14節「道、重ならず」

 道重の背には銃が破裂した際に飛び散った小さな鉄片がいくらか食いこんでいた。

 しかし町医者は命には別状なしと告げた。小さな欠片は脊柱にまで達さなかったとの由で、破片の摘出はしてもしなくてもよい。自分で決めなさいという診断である。

 火傷も見た目こそ派手なものの、被服が大半を防いでいたので何の後遺症も残さないという。

 ただしその派手な火傷の痕は残るのだそうだ。

「ま、男前になると思って。名誉の戦傷というやつだ」

 町医者が軽く言ってのける。

 道重としても重傷ではないのをとやかく言うつもりはない。

「ようやった! おまぇはやぶと名医を行ったり来たりだぇ!」

 志ずゑ婆さんの冗談はときどきものすごくきつい。長年の付き合いの医者は笑って、

「志ずゑさんは元気なくせにうちに来ないでよ。次に会うのは葬式にしたいね」

「元気なのに運ばなくてもいい足運んでおめぇの銭稼がせてやってんだろう!」

 やいのやいのと言いあうのを見てみんながどっと笑う。道重も苦笑を浮かべる。この調子だと志ずゑ婆さんの葬式はまだまだ先の話になりそうだ。

 医者が他の者の診察のために道重を解放すると、いちの者は彼の前に立って口々に謝辞を述べた。

「俺だけそう言われるとむずがゆくなる。みんなの協力あっての勝利じゃないか」

 わざわざ礼を言う必要はない。そう断って、道重は丁重に辞して輪を脱した。

 誠道がいないのが気にかかっていた。だが杞憂するよりも前にその姿を見つけた。

 彼は市のすみで捕らえた兵隊崩れに尋問をしている。

「他の連中は話す気はねぇのか?」

「横流しなんて知らねえな。それに横流しならここの連中だってしてるだろ」

「生きるための闇市への横流しと貴様の欲望のための横流しを一緒にするな。あんまり隠し立てするとお前たちも憲兵に突きだすぞ」

 縛った兵隊崩れはこのあと警察へ突きだすと決めていた。いくら万全に機能していないとはいえ、犯罪者を連れて行って受け入れを拒むほど警察は腐っていない。

「あいつは俺たちのことも信用してなかったんだ、話しゃしないだろうさ」

「お前ら全員が互いに信用しあってないだろう。軍で何を学んだんだ」

「大前はあんたの部下だったかもしれないが、俺たちは違う。もう兵士じゃないんだ」

「大前に従ってたのはお前たちだろう。上下があるじゃないか」

「あいつは腕っぷしが強かったからな」

「銃を持ってるから逆らえなかったんじゃないのか?」

「だからそんなものを持っているなんて知らなかったんだよ!」

 軍が管理する武器を独断で持ち出したとなれば重大な軍規違反だ。しかし除隊された大前が武器保管庫に這入はいりこみ、あまつさえ管理されている武器を誰にも気づかれずに持ち出せるわけがない。誠道は軍の内部に協力者がいると踏んでいる。となれば憲兵隊に引き渡す他はない。

「俺たちも食うためにやったんだよ」

「だが罪を犯した。牢でたっぷり償うんだ」


 彼らの罪についての証人はいくらでもいる。

 兵隊崩れは罪を犯した。だから罰を受ける。

 なら俺たちは、俺たちの犯した罪はどうなるのだろう。


 道重はこんなことを考えていた。それは前に誠道から指摘された後ろめたさに基づく。

 兵士を送りだしたのは道重たち帝國人だ。それに戦争を望んだのも国民である。

 開戦の機運を作り、何百万という若者を戦地へ送りこんだのだから、国民にもなんらかの責任は生じる。それが監督責任というものだろう。だが、戦争による罰を受けたのは兵士たちだけだ。それは戦死という形で、四肢切断という形で、意識が戻らない重態という形で、いまだ戦地から戻らないという形で、また、戻って来てからも一方的な除隊による失職を宣告されて帝都へ放逐されるなど、あらゆる形で背負わされている。

 だが、帝都の者はいまだ誰も等しく罰を受けていない。

 俺たちはどこかで罰は受ける時が来るのだろうか。

 ならばその罰はなんになるのか。

 道重には分からなかった。

 それとも、そのまま国家が起こした過ちとして、彼ら国民によって構成される大東和帝國へ転嫁するのだろうか。ならば国家が受ける罰とはいったい何なのか。


 米売りの死。

 あれは形を変えた罰だったのだろうか。

 これも道重には分からなかった。

 自分たちの罪を問いもしないで、兵隊崩れだけを責めるべきではない。道重はそう感じている。それでもなお、彼らが暴力で奪おうとするのならば、自衛のために立ちあがり、かつて送りだした彼らを逐斥ちくせきしなければならない。その方法が正しいのかはわからないままに、しかし今日を生きるために必死で。

 襲ってくる相手を話し合いの席に着いてもらえるような粘り強さは、市を構成する者たちは持っていない。彼らは今日を明日につなぐのに精いっぱいなのだ。


 国家間の戦争は終わった。

 だが、帝都では、市では、まだまだ今回のような戦争が続いていくだろう。

「怖い顔をしてどうした?」

 尋問を終えた誠道が道重を覗きこむ。

「いや、少し、な……」

「思ったより怪我が響いてるのか?」

 道重は首を横に振る。

「戦争は終わってないなぁ、と思ってな」

 言ってから、道重は内容が突飛とっぴすぎると気付く。しかし誠道は腕を組んで、「そうだな」と応じた。

「これから復員してくる連中がまともなやつだといいんだが」

 もちろん全ての復員者が犯罪に手を染めるわけではない。除隊後すぐに田舎へ戻っていった者、帝都に残って就職した者、新たな商売を起こした者、兵士を続けるため再び軍の門を叩いた者、……、それぞれの人生へ巣立っていく。

「とりあえず手を打ってほしいのはまじめな警官の増員だな。どこもこんなんじゃあ和州に名をとどろかせる帝都が犯罪都市になっちまう。まあ、俺はその方が職にありつきやすいからいいんだがな!」

 誠道は、ははは、と豪快に笑った。

「そんなに笑って大丈夫なのか?」

 道重は誠道の腹を指した。

 血まみれの服はすでに乾いている。そのうち気を失い失血死するのではないか。道重は気が気ではなかった。道重が輪を離れて誠道を探したのも、彼が倒れていたら、と考えたためである。

「人より血が多いと言っていたが、さすがに手当くらいはしてもらった方が」

「これか。まだ気づいてなかったのか」

 誠道は服の裂け目からぺらぺらの紙のようなものを取り出した。

「なんだそれ、裂けた袋に見えるが」

「そうだ、皮袋に血を詰めていたのさ。血といっても牛やら豚の血だがな」

 服の下に袋詰めにした家畜の血を仕込んでいたのだ。本物の血に見せかけるために。

「刺されて血が飛び散ると相手は驚くか安心するだろ。その隙を狙って一気に倒すつもりだった。俺が本当に大怪我したと思って、みんなが包囲を解いて駆け寄ってきたのは正直言って誤算だったな。敵を欺くにはまず味方からというが、やりすぎもほどほどにしないと策士が策におぼれる羽目になる。こっちの説明不足がたたっちまったんだ。駆け寄ってくれたことそれ自体は嬉しかったが」

 彼によると、バル・ベルデの戦場でも同じ手を使って死体になりきるなどして敵兵の目を欺いたという。大前が驚いていた、『むかし敵に撃たれた時』というのは、自陣への帰還直後に大量の血を垂らしながらもぴんぴんしている誠道を見た時のことだという。

「昔は戦場の亡骸なきがらから集めた血だったけどな」

 誠道は一瞬だけ悲しい顔をのぞかせる。

「刃物持ってる相手なら十分にだませると踏んでね、飯屋に仕込んでもらったよ」

 誠道の要請を受けて血袋の準備をしたのは飯屋だった。

 みんなが訓練を受けている間、飯屋はなじみの屠殺とさつ業者に血詰めの袋を作ってもらっていたのである。腸詰を作る要領で、とは飯屋の説明による。

 この仕込みは道重たちが賛成と不賛成の決を採っている間に、誠道が飯屋に話して決めたという。飯屋は話を聞くなり乗り気になったそうだ。

『聞いたらこれは案外いけるんじゃないかという思いを強くしたよ』

 確かに飯屋はそんなことを言っていた。彼は最初から知っていたのだ。

「そろそろ飯屋が酒と飯を持って来ると思う」

 勝鬨が聞こえたら市側の勝ち。ただちに祝捷しゅくしょう会を開く。

「そんなところまで決めてたのか、抜け目がないな」

 驚く道重を前に誠道は照れたように、

「いい酒を飲ませてもらったんでな。用心棒のおまけみたいなもんだ。祝捷会は飯屋さんの提案だけどね」

 お気楽な彼らしい発案である。

「そういえば誠道さんは普段何してる人なんだ? 隊長ってことは軍隊生活がちょっと長いみたいだけど」

「流しの用心棒だよ。軍隊は国家の用心棒、いや、自警団みたいなもんだからな」

 明らかにはぐらかされているが、道重はいやだとは感じなかった。言いたくない過去を持つ人もいるだろう、と。彼が自身を用心棒だというのならば、それを信じるしかない。

「それなら、誠道さんには今後も用心棒をしてもらいたいと思うんだが、どうだろうか? これを機にこの市で自警団を発足させる。これはもともと誠道さんの提案だ。誠道さんにはその顧問と教練役に就いてほしいんだ」

 深々と頭を下げた道重は、

「いや、肩書なんかはなんでもいい。今後もこの市のために力を貸してほしいんだ。もちろんただでとはいわない」

「それはできないな」

 誠道は悩む間も挟まずきっぱりと断る。

「俺は流しなんだ。この市にいる理由はもうない」

 大前を憲兵に突きだす仕事もある。元の上官として俺も取り調べを受けるだろう。その後はまたどこかへと流れる気だ。誠道は淡々と告げた。

「悪いな」

 肩をぽんぽんと叩いて道重の顔を上げさせる。

「だったら、だったらせめて、あんたの名前を……、誠道って名前を自警団につけさせてもらうのを許可してほしい。これから先、いつまで自警団が続くかはわからない。案外とすぐに解散できる情勢になるかもしれない」

 道重は熱心に訴える。

「だけど、自警団が続く限りは誠道さんに教えられたことを忘れないためにも、名前に残したいんだ」

「やめろ、むずがゆくなる」

「お願いだ!」

 頭をあげない道重を前にちょっと考えこんでから、

「俺の教えがすぐに忘れられることを願うよ」

 仕方なしと踏んだのか、誠道は事実上の認可を与えた。

「ありがとう! ありがとう!」

 誠道は握られた手を振りほどく。

 彼の気恥ずかしさが伝わった道重は、「すまない、つい」といつもの調子に戻る。

 道重には、さきほど市の人にお礼を言われた時の気恥ずかしさがよみがえっていた。束の間、二人は同種の気恥ずかしさを共有していた。

「もう一つだけ、人の捜索は頼めるだろうか?」

「請けられないな。それに俺は米売りを全く知らない」

 何を頼もうとしているかわかっていましたか、と道重。

は誰にも頼らずあんたがやるのがいい」

「できますかね」

「金貸しだろ? 顔が広くなきゃ成り立たん仕事だ。その伝手つてで探れば案外と脈はあるんじゃないか?」

 辛うじて埋葬だけはすませたが、あれから米売りに関する手掛かりが増えたわけではない。協力を得るための奔走と自警団結成の動きで全く手つかずのままだ。

「あてにできるかどうかは別としても、まずは警察に行って聞いてみるといいかもしれんな。家族が健在なら捜索届くらいは出ているだろう。連中が受理するか、そこだけは不安だが行かないよりは行ってみた方がいい。当たった時に得られる情報は段違いだ」

 誠道に励まされると、道重には探せるという気が湧いてくるのだった。

 それからしばらく、飯屋が食事を届けに来るまでの間、二人は今回の代金の件や今後の帝都のことなどを話し合った。

 そして道重は、大前を憲兵隊に連れて行く誠道と別れた。


 それきり彼らは二度と会うことはなかった。

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