終章

「何か忘れている気がするんだよな」

「そうですか? ハッピーエンドじゃないですか。あたしも結局無事だったんだし」

 あの大冒険から一週間がたった。

 それは亜湖が病院のベッドに寝転がってからの期間と同値である。人為的な幽才発現のために幾度となく繰り返した人体実験により開発された施設や医療が、腹に大きな穴の開いた亜湖の命を無事つないでいた。そらがその施設で幾度となく傷つけられ、その果てに不完全な幽才を発現したということを知り誠が激しく憤ったのは少し前の話。

「でもよかったよ、こうしてまた亜湖と話せて。」

「あたしもですよ、完治したらこの前行きそびれたラーメン食べに行きましょうね」

 亜湖の提案に誠は黙り込んでしまう。どうしたんですか、と言いたげな目で彼の顔をのぞき込む。

「いや、俺、知らなかったとはいえ人の肉を食べたんだなって」

 途端に病室の空気が重くなった。永遠とも思える沈黙が、二人を包む。

「……せんぱ」

「誠くーん、あこちゃーん、元気―? 」

 亜湖が何か言いかけたのを遮り病室の扉が勢いよく開いた。

「そらさん、お久しぶりです」

「三日ぶりくらいだよー、ごめんねあこちゃんあんまり顔出せなくて」

「大丈夫ですよ、大学生のテストは大変だって聞きますし」

「そうなんだよ、半年分の、十五回くらいある授業を一晩で二つくらいはじめからやるからね。もう時間が加速していく気分。タイムトラベラー。」

「ちゃんと日々の予習復習をやっていればそんなことにはならないのでは」

「それができる人間は大学生やってないよ」

 そんなものなのかな、と思ったが誠は三条深夜のことを思い出した。確かに彼は学生という立場ではなく、自身の手で様々な科学知識を学んでいっていた。本当の才能というのは環境に依存しないものなのかな、彼は人ごとのように思う。

「ところで亜湖、さっき何か言いかけなかったか?」

「あ、いえ、大したことないですよ。空気が重くなっちゃったから雰囲気を変えようと思っただけです」

「ん?空気悪かったの?」

 重苦しい静寂を破るきっかけとなった張本人が呑気に尋ねる。誠は思い切って彼女に聞くことにした。

「そらさん。今回の旅で俺は間接的に一人、直接的に一人の人間を殺して、さらに死んだ人の肉を食べました。」

 それはこの一週間頭を支配し続けていた暗い思想。正当防衛だ、特殊状況だから仕方がないと何度も自分に言い聞かせ、無理やり頭から追い払っていた考え。

「そうだね」

「俺は別に警察に自首しようだとか責任をとって自殺しようだとかそういうことを考えるつもりはありません。けど、やっぱり夜寝る前とか一人でいるときとかにふと出てくるんですよ、死ぬ間際の王の顔が」

「……」

「そらさんだって序列二位をその手で殺しているし、幽才関連できっと何人もの人間を苦しめたり殺したりしているんですよね。どうやって、どうやって心を整理すればいいんでしょうか」

 話しながら徐々に今にも泣きそうな顔になる誠。そらは、それを見ながら強い口調で言い放った。

「しらない」

「……」

 あまりにも突き放した発言に誠だけでなく亜湖も口を開けたまま動きを止める。

「じゃあ誠くんは電磁気学のテストでギリギリセーフの点数しか取れないような女に、満点を取る方法を聞くの? 」

 続くそらの言葉を聞きながら、彼女の体が微かにふるえていることに気付く。そうか、この人も決して割り切れてなんかいないんだ。それでも、そういう生き方しか知らないから。

「私だって夜はぐっすり眠れない日もある。幽才発現のために何度も殺されかけた日々がフラッシュバックすることだってある。でも、きっとみんなそうなんだよ」

「みんな?」

「みんなあるんでしょ、中学生のころ好きな女の子にちょっかいかけた記憶や、母親にきつく当たった記憶、友達に失言した記憶。向こうはきっと忘れているだろうけど、自分はきっと一生忘れないんだろうなっていう小さな棘のような記憶が。それが大きいか小さいか、それだけだよ。」

「それだけだよ、って」

「それでも納得できない誠くんには選択肢が三つあるよ」

 彼女は三本指を立てて、その指を一本ずつ折り曲げていく。

「一つ目。自首したり自殺したりと、自分が満足する形で責任をとる。まあ最初に自分で否定していたけどね。少しは罪の意識が和らぐと思うよ」

 そんなことをしてもなんの責任をとったことにもならない。法で裁ける事件ではなかったし、裁きを受けたところでこの罪が消えるわけではない。

「二つ目。誠くん、使っていないようだけどオーバーライドの力が消えたわけじゃないでしょ? 王だって食べてから数十年ずっと能力者だったわけだし」

「そうですね。消えていないです。」

「赤の光で自身の身体能力を限界突破する技をみんな使っていたじゃない。自分の体にオーバーライドをかけられるのなら、緑の光であの時の事件を全部忘れるようにしたらいい」

 記憶の消去。人間の精神に干渉する緑の光ならいとも簡単にそれを実現させるだろう。だが、誠は忘れたいわけではない。忘れたらそれこそ殺した人たちに申し訳ない、というのもあるが、どちらかと言えばそらと過ごした日々を忘れたくないというのが大きい。

「それも嫌ならさ、誠くん。三つ目の選択肢だよ」

 す、とそらが立ち上がる。

「私が一緒に背負ってあげる」

 ほんのりと心地いい香りと温かさに包まれる。抱きしめられた、と気づくまで数秒を要した。

「そら、さん」

 視界の隅で亜湖が呆然と口を開けているのが見える。

「そらさん」

 誠は忘れていたことを思い出した。そう、あれは何日目の朝だっただろうか。あの世界から無事戻ったら続きをするという約束をしたのだ

「誠くん、私と一緒にいてくれるって約束してくれたら、その痛みを一緒に背負ってあげる。その代わり私の痛みも一緒に背負ってね」

 美しさと可愛さが共存する矛盾した笑みを浮かべたそらの顔が数センチ先に見える。思わず彼は目を逸らした。

「……」

 逸らす方向が悪かったようで、亜湖と目を合わせてしまった誠はそのまま動くこともできない。

 自問する。

 あの時、どうして俺は脳内の亜湖を呼び出したのだろう。一番辛い時に頭に浮かんだのは親でもそらさんでもなく、亜湖だった。

 あの時、俺はどうしてあんなにも取り乱したのだろう。亜湖を身代わりに使うと決めた以上、致命傷に近い傷を彼女が負うことくらいわかり切っていたのに。

 あの時、あの時。

 思い返せば、亜湖はいつだって俺のことを支えてくれていた。序列五位との戦いで助言をくれたのも彼女だ。

 亜湖が助かりそうだとわかった一週間前、どれだけ安堵したことか。

 亜湖と話している間だけは、王や王の妻のことが頭から消えてくれる。

「……」

 俺は。

「誠くん、無事あの世界から戻ってこれたんだし、私はいつでも君を受け止めるよ。」

 俺は。

「あの時の続きだって、いつでもいいんだからね」

「そらさん」


 その時、亜湖の口がにやりと吊り上がったように見えた。


「俺の罪を一緒に背負ってください」


 そらを受け入れる旨の言葉が誠の口から放たれ、二人の時間が停止した。

「よかったですね、せんぱい!彼女さんができたってことじゃないですか」

 止まった時間を動かしたのはベッドに横たわる亜湖。

「いや、ちが」

 言葉を言い放ってから、誠はずっと不思議そうな顔をしている。どうして俺はあんなことを言ったのだろう、という顔だ。俺はきっと亜湖が好きで、彼女に支えられてきたという結論が出たはずなのに、どうしてだ?

 そらの言葉がフラッシュバックする。

「人類はみな等しく、不条理な異能を持っている。でもそれを自由自在に操ってしまうと世界のバランスが崩壊する恐れがある。それを危惧した人類は生きている間、自然に無意識に制限をかけているの。」

「一度臨死状態になってから奇跡的な復活を遂げたら、不完全な状態ではあるけど異能が目覚めるって話も聞いたことあるなあ」

 亜湖は一度死にかけている。実際あのまま死んでもおかしくなかったであろう大怪我だ。肉体が死にかけたその時に、幽才の扉が少しだけ開いたのだとしたら。

 不完全でも、不条理な異能の扉が少しだけ開いたのだとしたら。

 “思ったことを他人に言わせる能力”

 もしかして亜湖がさっき言いかけたことは幽才についてだったのではないだろうか。そうすればベッドの端でにやりと口を歪ませた彼女の笑みにも得心が行く。

「亜湖、面白がっているだろ」

「当り前じゃないですかせんぱい」

 明らかにメンヘラ気質のやばい美人に言い寄られている男、絶対面白いじゃないですかという言葉を彼女はかろうじて飲み込んだ。

 当然誠には全部筒抜けの思考だったが。

 だが、誠がそらのことをよく思っているのは事実であるし、彼の罪を一緒に背負ってくれるのであればこちらからお願いしたい話である。

 だから誠は、亜湖は優柔不断な自分の背中を押してくれたんだと思うことにした。だいたい亜湖という適当で無茶苦茶な女の子のことを好きになってしまった先に、幸せが待っているはずがない。彼女は後輩というポジションが最適なのだ。

 最高の彼女に最高の後輩。

楽しい夏休みになりそうだ。

罪を抱えた少年は、明るく前を向き、生きていく。

世界を塗り替える力を持った樋波誠は、世界を塗り替えるなんてくだらないことはしない。普通の青春というくだらない日常生活へと身を投じていくのだ。

時々眠れない夜を過ごしながら、それでもくだらない日々を、おもしろおかしく過ごしていく。

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されど、世界は塗り替えられない 姫路 りしゅう @uselesstimegs

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