5節「腹案」

 どんな腹案だ。

 突飛とっぴなことを言うんじゃないだろうね。

 何かいい案でもあるのか。

 目は口ほどにものを言う。

 それでも彼らは差し出口を叩かずにうなずいて先を促した。

「自衛のために人を――」

 道重は自分の声が震えているのに気づいた。

 提案をするだけなのになぜこんなに震えているのか。彼自身にもわからない。

「――用心棒を、雇おうかと思う」

「用心棒だって?」

「そんな人に心当たりがあるのか?」

「相手は兵隊崩れだぜ?」

「あてがあるのかい」

 すぐに帰ってきた返事は当然ながら疑いの色が強いものばかりだ。

 暴徒とはいえ相手は復員して任を解かれた元兵士である。しかも、

「あいつらはバル・ベルデ帰りだぞ。それもエル・セレティアと言っていたという話じゃないか。そこがどんな場所かってのは道重さんも知ってるよな?」

 中洋ちゅうように面した〈三盟主〉の傀儡国家バル・ベルデの港町エル・セレティア。

 欧州からの撤退が決定的となってからは誰も呼ばないが、和名では清津きよつといわれていた。かつて帝國軍はこの都市を欧州撃退の橋頭堡きょうとうほとし、ここを拠点にして大陸各地へと進撃していった。二年後に東和へ追い返されるまで、清津は欧州最大の帝國の都市であった。山師や浪人、記者や芸者、多くの人間もここから従軍していった。

 猛々しい戦争の開始とその衰微すいびを象徴する激戦の地。

 それがエル・セレティアだ。

 報道を信じるならば、だが。

「そんな激戦地から生きて帰ってきた相手に立ち向かえるかよ」

 しかも相手は一人じゃない。十数人もいるというじゃないか。立ち向かうなど恐ろしくできない。誰もそうまではっきりとは言わないが、道重にはしっかりと伝わっていた。

「それに、俺たちはあの世代を喜んで戦争に送り出した側だ」

「そう。確かに俺たちは希望の世代なんて白々しい顔で送り出した……」

 傘屋の後を道重自身が継いで喋る。

 それはまさに先ほどまで道重自身が考えていたこととも重なる。

「息子も孫も行っちまったよ。いい子たちは帰って来やしねえんだ」

 志ずゑ婆さんが杏の種をぺっと吐き出した。

「だけど、俺たちが何もしないんじゃ、被害が出続けるだけだ。大前とかいうあの兵隊崩れの横暴を許しておくつもりなのか? 逃げても追ってくるだろう。だから、二度と手出しさせないようにするしか手はないと思う。警察だって頼りにならないんだ。金で守ってもらうしかないだろう」

 明日か明後日かは知れないが、近いうちにまた連中がやってくるのは明白だ。

 今日よりも多くの被害が出るかもしれない。

 そして失われたものは何も戻って来ない。米売りの命も。

「俺たちで安全な用心棒を雇うんだ。金は出す。用心棒探しはみんなでやる。そうして逃げずに立ち向かうしか身を護る手段はない!」

 強く言いきると、気まずい沈黙が一座を支配しだす。

 

 誰も発言しない。

 なんとも言い表しにくい静寂が、道重には兵隊崩れの冷たく放った嘲笑のようにも感じられた。彼とて彼らの葛藤は分かっているつもりだ。

 それでも賛同者がなかなか出ない悔しさが募っていく。

 歯を噛みしめる代わりに手をぐっと握りしめる。腕の中で最期を看取った妻子ある男の体温。それがまだ手のひらに残っている気がした。

 返事を待つ間に道重は米売りのことを考える。

 店主は身元がわかるものを何一つ持っていなかった。

 財布は大前に持ち去られている。

 今のところ彼に関する手掛かりは逝く間際につぶやいた『ヤスオ』という子供の、恐らく息子の名前ぐらいか。市を移動してきたということは市街ではなく郊外住まいでは、という見当はつくが、この種の憶測はあまりあてにはならない。

 となると、やはり『ヤスオ』の名ぐらいにしか手掛かりは見出されず、そうである以上、彼の身元を探るのは道重の手だけではどうにもなりそうにない。

 米売りの店主には悪いが一時保留とせざるをえない。体をいて安置しているが、いつまでもそのままというわけにはいけない。

 家族を探して弔意を伝えるのは、埋葬をすませてからだろう。

 警察はあてにならないので、頼れるのは金貸し仲間の伝手つてぐらいか。


 場はまだ沈黙に包まれている。

 うんともすんとも言わない。

 口うるさい飯屋や志ずゑまでもが押し黙っている。

 痺れを切らした道重が再度口を開く。

「他にいい案があるのなら、遠慮なく言ってほしい。俺が決定権を握る代表というわけじゃないんだ。用心棒案に固執する気はない。もっと良い手があるならそれに越したことはないんだ」

「用心棒ってのは、まぁまぁいい手だ。権力を頼れないんなら自分らで守るしかない」

 賛成の声が上がった。

 ところが、見回しても誰一人として自分だと手を上げない。

 それどころかみんな顔を見回して誰だ、という風である。

 聞き慣れない声の主は背後から道重の肩を叩いた。

「俺に詳しく聞かせてくれないか?」

 酒を飲んでいたぼろ着の男だった。

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