料理人サンプル
チクチクネズミ
しこうの一品
ぐつぐつ沸騰する鍋の中でスープが煮たぎる音。フライパンの中で肉がジューっと音を立てて焼ける音を
演出のために設けられた一枚のガラスが男の子の侵入を阻むが、男の子は頬やまぶたをべったりとガラスにつっくけてブサイクな顔を見せつけているのを気にせず料理の光景を見続けている。
ダイゼンがガラスにへばりついている男の子を見ると、少し脅かしてやろうとフライパンの中にブランデーを注ぐ。フランベされたフライパンから天井に届くほどの青白い炎が音を立てて立ち上がり、男の子は驚いてガラスから離れた。
「おかーさん。フライパンが火事だ! あれやって」
「料理なんて私たちにできませんよ。ほら食事が出てきたから早く取りなさい」
ガラスの向こうでねだる男の子を母親が引きはがすと、男の子はしぶしぶシャッターから出てきたワンプレート料理を自分の席へ運んでいく。しかし男の子が受け取った料理にはダイゼンが作った料理は一切乗ってない。他の客の料理にも彼が調理したものはない。
数十年前に発生した謎の伝染病による牛・豚など家畜の大量死と食料危機対策のために水と空気と植物で合成と効率的に料理ができる全自動料理機理が発明された。これにより食料危機は脱したが自然食品は庶民の手から離れ、家庭で料理する文化は上級国民の嗜みと見世物となっていた。
人の手でつくられる料理を提供できるのは上級国民のみで、それができるのは国家試験を通った一部の料理人だけだ。それに合格できない料理人は料理をさもしているようなパフォーマンスで生活するほかない。ダイゼンもその一人だった。
ランチタイムが過ぎて人波が途絶えると軽快なメロディが流れた。
『ダイゼンさん交代の時間です。火をすべて止めて安全確認をして、魅せ肉とスープを処分してからタイムカードを押してください』
「わかってるよ」
この仕事について聞き飽きた交代の時間を知らせる合成機械の音声に悪態をつくと言われた通りに後片付けをする。
コンロの火を止めガスの元栓を閉め。フライパンの上に乗っていた非可食の人口肉『魅せ肉』と色付けされたスープもどきをゴミの中に苦々しくゴミの中に流し込んでいく。すべてまがい物のサンプル食品であると頭の中で分かっているが料理された物が決してこの厨房の外に出されることがない運命に胸が苦しくなるのだ。
『終わりましたら、当レストランのまかないがございますのでどうぞお召し上がりください。今日も一日おつかれさまでした』
「余計な気遣いご苦労様で」
厨房から出てすぐそばにあるまかないに目もくれず仕事場から出ていった。
帰り道に見かける全自動調理機のポスターに街頭テレビには『料理時間ゼロに! 安全な料理を! 飢餓をゼロに!』とうたい文句を述べて購買意欲を促すCMがひっきりなしに流れてくる。全自動化・機械化と同じような言葉が洪水のように流れて来るのを耳を塞ぎたくなる感傷で帰路についた。
食料危機により料理の機械化と外食の発達で誰も人の手でつくられた料理を求めず、自らの手で作ろうともしない今の世の中にダイゼンは辟易していた。料理とは元来人の手でつくられるもの。それを機械が一から全部作ったものをありがたがるなんてと料理人の詩吟として許せなかった。だから仕事場で提供される機械が作ったまかないには手を出さず、自分が作ったものしか口にしない。
「ただいま」
ダイゼンが自分の家であるアパートに帰ると、彼女であるトクコが部屋に上がっていた。
「お帰り今日は昼で終わりだって聞いたから勝手に上がったけど」
「いやちょうどよかった。これから昼飯を作るところだ。久々に機械じゃなく人の手で作る料理トクコも食べたいだろ」
「ええ、ぜひ」
トクコが答えるとダイゼンは腕まくりして気合を入れる。もう家庭料理が死文化し、作っても自分しか食べないためトクコが来て久々に他人に自分の料理を振るまうことができる喜びに湧いた。
機械と比べると時間はかかったが、人の手にしては超特急でしかも食欲がわくような見た目麗しい二人分の料理をこしらえた。ただ二人分といってもトクコは小食で、皿の白い部分が見えるぐらいしか量が少ない。
「相変わらずきれいな盛り付けね。人の手でつくられた料理ってだけで上級国民の気分になれるから癖になる。それで、仕事の方がどうなの?」
「相変わらず酷い物さ。料理の場面を見せるだけで提供することなんて一度だってない。人の手よりも機械の方が安くて早いからだとさ」
ガツガツと料理人としては粗暴な食べ方でかきこむようにしながら答える。
生きるという課程の中で食事は決して外せない、しかしそれが人の手か機械の手かなど一般人には関係ない。ただ安全な料理を食べられればいい。
それがなんと虚しいことかとダイゼンは反発し、自分がうまいと思うものを追い求め、それを披露する日を夢見ていた。
だが現状は理想とは正反対の生活を送っている。本物のようで本物でないのをなんと形容すればいいのか思いつかなかった。
「まるでダイゼン自身が食品サンプルみたい」
「ああそうだ。俺は料理人サンプルだ。みんな俺の料理なんて食べることなくガラス向こうで終わるんだ。けどいつまでもサンプルでいつづけるわけじゃない。もうすぐ料理人試験がある。それに合格すれば本物の食材を使って料理を提供できる。金だって上級国民相手だからたっぷり入って大きな家に住むことだってできる」
「合格できる自信はあるの?」
汗がたらりと垂れる。これまでに何度も試験を受けたが結果は同じだった。しかし彼女の前で不安になるような言葉を自分の口から出さず虚勢を張った。
「大丈夫さ。安心安全ばかり気にして機械の味慣れした審査員たちをひっくり返してやる。俺の至高の料理は機械にはできない味なんだ」
***
ついに訪れたその日。会場は静かに異様な熱気を帯びていた。
今回の試験はいつもと趣向が違い、審査の後一般にも料理を食べることができるということで、人の手でつくられる料理を食べたい一般参加者の飢えた目が熱気のように料理人たちを見ていたのだ。
そしてその中にトクコの姿もあった。
彼女の見ている前で失敗はできないと、ダイゼンに気合が入る。
そしてできた料理を五番のプレートが置かれたダイゼンのテーブルに置くと審査員が料理をじっくりと芸術品を見るかのように眺める。
料理は味だ早く食べてくれと願いつつ、審査員の顔色をうかがう。
「ほう、なかなかよい彩り」
「これは機械ではできませんな」
口に入れて審査員たちが一堂に顔を見合わせると心の奥で合格できるように祈った。
審査が終わると司会が合格者を発表した。
『それでは今回の試験の合格者を発表します。八番、十二番、……』
司会が次々と番号が読み上げられると当時にダイゼンの不合格が決まってしまった。後ろの番号であるなら間違いがあると自分に言い訳ができたであろうが、真っ先に番号を飛ばされるとなると言い訳のしようがなかった。
審査が終わって料理が一般に開放された後もダイゼンはその場で立ちつくしていた。観客席にいたトクコが「あなたの味が理解できなかっただけ。また来年がんばりましょう」と慰めるがその傷は塞がることはなかった。
すると審査員の一人がダイゼンに一枚の紙を手渡した。
「ダイゼンさん。今年度から審査員からの総評がつけられることになりました。どうぞ来年に向けての励みとしてください」
肩を落としながらダイゼンは総評を広げた。
『料理の盛り付けは美しく機械ではけっして表現できない。料理自体は機械のエラーコードである刺激物『辛い』をふんだんに利用したものであるが、辛みが強く味が分らなかった』
総評を広げた直後、ダイゼンの料理があるテーブルから同じ言葉を上げながら悲鳴が上がった。
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