12


 店はボーリング場にほど近い場所にあった。


 観光客は絶対に来ないだろうと思える年季の入った路面店で、暖簾を潜り入口ドアのガラス越しに見えた、カウンターと安っちい四人掛けテーブルが二つしかない街の中華屋のような店内は、サラリーマンやOL達で賑わっていた。


 店に入り見回しても、浦見恭平の姿は確認出来なかった。


 「いらっしゃい。あっ、キョウちゃんのコレの、ねっ」


 そう言ってカウンターの中の大将が、右手でアクセルを開ける真似をして笑った。


 客の中にもキョウちゃんで通じる人も何人かいて、その人達は柔らかな笑みを浮かべながら、頭の中で一斉に俺を値踏みした。


 そんな視線に晒されながら、まったく気がつかない風を装って「はい、そうです」と、俺も笑顔で大将に返した。


 すると、大将は「奥にいるから」そう言って、縄のれんがかかったその先を手で指し示した。


 縄のれんの先には詰めれば八人ほど入れそうな半個室があった。


 「よぉ、来たか。直ぐにわかった?」


 浦見恭平は、熊のように立ち上がって分厚い手を伸ばし、握手で俺を迎えてくれた。シャツを腕まくりした両腕には、ウェーブがかかった腕毛がこれでもかと生い茂っている。


 先ずは生ビールで乾杯した。突き出しは、いい塩梅いい〆加減の〆鯖の小振りな握りが一貫と、アスパラとトウモロコシのサラダだった。よく出来た店だと思った。


 アスパラは、トウモロコシの粒に合わせて切られていた。味付は単純で、蒸して冷ましたあと少々の塩をよく合わせて、最後に香りとパンチに胡椒を振っただけだと、恭平が教えてくれた。アスパラとトウモロコシのジューシーさと甘さが、俺がこの旅で知った北海道を思い返させた。


 一杯目が運ばれて来た時に注文した二杯目の生ビールと共に豪勢な刺身盛りが運ばれてきて、「これ大将からのサービスです」とアルバイトの少女が言った。


 恭平は縄のれんから半身を出して、「大将」と声をかけたあと、無言のまま片手で礼を言った。


 恭平とは、士幌町の道の駅・ピア21しほろの駐車場で出会ったのが最初だった。後輪のタイヤがすり減っているのを教えてくれ、北海道内でタイヤ交換出来る店を色々と調べ丁寧に教えてくれた。とても世話になったのだ。そのあと、知床半島の東、羅臼にある熊の湯で偶然再会した。そこで裸の付き合いがあって、会うのはそれ以来だった。


 恭平は挨拶もそこそこに、熊の湯以降の俺の旅の話を聞きたがった。


 俺はドライバッグに入れて持って来たPCを取り出して、写真を見せながら話そうとしたところ、写真があるのなら旅の最初から話してくれと、恭平はリクエストした。


 俺は折角の刺身が乾かないかと、ちょっと心配になった。


 二時間近くかかって俺の旅行記は終わった。勿論、話せないことは口には出さなかった。


 合間合間、運ばれてくるツマミを冷めないうちに摘まみ、喉にビールを流し入れた。すべてが道産の食材を使っているだけで、奇をてらった料理ではなかったが、とても旨いツマミだったのでじっくりと味わえなかったのが残念だった。


 恭平が一番、手を叩きながら笑ったのは、素面の正平と二人で乗った、無音の釧路川カヌー下りのくだりだった。


 恭平は酔っても多少声が大きくなるぐらいで、取り立てて何か行動や性格が変わることはなかった。同じ遺伝子で一卵性の、見た目は顔も身体も同じ兄弟が、こうも内面が違うのはとても興味深かった。


 一軒目は恭平に御馳走になった。礼を言うと、「なんもなんも、なんもだよ」と言った。


 二軒目はホテルのBARで、雨の中歩いて向かった。


 途中、恭平は俺のアロハ姿を見て、「ばびっとしてんねぇ」「びゅーだね」と言った。どちらも似合っているの意味を指す北海道弁だった。とりあえず「ありがとうございます」と返しておいた。


 ホテル内から入るのではなく、外にも入口があった。


 入る前、俺はガラスに映ったロンTにアロハを羽織った自分の服装が気になった。オーセンティックなBARへ行くのにこれで大丈夫かと。まぁ、ダメなら恭平も連れてはこないだろうと思い直して足を踏み入れた。


 隅のソファー席に座り、恭平はアイラ・モルトのCAOL ILA 12yearsをロックで、俺は竹鶴 21年をストレートで、チェイサーに炭酸水を頼んだ。


 舐めるように呑む恭平に対して、俺は二口に分けて充分味わうと、チビチビと炭酸水をやった。


 「どうしたの、もう酔ったかい?」


 「いえ、炭酸で余韻を楽しんでいるんです」


 「余韻?」


 「ほら、ガスが上がってくると、香りも上がってくるんです」


 「はははっ、やっぱり大阪人は面白い」


 「どなたか、大阪人を知ってはるんですか?」


 「いや、今は周りにはいないな。学生時代に仲良かった奴が大阪人だった」


 「へーっ、北海道でですか」


 「違う、違う。高校は札幌だけど、大学は東京だったんだ」


 「東京ですか。どこの大学に?」


 「命教大」


 「えっ、凄いですね。名門やないですか。ホンマ、かしこですやん」


 「なんもなんも」


 「俺には学がないんで尊敬しますわ。大学生活って、サークルとか入って楽しかったんでしょうね」


 「そうでもないかなぁ。バイトで忙しかったから」


 「苦学生だったんですか?」


 「そうだぁ。それでも、東清大学の旅行サークル道産子を愛する会っていうのが前身の、学外の大規模サークルには入ってたよ。入っていると、いいバイトを紹介してくれるんさ」


 「じゃあ、あれですか?道愛会に入ってたんですか?」


 「なぁに~、道愛会を知ってるの?」


 「いや、チラッと耳にはさんだだけですよ、そういうサークルがあるって。それで、道愛会って、どんな活動をしてるんですか?」


 「昔は、自然保護活動や、北方領土問題に関する運動とか、たまに真面目なんもやってたけど、俺なんかはイカダ部に入ってたんだけど……」


 「イカダ部?」


 「そう。今はだいぶん減ったけど、こっちは夏になると、あっちこっちの川でイカダ下りの大会があったのよ。毎夏、部員の誰かの実家が近い大会にエントリーして、夏休みになったらそこでお世話になってイカダを作るの。俺は金がないから一度も参加したことはないんだけどねぇ。まぁ、バイト紹介所として使ってただけだから。でも今は昔と違って、サイクリングだのテニスだの、中にはコンパするだけのサークルまで下にボコボコ出来て、道愛会自体はOBやOGも入って事務局的なもんになってるよ」


 「学生サークルやないんですか?」


 「一応、学生サークルではある。けど少し前に、今は椎野ホールディングスの名誉会長になっている椎野輝秀さんが会長になった時に、ポンとポケットマネーをはたいたら大きくなったんだ。椎野さんは道産子を愛する会のOBだからね。今じゃ会員数も増えて、ゴールデンウィークを過ぎると夏の合宿地の予約で事務局の奴らはてんてこ舞いになるのよ。道内のほとんどの市町村の施設を優先的に借りることが出来るのさ。だから事務局にいる俺の同級が『俺達は旅行会社じゃない』って、毎年ボヤいてる」


 こんなところで道愛会に、仲野が話していた椎野HDに繋がるとは思わなかった。やはり、事件はまだ俺に絡みついているのだろうか。


 「そうなんですか。でもそれだけ大きくなると、中には、やらかす奴らも出てくるんとちゃいますの?」


 「何か聞いたの?」


 どうするか迷ったが、話してみることに決めた。


 「いやね、東京におるツレが……。あっ、ツレって嫁はんのことやないですよ、友達のことですわ。そのツレがね、『北海道の奴は、日本からの独立を考えとるぞ』って、俺がこの旅に出る前に言いよったんですわ。それも『本気らしいぞ』って」


 「はははっ、独立って。いつの話だよ」


 「昔はあったんですか?」


 「ああ、祖父さんの時代は、『抑圧されてたアイヌの民は、今こそ立ち上がり日本からアイヌモシリを取り戻そう』って良く集まっては話してたさ。けども、道産子は皆、小学生や中学生の時に一度は考える。北海道だけで大丈夫じゃねぇかって。実際に、カロリーベース食料自給率も生産額ベース食料自給率も200パーセントを越えてる。国としての食料自給率はずうっと、40パーセントを前後しているんだ。独立しても困らんだろう。ローマ帝国だって食料自給率40パーセントを切って滅亡したんだから」


 なかなか真っ当な意見だ。


 「けど、実際にはそうはいかんのだ」


 俺は食い入るように恭平の次の言葉を待った。


 「北海道は金がない。国から金貰って今の生活が維持出来ているんだ。まこっちゃんも走っていて思ったろ、国道はまだいいが、道道や市町村道になれば、ひび割れや穴ぼこの開いたアスファルトが多いなぁって。それだけじゃねぇ、山の整備だって川の整備だって、国からの金がなきゃやっていけねぇんだ。独立したらその途端、直ぐに今の生活を手放さんといかん。こんだけ便利になった現在、人は簡単にはそれらを手放すことは出来ない。それが現実」


 恭平はそう言ってCAOL ILAを舐めた。そして思い出したように口を開いた。


 「でも……」


 「何ですか?」


 「椎野さんは、去年の総会のパーティーに久々に出席してきて、『北海道の独立なんてことも、そろそろ本気で考えるくらい』ってスピーチの途中で、冗談めかして話していたなぁ」


 「本当に冗談やったんですかねぇ」


 「冗談でしょう。あの人が一番、経済とは何たるかを知っているんだから」


 「でしょうね」


 「もうそんな与太話は面白くないな。そうだ、さっき話してた『マルトマ』のホッキカレーは、絶対に食った方が良いよ」


 そこからは、俺のこれからの旅の行程の話になって、一度も独立なんて幻想のことは話題にあがらなかった。


 「まこっちゃんは、旅が終わったらどうするの?」


 「さぁ、どうしますかねぇ……」


 「まぁ、道南を回って、東北回って、ずうっと滋賀まで帰るんだろ」


 「あと、沖縄にも相棒と一緒に船で渡りますよ」


 「えーっ、船で行くの?そりゃスゲーわ。ほんと、都道府県制覇だ。ハッハッハッハッハッ」


 豪快に笑った。


 あまりにも豪快過ぎて、俺は周りの目が気になって、恭平の笑いを制した。


 お互いに三杯ずつ呑んでからチェックした。


 恭平は俺が払うと言ったのだが、二軒目のBARは俺が支払った。「いい関係性でいたいから」そう言うと納得した。


 タクシーを二台呼んでもらった。別れの最後は「いつか一緒に走ろうな」で締め括り、ひどく雨が降りつける中、タクシーは別々の方向へ出発した。




 朝になってもまだ降っている。


 今日は一日ホテルにいて、部屋と温泉の行き来だろうと思った。


 温泉の野天風呂に浸かっていると、雨が止み、空がゆっくりと明るさを増していった。


 急いで上がって部屋に戻った。


 PCを開いて天気予報のページに飛んで雨の予想範囲図を見た。あと三十分もすれば札幌近郊には陽が射すようだった。


 俺は恭平にも勧められた苫小牧にある『マルトマ食堂』へ行ってホッキカレーを食いに行くことに決めた。陽が射せば路面の渇きも早い。そう思ってこの旅用に買ったブーツに足を入れたのだが、万が一を考えて街歩き用のハイカットのスニーカーに履き替えた。


 路面はまだ少し濡れてはいたが、水溜りさえ注意すれば大丈夫だと相棒を発進させた。


 国道230号線を南下して、川沿で左折して豊平川を渡り、藻南公園を抜ける。そして国道453号線でまた南下する。頭大仏やモアイ像がある真駒内霊園へ向かう道道341号線との分岐で右に橋を渡ると、極端に通行量が減った。


 恵庭から夕張方向へ行く時に通った道道117号線を横目に進み、そのうち道は勾配がきつくなり、ドンドンと山を登っていった。それでも一向に陽は射さなかったし、靄もかかっていた。その上、暴走行為防止の凸凹の速度制御舗装が何ヵ所もあって、心の中でもう二度と走るものかと呪いたくなるほど走り難かった。


 やっと支笏湖の湖畔に下りて右側だけ視界が広がった。「陽が射すのではなかったのか」と、シールドの中でまた天気予報に悪態を吐いた。


 支笏湖温泉街を抜けて……。どっかで聞いたことがあったが、何処で聞いたのかは思い出せなかった。


 温泉街を抜けた先で国道453号線は右折して喜茂別・大滝へ向かう。道ははたまた名前が変わり、国道276号線になって苫小牧へ向かった。両側には木々が生い茂り灰色の雲が上から圧をかける中、俺は直線路を進むのに飽き飽きした。


 苫小牧漁港にある『マルトマ食堂』には人は並んでいなかった。だが、店内は満席で、ちょうど一人の客が会計を済ませているところに俺は入店出来た。


 片付けを待って席に着いた。相席だった。


 俺は、上陸する前から食べてみたかったホッキカレーと、腹が減っていたのでイカフライも注文した。


 ホッキカレーは、ホッキがこれでもかというぐらいに入っていてボリュームがあった。そして、とても旨いカレーだった。イカフライを載せながら食べ終えると満腹になっていた。つみれの入った味噌汁も旨かった。


 大満足で店を出ると、店の前の歩道には、二十人ほどの行列がズラリと並んでいた。


 やっぱり俺はツイている。


 それでも空は晴れなかった。


 このまま来た道を走るのは嫌だった。地図を見ながら、口の中に残る塩味を感じ、甘い物が無性に食べたくなった。そうだ、千歳空港へ行こうと思い立った。そこならソフトクリームが数多くあるらしいのだ。


 喉の渇きを癒すことなく相棒を走らせる。交通量は半端ないが、来た道よりも走り易い。道理で車が走っていないはずだ。あんな道を走るよりも、こっちの国道36号線走る方が安全で快適だ。


 道道130号線を左折して千歳空港に入った。駐車場の屋根付き駐輪場に相棒を停めて、ミラーで鶏冠をチェックした。何かワクワク気分が何処からか湧いて出ていた。


 流石、北海道の空の玄関。千歳空港内は混雑していた。


 先ずはエレベーターで四階まで上がってから下りることにする。


 四階には温泉があった。そしてプロントで『岩瀬牧場のソフトクリーム』を食べて、エスカレーターで三階へ下りた。


 ジャージーブラウンに行ったが、ソフトクリームがコロネパンに載っている写真を見て、パンは食べたくないと諦めた。


 北海道牛乳カステラで牛乳と共に『北海道牛乳ソフト』を食べた。今度は順番を間違えなかった。牛乳を飲んで味を満喫してからソフトを食べた。


 その先には、ラーメン横丁があったり、回転ずし屋があったりする食の遊園地があった。満腹に近い腹具合で歩くには残念過ぎる階だった。


 二階は土産物屋が集まっていて、さながら人の集まる海外のマーケットの様相だった。ルタオは小樽で食べたし、今回はノーマルソフトで通そうと思ったので、記憶の中の味を口内に下したあと通り過ぎた。


 雪印パーラーで『空港ソフト』食べて、札幌の雪印パーラーでアイスクリームを食べたことを思い出した。ロイズはチョコレートソフトだろうと通り越し、あと2つぐらいがちょうどいい腹具合になりそうだと感じた。


 北菓楼で『バニラソフトクリーム』を食べた。ワッフルコーンまで全部食べてしまった。


 あと一つで限界だと思いながら、きのとやで『極上牛乳ソフト』を買った。ボリュームが凄かった。これを全部食べ切れるのか不安を覚えたが、一口食べると止まらなくなって、ソフトクリームを最後は流し込むようにしてすべて食べ切った。異次元の味だった。旨過ぎる。


 だが、ワッフルコーンを一口齧ったところで、俺の身体がこれ以上のカロリー摂取を拒否した。まだ胃には余裕がありそうなのだが、きっぱりと拒否したのだ。


 食いが止まった俺は、マーケットを散歩がてらに歩き回った。俺もこのまま帰るのなら、いっぱい買って帰りたい物が並んでいた。だが、いつもどおり見学する以外なかった。そうだ一度、徳永と高岡ちゃんに何か北海道の土産を送ろうと考えた。そうなるとあまりにも品数が多過ぎてどれを送れば良いものかわからなくなるほどだった。小一時間ほど吟味したのだが、これだという直感は働かなかった。甘い物は無理なので、コーヒーでも飲もうと思い四階のプロントに戻って、人の行き交う二階の広場をガラス越しに眺めながら、ブラックコーヒーをゆっくりと飲んだ。


 それにしても老若男女、色んな種の人々が行き交っている。それは俺の目には平和という事実に映った。そんな平和というものが、幻想を抱いた若者達の暴走によって壊されるかもしれないのだ。そう思うと、仲野達の存在には敬意を払う。日本という国を守る為という大義名分。その大本が、愛しい恋人や家族、仲の良い友人を守る為という小さいものでも構わない。それが硬く強いものであれば良いのだ。


 だが、歴史は勝者が作るものであるという現実もあるのだ。幻想を抱いた若者達が行動を起こした結果、何十年と時を経て、それが素晴らしい業績として讃えられる可能性もあるのだ。


 今を守る正義と、今を変える正義。どちらも真っ当な正義だとしても、人を傷付け、殺してまで行う正義など、今の俺の中ではナンセンスだ。


 そう思うと、俺は変わったなぁ、真面な方向に成長したなぁって思う。そして同時に、つまらない人間になっていっているようで不安にもなった。


 そんなことを思いながら広場を眺めていると、俺の知っている男が二人、広場のソファーに並んで座った。三宅雅和と隣にいるのは本宮直樹だ。それにしては手荷物が少なかった。三宅が膝に置いている小さな紙袋だけだ。もう手荷物は預けていて、中に入らずにここで時間を潰すつもりだろうか?


 俺は挨拶をしに行こうと席を立ち店を出た。


 エスカレーターを乗り継ぎ、広場を見ながら下りていく。


 二人は会話することもなく、無言のまま正面を見ているだけだった。何を見ているのか確認しようとしたが、俺が移動している位置からは死角になっていて確認することは出来なかった。


 広場に下りるエスカレーターに乗るために移動しながら、俺は死角になっていたところには何があるのか再確認した。篠原三郎が吹き抜けの広場の中にポツンと立っていた。俺の背中に寒気が走った。


 篠原は、銀色の小さめのキャリーバッグの取っ手を右手で握っていた。


 俺は小走りに最後のエスカレーターに向かった。


 下りエスカレーターは団体客なのかぎゅうぎゅうに詰まり並んでいた。これでは駆け降りることは出来ない。ソワソワしながら三宅と本宮、そして篠原を交互に見た。もう少しでエスカレーターに乗れそうになった時、三宅と本宮が立ち上がった。篠原は動くことなく立ったまんまだった。


 (なんだ、待ち合わせだったのか)そう俺は安堵して、大声で中国語が飛び交っている列に並びエスカレーターを待った。


 緊張感が解けた俺は、三人が一つの視界に収まる姿を見ていた。


 三人は良く会っているのだろうか?


 すると篠原の元に近づく人間が現れた。そいつは黒いキャップにサングラスを被り、紺色のサマージャケットに中は白い無地のTシャツ、サンドイエローのパンツを履いて、足元は白いスニーカーだった。背格好と歩き方から間違いなく丘崎だ。


 恐れていたことが、今、目の前で起きようとしているのだ。


 俺は割り込むようにエスカレーターに乗り、「すみません。急いでいます」と声を出したのだが、誰も俺を振り返る奴はいなかった。


 篠原がキャリーバックの中身を確かめる素振りをし、丘崎はその近くでしゃがんでスニーカーの靴ひもを結び直す振りをした。


 バッグの中身を確認しているのだ。


 三宅と本宮は、ドンドン丘崎に近づいていく。三宅は右手に提げていた紙袋を左手に持ち替えた。


 丘崎は立ち上がりながら、篠原の手からスマホを受けとり、何かスマホを操作し始めた。


 三宅が右手を紙袋の中に突っ込んだ。


 俺はもう駄目だ。止めることが出来なかった。そう思った瞬間、一人の男が三宅の前に立ちはだかった。あの道警の道上だった。


 俺は安堵を覚えながら、やっと広場に下りて三宅たちの元に駆けた。けれど、男達が三宅と本宮を囲んだので、俺は近寄ることを止めた。


 丘崎は何事もなかったかのように、篠原の横のキャリーバッグを手にして立ち去っていく。


 斜め後ろから見えた三宅の顔にはこれ以上ない悔しさが浮かんでいて、隣の本宮の顔には安どの表情が溢れていた。


 俺は二人を置いて丘崎を目で追った。俺の中ではもう一人役者が足らなかった。


 丘崎はあと少しで、広場から通路の人混みの中に消えていきそうになっていた。すると柱の陰から出てきた男が、丘崎の身体に普通に体当たりをした。何度も丘崎の身体が揺れ、そのあと丘崎は、ゆっくりとスローモーションのように膝をつき、そのまま前に倒れ込んだ。


 「ギャー」という悲鳴のあと、ワーワーと喧騒が渦巻いた。


 倒れた丘崎に馬乗りになったサラリーマン風のスーツ姿の男は、丘崎の背中に何度も何度も両手で握った刃物を振り下ろし、引き抜いた時に舞う血飛沫は辺り一面に飛び散っていた。


 遅ればせながら駆けつけた男達に包丁を取り上げられ、丘崎の上から引き摺り下ろされた男の顔は血まみれで、無表情だった。


 あの男が木村勇三の息子・木村勇作だ。


 画を描いたのは三宅雅和だ。死んだ船本からすべてを聞かされていたのだろう。だから公安がいることも考えて二段構えで丘崎を襲った。つまりは、俺に船本のことは任せるといいながら、やはり仲野は、空港で船本に接触していたのだ。


 俺は喧騒の中に仲野の姿を探した。いた。三階で電話しながら下の喧騒を見ていた。


 俺はゆっくりと人混みを掻き分けて上りのエスカレーターに乗った。ヒップバッグの中を探って、ミラーを調節する為に入れているドライバーを、柄の方から薄手のパーカーの右ポケットに入れて、自由に動かせるように前のジッパーを下ろし外した。


 まだ仲野は電話で何処かに指示を送っていた。真下から上がってくる俺に気づいていなかった。


 俺はゆっくりと近づいて、隙だらけの仲野の背中に、パーカーの生地越しのドライバーの柄を押しつけた。


 仲野の動きが止まり、首だけを俺の方にゆっくりと回し、見開いた目で俺を見た。


 「ちょっと電話切れや」


 俺は言いながら二度ドライバーの柄を押しつけた。


 仲野は「では、指示通りに」そう言って電話を切った。


 「右に行こか。トイレや」


 俺はそう言うと、ゆっくりと歩き出した仲野のジャケットを捲り、ズボンのベルトを左手で掴んだ。そしてピッタリと離れないように、時折背中に柄を押しつけながらトイレに向かった。


 都合が良いことにトイレには誰もいなくて、入り口の横には清掃中の看板が立て掛けてあった。


 仲野に指示を出して入口に看板を立てさせた。


 「どうしてあなたがそんな物を持っているのですか?」


 「ええから奥行け」


 俺はベルトから手を放して背中を押した。


 仲野はゆっくりと両手を上げながら中へ入っていった。


 「撃たないで下さいよ」


 「フン。これでどうやったら撃てるねん」


 俺がそう言い終わると仲野はクルリとその場でターンした。そして、俺がポケットから出したドライバーを見て、ホッとした芝居をしてみせたあと、


 「冗談ならまたにして下さい。私は忙しいんです」


 そう言ってトイレから出て行こうとした。


 俺は仲野の前に立ち塞がり、思いをぶつけた。


 「お前が丘崎を殺したんやぞ。わかってるな」


 仲野はジッと俺の目を見ながら黙っていた。


 「俺に船本のことは任してくれたんちゃうの?それやのに道上を差し向けて、お前は紋別空港で船本に接触したやろ。だから、船本は俺との約束を破って三宅雅和に、丘崎の命令で三宅和幸を拉致り、暴行して殺したことを告白した」


 仲野は開き直ったような顔をした。


 「アイツは自分の命が残り少ないのを知ってたから、楽になって死にたかったから、和幸の命日に雅和に会いに行ってた。けど、何年も告白出来んかったんや。でも今年が最後やとわかってた。腹決めて紋別まで来たのに、そこには俺がおった。どうしょうか、俺と話しながらも船本は考えてた。けど、俺が、三宅雅和には弟を殺した奴に対しての怒りを、今でもずうっと持ち続けてることを話したら納得してくれたんや。それやのに、お前が要らんことするから、こうなった。それをお前はわかっとんか。ええ」


 俺は思わず仲野の胸倉を掴んでいた。


 仲野はただ黙っていた。


 「お前、態と三宅を動かしたんとちゃうんか?」


 「それはありません。三宅が動くことは想定の中に入れていました。けれど、あの男のことは……」


 「あれは、多分、木村勇作や」


 「木村……勇作……。あの紅海丸に乗っていた……」


 「電話で聞いてみろや」


 仲野はスマホを取り出して電話をかけ、木村勇作の名前を出し確認を取るように言った。返事はすぐにあったようだ。仲野の顔から血の気が引いたように、俺には見えた。







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