ロング・ロング・ロング・ロード Ⅲ 道北の蒼・道央の碧 編

神舞ひろし

1

 朝五時半に目覚めてシャワーを浴びる。


 昨夜の美枝子の言葉が気になった。


 “朝井がどうして、最愛のあんたを弾いたか”


 最愛ってなんだ?


 確かに俺だって朝井を弟分として、いや、家族のない俺は朝井を本当の弟のように大切に感じていた。


 愛など知らない俺は、俺以外の他人を、大切か大切じゃないかで区分けするぐらいしか出来なかった。そして仕事で出会う奴らは、必要か必要ではないかで区別する。必要は替えがきくが、大切は替えがきかない。そう俺は自分で決めていた。


 俺はその替えのきかない大切に、銃口を向けられて弾かれたのだ。


 美枝子の知っている真実ってやつは、この北の大地で最後の街になるであろう函館で、じっくりと聞かせてもらうことにする。今さらそれを知ったところで、どうせ俺の身体が元に戻ることなどないのだから。


 今日はいい天気が続きそうだ。


 やっと思い描いてきたオロロンラインを、今、その先の交差点から走るのだ。


 ホテルの駐車場から中央通に出た。小樽駅前の朝の喧騒は都会にある衛星都市のそれと大差なかった。バスの中の乗客も多く、出勤のための交通量も多かった。


 坂を上った突き当りに見える趣ある駅舎とその上の青しかない空が、俺の新たなステージへの旅立ちを祝福してくれている。


 小樽駅前交差点の赤信号で停止線に停まる。俺の相棒は鐵馬だから、差し詰め競馬のゲートインといったところだ。でも一頭立てではレースにはならないか。


 信号が変わり国道5号線へ左折し、横断歩道を行く人々が切れたところでスタートだ。


 車が込み合う中を走るのは慣れているはずなのに、妙に緊張を感じるのはこの先に待っている美しい景色に対してのものなのか、それとも田舎道を走り過ぎていて都会の道に気後れしているせいなのか。


 平磯トンネルを抜けて海のキラキラが目に飛び込んできた。海まで俺の旅立ちを誉めそやしているようだ。


 銭函で国道337号線へ入る。道幅は広いが大型トラックやトレーラーが占める道はストレスが溜まる。最初の大きな右カーブを過ぎると手稲区だった。時計台のカントリーサインにはもう慣れた。


 車がいなければ気持ちが良いであろう直線路を走り、大きな左カーブにまた直線路を進んだ。そして次の大きな右カーブの途中にある新港西3の交差点で、逆光の下、石狩市のカントリーサインに出逢う。やっと冒険が始まった感が高まった。


 直線路と左右に大きく曲がるカーブだけの道は、高速道路のインターチェンジのような分岐で終わり、俺は国道231号線に進んだ。留萌118kmの標識が北の大地らしいが、俺はもう慣れっこになっていることに気がついた。


 また直線路が続くのだったが、大型車に先の景色を阻まれてつまらない。そう思って走っていると、前を走っていたトラックやトレーラーがどんどんと左右に吸い込まれていって前の視界が開けてきた。そのうちに道の両サイドにあった建物は姿を消して、石狩は道東に似た空しかない風景を見せてくる。空の色は道東とは違って青が少しだけ濃かった。


 緩やかに右にカーブしていくと、二車線の道が一車線になる。そしてあんなに狭かった石狩川が、こんなに大きく広がった上を渡った。


 俺はそれから先、センターラインの色と形を気にしながら前方の空間を確保する。つまり、前を走る車をオーバーパスするのだ。のんびり堪能するのと、身の安全を確保して走るためには必要なことだ。前の車を気にして走っていると、二度と見ることのない景色を見逃してしまう。それに、うしろも気にせずに気まぐれでブレーキを踏むドライバーが多いのも気になっていた。


 先頭をのんびりと走る。


 石狩は徐々に見せる姿を街から長閑へと変えていき、俺はその広い空と北海道らしい牧歌的風景に大声を張り上げた。張り上げなければ、俺の中の何かが破裂しそうだったんだ。


 高台からの下り坂で日本海が見えてきた。まだ先にある高台の上にバラバラと立っている風力発電の風車も、その遥か遠くの稜線もハッキリと綺麗に俺に見せつけている。それはついでに俺の心に問い掛けていた。


 “生きてるって素晴らしいんでないかい?”


 この道を走る間俺は、見えるものを、すべてを受け入れて無心になることに決めた。色々頭に浮かぶものを考えながらでは、見せてくれる景色に対して失礼な気がする。


 それにしても石狩は、何処まで石狩なのだろう。海沿いの襟裳感すら覚える国道231号線はいつまでも続いた。時折対向車はあるものの、道は俺一人のために続いているようだった。


 気持ちの良い海岸線を惚けながら走っていると、俺の嫌いなトンネルの穴ぼこが見えた。いや、まだマシな洞門だ。海の景色をチラ見しながら惚け感は続いた。しかし、洞門は直ぐにトンネルへと姿を変えた。


 いくつかトンネルがあることはわかっていたが、この惚け感が途切れるのは残念でならなかった。


 一つではなくトンネルは幾つも続き、やっとトンネル群を抜けたと思ったら、海側には透明なアクリル板みたいなもので作られた防波フェンスが作られていた。その切れ目の小さな橋の右手には、細い小さな滝が在った。


 防波フェンスも終わり町に入った。増毛町のカントリーサインに出逢って石狩が終わったことを知った。


 増毛の街までは、ある時(笑)。ない時(泣)。のように、綺麗に光り輝く日本海を見渡しながら走る気分が上がる道と、濡れた路面と閉塞感で気分の下がる暗い道の繰り返しだった。


 不思議なもので、距離は気分の上がる道の方が長いのに、気分の下がる道の方がとてもとても長く感じる。


 無心とはとても難しいものだと理解する。


 増毛の街に入った。


 北海道に上陸してからよく呑むようになった国稀の国稀酒造は、国道が右折する交差点をそのまま道なりに真っ直ぐ進むとあった。


 今ではここが最北端の酒造所になっている。


 歴史を感じる建物と所内での試飲に興味が湧いたが、相棒と旅をしているうちはそれもままならない。表から写真だけを撮った。それに、増毛には他にも歴史を感じられる建物がいくつかあった。どれも、ゆっくりと見学したいところだったが先を急ぐ。のんびり走って七時間ほどの道のりだ。稚内という目的地は遥かに先だった。


 増毛から留萌まではあっという間で、留萌市のカントリーサインはどこかの企業のマークみたいだった。案外留萌の街が大きいことに驚いた。


 海沿いの道を進み、黄金岬に躍動留萌のプレートがある女性像を見てから、街に入って喰いたかった寿司屋に向かったがまだ開店前で、腹の空いたまま留萌川に架かる橋を渡った。


 直ぐに小平町に入った。小平町の鰊が描かれたカントリーサインは海側にはなく反対側に立っていた。俺は左側の海と空しかない風景に視点を置いていたので、危うく見過ごすところだった。


 それにしても良い天気だ。いい天気で日差しはポカポカだけれども、タンカースジャケットのジッパーを上までキッチリと上げていないと、海からの風は冷たかった。


 直線のような海岸線を北上し、道の駅・おびら鰊番屋でスタンプを押して、売店のホットコーヒーで暖をとった。


 北の大地の多くの街はどこも同じ、行き交う住民の姿を見ることは少なかった。


 腹が減っていたのだが、この先にうに丼で有名な店があるらしいので、食い物を腹に入れるのは我慢した。


 うに丼で有名な店は他の商店とは違い、人の出入りがあった。


 俺は駐車場の端に相棒を停めて、タンクバッグから地図を出そうとしたその時、店の出入り口から一組の家族連れが出てきたあとに、見知った顔が二つ並んで出てきて驚いた。


 一人は花押会の高峰だ。ひと月前にも、俺が殺人犯の嫌疑をかけられた十勝・帯広で見たのだ。今日はこの前見たオールバックでヤクザ然と決めてはいないが、左頬の刀傷の窪みを見間違うはずがない。もう一人は京都にある恒星会の若頭・丘崎だ。最後に見たのは義理事だったか?いつも恒星会会長の吉見の傍にピッタリと番犬のようについていたのを覚えている。俺が丘崎を初めて見たのは、まだ丘崎が若頭になる少し前だ。それより昔、恒星会の三宅の所に珍しく活きの良い若いのが入ってきたと朝井が俺に話して聞かせた。だから覚えていたんだ。


 その義理事があったのは大阪生野で、俺も世話になった三代目伍和会の会長・吉田寅五郎の葬儀だった。そして、その葬儀の三日前に恒星会の前の若頭の三宅が何者かに襲撃されて、病院で意識のないまま、まだ生きていた頃だった。


 二人共、普通の人間のような出で立ちだが、醸し出している空気は一般人とは明らかに違った。切れ者と噂の丘崎は鋭い視線を周囲に向けていた。


 俺はその視線に映らぬよう、ヘルメットを被ったまんま二人に背を向けて、タンクバッグの中から地図を取り出した。そして、目だけ動かしてバックミラーで二人が車に乗り込むのを見届ける。それからヘルメットをゆっくりと脱ぎながら、二人が乗った車がどちらへ出ていくのかをミラー越しに見届けた。


 嫌な気分だ。俺が向かう稚内方向へ車は出ていった。


 そんな気分を引き摺って店に入る。看板のうに丼を注文した。


 地図でここから先を再確認しながら、ふと、あの二人が一緒にいる意味が気になった。


 いくら分裂して片側に寄ったからといっても同系列ならいざ知らず、互いにいがみ合うこともあった二つの組のもんが、いとも簡単に意気投合して北海道くんだりまでやって来るとは思えない。現状が母体を存続するのにそれほど厳しいということなのだろうか?


 それに、金の匂いのする札幌や具知安やニセコならわかるが、何故こんな北まで来ているのか?ひと月ほど前に高峰が帯広に来ていたのは、今回の件に関係しているのだろうか?帯広で見た高峰はちゃんとヤクザ然とした格好でいたのだが、今回は一般人を装っていた。乗っていたのは札幌ナンバーで青メタリック色の中型のレンタカー。この前の子分が運転する立派な車ではない。レンタカーを運転していたのは丘崎だった。いくら若頭とはいえ組の格からいえば当然か。いや、高峰が免許を持っていない可能性もある。それよりもっと重要なことがある。二人共、子分を引き連れず単独行動しているということだ。


 「おまちどうさまでした」


 女性店員が四角いお盆を俺の目の前に置いた。腹の虫がひと鳴きした。


 何だこれは?


 空腹が限界近くまできていた俺の瞳に飛び込んできたのは、白い丼飯と味噌汁、漬物、それと、小皿に入った二色の物体。


 俺はもう一度メニューを見てみた。目の前に鎮座しているお盆の中身は、メニューの写真通りのものだった。


 しかしどう見ても、この小皿にのっている雲丹の量で白飯は片付かない。なのに周りの客はありがたそうに、笑顔でそれを口に運んでいる。


 もしかしたら、途轍もなく旨い雲丹なのかもしれない。そう思いながら俺は小皿から箸で摘まんで口に入れた。


 んー。


 もう一つの色の方を口に入れた。


 んーーーー。


 これなら昨夜出てきた雲丹の方が美味かった。


 感動も満足も納得もないまま店を出た。


 雲丹を食って満足したいという切望が余計に膨らんでいった。


 さっき、どうでもいいことを考えてしまい中断してしまった地図を先に進めると、端の空白にうに丼のメモ書きを発見した。そうだ、他にもあったのだ。


 俺はそこに期待を寄せてオロロンラインへ走り出た。


 町を外れて、俺の中ではもう当たり前になった海岸線沿いの道を行くと、直ぐに親子熊の描かれた苫前町のカントリーサインに出逢った。


 右手の高台に続く草の壁と、俺の走っているオロロンライン・国道232号線の間に、ずーっと空間が続いていた。何だろう?と疑問を持って走っていた。


 苫前の町に入った。相棒にガスをたんまり飲ませてから、道の駅・風Wとままえでスタンプを押してうに丼の店に向かった。


 風車の並ぶ丘の手前、『ココ・カピウ』はビーチを見下ろすように建っていた。


 入口にはうに丼の幟が風に靡いていた。


 客はテーブルに一組だけだった。俺は海に対面するカウンターに座って、ウニウニ丼を注文した。


 やっぱり気になっている。あの二人は何のために北の外れを目指しているのか?今のヤクザが動くのは金と相場が決まっている。そしてその金は、これから始まるかもしれない抗争に備えての軍資金になるのだ。千や二千のはした金ではないだろう。隠密で行動しているみたいだった。なら武器の売買の下交渉か?それともヤクか?どちらにしろ、二人だけで行動することの答えにはならない。もっとヤクザが扱わない物に手を出すつもりなのだろうか?


 「おまちどうさま」


 目の前に置かれたオレンジと黄色に、俺はときめいた。


 これだ。これなんだ。俺はこれを欲していたんだ。


 いただきますと手を合わせてから箸を黄色に突っ込んだ。たっぷりの雲丹が嬉しかった。口に広がる海の香りと濃厚な甘さが堪らない。旨い。オレンジはもっと味が濃かった。旨さに引き込まれて半分ほど掻き込んで、もっとゆっくり味わわなければと思い、セットについている殻つきベビーホタテの味噌汁に手を伸ばした。


 これも最高に旨い。ホタテの出汁も中の身もしっかりと旨かった。


 盆にのったすべてを、ひと咬みひと咬み、じっくりと味わってから喉に入れる。こんな旨さに出逢えた感動で、身体が喜んでいるのがわかるほどだった。


 先にホタテの味噌汁を飲みきって、最後に雲丹多めの一口を口に入れた。喉を通さなければならないのが悔しかった。


 大満足で「美味しかったです」と言ってレジで料金を払う時に、途中疑問に浮かんだ高台の草の壁と道路の間の空地のことを訊いてみた。昔は線路が通っていたのだと、綺麗な女性店員が答えてくれた。


 まだ口内は雲丹の味がする。


 満腹感と満足感に感動がいっぱいで、その上、疑問が解決された俺は、貸し切り状態の道に戻った途端に直ぐに呆けた。


 けれどそれほど走ることなく、ペンギンが描かれた羽幌町のカントリーサインが出て来て、苫前よりも随分大きな羽幌の街に入った。オロロンラインをやっと半分を過ぎた所だろうか。


 ホテルや温泉施設まである道の駅ほっと・はぼろでスタンプを押して、喉が渇いたのでタンクバッグの中のお茶を飲んだ。駐車場に奴らの乗った車はなかった。


 ここ羽幌からは天売島や焼尻島へ向かうフェリーが出ている。けれども、今日はオロロンラインをまだ走りたかった。


 羽幌の街が終わると大きな空が待っていた。


 初山別村の天文台の絵と星空が描かれたカントリーサインと出逢っても、俺の呆けは止まらなかった。


 今までオールグリーンで来ていたのに、初山別川に架かる橋に入った途端、前に見える縦型信号が赤信号になった。うしろには車がいない。スピードを落とし青になるのをユラユラと待ってアクセルを開けた。そこから先も呆けがボケになりそうなぐらい気持ちが良かった。道を外れて、みさき台公園内にある道の駅☆ロマン街道しょさんべつへ寄り道するのが残念に思えるほどだった。


 相棒を停めてスタンプを押すために建物へ向かう。


 かなり脚に負担がきているようで、相棒から降りる時にヨロついてしまった。オドメーターを見ると、羽幌の道の駅から24キロ走ってきていた。その間カントリーサインを撮影する時に左足をつくだけで、一度も信号に引っ掛かることもなく地面に足をついていなかったのだ。


 スタンプを押して、スタンプブックのクーポンで100円引きになったソフトクリームを、ベンチに座って脚を休めながらゆっくりと食べた。


 落ち着くと全身に疲労感が溜まっているのを感じた。疲れているのも当然だ。朝から六時間近くうに丼を食う時以外は相棒を走らせているのだから。


 気合を入れて立ち上がり、相棒に火を入れた。


 グローブと袖の隙間の地肌が黒く焼けていた。お天道様は健在だ。


 遠別町のカントリーサインと出逢い、海沿いの道を走っているのだが、左手の絶景を防風フェンスがずっと遮ってしまっていた。


 道の駅・富士見は高台にあって駐車場から急な階段が延びていた。


 俺は階段近くに相棒を停めて上を見上げた。たかがスタンプ一つ押すだけなのに、疲れがきている脚で上がるのは辛そうだ。そう思っていると上に車の影が見えた。建物近くまで相棒で上がれそうだった。


 少し戻って左折して丘を上がっていく。直ぐに建物まで辿り着いた。海の向こう、遠くに小さな利尻富士が霞んで見えた。だから遠別ではなく富士見なのかと合点がいった。


 スタンプを押して直ぐに出発する。脚はやっぱり疲れている。


 遠別川を渡ると国道232号線は左に折れて海から離れ内陸を走る。さっきまでの解放感が直ぐに懐かしくなっていた。


 海沿いの道はあるのだが、北海道は国道→道道→一般道の順で舗装が悪くなっていく。これ以上相棒にダメージは与えたくなかった。それに、天塩からの道道106号線の醍醐味を味わうためにとっておくことにした。


 天塩のカントリーサインを撮っていたら、ダンプやトラックの車列のうしろを走ることになった。バックミラーを見てもトラックがやってきている。時々北海道らしい風景が開けるのに残念だ。益々ただ走るだけになってしまう。


 道の駅・てしおはコンパクトだった。


 道の駅を出て道道106号線に曲がる交差点にあるホクレンで相棒にハイオクを目一杯あげた。そして、道北のホクレンフラッグを手に入れた。残るは道央と道南だ。何故か呆気ないなぁと思ってしまった。


 道道106号線へ曲がる交差点の手前に厳島神社があった。心の中で航海、いや、旅の安全を祈って右折した。


 やっぱり国道よりも路面状態は良くなかった。


 厳島神社の本殿を右に見て進み、やっと開放的な景色への期待に胸がドキドキした。


 天塩川に架かる橋の向こうで幌延町のカントリーサインと出逢った。その先の右カーブを曲がるとオロロンライン一番の走り所になる。身体の奥から抑えきれないほどの期待が湧き上がってくる。


 助走はまだこの道の良さを見せていなかった。もっと海側も開けていると思っていたし、右手に細い電柱が並んでいる。それに道東を経験したあとなのでまだ本当の昂りには至らなかったが、やっぱり俺の知っている世界観から逸脱している素晴らしい景色だった。


 左前方にオトンルイの風力発電所の風車が見事に横一列、ズラリと並んでいるのが見えてきた。実に現代的な景観で、サロベツ原野の中に立ち並ぶ様は札幌の真駒内滝野霊園に並んでいたモアイ像を思い起こさせ、ともすると北の大地に生きたアイヌ民族の長達のクワのようにも見えた。


 近づくとそれは圧巻で、止まったまんまの風車に見下ろされている。それに何本立っているんだと口をついて出そうなほどの数が並んでいた。左手の煌めいている海も素晴らしい。


 ボーッと走っているとバックミラーにダンプの顔がハッキリと映った。もっとのんびりとこの景色の中で溶けていたかったが仕方がない。あっちは大事な仕事の最中なのだ。俺は左ウインカーを焚いて道の端を徐行しながら、うしろから来る車列をやり過ごした。遠ざかっていく車列を見送りながら、俺はまたのんびりと溶けていった。


 風車の並びも終わり、何処まで続くのだろうか?と不安になるような地平線に向かって道は伸びていた。これは道東とは違う景色で、北海道を走った中では一番、異世界感が強かった。


 北緯45度通過点のモニュメントを過ぎるとポツンとスノーシェッドがあった。俺には何故ここに設置されているのかわからないが、きっと必要なのだ。この道を行く人々の命を守る為に。


 それにしても電柱と電線が邪魔だ。今まで何処を走ってもそれらは俺の見たい景色に干渉してきた。けれども、電柱がなければ困るのはわかりきっているのに、俺もどうかしている。


 スノーシェッドの少し手前から海側には防風フェンスが並んでいた。


 ここのスノーシェッドの中にはガラスの天窓があって、他とは違ってとても開放的で俺的に良かった。


 スノーシェッドを出ても防風フェンスが並んでいた。


 それがなくなると左手に日本海が広がっているのが綺麗に見えた。そして、右側の視界に次々と現れていた電柱と電線が消えた。俺の理想とする風景が始まった。


 何と表現すれば良いのだろうか?爽快というのが一番合っているような気がする。ガードレールも電柱も何もない。草の蒼と空の青と波の白が広がる絶景の中を道は真っ直ぐ伸びていて、行き交う車の数も少ない。


 豊富町のカントリーサインに出逢い、うしろの車列を先に行かせてからアクセルを開けた。また一人旅だ。


 もうスノーシェッドも見えない。360度、何も建物がない風景は、俺の頭の中に答えなど出ようはずのない疑問を浮かべさせた。


 “人間はどう生きるのが正解なのか?”


 この旅が終われば自死するつもりの人間が考えるようなことではないのだが、唐突に漠然と俺の頭に浮かんできたのだ。


 頭の中の五分の四が蕩けている中、残りの五分の一が思考を始めだしていた。その思考開始は燻っていた疑問を呼び覚ませた。


 呆けたままずっと進んで行く。そのうちに左斜め前の海の向こうに利尻富士が綺麗にその稜線を見せているのに気づいた。


 感動が俺の奥底から湧き上がって身震いする。何なんだこの世界は。この景色が何処までも続いていて欲しいとさえ思った。


 稚内30kmの標識の下に稚内市のカントリーサインは立っていた。


 死ぬ前に見れて良かった。そんな思いが自然に思い浮かぶほど素敵な風景が続いていた。


 ずっと続くはずがないのはわかっていた。けれども、ずっと走っていたいと思った。そんな道も遠くに町の家屋の集合体が見えてきて、俺の呆け気分も直ぐに消えてしまった。


 街に入る手前の標識に「稚内方面右折 この先400m 交差点一時停止」と明記されていた。


 街が現れた。小さな漁村のようだ。


 交差点で一旦停止しようとした時、右手から青メタリックの札幌ナンバーのレンタカーが目の前を横切った。サングラスをかけた高峰の横顔が助手席にはあった。やっぱりだ。燻っていた疑問は現実となって目の前に現れた。車は真っ直ぐに左方向へ進んで行った。高峰と丘崎が乗った車を見送るように、ゆっくりと相棒を停止させたところで、オンボロの白いワンボックスカーが二人の乗った車をつけるように右手からやって来ていた。俺はウインカーを左に出した。


 訳はわからないが、俺はそのワンボックスに嫌悪感を抱いた。広尾町での光景が頭の中で蘇った。


 俺は左右をもう一度確認してからワンボックスに続いた。旭川ナンバーだ。俺のうしろから来る車はいなかった。


 曲がって良かった。左カーブの先には漁港越しに見える利尻富士が綺麗だった。


 丘崎が運転している車は真っ直ぐに船着場に入って行った。


 オンボロの白いワンボックスは左に曲がったあと直ぐに右に曲がり、丘崎と高峰の乗った車が一隻しか泊まっていない漁船の前で停まるのを確認すると、それを目視出来る位置で他の車が停まっている間に潜り込むようにして停まった。


 俺のカンは鈍ってはいなかった。警察ではなさそうだが何者だろうか?


 つけられていることを知らない高峰は、呑気に車から降りて大きく伸びをしたあと漁船に近づき、用心深い丘崎は相変わらずキョロキョロとしたあと、白いワンボックスが停まった辺りを少し凝視したあと高峰に促されて漁船へ向かった。


 俺はそれを見ながら右折して、二台の車と漁船が確認出来る岸壁に近い場所に相棒を停める。そして直ぐに、相棒と漁港越しの利尻富士の写真を角度を変えながら何枚も撮った。ついでに目一杯ズームしてワンボックスのナンバーや降りてきた運転手の姿、それに漁船をカメラに収めることも忘れない。それからタンクバッグを降ろし、中からコーヒーセットを取り出してコーヒーを淹れる準備に取り掛かった。


 ワンボックスは運転席以降のガラスにはスモークが貼られていて、中に何人いるのかわからなかった。一人出てきた運転手は二十代ぐらいの若い男で、視線を漁船に暫く向けてから歩きだし、ワンボックスの陰に隠れて見えなくなった。


 ド素人に近い動きだった。今すぐ高峰達を襲う気はないようだ。湯が沸く間にガラ携から徳永にメールを打とうかと思ったが、高岡ちゃんに借りているスマホを取り出して、徳永と俺との共有メールソフトを開けた。新規メールを作り、ワンボックスのナンバーと高峰と丘崎の関係を調べるように書いて、その書きかけのメールを保存ボックスに保存した。これで徳永が調べるだけ調べて俺に連絡をくれる。徳永が忙しくなければものの三十分ほどで、ワンボックスの所有者を割り出してくれるのだ。


 風も風景も心地好かった。それに、昔のようにワクワクしている自分が楽しかった。もし俺が生きたいと思うようになった時に、今撮った画像とこれからの出来事で、高峰から少しは金が取れそうな気がしたのだ。


 稚内はすぐそこで、平日だからホテルの部屋も空きがあるだろうと思った。だから今は、のんびりとコーヒーを飲みながら俺は待つことにした。


 カメラのバッテリーはビンビンだから画面をタッチするだけで撮影出来るモードに変更し、タンクバッグの上にカメラを置いて、二人が入っていった漁船の船室への出入り口に照準を合わせたままにした。


 それにしても海岸線の道は北海道に来てからも幾度となく走ったが、 オロロンラインは思っていた以上の絶景を見せてくれた。


 石狩から延々と続く海岸線、広大なサロベツ原野の中を行き、オトンルイの風力発電の風車が並ぶさまと、空の青と大地の蒼、その先の海の向こうに浮かぶ利尻富士に心は震えた。


 湯が沸いた。アルミカップにのせた紙製のドリップに湯を注いだ。いい香りが立ち上がった。慎重に注ぎ入れながらも漁船とワンボックスに対しての注意を怠らない。


 香ばしい薫に鼻腔をくすぐられ、海に浮かぶ利尻富士を眺めながら飲むコーヒーは抜群に旨かった。そして、俺は何をやっているのだろうと思ってしまった。もう昔の俺ではないし俺には何もないのだ。生きたいと思ったらなんて馬鹿馬鹿しい。今の俺が高峰から金を引っ張ったとしても、逆に、直ぐ沈められるだけだろう。けれども、俺の中で生まれた好奇心は止めようもなく膨らみ続けている。俺が今持ち合わせているものを搔き集めても、二人が関わっていることの全貌を見ることは出来ない確率が高かった。それでも、最初に頭に浮かんだ部分とは何か違う部分が、俺の中で顔を出し始めているのだ。きっと輸血のせいだ。俺の中の奥底に沈み消えていたものが、輸血によって徐々に浮かんで感じたことのないものを俺に押し付けてきているのだ。


 全く馬鹿らしくなる。


 これを飲んだら稚内へ向かおうと思った時、ワンボックスの男がこちらに近づいて来るのが見えた。


 面倒なことになりそうだと思いながらも、何処か心躍る部分があることにも気づいていた。


 コーヒーが旨かった。












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