10節「衝突 1」

 いちの者たちはすっかり自信をつけたのか、大前一味を目にとどめても驚きはしなかった。すぐに武器を隠して、これまで普段通りの活動を行っていたように声を張り上げる。


 寄ってらっしゃい見てらっしゃい、出回らないものが安く買えるよ!

 出回っているものはもっと安く買えるよ!

 さぁいらはいいらはい。高いものはそこそこで、安いものはそれなりで。

 見るだけならばいくらまけてもお代はタダ! 買うならおまけはなしで値札分!

 さぁどうぞどうぞ!


 大前たち兵隊崩れがの当たりにしたのは、初めて訪れた時とほとんど代わり映えのしない市だった。当局の無許可で開かれている市は活況を呈している。商人たちの口上は賑々にぎにぎしく、煤煙垂れこめる空の底をも吹き飛ばさんばかりの勢いを放つ。

 兵隊崩れたちは二日前に訪れた時と同じ恰好をしている。

 すっかりくたびれてぼろぼろになった土煙色の丙種軍服。色落ちしやすいが縫製が強くてやたらと頑丈で、どこへ着ていくのにも重宝する官給品だ。襟章や武器などは除隊時に返還しなければならないが、服はそのままでいいと伝えられ、兵舎から放り出された。

 着古しの軍服と二年ちょっと分の給金だけが彼らの手元に残った。

 それにしても市の様子は本当に代わり映えしない。

 違和感を覚えた大前は、「変だな」と、つぶやく。手下の一人はおや、という顔をした。大前と同じ時期に帝都に放逐された同じ兵隊崩れだが元は別の部隊の人間だ。名も知らない。

「なにか変なことが?」

「ああ、こいつら妙にのびのびしてやがる。普段通りだ」

「さっき寄った市も普段どおりだったぞ」

「空気が違う。さっき寄った市は俺たちの姿を見て、普段通りの様子を取り繕おうというのに必死だった。いわば演技をしていたような感じを受けた。だけどここの連中はそれとは少し違う。どいつもこいつも自然に振る舞っているじゃねえか」

 見渡す大前の視線は突き刺すように鋭い。

「大前さんのいう演技ってやつが自然ということではないのか?」

「それが不自然なんだ。さっき寄った市のビビリようはお前たちも感じただろう?」

「あいつらちょっと脅しただけなのにえらい抵抗もしませんでしたね」

「そうそう、悲鳴あげてなぁ」

「ちょっと脅しただけであの驚きようだ」

 物資欠乏の時節、盛況と品物、金を目当てに市や店舗を襲撃する者は多い。戦後すぐに誰からともなくはじまった一連の襲撃は、疫癘えきれいのように帝都全体へと広まっていった。

 その頻度は帝都へ送られてくる復員兵が増えるにつれて数を増していく。同時に彼らは徒党を組んで集団で動きを活発化させていった。襲来される側からすれば陸続りくぞくと送られてくる除隊された元兵士は、血に飢えた敵国の兵士も同然であった。

 戦争が終わってお役御免となった者どもは無法の軍隊と化した。

「あそこはもう俺たちが支配したも同然ですね」

「守ってやったと言わないと!」

 手下どもが口々に笑いあう。これを受けて大前、

「そうだな、他の連中が入りこむ前に上手くやれた」

 徒党を組んだ暴徒は、その各々の集団が各自の縄張りを意識しはじめていた。まだどこの誰も唾を付けていない市を少しでも多く獲得し、支配下に組みこもうとしている。開拓されていない地に向かって我勝ちに進出していき、自身らの支配下に置く。

 これこそは、かつて帝國が打ち破ろうとしていた〈三盟主〉と同じ性質ではないか。

 横暴なる欧州列強を懲治ちょうじするという希望で送り出された者たちは、その懲らしめるべきだった相手と同じ性質を備えて戻って来た。

 帝國政府は戦争に負けていないと宣したが、兵隊崩れを見た国民は精神的な負けを悟ったのである。

 彼ら復員者は列強の色に染めあげられてしまった! と。


 だが、実のところ、そんなものは和州だとか欧州だとかは関係がない。

 それらは遙かなる古代より人の歴史に繰り返し顕出けんしゅつしていた、人間の変わりない性質に根差した活動にすぎないのだから。戦争というものはこの性質がもっともわかりやすく顕現した形であり、かつ引き出させる手段でもある。

 近代の軍隊ではこの性質の暴発を統率と武力によって抑えこんでいる。

 性質の発露――活力は戦場に向かってのみ発揮された。しかし戦争が終わり、復員兵は武力からも統率からも解放された。今や彼らは性質の虜だ。

 この伝播し周囲をも巻き込んでいく性質はこう呼ばれている。


 ――闘争。


 これこそがまさに疫癘えきれいの正体であった。

「ここにはまるで気づかず敵陣の中に突っ込んじまったような異質さがある」

 感染者は気づかずに疫病を媒介する。

「俺たちがうまくやれていないっていうのか?」

「この市と他の市との違いはいったいなんだ?」

「人が死んだかどうかだろう」

 大前の言葉を上手くのみこめない部下がいぶかる。

「そうだ、一人死んだ、ああいや、殺してやった。ちょっとどころの脅しじゃない」

 彼らは殺人狂集団ではない。そこまでの狂気に振りきれた者がたまたまいなかったというだけだが、いずれにせよ帝都にいるのは戦場の敵兵ではない。

 彼らは帝都の人間は大事な金づるだと考えている。そんな彼らにとって、相手を殺してしまうのは下策だ。行く先々で人を殺すなどばかげている。

 だが、この市では一人殺してしまっているのも事実。それがちょっとした手違いの結果であると知っているのは大前だけだが。

「現にあの後の徴収は思いのほか上手くいった――」

 懐と腰元の得物を確認してから、大前は語りかける。部下といっても強固な紐帯ちゅうたいで結びついた仲間ではない。いずれも大前が力で抑えつけた者たちばかりだ。そんな相手に少しでも弱気を見せればどうなるか。隙あらば大前の寝首をかくのを厭わないだろう。首領といえども気の休まる時間などあったものではない。

「――なのに、なんでこいつらは、こいつらはこんなに普通に振る舞えている? なんで怯えてない? それどころかのびのびしているじゃねぇかよ」

 威嚇いかくするにはまず大きな声を出してわっと責めるのがいい。それは彼の経験に基づく。

「なぁ! いったいどうなってんだよてめぇら!」

 大前は目を見開き、あらんかぎり叫んだ。

 その時である、

「取り囲め!」

「あいつらだ!」

「あたしらで追い出してやるんだぇ!」

「徹底して痛めつけてやる!」

 大前の叫びの何倍もの大きさと勢いを持った声々が遠近おちこちから聞こえてきた。

 更にその背後には、わぁ! わぁ! わぁ!

 と何重もの聞き取れぬ鯢波げいはがある。

 いずれも兵隊崩れに向かって突き進んでくるものと思われた。

「な、何が起こってるんだ?」

「追い出すだって?」

「舐めやがって」

「どこにいる、出てきやがれ!」

 応じる兵隊崩れの言葉は勇ましいが、市の男たちは彼らの腰が引けているのを見た。

「おい、あれを見ろ!」

 あらかじめ誠道に指示されていた扇動役が兵隊崩れの一人であるかのように装う。扇動者が示す先には、手に手に武器を持っている何十人もの人々がいるではないか。しかもこちらへ向けて猛烈な勢いで駆けてきている。

「あっちからも来てるぞ!」

 また誰かが叫ぶ。別の方角からも武器を手にした数重もの集団が駆けてくる。

 さらにはもう一方からも。

 三方からやってくる集団を目の当たりにした兵隊崩れどもは唖然あぜんとした。突如とつじょの蜂起を前に威勢の良い言葉は失われ、ただただ立ち尽くすばかりであった。相対する市の者はそうしてできたほんの隙を見逃さないようにとの訓示を受けている。

「いまだ!」

「武器出せ!」

 また誰かの号令がかかる。すると、商店を広げていた者たちが木箱の間やござの下、ものの陰から一斉に武器を取り出して立ち上がる。

 武器といっても傘の柄を長く継いだものや物干し竿といった長物が中心なのは訓練と同じだ。同じでなければ意味がない。なかには殺傷力を高めるためか、柄の先に包丁を括りつけたものもあったが。

「突け! 突け!」

「あっちへ突け!」

「ともかく当てるんだ!」

 やいのやいのと口々に大声で喚き立てた市の者たちは、棒でめちゃくちゃに突いたり叩いたり打ったりする。迫ってくる大声に気を取られていた兵隊崩れたちは、即時の対応ができずされるがままだ。

 威力が低いとはいえ顔や首、急所などに命中すれば痛みを覚える。参ってさっそく離脱を図る者がではじめる。いきなりの攻撃を受けてひるまず即座に反撃できる者などそうそういるものではない。

「待てい! 逃げるな! 大した威力じゃない!」

 こう叫んだのは首領の大前だ。しかし不意打ちを食らってうろたえている者が冷静に聞き入れて踏みとどまれるはずもなく、攻撃を受けた者は大前を中心にした固まりから離散していく。しかしすでに三方からは敵が押し寄せてきている状況だ。

 奇襲を食らった!

 逃げる?

 どこへ?

 元兵士といえども、一味には敵中突破を選択できるほどの者がいなかった。自然、包囲されていない方へ向かって駆けだす他はない。その方角が敵によって決められているのだとも知らずに。

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