて最果て打ち収め、小咄これにて終演と、こっから先は商売でありやす。五臓六腑に四肢五体、輪切りぶつ切り細切り何でも御座れがあっしの商い。そこの鬼婦人きふじんこれどうよ、若い男の人肝油。数滴塗り込みゃ肌が潤い、数滴飲み込みゃ角輝く。こちらの腎臓は酒で潰れておりやすが、此岸で売り払えば子供三人に化けやす。臓器一つで人買いするとは人も阿漕な商売をしやすな――。


 ――最後に披露するは中年男から剥ぎ取ったこの髪膚はっぴ。中身は醜女しこめが夜通し吸い尽くしてすっからかんでございやした。塩味が強くとても喰えたもんじゃありゃしませんが、この皮被って人里参上しようものなら、たちどころに飽くことのない数の人を彼岸に招くことができるでしょう――。

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