11


 俺が目覚めた時にはもう、彩香は起きていた。


 戦闘服は夏らしいパステルな色合いで、鏡の前で険しい表情をしてアイラインを引いていた。


 やる気満々なのだと思っていると、彩香の荷物の上に、覚えのある少し色褪せたオリーブ色のトレーナーがポンと載っていた。帯広で会った時に着ていたトレーナーだ。


 俺にはそれが、彩香の歩んできた人生の色のように思えたが、彩香にとっては特別なお守りか何かなのかもしれない。


 俺が鏡越しに「おはよう」と声をかけると、「見ちゃダメ」と言って顔を両手で隠し、「マコチン、シャワー浴びてきて」と俺を部屋から追いやった。


 出発時間までの間、何が気に入らないのか俺にはわからないが、彩香は何度も顔を洗って化粧をやり直していた。


 俺がアロハに袖を通した時に、「はぁーっ」と大きく息を吐いたあと彩香は、振り返って「マコチン」と甘えた声を出し、手をひらひらさせて俺を呼んだ。


 俺が近づくと、彩香は座っていた椅子の上に飛び乗った。そして、俺を抱き締め濃厚なキスをした。キリッと見せる目元のメイクに素顔のままの唇がアンバランスだった。


 満足そうに唇を放すと、「これで口紅が塗れる」と照れながら彩香は言い、椅子に座り直すと、鏡の中で真っ赤な口紅をピンク色した唇に塗った。




 真駒内駅から乗り込んだ地下鉄が地下に潜る頃、彩香は真っ直ぐ前を向いて「二人だけで話すから」と唐突に言った。


 札幌駅には待ち合わせ時間の三十分前に着いた。 


 大丈夫だろうか?と、すごく気になっていたのだが、緊張気味に歩く彩香に、俺はどうして?と聞くことは出来なかった。




 待ち合わせの駅構内のカフェにはニ十分前に着いたのだが、既に伽奈は店内で座っていた。


 まだ俺達に気づいていない伽奈は、ソワソワと落ち着きがない様子で、大きな溜息を吐いたあと、何度も深呼吸をしていた。少し儚さを漂わせていて素直に綺麗だと思った。。


 「あそこで灰色のサマースーツを着てるのが橋口伽奈や」


 彩香はガラスに手をついて背伸びしながら伽奈の様子を見ていた。


 「一人で大丈夫?」


 彩香は俺の方を向いて力強く大きく頷いた。そして、持っていた紙袋からオリーブ色のトレーナーを取り出して、右手でギュッとそれを抱き締めた。


 意を決した彩香はトレーナーを紙袋に戻して、「じゃ、行ってくる」と一言言って店内へ足を踏み入れた。


 ガラス越しに俺は少しの間見届けた。


 ツカツカと足音を立てているのではないかと思う足取りで、彩香は一直線に伽奈に向かって行った。どう見ても、大人と子供感は否めない。


 しかし、伽奈は彩香には気がつかない。向かってくる彩香のうしろにある自動ドアの方を、落ち着きなく眺めていた。


 伽奈は急に目の前に現れたように思ったのか、彩香を見て目を見開いた。


 俺は、そこから先は二人だけの世界だとその場を離れた。




 二時間後、待ち合わせ場所にやって来た彩香は、とてもスッキリした笑顔で現れた。


 どういう流れで、どう話が進んで、どう決着がついて、何を心に刻み込んだのかわからないが、その笑顔を見た途端に俺は、朝から何も食べていない空腹感に襲われた。


 「乾杯しに行こう」


 彩香のその言葉を合図に、大通公園でやっているさっぽろ夏まつりの八丁目へタクシーを飛ばした。


 時折、雨が強く打ち鳴らすテントの下で、空腹のままでいた俺は限定ビールを全種類飲み干し、いつものクラシックを4ℓピッチャーで注文した。


 ツマミもそこそこ豊富で、俺は久々に牛タンを口に入れた。道産のバターコーンや帆立のフライが旨かった。けれど、ツマミよりもビールが旨かった。


 彩香もさっき食べたので入らないと言いながら、カットフルーツをアテにグビグビとビールをやった。酔いが回り始めると、楽しそうに何度も乾杯を繰り返し、何度も何度も俺に「ありがとうね」と笑顔で言った。


 小一時間ほどで4ℓが綺麗に消えたところで、タクシーでホテルに戻った。酔いでやっと緊張が解れたのか、ふにゃふにゃになりながらも強引に顔を掴んで俺の唇を啄んだ。


 部屋に戻るまでは、まだフラつきながらも歩いていた彩香だったが、ドアを閉めた途端、俺に全体重を預け潰れた。


 俺は抱き上げてベッドへ寝かせたが、せっかくの戦闘服が皺になると思って脱がしていった。昨日とは違ってシンプルなデザインの純白の上下を身に纏っていた。その純白から彼女の決意のようなものが感じられた。彼女は一人で戦い切ったのだ。戦いを終え疲れて眠る戦士の身体に、俺は優しく羽毛布団をかけた。


 彼女の服をハンガーにかけながら、そろそろ俺の役目も終わりなのかもしれないと思った。


 あの紙袋の中のオリーブ色のトレーナーは、彼女の戦いにとっての何なのだろう?盾なのか?鉾なのか?彼女が起きたら訊いてみようと思った。




 いつの間にか俺も隣のベッドで眠ってしまっていた。そして、いつの間にか横に、オリーブ色のトレーナーを着込んだ彩香が引っ付いていた。


 まだ窓の外は明るかった。時刻は十八時を過ぎたところだった。


 何が起こるかわからなかったので、今夜は何も予定を立てていなかった。


 冷蔵庫の中の酒も寝酒用ぐらいしかなく、食い物は何もなかった。


 俺一人では行くことが難しい札幌を探そうと、彩香が枕にしている右腕をゆっくりと抜こうとした。すると彩香はパッと目を開けて「どこいくの?」と淋しそうに言った。


 まだ少し彩香の傍にいたいと俺は勝手に思った。




 一時間ばかり、狸小路やすすきのを何処に入るでもなく二人でブラブラした。彩香は俺が知った札幌を見たいと言ったのだ。けれど残念なことに、俺の知っているのは五坪だけだった。彩香はそこに行きたがった。雨が止んでいたので、立ち飲みスタイルで呑んだ。彩香は初めての体験らしく、クリクリとした好奇心いっぱいの瞳で、厚岸の牡蠣を次から次へと口に運び、「私ね、牡蠣大好きなの」と笑った。俺も昼に脂っこいものを食べ過ぎたので、牡蠣や海鮮で丁度良かった。国稀が旨かった。


 「マコチン、何も聞かないね」


 「あ、うん」


 「気にならないの?」


 「気にはなってるよ。でも、『よく頑張った』しか俺には言われへんから」


 「ありがとね。ちゃんとけりをつけてきたから。ちゃんと前を向いて生きていけるから、安心して」


 「うん。……あっ、一つだけ訊いていいかな?」


 「何?」


 「あのオリーブ色のトレーナーは、盾?それとも鉾?」




 ほろ酔い気分で最終手前のシャトルバスに乗り込みホテルに戻った。


 温泉があるよと勧めたのだが、部屋のお風呂で一緒にと彩香は言った。


 お互いに手に泡を立てて洗い合った。何となく彩香が念入りに俺の身体を洗っている気がするのは、俺の思い過ごしだろうか?


 じっくりと時間をかけて俺達は求め合った。だが、俺の心には彩香と距離を置かなければいけないという思いが頭を擡げていた。だからなのか、より一層愛おしく思えて、彩香の全身に俺を刻み付けていった。


 そのまま微睡み、俺は彩香の体温を感じながら眠った。


 気づいたのはカーテンの隙間が少し明るくなった頃だった。俺はまだ気持ち良さの中にいた。隣で眠っているはずの彩香がいなかった。ぐもった声が羽毛布団の中から漏れ聞こえた。そして、布団が激しく上下に動いたあと、何処までも快楽を与え始めた。そのうちに布団が大きく盛り上がり、唸るような声と共に羽毛布団は剥がされて、弓形になった彩香が現れ身体を激しく震わせた。


 俺は彩香を胸で受け止め、きつく抱き締めた。


 今度は攻守交替で、俺は彩香を愛した。もう最後かもしれないと思いながら抱いたのだ。


 くすぐったい感覚がまだ続いている。彩香は俺を離そうとはしなかった。


 そのままもう一度俺はイカされた。初めての経験だった。


 二人でまたシャワーを浴びた。


 途中、また彩香は口に含んだが、若くはないので中途半端に膨らんだだけだった。


 七時に彩香は青いジムニーに乗り込んで、ドア越しにキスしてから苫小牧の会社へ向かった。全てにおいて満足気だった。


 紙袋に入ったオリーブ色のトレーナーは、紙袋に入ったまんま部屋に残された。彩香は俺に処分して欲しいと頼んだ。北海道に移り住んだ時に母親が買って、以来ずっと母親が好んで着続けていた物だった。盾でもなく鉾でもなく、ずっと傍にいてくれた母親なのだと彩香は言った。


 二人して伽奈からの謝罪を受け入れたのだろう。先に進むために。


 駐車場にポツンと取り残された気分の俺は、部屋に戻ると今日晴れていることが少し恨めしく思え、危うくプシュッとリングプルを開けるところだった。




 少しだけ目を瞑り、一時間ほどでアラームが鳴った。


 止めたついでにメールを開いた。色々と届いていた。ほとんどが迷惑メールで、消しながら必要なものを開けていった。


 一番新しいメールは彩香からで、会社に無事着いたというメールだった。苫小牧までは早く着くものだと感心した。大好きの文字のあと、ハートマークが五つも並んでいた。


 最初に出会った時から随分成長したものだと感じながら返信した。


 要らないメールを消しながら進む。次に新しいメールは、昨日の夜中に来た伽奈からのものだった。『ありがとうございました。これで少しは前を向けます。久し振りに会えると思っていたので、少し残念でした。事故には気をつけて。もし、旅の途中、北見の近くに来たら連絡して下さい。伽奈』そう書かれていた。もう全部吸い尽くされて空っぽになったと思っていたのに、どうしてだか、少し芯に力が入った。


 次は、徳永からだった。安否確認のメールで、美枝子さんのところには絶対に顔を出せよ。そう書いてあった。直ぐに『はい』とだけ返した。


 それ以外は全部ゴミだった。


 顔を洗ってもう一度歯を磨いた。


 口を濯いでいる時に着信音が鳴った。トラッキーのテーマではないので時任からではなかった。スクロールしている画面を見ると、仲野の文字が流れていた。


 何の用だ。俺にはこれ以上首を突っ込むなと警告しやがったくせに。少しイラっとしながら電話を受けた。


 ――あなた、丘崎の居場所を知りませんか?――


 開口一番これだった。


 「いきなり何や?」


 ――私は、丘崎の居場所を知らないかと聞いています――


 「だから何やねん。あんたが俺に手を引けって警告してきたんとちゃうんかいな」


 ――あなたはご存じないと言うのですね――


 「俺が知る訳ないやろ。丘崎は退院して京都にでも戻ったんと違うか」


 ――高峰が殺されたことはご存知ですか?――


 俺は仲野の真意が掴めなかった。


 「知るかいな。もう関係ないことや。あんたが手を引けっちゅうたから、俺は手を引いた。徳永もや」


 ――ならいいのですが……――


 「いったい、どうなっとるねん?事件はまだ解決してへんのかいな」


 ――ええ、ずっと海が荒れていましてねぇ――


 丘崎が描いた画そのものが上手くいっていない様子だった。仲野達は、取引現場を押さえて一網打尽にする計画なのだろう。海が荒れていて、瀬取りと呼ばれる海上取引が出来ていない上に、丘崎が襲われ、高峰は殺された。普通なら取引自体が流れる事態だ。


 ――あなたはまだ、北海道を旅するおつもりですか?――


 軽い脅迫だ。


 「当たり前や、まだ走ってない街があるんや」


 ――では、お気をつけて。あっ、そうそう。あなたに一つご報告しなければならないことを忘れていました――


 何だろう?俺にはわからなかった。


 ――昨日、船本さんが東京の病院で息を引き取りました――


 仲野は淡々と話し電話を切った。


 俺の背中に嫌な汗が流れた。


 バスルームに飛び込んで汗を流す。俺に出来ることなどないのだと言い聞かせた。


 空にはお天道様が輝いていた。


 急いで準備を済ませ、積丹ブルーに会いに行くことにした。


 何か動いていないと、どうにかなりそうな気がしたのだ。


 相棒に飯を飲ませたあと、彩香との思い出が蘇るパークの先、札幌西から小樽塩谷までは高速を使った。


 海沿いの国道5号線で余市まで進み、カントリーサインを撮って余市駅前で国道229号線へ右折する。


 大雨の日に来たニッカウヰスキーの蒸留所の前を通り、一瞬口内にシングルカスク余市10年の味と香りが蘇った。


 素通りして道の駅・スペースアップルよいちに立ち寄りスタンプを押した。


 腹が減っていたので、浜中町の『前浜亭』で天ぷら入りうどんを食べた。食品会社の工場横に作られた店らしく、揚げ立ての蛸入り練り天がドカッと入っていて、麺も汁もすべてが旨かった。


 国道229号線が街の中で左折すると、その先はトンネルが続いていて、その合間からは余市のカントリーサインにも描かれているローソク岩が綺麗に見えた。


 豊浜トンネルの中で古平町に入ったのだが、中にカントリーサインはなく、トンネルを抜けたところにテントの絵のカントリーサインに出逢えた。


 残念なことに、トンネルを抜けるごとに灰色の雲が広がっていった。


 厚苫トンネルを抜けたところで、神威岬が描かれた積丹町のカントリーサインに出逢った。


 暑くはなくて良いのだが、積丹ブルーに出逢えるのかが心配だった。道北とは違う碧がそこにあるのだ。


 手始めに、島武意海岸へ向かうために道道913号線へ右折した。


 展望台までは黒いトンネルの中を行く。開けた先には、波の無い綺麗な透き通った碧が望めた。


 浜辺へ下りる長い階段が見えていた。浜辺まで行けば間近で碧が見れるのだろうけど、この先にある神威岬の先っちょに行くことを考えると、今の俺には無理な話だった。


 そのまま道道913号線を南へ進んだ。


 少し歩いたからか腹が空いてきた。途中にあった『みさき』が開いていたのでうに丼を食った。久し振りに感じた雲丹は旨かった。


 腹八分目といったところで出発する。


 相変わらず、雲は広がっていた。


 国道229号線に戻り海沿いを行く。


 余別の小さな町にはうに丼の幟をはためかせた店が何軒もあった。その先のトンネルを抜けると、真横に海を見て走る道があった。


 所々天使の梯子があった。


 道は礼文島のスコトン岬へ続く道のように、左カーブを描いて丘の上に登って行った。


 →1,3㎞ 神威岬の標識が出てきて、礼文島のスコトン岬がフラッシュバックした。そして、三宅雅和と篠原三郎の顔が浮かび、顔を知らない木村勇作は名前だけが浮かんできた。


 駐車場からペットボトルのお茶を手に先っちょに向かった。


 曇り空だというのに観光客は多かった。そのほとんどはアジアからの客だった。


 女人禁制の門を潜った先が綺麗に見えた。


 感動が心を揺さぶったあと、直ぐに俺の感情は変化した。丘に隠れた灯台が見えているのだが、その先にある先っちょがまったく見えていないのだ。あの向こう側まで行って返ってくることを思うと、ゾッとしかしなかった。スコトン岬の比ではない。ここでくたばっても構わないという思いで、ゆっくりとだが歩みを進めていった。


 下り坂を進む一歩一歩が、帰りは一歩一歩登って行くのだ。


 階段があって、その先に道が峰の上を続いていた。溜息しか漏れない。


 何度も休憩を取りながらやっと先っちょに辿り着いた。雲が割れてお天道様が俺のいる神威岬を目一杯に照らし出した。


 流石、俺。神憑っている。


 日向と日陰の碧の差は明白で、積丹ブルーに染まる海はとても綺麗だった。南の海の碧とは違う少し冷たい色をしている。確かに、夏は積丹なのだと納得出来た。


 しばらくカンカンに照りつける下で、汗を拭いながら、ここまで来たという達成感と美しい風景の中に浸っていた。封を切っていなかったペットボトルのお茶が半分になっていた。


 海の碧以外は、襟裳や納沙布、霧多布やスコトン岬、知床の先っちょだってその先の海面からニョキニョキ岩が並んで突き出ていて、よく似ているなぁと今まで見てきた先っちょを次々に思い返した。そしてこれからを考えた。あと一日あれば、道央のカントリーサイン収集と道の駅スタンプも終わりそうだ。そのあとは、北竜町の向日葵を見て、三国峠を……。そうだ、置戸町と訓子府町が残っている。考えねばならない。


 「さぁ、戻るか」


 独り言を言ってから柵にもたれていた身体をよっこらしょっと起こした。


 行きで結構体力を使ったのが実感出来た。だが、相棒まで辿り着かねばならないのだ。俺の旅はまだまだ終わらせない。


 先っちょへ行き来するのに一番労力を使うのは、神威岬が一番だった。その分、より一層美しく感じるのではないだろうか。そう思いながら疲労感のある足を前に送り出した。


 急な階段を這い上がるように登り終え、だらだらと続く坂道を引き摺るように歩み進んで女人禁制の門まで辿り着いた。


 歩いている最中は無心になれるだろうと考えていたのだが、どうも頭の中に三宅雅和と船本の顔、そして篠原三郎に木村勇作の名前がこびりついて離れていないことに気づかされた。


 振り返ると、もう神威岬は厚い灰色の下にいた。


 汗をかいていないのは、お天道様が隠れたのと緩やかに吹く海風のお陰だった。


 相棒に跨り、空になったペットボトルをタンクバッグに入れ地図を出して、ここから先のルートを再確認した。


 左側が急斜面で右は海という、晴れていれば心地良さそうな道を進んだ。


 ここも陽が射せば、神威岬のように綺麗な碧を見せるのだろうか考えると、少し損しながら走っている気になった。


 貸し切り状態の道を進み、積丹トンネルを抜けると可愛い版シェンロンが玉を抱いている神恵内村のカントリーサインに出逢った。


 いくつものトンネルを抜けて、道の駅・オスコイ!かもえないでスタンプを押してトイレを済ませ、タンクバッグの中のお茶をカラから新品へ交換した。


 神恵内の港に入り町の中で国道229号線は直角に曲がった。町は小さく古宇川を渡るとまた直角に曲がった。建物は多くあるのに人っ子一人発見することは出来なかった。


 また海沿いに走る。海に橋が何本も架かっていて、曇っていても楽しめる道が続いていた。


 長い茂岩トンネルを抜けると泊村のカントリーサインがあった。中には兜が描かれていた。少しずつ車の数が増した。


 泊村の外れには原発があった。


 今も福島では、汚染され人が立ち入れない土地が残っている。


 俺も原発のある町をいくつか訪れたことがある。役所や公共の建物は総じて立派で、田舎町なのに高級車が多く走り、その町に住む住民すべてが、原発に何かしらの恩恵を受けて生活をしていた。


 微妙に交通量が増えた。共和町には案山子の絵のカントリーサインが立っていた。平野が広がっていて、何処から湧いて来たのかトラックやダンプも多く走っていた。


 岩内町のカントリーサインは配色がカラフルだった。


 案外賑わいのある岩内の街に入ると直ぐに道の駅・いわないは在った。


 お茶で喉を潤していると、甘いソフトクリームが食いたくなった。


 スタンプを押して直ぐに出発した。


 今はない岩内駅跡の前にある駅前通りを通って国道229号線に出て、国道276号線へ右折して相棒に飲ませてから、再び共和町へ入った。進んで行くと、北海道らしい大きな空の広い農地が広がっていった。そしてドンドンと山が近づいてきて、国道5号線に入るともう山の中だった。


 稲穂トンネルを抜けて、サクランボとリンゴの仁木町のカントリーサインに出逢った。そこ辺りから果樹園の看板が目立ち始めた。


 白樺があるからまだ我慢出来るが、交通量のある雲が覆った空の山間部の道は、走っていて良いものではなかった。


 麓へ下りる手前で、300m先・→赤井川の標識が出てきた。


 標識に従い道道1022号線へ右折した。車もなく、のんびりと俺のペースで走ることが出来た。


 土木川に架かる小さな橋を越えると、山並みへ続く道が描かれた赤井川村のカントリーサインが待っていた。


 道道36号線に突き当たる。道の駅・あかいがわは突き当りを右に曲がって直ぐのところにあった。


 道の駅の前の道は、道道から国道393号線に名前が変っていた。


 スタンプを押してタンクバッグに仕舞ってから、香ばしいパンの匂いに負けて行ってみると、棚はもうスカスカで、さぞや美味いのだろうと残り少ないベーグルを二つ買い込んだ。そのあとライスジェラートを買って表のベンチに座り、買ったベーグルには何ジャムが合うのだろうかと考えながら食べた。


 ライスジェラートは粒があって甘くて美味いのだが、何か今の気分には合わなかった。


 食べ終えた俺はタンクバッグから地図を引き抜いて、近くにソフトクリームを販売している牧場はないかと探した。


 帰り道に一軒あった。急いで相棒に火を入れて出発した。


 『山中牧場』へは十分ほどで着いた。車の多さも気にならなかった。


 店に入る前に、お茶でさっきの甘さを消した。


 カップに入ったバニラソフトクリームのブルベリーソースがかかったのと牛乳を買った。


 丸く白いテーブルに座って、先ずはブルベリーソースがかかっていないバニラソフトクリームを食べた。旨い。ミルク感満載のさっぱり後味だ。ブルベリーソースのかかった部分も酸味と香りとミルクのコクが相まって旨かった。


 半分ほど食べたところで牛乳を飲んだ。失敗したと思ったのは、一口喉を流れてからのことだった。


 食べる前に飲めばよかった。そして、ベーグルにつけるジャムを、俺は買い忘れていた。店内で売られている発酵バターに少し惹かれたが、一缶をあと三日間で食い切らねばならないことを思うと手が出せなかった。


 満足して店を出た。


 この先には毛無山があってそこには九十九折の道があった。けれど、前後を車に挟まれていて、ゆっくりとしたスピードで下りて行った。


 最後の方で、小樽ワインの店を見つけた。


 ベーグルにはワインがいいだろうと思い、アルコール度数の高いピノノワールを一本買い、急いで店を出た。長居すると喉から本当に手が出てきてしまう。


 雲行きが悪くなってきたので、道道956号線で朝里に抜けて高速に乗った。それなのに、銭函に近づくにつれ白い雲が空の半分ほどあるだけで、木々の隙間から見える海は綺麗に碧を見せていた。手稲に入ると快晴で街が輝いていた。


 札幌西で降りようと思っていたのだが、こんなに綺麗な青の下、車の波に乗って走る気にはなれなかった。まだまだ日が暮れるには時間があった。


 快適なスピードで左車線を行く。次から次へと車が追い越していく。


 ふと思った。もし、篠原が、丘崎と接触するために、高峰に繋がったのだとしたら?


 馬鹿げた話だ。船本は昔の秘密を持ってあの世へ行ったのだ。


 だが、出発の朝、道上が船本を見送ってタクシーに乗せていた。タクシーが出たあと、直ぐに道上はスマホで電話をかけた。空港でスタンバイしていた仲野に連絡をしたのではないだろうか?空港で仲野に尋問を受けた船本は、俺との約束を破って三宅に真実を告げ、もう思い残すことはないと……。


 三宅雅和の、あの積年の怒りを思わせる瞳が、俺の脳裏に蘇った。


 いやいやいや。そんなことはない。あって欲しくない。俺が今想像したことが現実なら、丘崎を殺りに彼らは動く。


 丘崎が公安の包囲網から姿を消した。けれど、仲野が話していたとおり、取引はまだ成立していないのだ。高峰が死んでも篠原との接点は消滅していないのだ。それに木村勇作だ。顔がわからないのが歯痒かった。


 ……そう思ったところで、俺は冷静になった。偶然という奇跡が起きない限り、俺がこの件で出来ることなどないのだ。


 降りる大谷地ICを通り越してしまった。


 腹が減った。


 札幌南で降りて道道1138号線を右折し、羊ヶ丘通を右折して平岸まで行って『純蓮』で味噌チャーシュー味玉入りを喰らった。旨過ぎる。鉢の底が綺麗に見えるまで平らげた。


 懐かしかった。阿倍野近鉄の北海道フェアで食った、『すみれ』の味が脳裏に蘇った。


 外に出ると暑かった。バンダナで額に浮かんだ汗と首筋に垂れそうな汗を拭い、ヘルメットを被った。薄手のパーカーの前を開き、風が当たるようにして相棒を発進させた。


 このままホテルへ帰る気にはなれなかった。


 頭大仏のラベンダーがどんな様子か見に行った。


 番号のない道を走って向かった。路面が悪かった。それでも十分少々でモアイ像の前に着いた。


 遠くからでも紫は誇っていた。


 「大仏の頭みたいや」


 俺の口から洩れていた。本当に螺髪のように見えたのだ。


 近づくことなく、そのまましばらく頭を空っぽにして、ぼんやりと眺めた。けれど、空っぽになどならなかった。なる訳などないのだ。


 厚い雲が俺の背中から、ゆっくりと覆い始め出していた。夜には雨になるだろう。明日は何時まで雨になるのだろうか?一日だろうか?夕方までだろうか?昼までだろうか?それとも、延泊したのが無駄になるような、朝からスッキリと晴れ渡ることになるのだろうか?それぐらい、北海道の天気予報は当たらなかった。


 ホテルまでは道道と国道を通って帰った。路面が良くて気持ちが楽だった。


 温泉に入って少し身体を緩めてから部屋に戻り、ブルーベリーのベーグルとチーズのベーグルをアテにピノノワールをやり、PCで明日の道央の天気予報を色々と見比べながら、俺は浦見恭平からの電話を待った。


 今度は地図とマップで、取りこぼしがないかを確認し、それから、これから先の行程を何パターンか考えた。置戸町と訓子府町が……。ガラ携が躍った。


 ――浦見です――


 「はい、仕事はうまくいってますか?」


 ――無事にすんだよ。悪かったね、素っ気なくして――


 「いえいえ。仕事が上手くいってなによりです」


 ――明日、何処か行きたい店とかあるの?――


 「行きたい店ですか。何泊も札幌に泊ってるんですけど、五坪とラーメン屋以外行けてないんですよ。だから、これぞ札幌ってみたいなのを経験してみたいかなって思いもあります。でも……」


 ――ハハハハッ。“これぞ札幌”か、したら任せてよ。接待で使ってる店があるから。“これぞ札幌”って店があるよ――


 「いえ、俺は、恭平さんが普段いっている店で充分です。もっとあなたのことを知りたいです。あなたと楽しく飲めれば充分です」


 ――……わかった。明日の十八時半、場所は明日の昼までにメールするよ――


 「はい、再会を楽しみにしています」




 雨は八時前に止んだ。


 八時半に相棒をスタートさせた時には、路面はほとんどドライ状態だった。


 今日の中山峠から見る羊蹄山は、この前とは違い顔だけをすっぽりと隠していた。気温が上がると、隠す部分も変わるのだろうか?そんなことを思いながら坂道を下っていると、国道230号線の頭上で喜茂別町のカントリーサインに出逢った。まさか頭上に、それも道の真ん中、中央分離帯の上に他の標識と並んでいるとは考えもしなかったのだ。


 そのまま、地図やガイドブックには、『夏場は、とうきび屋の店が連なって開いている』と書かれていた、開いていないとうきび屋の小屋の数だけを確認しながら、くっきりと姿を見せている尻別岳を正面に、喜茂別の街の中で国道276号線へ左折した。


 空がおぼつかない具合の中、伊達市大滝区のカントリーサインに出逢い、Uターンして、流石に撮れなかった喜茂別町のカントリーサインをカメラに収めた。


 チェックのため小さなモニターを見ている時に、伊達だから兜なのだと納得した。では、昨日の泊町のカントリーサインに描かれた兜には、何の意味があるのだろうか?と、少し疑問が浮かんできたが、直ぐに、まぁいいかと思った。


 国道276号線は右折して、真っ直ぐそのままの道が国道453号線へ名前が変わった。確か阿寒辺りでも同じような経験をしたのを思い出した。


 道の駅・フォーレスト276大滝でスタンプを押した。タンカースジャケットを持ってくればよかったと感じるぐらい気温は低かった。本当に夏なのかという疑問は、北海道の前には意味をなさないのだと実感した。これも北海道なのだ。


 地図に記載されていた隣にある『きのこ王国』に移動して、百円のきのこ汁を食った。何種類ものキノコの出汁が出ていて非常に旨かった。少し冷えた身体にしっくりと沁み込んでいった。ありがたいとすら思った。


 タンクバッグに忍ばせていた薄手のナイロンパーカーを羽織って、来た道を戻り国道230号線を左折する。


 ハンググライダーの留寿都村のカントリーサインに出逢ってからしばらくは、リゾート感ある風景の中を進んだ。


 道の駅・239ルスツでスタンプを押した。


 道の駅を出て次の信号を右折し、雲で顔を隠したままの羊蹄山を右手に見ながら、晴れていればなぁと思い道道66号線を進んだ。


 真狩村のカントリーサインは羊蹄山だった。


 道の駅・真狩フラワーセンターでスタンプを押して、建物の外にある店でソフトクリームを食べようか悩んだが、隣の店でみたらし団子を食べることにした。久し振りのみたらしは旨かった。団子が旨かったのだ。


 真狩の街で相棒に食事を飲ませ、右折して羊蹄山に向かって走り、真狩川の手前で細川たかし像の矢印指示板を見つけた。正面にはデンと顔まで隠した羊蹄山が聳えている。この道も真っ直ぐな道だった。


 左折してニセコへ向かう。スキー場で滑降しているスキーヤーのニセコ町のカントリーサインは、白樺並木の切れ目で見つけた。


 徐々に雲が晴れて、気温が一気に上がった。


 道の駅・ニセコビュープラザに着いてパーカーを脱いだ。この道の駅は人でごった返していた。スタンプをゲット。気がつくと周りは外国人ばかりで色んな言葉が飛び交っていた。ちょっとした海外気分だ。


 国道5号線の北海道らしい景色の中を走っていると暑さも程好く、今度は冷たいものが欲しくなった。丁度良かった。倶知安には行こうと思っていたジェラートの店があった。


 そのうちに視界は狭まり、森の中を道は進んだ。ジャガイモがスキーしている俱知安町のカントリーサインはその外れにあり、その先でまた視界が一気に開けていた。


 道道631号線を左折して、雲がかかったニセコ連峰を眺め、道道343号線を右折して『Ruhiel』に着いた。


 何組かのカップルと女性グループがいた。金髪モヒカンは場違いのように思えたが、俺は、タンクバッグの底に仕舞い込んでいるキャップを取り出すことなく店内へ入った。季節限定のゴールデンキィウイとプラムのソルベを注文し、外の空気の良い中でそれを食べた。堪らない旨さだ。


 俺は堪え切れずに、次はオーソドックスなミルクと、ブルーベリーのジェラートを買った。これまたたまらん旨さ、秒で消えてしまった。


 満足してそのまま道道343号線を進むと国道5号線へ出る。5号線を右折し、尻別川を渡った先の道道478を左折した。


 頭上は憎いほど晴れてお天道様が焼きつけているのに、羊蹄山は顔を隠したまんまだった。


 京極町のカントリーサインに出逢い、少し走ってから道の駅・名水の郷きょうごくに着いた。スタンプを押し、腹が減っていたからか、名水をがぶ飲みした。凄く美味しい水だった。


 やはり何か腹に入れた方が良さそうだ。館内のレストランでカツカレーと食後のコーヒーを注文した。


 浦見恭平から届いているはずのメールをチェックした。18時半にススキノにある居酒屋の名前・住所・電話番号が記されてあった。


 俺は楽しみにしていますと書いて返信した。


 水が良いせいか米が美味しかった。コーヒーもスッキリとしていて美味しかった。


 店を出ると空には黒い雲がかかっていた。


 急ぎ気味に走らせたが、急に空気が冷たくなってきた。何とか持ってくれと願い、国道276号線、230号線を急ぎ気味に走らせた。


 なんとか中山峠まで来ると、黒い雲は眼下にあった。


 再びのんびりペースで相棒を走らせた。


 あと少しでホテルに着くというところで、ポツポツと雨粒がシールドに張り付いた。


 屋根のある置き場に相棒を停めると、雨は強さを増した。






 




 

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