ガラス向こうの料理

 試験から数日経った後もダイゼンが振るフライパンの中身は変わらなかった。相変わらず細かくした魅せ肉を宙に浮かせて、肉が躍っているようにフライパンを引いている。本来の業務用コンロならフライパンを振る必要は少ないのだが、この方が映えるからだという。

 それを見に来る客はいるのかと言うと、いるのだった。現に普段より多くの――それも大人の客がをカメラで撮るなどして見物に来ている。試験で超絶辛い料理を作って会場を「辛い」の大コーラスに包んでしまったのだ。


 ダイゼンは自分は間違っていないとお玉で鍋をかき混ぜる。現在の全自動調理器は安全を優先しすぎたため痛みと判断される刺激物『辛み』を排除してしまった。他の料理では自分は負ける、だから辛い料理で他の選手との差別化を図ろうと何度も試験に挑んだ。しかし毎回落選した。そして今回もだ。そして一般に料理を提供してわかったことがあった。


 今の人々は


 ダイゼンや審査員は辛口料理を食べなれているが、栄養素と食品安全ばかりに傾倒した機械の料理に人々の舌は機械に馴らされていた。人々が久々に味わった辛さは機械が排除したものと同じ痛みに置き換わり、悶え苦しむだけになった。

 その様子の一部始終をネットで流されダイゼンは今や『人を旨さでなく痛さを与えるサイコパス料理人』のレッテルを貼られた。結局物珍しさで見に来ているのだ。ダイゼンという料理人を見に来たのではなく、サイコパス料理人とはどういうやつかと動物園にいる珍しい生き物を見に来る感覚で。


「おーい、その料理で誰を苦しませるんだ」

「それとも毒薬でも入れるのか」


 客が罵声を浴びせると当時に、お玉が中身のスープと共にガラスに当たった。緑の不可食のスープが落ちると、ガラス向こうで青筋立てたダイゼンの憤怒の表情があり、お客は退散した。いくら食べられないものを演技でつくっているようにふるまっていても、彼にその言葉は許されなかった。


 だがダイゼンの行動はすぐに上司に伝わってしまった。


「せっかく来ているお客を怖がらせては商売にならんだろ! 今のところお前目当てで来ているんだから大人しくしてろ」


 まるで獰猛な動物を調教するようにレストランのオーナーは叱責した。これではサンプルどころか獣扱いではないか。いや実際そうだ。自分は客寄せパンダでしかないと臍を噛んだ。


「今日は帰って頭冷やせ」

「わかりました」


 しぶしぶ自宅に帰ると、アパートの前に誰かいた。トクコではない、見知らぬ少年だった。するとさっきまで上の空の表情だった少年が一変してニコニコと豊かな顔をつくり名刺を手渡した。


「こんにちは! ダイゼンさんですね」

「そうだけど。俺の家の前で何していたんだ」

「僕ネットで料理評論家をしてまして、ぜひ噂のダイゼンさんの料理をご試食させていただけないかとお待ちしておりまして」


 謙虚な言葉を飾り立ててはいるが、すぐにサイコパス料理人目当てだと勘付いた。しかしこのまま追い返すのはダイゼンとしても癪に障る。そこでこの少年を部屋に入れることにした。



「ふむ。これはなかなか独創的な料理で。特にこの赤いさ、普通の機械でつくられた料理では出てこないですね。さっそくいただきます」


 さっさと帰らせたいダイゼンは手心の変わりに香辛料たっぷり入れて赤々としたスープを出した。人の手料理を前に本物の料理評論家のように少年が解説している。そしてスプーン一杯にその毒々しい赤いスープをすくうと、少年の口は止まり、手が震え始めた。


「あっ!? 辛っ!! 辛い!!」


 そのまま少年は一目散にダイゼンの部屋から逃げ出した。

 ざまあみろ。望み通り人殺し級の料理を提供したぞと追い返した少年の後姿を一瞥して部屋に戻った。そして自分で作った赤く毒々しい激辛料理を自分の舌で一口試食してみた。


「うん? あとから効く感じだが、別に食べられないほどの辛さじゃないぞ」


***


 自称料理評論家の少年が来た次の日、いつものように職場に出勤したダイゼン。レストランに入れなかった。レストランの裏口がまるで暴動が起きたかのように人が並んで騒然としていた。


「これはいったいどうしたんだ。機械がついに潰れたのか」

「ダイゼン! ダイゼン! ようやく来たな。お前のせいでうちは危機に瀕しているんだぞ」


 ダイゼンにはどういうことかさっぱり理解できなかった。あのお玉のことでここまでなるのか? 事の状況を理解しないダイゼンに店長が携帯の画面を突きつけた。

 携帯のガラス板には古臭い畳が敷き詰められたアパートに昨日のダイゼンの声が流れていた。昨日の少年が隠し撮りされてさらに動画は編集されてサムネイルには。


『地獄の料理人の料理を食べてみた。これは痩せる!!』


 かなり誇張された表現と色遣いで紹介されていた。問題はその再生数で、今日アップロードされているにもかかわらず十万再生もカウンターが回っていた。あの少年の言葉は噓偽りなかったのである。


「お客様どうか落ち着てください。注文を受ければ料理はお出しできますので」

「私はガラス向こうの料理人の料理が食べたいんだ! 機械のを食べに来たんじゃない!」


 今にもレストランを襲いそうな勢いで客たちはダイゼンの料理を亡者のごとく求めていた。


「なんとかならないかね。みんな機械の料理は注文しないし、このままでは商売あがったりだ」

「少量のものならすぐに作れますが。それでお客が満足できれば」

「ならすぐにとりかかってくれ。材料はすぐに持ってくるから」


 店長が飢える客たちに説明をする間に、ダイゼンは厨房に入り人生で初めてレストランの厨房で本物の料理をする準備を始めた。

 材料が届き、次々と抽選で選ばれたお客たちに料理が振るまわれた。


「辛い! 本当に汗が噴き出る!」

「これは機械では出せない味だ!」

「噂の料理人の料理を食べられるだなんて。しかもこの美しい見ためのギャップがまた恐怖を増幅する。美しいものには棘があるとはまさにこのこと!」


 たった一口二口程度の料理を口にしただけで感激し、中には涙が零れる客までいるのに呆れるしかなかった。今回出した料理は即興で材料が揃わなかったので、試験や少年に出した物とは比べものにもならないほどの辛みがない料理のはずなのだ。おそらく機械にも出せる範囲の辛さだ。それを目の前の客たちは、ほんの少しの辛さでヒーヒー言っているのだ。


***


 それからしばらくして、ダイゼンは一躍有名人となった。『恐怖の激辛料理人』という触れ込みでダイゼンの料理を数量限定販売で売り出し、レストランはダイゼンの名声と共に売り上げがうなぎ登りとなった。

 そして目指したことと異なる形で、料理人協会が事後承認という形でダイゼンを公認料理人として認められた。

 高級住宅街に住む上級国民相手に料理を提供するためにアパートを引き払う準備を進めていたダイゼン。何年も対策し続けていたのがたった数ヶ月で目標となる場所へ行けることにまだ実感がなかった。

 がちゃりと部屋を開ける音が聞こえると、トクコが零れるほどの笑みでダイゼンに抱き着いた。


「ダイゼンさすが有名料理人! まさか試験なしで公認料理人になるだなんて」

「あ、ああ。ありがとう」

「ダイゼンの料理刺激が強すぎて食べにくいから難しいじゃないかって思っていたけど、時代がようやく追いついたんだ。けどこれでダイゼンの料理は上級国民だけのものになるのか」

「上級国民の料理はいつでも味わえるさ。これを使えばね」


 ダイゼンは彼女の前に調味料を置くと、アパートを去った。

 置いて行った調味料には『ハバネロソース』と書かれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

料理人サンプル チクチクネズミ @tikutikumouse

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ