(6)
「だれか! だれか来てちょうだい!」
邸の小間使いたちは尋常でないルビーの声を聞き、慌てて屋根裏部屋から降りて来た。
「奥様! どうなさいました?!」
「オパールが……階段から足を踏み外して……」
小間使いはウォールナットの丈夫な柵に手をかけて、眼下に広がる大広間の床にランタンの光を向ける。白い大理石の床には、手足があり得ない方向に折れ曲がったオパールが倒れ伏していた。
邸はにわかにあわただしくなる。女中頭が小間使いに医者を呼ばせたが、残念ながら往診医が来たときはオパールはすでに息を引き取っていた。
「こんなことになるなんて……わたしがちゃんと見送ってあげれば……」
「奥様、気に病んではいけませんよ。妹様は運が悪かったのです。奥様は足がお悪うございますから、見送れなくて当然です」
「でも……」
「これ以上はお腹のお子にも障ります。私から旦那様に説明しておきますから、奥様はお休みになってください」
「……わかったわ。あとのことは頼みます」
半強制的に自室へと戻されたルビーは、未だ騒がしい階下の様子を思い描いて笑い出しそうになった。
ルビーはもう、オパールに嫉妬するのはうんざりだった。だからそうすることをやめてしまうことにした。
――最初からこうすれば良かったんだ。そう、こうすれば良かったのよ。
ルビーはひとつの解を見つけた。自身を悩ませる嫉妬の、そのごく単純な解消法を。
「レナルドはわたしのものよ……。だれにも渡さない」
その日、ルビーはこれ以上ないほど穏やかな気持ちで眠りに就くことが出来た。
*
義妹の葬儀を終えたレナルドは、義両親への挨拶をすませると早々に妻と共に馬車へと乗り込む。義務は果たしたのだから、これ以上妊娠した妻をこのような場には置いておきたくなかった。なによりもレナルド自身、この葬儀になんの感慨も抱いていないのだから、これ以上の滞在は時間の無駄としか言いようがない。
レナルドは向かいに座る妻を見る。義妹のオパールが不幸な事故で亡くなってから、幸いにも彼女にふさぎ込んだ様子はない。それはレナルドにとっては嬉しくもあり、残念でもあった。
もっと喜んでくれたらいいのに、と思う。
レナルドが己の性的嗜好が非凡だと気づいたのはいつだったか。彼は――「嫉妬に狂う女」がなによりも好きだった。
男に近づく女に片端から嫉妬心を抱いて、自分ではない女の影に苛立ち、恐怖する。あらゆる手を使って女の影を排除しようとし、男がひとたび自分を捨てようとすれば、身も世もなく泣いて縋って引き留めるような、そんな女がレナルドは好きなのだ。
だが、レナルドの社会的地位を鑑みればそのような危ない火遊びは許されない。商売人にとって信用は命よりも重いものである。
そうであるから、レナルドは思春期を迎えた頃から壮年の現在まで、この性的な空想をひとり膨らませているだけであった。そんな不満を一時的にでも癒してくれるのは
そんな中で、ルビーとの結婚は僥倖だった。
爵位を持たない成金に娘を差し出すような貧乏貴族を探していたとき、レナルドは出来るだけ気位の高い女がいいと思っていた。けれどもそういう女は得てして己の美貌に過剰な自信を持っているから、美女の嗜みのつもりで男と遊び歩いているという現実を知った。オパールがまさにその典型で、レナルドはがっかりしたものだ。
けれどもルビーをひと目見たときにレナルドはあるひらめきを得る。自分にとって都合の良い女がいないのであれば、自分で作ればいいではないか。
それは一種の賭けであったが、結果はレナルドのひとり勝ちである。
自尊心の低いルビーをロマンス小説に出て来るような気障な男のように甘やかしてしまえば、彼女は面白いようにレナルドの手のひらで転がってくれた。
もともとの自尊心の低さもいい塩梅に作用して、出来上がった女はまさにレナルドの理想である。
大人しく控えめで教養があり使用人にも優しい女が、裏では嫉妬に身悶えしている姿は、なんとも甘美であった。必死に自身の感情を抑え込もうとして、それでもわずかに漏れ出る妬心は背筋が震えるほど美しい。
レナルドに嫌われないか怯えながら、レナルドに近づく女が許せずに嫉妬の炎を燃やす。その姿は愛らしく、レナルドの空虚な心を満たした。
常人であれば煩わしいことこの上ないのかもしれないが、レナルドにとって女の嫉妬は甘美なものだ。
勘違いされそうではあるが、レナルドはルビーのことを心の底から愛している。だからこそレナルドはルビーが嫉妬する姿に快感を得られるのであった。
愛しているから、嫉妬に狂い、苦しむ姿が見たい――この一見矛盾した感情はレナルドの中では等号として成立しているのである。
女からの土産をわざわざルビーに見せ、それを陰で彼女が壊してしまうのを眺めるのは背筋が甘く痺れるほどの快楽を覚える。
パーティーに出られないことで泣き伏す姿を想像するのは楽しいし、穴を埋めるように激しく求めて来るのも愛らしい。つたない仕草で必死に誘惑する姿を見るだけで、レナルドはそのほほえましさに笑みを零してしまいそうになる。
オパールは単にそういった生活のスパイスに過ぎなかった。レナルドの好みの女ではなかったが、彼に最上の結果をもたらしたという点では素晴らしい――道具であったと言えるだろう。
レナルドにとっての、最高のシチュエーション――嫉妬に狂った女が恋敵を殺してしまうという、天国にも等しい光景をもたらしてくれたのだから。
「ルビー、体調はだいじょうぶかい?」
「ええ……心配しないで。ここのところはつわりも収まってずいぶん楽になったから」
膨らみ始めた腹を撫で、ルビーが微笑む。そんなルビーが愛おしくて、レナルドは微笑んだ。その笑顔の裏で次の道具を思案しながら。
どこまでも歪んだふたりを乗せて、馬車は邸へと帰って行く。
インモラルセンス やなぎ怜 @8nagi_0
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