11節「衝突 2」

 逃亡を試みた何人かは、ある地点に達すると勢いよく前のめりに転んでしまう。

 とっさの受け身を取れず無様に転倒した連中は、その衝撃でううう、と呻くばかり。

 いったい何が起こったのか。

 どうして転んだのか。

 思わぬ攻撃で混乱している者たちは、理解が及ぶ前に市の男たちに引っ張られていって縛られていく。ただ、捕まった彼らはその感触だけはしっかりと覚えていて、「足に何か引っかかった!」と訴えた。

 一味が逃げる方角の足元に縄を張って転ばせる。

 初歩的な罠だが、急変した状況を上手く呑みこめないものは注意が疎かになっているので、面白いほどに引っかかる。

 仲間の犠牲によって罠に気付いた者は足元を見て飛び越えていく。

 それでもなお逃げる方向は敵によって狭められている。

 逃げる者の前方からは四斗樽しとだるが転がされ、脇からは武器で打ちのめされ、一人、また一人と、確実に脱落者を出していく。そうやって兵隊崩れの大半は捕らえられていった。

 何人かが死に物狂いで囲いを脱して逃げていったが、市側の人間で深追いする者は誰もいなかった。

 大前だけが最初の場から動かないでいる。彼の周囲に何人か残った者たちは怯えすくみ、逃げ出せなかった者だ。さて、彼自身はどうだろうか。

 市側も武器こそ大前たちに突き出しているが、それ以上は近づこうとしない。

 これも誠道による指示だった。散り散りに逃げていく者の姿を見せつけられれば、指揮官の士気と自信は大きく削がれるだろうと。首領の腕前が未知数な以上、精神的に攻めるのは有効な手だと取った方法だ。

「攻めろ!」

「逃げたぞ!」

「逃がすな! 取り囲め!」

「あたしらの市を取り戻すんだよ!」

 ときの声は続く。いつまで響くのだろうか。

 武器を手に襲ってくる市側の者はいまもこちらに向かって走り続けている。いつになったら到着するのか。時間が経ち冷静さを取り戻した兵隊崩れが何の気なしに辺りを見回すと、大勢の人間は一向にこちらへと進んできていない。

 すぐそばには縛られた仲間が向こう側に転がされている。その体は変なところですっぱりと切断されていて、また別の、手前側に見える身体とつながっている。

 鬨が煤煙の底を一時的に吹き飛ばしたのだろう、ふと光が射すと、奇襲者がやってくる方角全てがきらりと光った。

「ああ!」と、兵隊崩れの一人が頓狂とんきょうな声を上げる。

「あいつら! あそこに控えて声だけ出しやがった!」

 通りの角に立てられた鏡の仕組みに気付いた者が悔しげに叫ぶ。

 三方に伸びる通りそれぞれにたくみな角度で鏡面を配し、広場の中心に立てば人々が大勢見えるように仕掛けていたのだ。それぞれが反射するように設置された鏡により人数は何倍にも増して写る。すっぱり切断されていた兵隊崩れは、ちょうどその鏡どうしの境界に倒れていたのだ。

「みなさん、もう出てきて大丈夫ですよ!」

 一番手のこんだ罠が露見すると、角に控えて全体に指示を出していた誠道が声をかけた。

 人がぞろぞろと出てくる。老人や女、特に声の大きな選抜者で構成された人々だ。

 鏡で何倍にも水増しされていたとはいえ、実働人数は元いた兵隊崩れの三倍ほどとなる。しかもみんな武器はしっかりと握りしめている。鏡にだまされる者はいるが、鏡そのものはけして嘘を吐かない。

「く、くそがぁ、くそくそくそくそっ!」

 大軍に囲まれた大前が叫び散らす。

「ハめやがったなぁ! 反乱者どもがぁ! てめぇらもハめられてんじゃねえ、俺の言うこと聞いてとどまってりゃよかったんだよ! くそ、くそ、くそども……」

 部下を手当たり次第に蹴り飛ばし殴り飛ばす。猛烈な怒りようである。

「くそ! もうあんたにゃついていけん!」

 そう言って何名かは乱暴な首領から離れてあっさり降参していき、全てを剥かれた大前だけが中に残された。これに逆上した大前はさっと小刀を取り出して臨戦態勢をとった。

「おらぁ! 武器持って囲んでるだけか? かかってこいよ、殺してやる!」

 武器を突き出し四囲する市の者は、大前の強烈なおらびと勢いに身が竦んだ。

 しかしみんなでしっかり囲んでいるのだという心理が働いて、ひるむ者はいても持ち場を離れる者はいない。怯んだ者もまた、左右前後に立つ心強い仲間を思い起こしてすぐに奮い立つ。

 兵隊崩れたちは我先にと逃げだし、対する市側はその場に踏みとどまる。

 誰か一人でも逃げだせばたちまちのうちに瓦解するとよく認識していた。これは誠道に教えられていたのもあるが、目の前で兵隊崩れが一人逃げ、二人逃げ、と散り散りになっていく様を実際に見せつけられ、各自が大いに実感したのも大きい。結束の勝利であった。


「あれをまとめていたのはお前だったか」

 囲みの中から誠道が進み出て、輪の中に這入はいってきた。包囲は解かれない。

「あ、ぁあ? あ、あなた……いや、てめぇ、てめぇが指揮ってやがったのかよ!」

 怒りと驚きのあまりに目を剥いた大前が、忌々しげに吐き捨てる。

 誠道分隊長!

「覚えていてくれたか大前上等兵」

 誠道はふんと鼻を鳴らす。

「忘れられるかよ」

「お前はもう袋のネズミ、諦めてお縄につくんだな」

「へ! なんだそれは? 命令か? ここは帝都だ! 戦場じゃないんだぞ、俺ももう兵士じゃない。あんたの部下じゃねぇんだよ」

「大前上等兵、お前はやりすぎた。わかっているだろう。ふんじばって連れて行かれるのが嫌ならせめて出頭してくれ。上下関係を盾にするつもりはない。だけど、出頭の勧めが部下だったお前へかけられるせめてもの情けだと心得てほしい」

 誠道は深々と頭を下げた。それを見た一同のうちにさっと暗い動揺が走る。

「誠道さんが兵隊崩れの上司だと」

「おい、俺たちの方がはめられたんか?」

 口々にざわめきが駆け抜けていく。

「そんなわけないだろ」

「俺たちのためにやってくれた」

「じゃあ誠道さんはなんであの首領をとっとと倒さないんだ」

「俺たちにも罠が向いているんじゃないのか」

「やっぱり兵隊崩れなんて信用しちゃいけなかったんだ」

 些細な疑惑が疑念を呼びこみ、ほころびを広げていく。人々の間に生じた間隙をついて、縛られていた兵隊崩れの何人かが、この期に及んで逃げだそうと立ち上がる。

 逃げ出す者に体当たりを食らった市の人間が突き飛ばされた。

「わぁ!」

「そらみたことか!」

「こいつらわざと捕まったふりをしてたんじゃ――」

 市側の気がそぞろになっている今のうちにと、兵隊崩れが駆けだす。

 直後、なりふり構わず走り抜けようとする敗残者に強烈な一撃が見舞われた。みぞおちに物干し竿の一突きを食らった男は、げぴゅ、と汚い音を漏らして倒れこんだ。

「おめぇらなぁにを血迷ってんだ! しっかりせんか!」

 見事な一突きを繰り出したのは志ずゑ婆さんであった。

「一度信じたんなら最後まで信じ抜いてやらんか!」

「そうだよ! みんなしてまごついてみっともないじゃないか」

 青物屋の夫人も叱咤する。傘の柄を手にした彼女の足元にも別の男が悶絶している。

「見てごらん! 道重さんがいちばん頑張ってんだよ!」

 道重は他の男が立ち上がれないように更に縄の縛りを強くしている最中だった。青物屋もしっかりと手伝っているのを指して、

「ついでにうちの頼りない旦那もね!」

 婦人が付け加えると志ずゑ婆が大笑する。

「どうか最後まで誠道さんを信じ抜いてほしい」

 立ち上がった道重が一同に訴える。

「親身になって教えてくれた彼が裏で連中と結託しているなんてデタラメもいいところだ。誠道さんが教えてくれたことは紛れもなく俺たちの力になる。それはみんながいま一番感じていることだろう?」

 市の者たちは手作りの武器、張った罠、捕らえた男たちを見渡した。

 どれもこれも、誠道の指導を基に自分たちの手で築いた成果だ。

「誠道さんが教えてくれたことと、今日の発起は俺たちの今後につながる」

 道重は円陣の中で大前と張り合う誠道に駆けつける。

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