9節「決断 2」
婆さんに急かれても傘屋はなお自分の考えを深める。
「連中を跳ね
そうなったら俺たちも堕してしまう。
「この後ろめたさを乗り越えないと、どうにもならんってことかね」
はぁとため息をついて、
「不賛成寄りの賛成といったところだな。婆さんの言い分には納得しかねるが」
「はっきり決めたんなら、もうあたしゃ何と言われても口は挟まん」
あっさりしたものである。その志ずゑ婆さん手をぱんぱんと手を打ち鳴らした。
「五対四、これで賛成多数だぇ」
「待て待て志ずゑ婆さん、早計だ」
締めようとするのを荒物屋が差し止める、
「何が早計だ見苦しい! 荒物屋は不賛成だろうが。決まったものに口挟むな」
「まだ飯屋が何も言ってないじゃないか」
「あいつの意見なんか頼りになるか! ずっと席を外してただろ!」
「そりゃ横暴だ。道重さんは彼も呼んでいる。彼の意見も聞かないとだめだろう」
「荒物屋の言う通りだよ志ずゑさん」
賛成派の道重も同意する。全員の表明を聞かなければ意味がない。
「飯屋が反対したら五対五で
「おい、飯屋! あんたはどうなんだ? だいいち何の話してるか分かってるのか?」
言うが早いか志ずゑが問う。
「賛成ですよー」
対する飯屋は開口するなり間延びした声で賛意を示す。
「みんなが相談されている間中ずっとね、誠道さんと一対一でいろいろな話を伺っていたんですけどね、聞いたらこれは案外いけるんじゃないかという思いを強くしたよ。うちには包丁とまな板が余ってるからね、ありゃどこの家庭にだってある究極の矛と盾だ!」
髭面な上に強面、しかもいい年をしているというのに呑気なものである。
「俺もいい話が聞けたよ。例のもの、ぜひともお願いする」
「任せてください」
二人はすっかり打ち解けたようである。
ともあれこれで六対四、賛成が多くなり、『誠道を用心棒として雇う傍らで自警団を作る』という案でいくことが決まった。
椅子の上でこちらに身を向けた誠道がほほ笑む。酒を飲んでいたはずだが顔はちっとも赤らんでいない。うわばみなのか案外と飲んでいないのか。
「とりあえずは決まったみたいだな。俺も仕事が決まって嬉しいよ」
むろんこれで終わりではない。あとは
道重と志ずゑには市の者を説得して回る任がある。むしろ説得としてはそちらが本番だろう。同様にして、青物屋や畳屋といった賛成した者を中心としたつながりでの同意を得て回る仕事もある。
やると言うことを決めただけなのに、道重はひどくくたびれたという実感を得ていた。比較的に親しい間柄のうちで取り決めるのにも時間がかかった上に、反対に回ったのは十人中の四人とぎりぎりだ。
ただ、ここで疲れてしまっては先に続かない。界隈全体で大きな賛助を得られないことには、自衛のために集団で固まるといっても空回りするだけだ。全身の骨が折れる思いをしてでも回らなければならない。
道重は覚悟を固めた。
道重が呼び集めた十人の集いはこれでお開きとなる。
賛成者たちはさっそく協力を得るために町へと繰り出していった。
飯屋と誠道もついていき、店の中は反対した者だけが残った。
「俺たち反対でよかったんだろうか」
「道重さんたちが出て行ってすぐですよ。もう後悔しているんですか?」
元気よく出て行く道重たちを見送った刃物研ぎのつぶやきを荒物屋が受ける。
「後悔というほどのものじゃねえが」と、歯にものでもつまったような言い方をして、
「鋳掛屋は勝てる見込みがないと踏んだんだろ?」
「俺は『絶対に勝てる』わけじゃないと言っただけだ。だからといってそれは絶対に負けるという意味ではない」
「へりくつだな」
「何とでも抜かせ。見込みについては分からんよ。あの男が言った数を集めて立ち向かうって手は、集団を鍛えられりるのならば良い方法だが、市の人間はやっぱりどう考えても素人だ。すぐに集団で戦えるほどの腕を持てるとは思えない。中には昔にやんちゃした連中や兵役に就いてたもんもいるだろうが、つい数か月前まで現場で本職だった相手に勝てると見こめるほど俺は楽観的になれない。ただ――」
鋳掛屋はふっと言葉を区切った。
「なんだよ、勿体ぶるような話か?」
「お前こそは歯にもの詰まらせたような言い方をしただろうに。まぁいい……、ただ、勝負事では勢いに勝る方が勝利を引き寄せるってぇのは往々にしてある。さっきの道重たちは随分と勢いがあったなぁと思ってな。もっとも俺はそういう勢いとやらに賭ける気になれなかったから反対に回ったわけだ。ただ、もしあいつらが負けても非難はせんよ」
「仕事も性格もきっぱりしてんね」
「あいつらが嫌いで反対したのではないからな」
「それはここに残った皆さんがそうでしょう。ああ、ぼくにももう少し考える猶予があったらなぁ」
「荒物屋も後悔してるじゃねえか」
「保留ですからね。急な決断を迫られると弱いのは昔からですよ」
「それで結婚も押し切られたんだったな」
「昔の話ですよ」
「昔から変わってねえって事だろ」
「昔からねえ」
寡黙な金物屋が口を開く。顏は若作りだが実際には畳屋と歳が近い。
「勢いではじめた戦争が終わって、帝國はこの先どうなるんだろうな」
未来は誰も変わらずにはいられない。そう言いたげであった。
* *
賛成者が
道重は志ずゑ婆さんの強硬な性格と勧誘に何度も肝を冷やしたが、
そうでない者についても、市を細やかに巡回していた道重の顔の広さと篤実さを受けて微力ながらと賛同した。米売りのせいでこうなったと感じている者も少なくはないだろうが、見て見ぬふりをして兵隊崩れを増長させた一因が自分たちにもあるのだと知って考えを改めた者も多い。
何人かは、「そんなのに巻きこまれるなら」とよそへ移ってしまったものの、離脱者が出るのは元より見越していたことである。
誠道が指示した、戦いの数と場はあらかた確保できたと見ていいだろう。彼は戦いの場を市にすると最初から定めていた。その場となる市の者の協力が取り付けられたのは大きい。ここに踏み入るのは敵陣に飛びこむのと同じだと、誠道は満足げだった。
「あたしらも手伝うよ!」
と、すぐに飛んで駆けつけたのは青物屋の夫人だ。肝っ玉の大きな人である。後から旦那がたくさんの荷物を抱えてやってくる。これではどちらが主人なんだかわからない。傘屋も何やら長い荷物を手に市へやってきて、誠道に見せている。
「こんな長さでいいか?」
細長い棒だった。傘の柄となる部分を継ぎ足したという。
「うちにあったのはこれぐらいだが」
続いて青物屋の旦那が風呂敷をほどくと物干し竿が顔をのぞかせた。
「後で竿屋がもっと持ってきてくれるよ」
夫人がその一つを手にして、
「誠道さんといったかい、あんたこうさせる気なんだろう?」
言うやいなや、「えいや!」と勢いよく空を突いてみせた。誠道は感心しきり、
「筋がいい。それによくわかりましたね」
「
志ずゑ婆さんはさらしをたすき掛けにして、早くも意気よく傘の柄を振り回している。
「婆さんだってやる気を見せてるんだ、俺たちもやるぞ」
威勢のいい女連に触発されたのか、はたまた女には負けられないという意識が掻き立てられたのか、男たちも奮起して武器となる長物を手にした。中には長物では不服だ、もっと短い武器で立ち回ってやるという勇ましい者もいたが、誠道は穏やかに制して、
「なるべく武器は統一した方がいいですよ。その方が連携も取りやすいですし、足並みの乱れも抑えられてこちらに有利に働きます。だからとりあえず距離を取れる長物を優先で持ってもらいます。それでどうしても武器が足りないという場合にのみ、短い武器でもいいという人を中心にまた別に集団をつくってもらいますので」
道重は彼が丁寧に喋っているのを初めて耳にした。その口調は牧歌的な地に赴任していた訓導のようで、とても元は兵隊だったとは思われぬ。
道重は彼を、「腕の立つ用心棒」とだけ説明していた。
詳しく話している時間がなかったというのもあるし、元兵隊であると触れて市の者にいたずらに警戒を起こさせるわけにはいかないという判断も働いた。幸いに誰も誠道がもとは何をやっていた人であるかと訊きはしなかった。
大前一味による次の襲撃がいつともしれぬという緊張感があり、人々から関係のない会話というものを取り除かせていた。兵隊崩れによる武威と米売りの死は、彼らの会話までも奪ったが、それは明らかに好いほうに作用していた。
彼らは次のような意識を共有していた。
もしもこの
立ち直れないほど乱暴に荒らされるという想像と、下手をすれば命をも奪われるという想起、この二つの恐れを媒介として、緊張感は瞬く間に人々へと広まっていた。それはまるで牧羊犬の影を認めた一頭の羊が恐れをなして暴れ、群れへと
飛びこんでいく羊どもの勢いがよければ柵は打ち砕かれる。誠道は羊の解放を願う悪戯好きな
このあと青物屋の夫人と志ずゑ、道重と畳屋で周辺の店舗の者に協力を取り付けるべく戸別に尋ねて回り、成果としては半々という結果に終わった。賛同のうちの半分は積極的に訓練に参加し、残りの半分は武器となる物干し竿や
不賛成の者についても、市の周辺でいざ事が始まれば門戸を閉ざすという。
全体から見れば上々だと誠道は大きくうなずいてみせる。
誠道による訓練の期間中、飯屋は一回も姿を見せない。志ずゑは
そして二日後、もうすぐ兵隊崩れがやってくると息を切らした見張りが告げた。
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