部屋に戻って荷物をいつもどおりに配置していると、見たことのない番号から電話がかかってきた。


 ――やっぱり、まだ手を引いていなかったのですね――


 仲野だった。


 「よういうわ。そっちの案件には首突っ込んでないやんか」


 ――篠原三郎が乗組員だった紅海丸の元船長、三宅雅和に会いに行きましたね――


 「偶然や」


 仲野に付け焼き刃は通用しないのはわかっていた。けれども、警察には反抗する心情をずっと持って生きてきたのだ。


 ――ほう、何が偶然なのですか?聞かせて下さい――


 仲野は正気で言っているのか?紅海丸の元船長の三宅雅和と、十三年前の死亡当時、恒星会の若頭で京都三乃組の組長だった三宅和幸が兄弟だということをまだ調べていないのか。


 「俺は、昔世話になった人の仏壇にお参りにいっただけや」


 ――ということは、あなたが世話になった人と三宅雅和は血縁関係にあるということですか?話を訊きたいですねぇ――


 「それホンマに言うてんの?はーっ?」


 ――すみませんね。こちらも色々とありまして。で、丘崎が三宅和幸を襲撃した証拠でも、何か出てきたのですか?――


 本当に嫌な感じだ。知っててカマをかけやがった。俺の嘘もすでに見抜かれている。本当に嫌な奴だ。


 「いや、何も。なぁ、なんで知ってるんやったら、最初にそう言うといてくれへんねん?ええっ」


 ――それは、私達とあなたの思考の違いというところですかね――


 「思考の違い?馬鹿にしてんのか?」


 ――決して、馬鹿にしている訳ではないのです。考え方としては私達と似ている合理的な面があります。しかし、あなたには私達とは違う、あなた独特の思いがあります。それが、私達と同じものを見ても違った見え方がするものなのです。だから、先入観を持たないように、と、思いましてね――


 「あっ、そーですか」


 ――それにあなたは、一度、三宅雅和の家を確認に行き、思いがけず本人に出くわしてしまった。もし、その時に雅和の顔を見ていなければ、手土産と酒だけを買って、タクシーに乗り換え向かっていた――


 兎に角、イチイチな奴だ。


 ――あなたはどうしても確認を取りたかった。もし兄弟や血縁関係があるのであれば、画の描き方が変わる。昼食を食べた『とあんくる』のトイレで、東京の徳永さんに電話をかけて、雅和と和幸が兄弟だと教えてもらった。そうじゃないと、あなたがコンビニで香典袋を買ってお金を入れる理由が見当たりません。それも本名で。私なら、今の段階では偽名にするところでしょうか」


 何もかも読まれている。道上もしっかりと俺を監視しているのだ。


 ――そこが、私達とあなたの思いの差なのでしょうね。それで、何を知ったのですか?あなたは。そして、一緒にホテルまで帰った、あの痩せたご老人は何者ですか?――


 面倒臭い……。素直に思った。


 「あんなぁ、まだ何にもや」


 ――では、こちらが直接動いても構いませんね――


 「おい、おい、ちょー待てや。そっちのテロの件とは関係ないやろ」


 ――関係があるか、ないかを決めるのはこちらです――


 語気を強めて言った。仲野は仲野なりに、仕事に毅然とした誇りを持って挑んでいるだけなのだ。それでも今、警察に介入されては、俺の中の疑問は何一つ解消されない。それどころか、今日俺の中で生まれた不安が、現実のものとして実行されかねない。そう思った。


 俺は船本の事実だけを話した。


 「俺が知り得たことは、これまでどおり全て報告するから。今までも、そうしてきたやろ。ちゃうか」


 ――確かに。では、三宅から聞けた話を全て教えて下さい――


 俺は素直に最初から最後までを話して聞かせた。


 ――わかりました。船本老人のことは、あなたにお任せすることにします。報告は今かけている番号に電話して下さい。では――


 仲野はあっけなく電話を切った。俺は警察の犬に成り下がったのだ。


 どうせついてくるのだからと、道上を誘ってコンビニに仕入れに行った。フロントで部屋の鍵を預ける時に、船本がホテルから出ようとしたら引き留めるようにと、道上に言わせた。フロントマンは緊張気味に「承りました」と答えた。逃げ出そうと思えば逃げ出せるのだ。念には念を入れた。


 さっき行ったコンビニ以外に、酒と食料を調達出来るところはなかった。


 酒は、いつものビール500が四本と日本酒一升瓶一本とウイスキー一瓶。どんなものが船本の好みかわからない中、これぞという北海道らしいツマミはなかったが日持ちがするので何種類も買い込み、レジ横のから揚げ五個入と焼鳥を塩・タレそれぞれ二本ずつ。おかかと鮭のおにぎりと、俺が北海道に上陸した夜、初めて口にした甘納豆入り赤飯おむすびも買った。やっぱりポテトチップの袋が場所をとる。


 道上に今日はもうホテルから出ないからと伝えて、俺は船本の部屋をノックした。ヒップバッグの中で高岡ちゃんから借りているスマホの電源を入れ、音声録音アプリを起動させた。


 しばらく待ってドアが開けられた。顔を見せた船本は、幾分元気を取り戻したような顔をしていた。


 俺は、ベッドの上に座った船本が取りやすいように、窓際の丸テーブルを動かしてセッティングした。船本が日本酒を選んだので、俺も合わせることにする。グラスは室内の物を使う。ビニール袋を両手で開けて説明しながら船本に選ばせた。


 船本は、おかかのおにぎりと焼鳥の塩を一本、そしてスルメを数本袋から出して、ティッシュペーパーを広げた上にのせた。残りは要らないと突き返す。


 俺用に何種類かテーブルにツマミを置いて、残りの入った袋は、もう一つあった椅子の上に置いた。


 一度空気を入れ替えようかと窓を開けると、強烈な紋別の匂いが風に運ばれていたので、俺は諦めて窓を閉めた。


 腰から外したヒップバッグをテレビが載っている壁際の作り付けのテーブルの上に置き、その上にソフトが起動しているスマホを載せた。船本の黒いボストンバッグはテレビの向こうに置かれていた。


 準備は整った。俺は椅子に腰を下ろした。


 会話の無いまま俺は、から揚げをおかずに鮭のおにぎりと赤飯を腹に入れた。甘納豆が懐かしかった。感動のない北海道初夜だったのだ。そう思い出しながら俺は本格的に呑みに入った。


 三宅の家でもそうだったが、船本は舐めるように酒を呑んだ。そして、選んだおにぎりまで箸を使いツマミにして、酒と共に牛が草を食むように時間をかけて体内へ収めていく。


 腹も満たされ酔いも回ったのか船本がやっと口を開いた。


 「何が聞きたい。何でも話すよ」


 「三宅和幸さんを襲って死なせたんは、あんたやな?」


 「そうや。美晴会の金村と俺と佐々木で襲った」


 「何で襲ったん?」


 「しゃぁなかった。金村も俺も金借りとって、どうもならんかった。佐々木は丘崎の舎弟で……、知ってるか?丘崎」


 「ああ、知ってる。今や恒星会の若頭や」


 「そや。恒星会の若頭で京都三乃組の組長や……、あんたは一体、何者や?」


 「単なる旅人や」


 「嘘つけ……」


 俺は笑顔で酒をやると、船本もグラスを舐めた。


 「まぁええわ。俺はな、若い頃からずっと三乃組の下っ端やった。若い頃にシャブでパクられとってね、結局、杯はもらえんかった。けど、生きる為に金魚の糞のように組の雑用やらぼったくり店の店番やら、何でもやった。金村は美晴会のチンピラで、俺と同じような立場やった。たまに道端で顔を合わせて挨拶する程度には知っとった。佐々木っちゅうんはなぁ、組長を襲った時には名前は知らんかったんや。丘崎の舎弟で、俺達がちゃんとやるか見届ける役やった。ある日の昼間、自分の部屋で寝とったら、いきなり拉致られた。あっという間や。次に目を開けたら暗闇や。あー、死んだんかな。って思ったわ。しばらくして、急に明かりがついた。目の前に浮かび上がって見えたんは、素っ裸の金村ともう一人、高木さんっちゅう組の幹部の人が猿轡を噛まされてサンドバッグのように鎖で吊るされてた。金村も俺も、丘崎よりも年は上やけど正式に杯をもらえんような半端もんや。けど、高木さんちゅう人は三乃組の偉い人や、三宅組長も信頼を寄せてるっちゅう話も聞こえてくるような人や。驚いて上やら下やら見てみたら、俺も同じように裸で吊るされてたわ」


 そこまでゆっくりと喋って、また酒を舐めた。


 「そのうちに二人も気がついた。金村はブルブル震えとったけど、高木さんは鬼の形相になって猿轡のまんま喚いて暴れ出したんや。しばらくしたら、ピエロやら動物やら色んなマスクで顔を隠した奴らが暗闇から現れた。そんで、そのあとに丘崎が現れたんや」


 そこまで言うと船本は身震いを一つした。余程、嫌な目に合ったのだろう。


 「えらい芝居がかったことしよるやっちゃって思うとった。高木さんの猿轡を外すと丘崎が質問していくんや。まぁ相手は自分より上の人や、丁寧な口調であなたには借金がいくらいくらあって、返済期日が何回飛んでますけれど、いつになったら返してもらえるんでしょうか?って。そしたら高木さんは『おい丘崎、お前、なにしとるかわかってやってんねやろうなぁ』って言わはったら、いきなり猿のマスクが出て来てボコボコや。俺も色々リンチを見て来たし、やったこともあった。けど、最初から顔までボコボコにされるん見たら、一気に引いたわ。最後のパンチがええとこ入ったみたいで気絶した。バケツの水掛けられて、起きたらまた質問や。どうやって金作るつもりですか?って。そんなん直ぐに作られへんからこうなっとんのに、丘崎は何の感情もないように言いよる。無茶な話や。それで答えに詰まったら、別のマスクを被った奴が出て来て今度は腹やら脚やら蹴りまくりよる。またボッコボコや。また気ィ失うて今度は失禁や。そしたら消防用みたいなホースで水かけよる。綺麗になったらまたシバキよる。それが延々と、壊れたレコードみたいにや。そのうちに、高木さんも勢いがなくなった。高木さんは流石にケタが俺とは違って三千万や。俺は七十万やけど、一緒に釣られとるんやから、どうなるんやろうって絶望しとった」


 「けど、金を回収せなあかんから、タマまでは取らんでしょう」


 「俺もそう思とった。そんで、その時は、丘崎に電話がかかってきて中断や。コロのついたパイプベッドが運ばれてきて鎖で縛られたままベッドに寝かされて、一気に照明が消えてまた暗闇になったんや。やっぱりタマまでは取らんねやって思て横になったけど、ぜんぜん眠られへん。やっぱり何か空気が異常やったんや。どんだけ時間が過ぎたかわかれへん。ウトウトしだしたら、何や暗闇で呻き声が聞こえてきた。そんでそれと一緒に、ベッドがギシギシいいよる音が響いてたんや。俺も初めての懲役の時に経験あったからわかったんや。そのうちに掘ってる男の荒い息遣いと、猿轡から漏れてくる呻き声が、俺はとんでもなく恐ろしかったんや。耳塞ぎたいけど縛られとって塞がれへん。段々、掘ってるる奴の声とベッドが軋む音が大きくなってきた。それだけ聞いてたら普通のHを聞いてるようやけど、頭に浮かぶんは悍ましい光景や。吐きそうになりかけた時、明かりがついた」


 船本はコップ半分ほどあった酒を煽るように呑んだ。


 「あんたは、懲役いったことあるんか?」


 「いや、一度も」


 「そうか……」


 「それで、どうなったんですか?」


 俺は空になったグラスに酒を注いだ。


 「カッコええ弁天さんを背負ったはる高木さんが、可愛い狸の面被った、背中に天使の羽根が書かれてる小さいながらもガッチリした男に掘られとった。直ぐにターンって凄い音がして、その可愛い狸の面の男はベッドから倒れ落ちた。今でもはっきりと覚えてるわ。高木さんから抜け出たデカいのんの先から何か知らん液体を撒きながら、ほんで、頭に空いた穴からもわからんもんが飛んでたんを。火薬の匂いがしたんや。ほんで、明かりの下に顔を見せたんが佐々木やった。左手で何処かと電話で話してた。直ぐに可愛い狸の面の男は片付けられた。ベッドが片付けられて放水が始まった。鉄臭いような血の匂いの中、俺はションベンちびったけど金村は脱糞してた。俺らも水かけられてまた吊るされた。なんや、自分がどうしょうもないものに思えたんや。勿論、現実的にどうしようもなかったんやけどな」


 そう言って力なく笑った。


 「で、どうなったんですか?」


 「丘崎がやって来たんや。大きな声で『兄貴、すんません。いくら兄貴が男根好きやからって、レイプさせる気はなかったんです。ホンマにすんません』って頭下げよった。けど、そのあと直ぐに、『でも、金返さんあんたが悪いんやで』って丘崎自身が笑いながらシバキに入ったんや。途中で高木さんの耳元で何かボソボソ言いながら、殴ったり蹴ったりするんや。ほんでしばらく続けとったら、『兄貴、こんな小さいもんオッ立てて、そんなにシバかれるんが好きなんでっか。あきまへんなぁ。ホンマ変態でんなぁ』そう言うて顔面に一発入れた途端シバくんやめた。ぶら下がった高木さんのチンチンは立ってたわ。俺も話では聞いとったけど、男女関係なくシバかれて感じる奴を見たんは、高木さんが最初で最後やった。男達が気絶した高木さんから鎖を解いて、服を着せだしたんや。何が起こってるんか俺もわからんかった。車のエンジンがかかる音が聞こえてきた。暗闇やったんが薄明かりになって、眩しいライトを点けた車があることに気づいた。丘崎が乗り込んで、アクセルを何度も空ぶかしにしてた。ああ、高木さんは死ぬんや。とはわかっていても、今から何が起こるか理解出来ひんかった。わかってるはずやのに理解出来ひんねん。フラフラと二、三歩歩いた高木さんは、ドンっていうた瞬間宙に飛んで、ドサッってコンクリートの床に落ちた。グシャって音しとったわ。人間、こんなに綺麗に宙を飛ぶんやって思ったわ」


 スルメの切れ端を口に含んでから酒を舐めた。


 「車から降りてきた丘崎は、倒れてる高木さんを確認した佐々木が手でバッテンすると『何や一発で終わりかい。おもんない』って言うて、今度は俺達のところへ来たんや。もう俺なんかビビり過ぎて、その先はもう記憶が飛んでもうた。次に覚えてるんは、ズタ袋被った男がパイプ椅子に座らせられてるとこやった」


 船本は、ヘッドボードにもたれたまま胡坐をかいていた腰に手を当てて、顔を歪めながらゆっくりと伸ばした。病魔は全身を犯していると言っていたが、かなり辛い様子だ。


 「ゴメン、そこの鞄の中にピンクのポーチ入ってるねん。取ってくれるかな」


 俺は言われたとおりに、テレビの向こうの黒いボストンバッグからピンク色のポーチを取り出して船本に手渡した。多分、ポンプが入っているのだろう。ポーチに指紋がつくのは気になったが、「ちょっとトイレ行ってくるわ」そう言って酒を飲み干すと、俺はトイレで少しの時間を潰した。


 戻ると、幾分元気を取り戻した様子の船本は、またスルメの端を咥え噛み千切ると、酒を口に含んだ。ピンク色のポーチはしっかりと口を閉じて船本の横に置いてあった。


 「悪いなぁ、気ィ遣わせて」


 「大丈夫?」


 「まぁな、そんで何処まで話したっけ。そやそや」


 船本はまた酒を舐めると話し出した。


 「俺も金村も無我夢中やった。借金がチャラになるからって言われたからそいつをシバいた。いや、何でか知らんけど、俺には何でも出来るような気持ちで一杯になってたんや。気絶したら水かけて、またシバいてを繰り返して、何やブツクサ言いよるから、俺が警棒で顔に一発入れた。ズタ袋に血が染み出た。不意に記憶が戻ったんや。頭に浮かんできたんは金村が声をかけた時、エントランスのポストが並んだ横の鏡に映ってた顔を思い出した。組長やったんや。三宅友幸組長、その人やった。俺は急に身体が動かんようになってそこで倒れてもうた。頭ん中では、とんでもないことをしてるって、なんでか知らんけどそう思た。そしたら目の前に、ニヤケ面した丘崎が浮かんできた」


 船本はまた酒を舐めた。何か可笑しな話だと思った。シャブの食い過ぎで幻覚と現実が交錯しているのではないか。


 「俺の記憶がちゃんと整理出来てきたんは、引き取ってくれた弟が死んだ七年ほど前のことや。それまではフラッシュバックっちゅうんかな、時々おかしな場面が蘇るんや。俺も金村も吊るされた身体で、震えながら丘崎に服従を誓ったこととか、車に乗ったらジャージの上下だけを渡されて、素っ裸の上にそれを着込んだこととか、何かチリチリバラバラで思い出してたんや。俺な、気を失ったあと、半裸で靴も履いてない状態で右京署に保護されてたらしいんや。違法な薬物は出んかったみたいやけど、頭がおかしなったっちゅうて、弟に連れて行かれた精神科の薬をずっと飲んでたんや。それを止めたんが良かったんやと思うわ。そこからは、ゆっくりとその頃の記憶を繋ぎ合わせていったんや」


 船本達は薬を盛られていて、副作用がそのあと服用した精神薬と相まって、記憶の断片だけを見せていたということか? 


 「高木さんが殺されたあと、俺らが吊るされてたところに丘崎が近寄って来た。金村の前で立ち止まって丘崎は何か金村に話してた。金村は喉が渇いてたんか、ペットボトルに入った水を飲んだのを思い出した。何回も頷いてたのを覚えてる。そのあと俺のところに来て、『金村さんは、借金をチャラにする代わりに仕事を引き受けてくれましたわ』そう言うた。金村が遠くから『あんたも楽になれるんやで』そう言うとった。俺は丘崎の言うまま首を縦に振ったんや。殺される位やったら何でもしよう思てな。俺にも水を飲ませてくれたわ。ボトル一本を飲み終えて、裸のまま車に乗せられた。ジャージを着て、配られた缶コーヒーを飲みながら話を聞いた。男を拉致する計画や。ちゃんと画は書かれてた。役割は、金村がマンションのエントランスで声をかけて相手の足を止める。そしたら俺がうしろから首にスタンガン当てて気絶させる。倒れるそいつを俺が受け止めて、金村がズタ袋を頭に被せる。そんで、二人で裏口からそいつを運び出して、裏通りに停まってる車に一緒に乗り込む」


 なるほど、エントランスの外には子分達が待っている。手出ししようにも無理がある。もしかしたら丘崎もそこに待っていたのかもしれない。完璧なアリバイ工作だ。


 「相手が誰か、最初に教えられへんかったん?」


 「いや、金村が顔はわかるからって言うとった」


 金村は元から計画に入ってたのではないのか?と思えた。 


 「計画は上手いこといった。大成功や。その時は、組長を拉致ったなんて俺は気づいてなかった。車に乗り込んで覆面脱いだら、なんや、俺は急に興奮が冷めたみたいになった。そしたら佐々木が直ぐに酒をくれよった、前祝やって言うてな。酒が入ったらまた気分が高まってきてな、俺も金村もまたやる気満々やった。佐々木に言われるとおりにそいつをリンチにかけた。自分自身、頭のどっかで、何をやっているんやろうって思いながらも、どうも出来んかった。俺が警棒で組長の顔面殴って血が滲んだところで、はっきりと思い出した。そっからはさっき話したとおりや。俺が倒れて意識が飛ぶ前に、金村が金属バットをフルスイングしてた。俺が記憶してて話せるんはそこまでや」


 「そのあと、金村は?」


 「さぁ、わからんなぁ。俺も、記憶が整理出来る頃には怖なって、残された弟嫁に迷惑かかったらあかんと思って、弟の家があった峰山から東京に逃げたんや。東京に行って初めて、あの時に三宅組長が死んだってことを知った。それで色々と目立たんように探して、五年前に紋別に辿り着いたんや」


 俺は船本の言葉を信じることにした。この告白で、丘崎を塀の向こうへ落とすことが出来るのだろうか?いや、このままでは……。


 「船本さん、三宅組長襲撃の指示を出したのは誰なんです?」


 「そらぁ、丘崎やろ」


 「いや、丘崎が首謀者なんやけど、それをあんたと金村に直接指示を出したのは誰ですの?」


 「それは……、佐々木っちゅうことになるやろなぁ」


 これで佐々木が死んでいれば、死人に口なしだ。丘崎を捕まえることは出来ない。高木殺しだって、事故死として処理されているだろう。十年以上前に処理されたものを、こんな死にかけのじいさん一人の証言でひっくり返るとは思えない。


 俺は一番心配していることを尋ねた。


 「今まで話したこと、三宅雅和さんに話すつもりで来たんやろ?」


 船本は黙ったまんま酒をあおった。俺は空になったグラスに酒を注いだ。


 「もしそうやったら、伝えんといて欲しいねん」


 「何でお前に言われなあかんねん」


 「ええから止めとけって。今さら仕返しなんて流行らへんねん」


 「仕返し?」


 「そうや、まだ雅和さんの中には怒りが充ちてるんや。もし、あんたから話を聞いたら、丘崎の元へ玉砕覚悟で出張るやろ。あんたにはそれを止めること出来んやろ。だから止めとけって言うてんねん」


 船本はブスッとしながら酒を舐めていた。


 「もう一つ教えてくれ。あんたは何で佐々木の名前を知ったんや?」


 「二年ぐらい前、義理の妹にたまたま電話した時に言うとった。佐々木さんが亡くなったって。六甲の山道で事故死したんやって」


 俺は直ぐに、二年前に神戸の家具屋の副社長が事故死していることが頭に浮かんだ。それとどう関係があるのだろうか?


 「俺は、佐々木っちゅうんがわからんかったから義理の妹に詳しく訊いた。そしたら、俺がまだ普通に生活出来んかった頃、佐々木は俺の生存確認に度々弟の家の前まで来てたらしいいんや。その頃は、他にも俺の借金取りが何人か来ててな、その中の一人が佐々木と家の前で出くわしたみたいで、『丘崎のとこの佐々木が来てたけど、あそこは先に返しておかんと大変なことになるで』って弟に言うたらしいわ。それでおかしいと思った弟が嫁に言うて、こっそり見に行かせてカメラで盗撮さしてきたんや。撮った画像を俺に見せたらしいんやけど、俺はぜんぜん覚えてないねんけど、佐々木の画像を見た途端俺はパニックになったらしくて、それ以来俺には見せんかったらしい」


 恐怖体験がそうさせたのだろうか。船本は舐めるのではなく、ゴクリと喉に酒を流し込んだ。


 「佐々木は、俺が姿隠したあと、弟の家に何度も来たらしいわ。もう、弟も死んでたし、義理の妹は俺の行先なんて知らんし、結局、佐々木は諦めたらしいわ。そんなこともあって、子供がおらんかった義理の妹は、住んでた峰山の家を売って、自分の実家がある神戸に戻ったんや。そしたらある日、幼馴染の家で話してたら、幼馴染がパートで働いている家具屋の車が六甲の山道で事故を起こして乗ってた人が死んでもうたって言うたんや。その幼馴染が会社のパーティーで写した集合写真を見せて、その時に死んだんが副社長と最近入社してきた佐々木っていう人って言うたんや。何気なく見てみたら、そこに写ってたんが、俺を探しに来た男やったんや」


 「でも、それがホンマに佐々木やとは……」


 「俺のスマホに送ってもろて確認した。間違いなく佐々木やった」


 俺はその事故が普通に起こったものではない気がした。丘崎は、自ら尻尾を切ったのだ。狡猾な蜥蜴だ。これでもう俺が出る幕はなくなった。そう思った。用事は済んだ。もうここにいる必要はない。グッと一気にグラスを空けた。


 「帰るんか?」


 「うん。酒残していくわ。ツマミは何がいい?」


 俺はビニール袋を開けて中を船本に見せた。


 「あと一杯だけ酒を置いといてくれ。それ以外は食えんから持って帰ってくれ」


 俺は黙って頷いて、洗面台へ行き自分が使ったコップを、ハンドソープをつけて念入りに洗い、部屋に戻ってティッシュペーパーを何枚も使って水気を綺麗に拭いた。それをテーブルに置いて、もっきりとまではいかないが、なみなみと酒を注いだ。


 船本がティッシュペーパーの上に置いているスルメ以外をビニール袋に入れて、スマホのアプリを切ってヒップバッグに入れて腰に巻き、二つのビニール袋を左手一つで提げた。


 「もう一回言うとくわ。雅和さんには伝えるな。ほな」


 それだけ言って俺は部屋を出た。


 最後の船本は、じっと窓を睨みつけたまま、酒を舐めていた。


 部屋に戻るとドッと疲れが出た。


 ビールとウイスキーと冷蔵のツマミを冷蔵庫に入れて、一升瓶と残りはテーブルの上に並べて置いた。


 隣を誘ってホテル内の温泉に行った。


 会話の無いままゆっくりと湯に浸かり、頭の中で整理する。


 どう考えても、丘崎の尻尾は掴めない。俺の残る興味は篠原三郎とJ-Rowanだった。しかし、J-Rowanを調べることなど今の俺には出来ない。篠原三郎のことだって仲野から文句をつけられるだろう。それに、俺にはやらなければならない、大事なカントリーサイン収集と道の駅スタンプ収集の旅がある。その上、彩香と伽奈の仲立ちを努めなければならない。早く、金魚の糞がいなくならないと、二人の仲立ちなど出来ようはずもない。明日もこの辺りは雨らしい。それでは何処にも動きようがなかった。


 部屋に戻っていつものをプシュッと開けて、身体だけでなく頭もクールダウンさせる。テーブルの上にあったホテルの案内冊子をめくってみた。すると、洗濯機がない代わりにクリーニングサービスがあることに気がついた。値段も決して高くはなかった。明日の朝出せば、夕方には出来上がるという。俺は明日の朝、相棒の一つタンカースジャケットをクリーニングに出すことに決めた。


 半分ほどビールを喉に流し入れたところで、ガラ携から仲野に電話をかけた。


 仲野は直ぐに出た。


 俺は船本から訊き出したことを、包み隠さずに仲野に話して聞かせた。


 「これで全部や。丘崎を逮捕するには確固たる証拠が無い。残念や」


 ――いいえ、私達にはそんなものは必要ありません――


 「なら、何で直ぐにパクらへんねん」


 ――焦って、たった一つのピースだけを捕らえてしまうと、残り全てのピースの絵が、コロッと全て変わってしまいますから――


 仲野達は、全ての人間とその関係性を完全に掴んでから一網打尽にするようだ。何を呑気にと俺は思ったが、まだ大事が起こることはないと確信を持っているからだと俺は考え直して電話を切った。


 何だか馬鹿馬鹿しくなってきている。俺など何の力にもなれやしないのだ。俺は俺自身の目的を遂行すれば良いだけなのだ。切り替えて、これからの道北の残りをどう消化するか。PCを開いて呑みながら考えた。やはり予定通りに進んだ方が効率的だった。だが交通量が多いようで、なかなか時間が読めなさそうだった。どうも、明々後日はカントリーサイン収集とスタンプ巡りのみになりそうだ。イエローラインを無視して車を追い抜いて行けば、余裕を持って旭川に入れそうだが、流石にそれでは元白バイ隊員だった道上の頭にも血が上るだろう。無駄に軋轢を生むことはない。何の問題もなくこのままお引き取りを願いたいものだ。


 明々後日の夜は旭川に泊り、次の日はそろそろ咲き誇るであろう向日葵畑へ行こうと思っていたのだが、ネットで調べると満開はもう少し先だと書いてあった。


 ならば、どうするか?


 夜のニュース番組でも、今、俺が知っているような変わった事件は、扱っていなかった。そりゃそうだ。こんなものは、一般国民が何も知らないうちに全てがなかったことにされるのだ。


 俺はベッドで横になりながら、そんなことを考えるのを止めた。


 明日の夜、今は蓮臨丸に乗っているという木村勇三の息子・勇作に、会うことは出来るのだろうか?まだ、思考に入ってくる。


 目を瞑ると、細いのに豪快に笑っている恵美の顔が浮かんだ。そしてそれは、段々とキャッキャと笑う彩香の笑顔になっていった。




 ガラ携が鳴っていた。徳永だった。


 「もしもし、どうした?」


 ――高峰が殺られた――


 「何やて。何処でや?」


 ――小樽だ。暴行を受けたあと運河に投げ込まれたようだ――


 俺は急いでテレビを点けた。画面には07:03の文字があった。ザッピングしてニュースをやっている局に合わせた。しかし、高峰殺害のニュースはやっていなかった。PCを開けてニュースを探した。










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