エピローグ

   

 ある日の深夜。

 動物実験棟の廊下を、目には見えない存在が、ゆらゆらと進んでいた。

 霊体となって遠出をしていた彼が、本来の住処である動物実験室に戻ってきたのだ。


 そう、今回は本当に『遠出』だった。

 なにしろ、動物実験棟の外を飛び回ったのだから。

 初めて実験室から廊下へと出た時には、廊下でさえも『広い世界』に思えたし、人間を追って建物の外へ出てしまった時には、そこを『異質な場所』と認識。それ以上は躊躇して、すぐに動物実験室へと舞い戻ったほどだったが……。

 しかし、今回は違う。いくつものマウスの意識と融合した影響だろうか、もう『異質な場所』を恐れる気持ちは少なくなっていた。だから思い切って、彼は『異質な場所』へと飛び出せたのだ。あの『K』という人間に、ついて回る形で。

 これは彼にとって、貴重な経験となった。今まで見たことがないほど大勢おおぜいの人間がいたし、初めて目にする物体もたくさんあった

 しかし急に自由度が高まっても、何をして良いかわからず、困ってしまう。だからとりあえず、彼は『K』から離れないようにした。

 動物実験棟を出たとはいえ、彼は霊体、いわゆる悪霊だ。ポルターガイスト現象を起こす力は、有したままだった。時には『K』の足に少し力を加えて『K』が歩くのを邪魔してみたり、『K』が持とうとした物を動かして『K』が手に取るのを邪魔してみたり……。

 そうした悪戯は、彼にとっては愉快な出来事でしかなかった。

 最も面白かったのは、『K』が他の人間と共に自動車――これも彼にとっては初めて見る不思議な物体だったのだが――を運転していた時の『悪戯』だ。

 じっくり『K』を観察するうちに、彼は気づいてしまう。『K』が足を動かすのと連動して、自動車のスピードが変わることに。

 もちろん彼にアクセルペダルという概念は理解できなかったが、何やら『K』が足で操作しているとわかれば十分。ポルターガイスト能力で『K』の足元に少し力を加えると、思った通り自動車は加速したし、『K』と同乗者は二人して、あからさまに慌てふためいていたのだ。

 そのさまは、本当に愉快な見ものだったが……。

 いつまでも『悪戯』を続けるわけにもいかなかった。ポルターガイスト能力の多用は霊力を消耗させるらしく、彼は酷く疲れてしまったのだ。

 だから。

 もう十分に楽しんだということで、そろそろ動物実験室に帰ろうと決めて……。


 そして、今。

 新しい肉体を手に入れるために、動物実験棟へと戻ってきた彼。

 お気に入りの86号室は空室となっていたので、その隣の部屋へ侵入。適当な飼育ケージの中に飛び込み、一番毛並みの良いマウスに憑依して、その意識を飲み込む。

 そうやって、新たな肉体を得た彼は……。

 いつの日か、また人間たちをからかって遊んでやろう、と思いつつ。

 一匹の霊能動物として、しばしの眠りにつくのだった。




(続・深夜の動物実験「呪われた86号室」完)

   

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続・深夜の動物実験「呪われた86号室」 烏川 ハル @haru_karasugawa

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