第五章

 そして、最終日がはじまる。

「さて、九時だ。時間通り。準備はいいかい?」

「……行きましょう。」

「生きようね」

 そう言って三人は扉を開けた。家に帰るために。

 シンヤの部屋を出て、城の中で一番広い空間、一階の広場へと移動する。そのあと序列二位と一位に見つかるためにオーバーライドを発動した。

「この声が!二位と一位に届きますように!」

 赤の光が王宮を駆け巡り、誠の体に収束する。

 十秒もたたないうちに、三人の目の前に二人の男が現れた。

「ずいぶん大胆だね。シンヤくーん」

「なにがだい?」

「裏切ったことだよ。裏切って、ユリカちゃんを殺して、反逆者二人を庇って、そして今も三人でいる。王様に逆らって生き延びられると思っている? 」

「思っていないよ。だって今日僕は解放されるから。」

「……解放?人生からか。自殺願望でもあったのか」

「違うよ、この絶対王政からさ。」

 じゃあ誠くん、そらちゃん、頼んだよ。

 そう聞こえた気がした。

 シンヤの方を向くと赤く光った金色の髪が揺れ、次の瞬間にはシンヤの姿が消えていた。

「……あれ?」

 慌てて正面を向くと、二人いた男が一人になっている。

「……一位と一緒にどこか二人で戦える場所に移動したみたいだね」

「みたいですね。ここれおれたちが二位にからないと……はれ?」

 なぜか、うまく呂律が回らなかった。

「自己紹介は必要か?」

 そんな誠に気付くそぶりもなく、前の男は語りかけてきた。

「……いらないわ。どーせどっちかがいなくなるんだし」

「その通りかもな、女。ところで三条と一晩過ごしたということは当然俺の能力も聞いているのかな?」

 序列二位の能力、人の思考に干渉する緑のオーバーライド。

「……きいているわよ」

「自分でいうのもあれなんだが、緑は強すぎるんだ。だからせめてもの慈悲としてはじめは赤と青だけで戦ってやろうか」

 シンヤの話によると、こいつは緑の力が優秀すぎるだけで赤と青のオーバーライドは大したことないらしい。

 この油断が勝機に繋がると踏んだそらは、心なしか呂律が回らずふわふわしている誠を横目に叫ぶ。

「あなた傍付き人でしょ!なら緑を使わなかったところで私たちに勝ち目はないじゃない」

「……いや、俺は本当に大したことないぞ」

「……信用できると思う? 」

「五分間。五分俺は緑を使わずに戦うよ。緑を使えば俺の勝ちが決まる。だから五分間でこの俺を殺してみろ。それが君らに残された勝機だと思っていい。」

 五分あればなんとでもなる。こっちは二人もいるんだから。

 そらは心の中で小さく喜び、気を引き締めて隣の誠を見た。

 緑色に光る、樋波誠を。

「っ!」

 人の精神を操る、絶対的な緑色の光。そらは慌てて正面に向き直ったが、そこにはにやにやと気色悪く笑う男が佇むだけだった。

「あなた!」

「なに?」

 その、感情という感情がすべて取り除かれた無機質な声を聴いたそらは、話し合いや口論が全くの無駄であることを悟る。

「そ……らさん」

 苦しそうに言葉を絞り出す誠。

「ごめんなさい、あなたを傷つけたくはないんれすけど、ちょっと、難しい……」

 途切れ途切れの言葉を聞きながらそらが考えていたことはたった一つだった。

「まさか、ここまでシンヤくんの計画通り進むとはね」

 小声でそうつぶやく。

「え……なん……て?」

「おやすみ。誠くん」

 その言葉をきっかけに誠は地面に倒れこんだ。

 その光景を見ていた序列二位の男が言葉を失っている。

「どういうことだ?俺はまだ何の命令も与えていないぞ」

「睡眠薬」

「なんだって?」

「うちの天才科学者がね、ちょうど何時間後に効きはじめる睡眠薬を盛ったのよ。昨日の夜の晩御飯に」

 薄れゆく意識の中で誠は頭を回す。

 昨日の食卓が何か暗い雰囲気だったのはこのせいだったのか。おそらくシンヤとそらが外に出ている間に、洗脳能力者相手に勝つ方法を考えて、洗脳された瞬間眠らせればいいという結論に至ったのだろう。五代との戦いを知っている傍付き人なら、やっかいな紫の光『絶対不可侵領域』を持っている誠を先に落とすということも簡単に予想できる。

 そのために九時出発を徹底し、部屋から出た瞬間に敵を呼び出し、不意打ち気味に分断することで速攻で誠とそら、序列二位を対峙させた。

 性格的に五分間どころか一秒ですら緑の光を出し惜しみするはずがないことを知っていたからこそ立てられる計画だった。

 だが。

 これはあくまで同士討ちを避けるためだけの作戦。俺が眠った後そらさんはどうなるんだ。

 そこで誠の意識は途絶えた。

「なるほどね、如何にも三条深夜が考えそうな手だ。体が眠っている状態だと意識を操ったところで何もできないに等しいからな。あくまで緑の力は行動しようという意識を上塗りするだけで、無意識は上塗るものがない。だが」

 依然として、ニヤニヤした嫌な笑い方は消えない。

 誠が意識を手放す瞬間に考えていた、この先そら一人でどうするのだろうということを考えているのだ。

「洗脳能力相手に一人で挑むのは、さすがに無謀すぎないか?」

「いいえ。無謀でも何でもないわ。もう私勝ってるもん」

 は? と息を吐きだす瞬間彼の目がとらえたものは、その場で小さくジャンプをするそらだった。

 は? と息を吐き終わる瞬間、彼の目に少女の姿はいなかった。

 どこに消えた? 赤の光の気配はなかったが、と思う間もなく背後から声が聞こえてくる。

「ごめんなさいね。私、実はオーバーライドなんてなくても戦えるのよ。」

 音もなく背後に忍び寄ったそらは、持っていたナイフで序列二位の首を大きく裂いた。

 血が飛び散り、そらの白い服を赤く染める。

 最後まで、死にゆく男の頭は疑問符で埋め尽くされていた。

 そらはもう聞こえていないと知りつつ男に語り掛ける。

「人はだれしも、超能力を持っている。」

人類はみな等しく、不条理な異能を持っている。でもそれを自由自在に操ってしまうと世界のバランスが崩壊する恐れがある。それを危惧した人類は生きている間、自然に無意識に制限をかけている。

「死んだ後にしか使えない、幽霊の才能。」

 義務教育を受けていないそらの思春期は地獄だったという。

「死ぬことでリミッターが外れるんだとしたら。」

 生きたまま、超能力を発現することは本当にできないのだろうか?

「私は何度も死にかけて、死にかけて、死にかけて死にかけて。そして不完全な幽才を得た。」

 『跳躍』

「高さ対平面の移動距離を一対二百に変換する、位置エネルギーを横移動の推進力に変換する力。それが私の幽才。」

 五センチ飛べば、十メートル横に移動することができる。この時、横移動の間にある遮蔽物はすべて無視でき、瞬間的に目的地へと移動できる。

 すなわち疑似的な瞬間移動。それがそらの持つ異能の効果だった。

「王から逃げるときも使わせてもらったわ。あの時のことを詳しく考え直していたら、もしかすると思い至っていたかもしれないねー。ま、超常の力だし難しいか」

 あの時そらは、青のオーバーライドで床下に深い穴を掘った。その時点で数十メートル分の位置エネルギーが蓄積されている。

 そのエネルギーを使い、島から出ない程度に抑えつつも瞬間移動を行うことで王から逃げおおせたのである。

「ま、もう聞こえちゃいないよねー。さて、誠くん起こそう」

 そらはポケットから解毒剤を出し、誠に飲ませた。

 一応言っておくが口移しではない。

「ほら、誠くん起きて。終わったよー」

 シンヤの解毒剤は完ぺきだったようで、ものの数秒で誠は目を覚ました。

「……あれ、俺」

 そこから彼が状況を読み込むまでさらに数秒。

 あたりを見渡し、序列二位の男の死体を発見した誠は静かに息を呑んだ。自分が緑のオーバーライドによって意識を飛ばしている間にそらが勝利したことを認識する。

 いや、違う。

 徐々に思考を取り戻してきた誠は、倒れる瞬間に悟ったことを思い出す。緑の光で意識を飛ばしたのではなく、睡眠薬で意識を飛ばしていたのだ。

「そらさん、俺……」

「いいよー、気にしなくて」

 いや、気にするのは僕がやられることを見越して予め薬を盛っていたそっちじゃないのか。誠は非難の目でそらを見る。

「それについてはごめんだよ……でも、結果的に何事もなく勝てたんだから許して」

 可愛く舌を突き出して謝る彼女。その姿を見て許さない男がいるはずない。

「……」

 肝心の、どうやって序列二位に勝利したのかについて聞こうとした誠だったが、そらの隠し事の核心に触れる質問のような気がして、どうせ答えてくれないのなら無駄に険悪な雰囲気になるのも気が引けて何も言わずに引き下がった。

「さて、私たちが勝利したことでシンヤくんに勝機が生まれたはずなんだけど、向こうは勝てるのかな。というかどこにいって戦っているんだろうね」

「……」

「誠くん?」

 彼の耳にそらの問いかけは届いていない。

 不審に思い誠の方を向いたそらの目に映ったのは、一点を見つめ微動だにしない少年の姿だった。

「……誠くん?」

「……え、あ。ああすいません」

 再度の呼びかけでようやく誠はそらのほうを向いた。

「なに、どうしたの集中して」

「いや。なにもないです」

 その目は明らかに泳いでいた。

 もう一度、誠の向いていた方向を見てそらは気づいた。

 視線の先にあったのは序列二位の男の死体だった。ただの死体ではない。

 唯一の傷が、首の後ろの致命傷だという、普通に考えたらありえないはずの死体だった。

 誠は序列二位と対面したところで意識を飛ばしている。その彼が目覚めたときには不意打ちを食らったとしか思えない敵の死体が転がっていたのだ。

 そしてそらは見た。静かに、だが確実に人差し指を唇に当てる誠を。

「繋がるのも時間の問題だね」

 誰にも聞こえないように口の中で呟く。

 だが、答え合わせをするつもりは毛頭なかった。彼のたどり着く仮定が真実になったとき、もう今のような相棒の関係が続くとは思えない。

 だから彼女は気づかないふりをする。

「ほら、誠くん。シンヤくんを探しに行こう?」


「いや、探しに行かなくていいぞ」


 突然響いた声の主は、その姿を目で捉えずとも誰のものか容易にわかった。

「そんな……なんで?」

 王とのエンカウント。

 序列二位との連戦、かつシンヤが勝ったかどうかもわからないこの状況での遭遇だ。最悪と言っていいタイミングだろう。

 絶句し、硬直するそらに向かって王が言い放つ。

「知っていると思うが、向こうで一位と三位が戦っていてな。確実にどちらかが死ぬだろう。」

「……」

「そうなれば傍付き人は一人しか残らない。傍付き人一人で、なんだかんだ四人もの傍付き人を無力化したお前たち旅人二人に勝てると信じるほど部下に甘くはなくてな。先にお前らを殺してから、向こうで生き残った一人も殺して、秩序をもう一度初めからやり直そうと思ったんだ。」

 先にお前らを殺して。

 圧倒的な力を持った王の口から出たその言葉は、嘘ではないとわかるので一段と恐ろしかった。

 しかし恐怖に硬直する樋波誠ではない。

 起こり得ることは起こり得る。どのタイミングで王とエンカウントしてもいいように心の準備は怠っていなかった少年は、叫んだ。

「ああああああああああああああああああああ」

 その勢いで地面に手をつき、シンヤの用意した化学物質を赤の力で指定されていた部屋から転送、王の背後に出現させる。

 大量に用意された赤茶色の粉末。酸化鉄とアルミニウムの混合物。

「……なんだこれは」

 油断があるのだろう、王は『王の世界』を展開することなくその物質を見た。

「燃えろ」

 少しの火花でよかった。王が不審に思わない程度の火花を粉末の上に散らす。

 その瞬間、轟、と音を立てて火柱が上がった。

 酸化鉄を大量の熱とともに還元させるテルミット反応という化学現象である。驚いた王は慌てて赤のオーバーライドで火柱を鎮火する。その時にはもう、王の周りに小麦粉が漂っていることにも気づかず。

「テルミット反応からの粉塵爆発!アニメや漫画のテンプレートだね!」

 楽しそうに声をあげるそら。粉末状のものに引火するときに起きる大爆発で王の意識をさらに引き付ける。

 基本的に相手が発動しかけたオーバーライドを格の力で上塗りする、という戦法しかとってこなかった王は、自分の知らない現象というものに不慣れなのだろう。圧倒的な力の意外な弱点である。

 爆発に巻き込まれた王が赤の光で自分に対する脅威を消すまでの数瞬、シンヤから預かった最後の武器を手に取る。

 世界最強の磁石、ネオジウム磁石。シンヤ特製のアレンジが加えられておりさらに強力な磁力をもっているらしい。

「テルミット反応は爆発がメインじゃなくて、還元反応を引き起こしているんですよ。還元。酸化物から酸素を奪う反応ですね」

 だから、王の背後にあるのは大量の鉄である。

 誠は磁石を全力で王の方にめがけて投擲した。

 粉塵が消え、王が銀色の塊二つを認識する。赤の光で対象を消し去ろうとしたが、背後の鉄に引き寄せられ一瞬だけ加速した。

 その加速が王の対象選択の認識を少しだけずらし、オーバーライドをすり抜ける。

「なっ」

 磁石が王の体にぶつかる瞬間、それを鋭利な刃物に変化する―



「そんなに二人で戦いたかったのか」

 時は少しさかのぼり、序列一位と三位の対決。

「そうだね、君に勝てる可能性があるの、ぶっちゃけ僕だけでしょ」

「お前なら俺に勝てると、ほんの少しでも思ったのか?」

 怖い顔で言い放つ序列一位の男。

「まあ、可能性くらいはあるかなって」

 ひょうひょうとした顔で返事をするシンヤ。

「お前のそういう、掴みどころのないところが本当に嫌いだったんだ」

 一位は、右手を赤い光で染めあげ、怒りとともに言い放つ。

「え、ここでそんな嫌い宣言されても正直困るんだけどなあ」

 三位は、青のオーバーライドで金属製の扉からアルミニウムや亜鉛、銅などを調合し超々ジュラルミン製の剣を生成する。軽さと強度が高い水準で両立している特殊な合金だ。

 その剣を構え、向き合う二人。

 先に動いたのは赤色の戦士だった。

「折れろ」

 シンヤの剣が赤い光に包まれる。起こり得ることを起こす最強の赤。その剣にシンヤの青の光が重なり綺麗な紫色の光があたりを包んだ。

「無理だよ、そんな漠然としたイメージで、僕の剣は折れない。」

 超々ジュラルミンは加工硬化によりかなりの硬度を誇る。そんな剣がイメージの力で簡単に折れるわけがない。

 確かな根拠を想像しているシンヤの青の力は、最強の赤にすら勝る。

 そのままシンヤは走り出す。剣を折るという方針はあきらめ、シンヤの動きを止めようと男は壁を生成する。

「フローリングだぜ?原材料は木だ。そんな木で僕を止められると思うなよ」

 一枚目の壁を難なく薙ぎ払うシンヤ。

「なるほどな」

 生半可なイメージでは止まらないことを悟り、次は絶対に壊れない壁を想像、生成する。

「うーん、それは切れない」

 シンヤは足を止め、進路を変更する。しかし生成された壁から手のような突起が伸び、彼の手に絡みついた。

「……」

 切ろうとするも、赤の力で強化されている手のような突起を切るのは難しいと思い直し、一瞬動きを止めるシンヤ。今戦っている相手はその一瞬のスキを見のがす人間ではない。

「しまった」

 気付いた時にはもう壁に絡めとられていた。

「三条深夜、お前がどんな作戦を描いていたのかは知らないが、赤は最強の力なんだよ。だから俺に勝てると思った時点でお前の負けだった」

 淡々と勝利宣言をする男を横目に、シンヤは硬度を強化された壁からの脱出方法を実践していた。

「……いくらイメージの力で硬化されていても、フローリングなんだし材質は木なんだよな。」

 呟き、青の力で木材にほんの少しだけ存在していた木材腐朽菌の動きを現実にあり得ない程度にまで活性化させる。木材腐朽菌とは文字通り、木材に含まれるセルロースなどを分解する菌の総称である。

 イメージの力により最強の合金で切れない硬度を誇っている壁も所詮は木材。数秒で腐食し、シンヤは拘束を解いた。

「青の力も使い方次第なんだぜ」

「……なるほどな。赤の力で脱出しようとしていたら力で上から押さえつけられるが科学知識を披露されてもなかなか対応しにくいな」

だからこそ青の力は最強なんだ。微笑を浮かべたシンヤは、目に浮かんだ光景に唖然とした。

「すごいな、さすがは序列一位だ。常人なら処理落ちするレベルだよ」

 小さく感嘆の声を漏らしたシンヤの目の前には、同じ姿をした男が二人存在していた。赤のオーバーライドで別の動きをする自分を作り出したのだ。シンヤの言う通り分身は常人の処理能力ではとても追いつかない。もう一人の自分を作り出すことまではできても、自分自身の体を操作しながら、もう一人の自分の動きを鮮明にイメージする、というハードルは軽々しく超えられるものではなかった。並行思考が得意な人間ですら、増やした二人で同じ動作を行うのが精いっぱいだろう。

 それをいとも簡単にやってのけるのが彼の一位たるゆえんである。

「御託はいい、さて一対一ですら若干俺が押していた気がするが二対一にはどう対応する? 」

 彼、いや彼らはそのまま左右に分かれ、右と左からシンヤを挟み撃ちにする隊形をとった。赤の発光。両側の地面がせりあがり、鋭い柱となってシンヤに襲い掛かる。

「分身にイメージを割かれている今の君の力なら僕の力でも対応できるんだぜ」

 シンヤはそう言いながら青の上塗りで柱を分解。そこまで一位は読み切っていたようで分解された砂塵が即座に巻き上げられシンヤの上空に大きな岩の塊が完成し、自由落下する。

 間に合わない、そう判断したシンヤは自身に赤の光を使い身体能力を上限値まで引き出し後方に跳んだ。

 しかし跳んだ先は既に先回りされており、床から生成した短剣を構えた男が空中だと回避できないだろうと言わんばかりに笑みを浮かべていた。

 赤の光に包まれているシンヤはそのまま慣性の法則を無視し、その場に落下するよう自身にイメージをかけたが

「無駄だ。そもそも、赤とか青とか関係なく、不自然な動作をイメージした光を消すことは簡単なんだよ。知っているだろ?」

 前方はるか遠くから、短剣を構えていない方の男が語る。その言葉が耳に入るころにはシンヤを包む慣性の法則無視、身体能力上限解放のオーバーライドは消失していた。

 なすすべなく空中を直線運動しているシンヤはそのまま短剣に突き刺さるかのように思えた。

「ごめんね。僕別に赤の光の身体能力上限解放使わなくても、わりとそのままでも戦えるんだよね。鍛えていたから」

 そう言い放ったシンヤは短剣を手のひらで横に薙ぎ払い、序列一位の男の手首をつかんで吹っ飛んだ衝撃をそのまま利用し、背負い投げを決める。

 地面にたたきつけられた男は数瞬苦しそうな顔をしたが、瞬きをした間に姿を消していた。

「こっち分身だったのね」

 笑いながら本体の方を振り返るシンヤは視界の隅に動くものを捉える。分身の生成。

「まったく、何体出せるんだよ」

「消して出しなおしただけだ。別に不自然ではないだろう」

 短剣を構えた時の微笑や叩きつけられた時の苦しそうな顔とか芸がいちいち細かいんだよ、と軽口をたたきながら一気に分身と間合いを詰める。

 赤や青の光が介入しにくい、肉弾戦の間合い。

 分身と数回拳を交えたところで本体も合流し、赤の光で体を強化した三人のハイレベルな殴り合いが展開する。

「さすがに分身を操作しながら、オーバーライドで僕の光を消すほど余裕はないんだね」

 自称鍛えているだけあって、シンヤは二人の攻撃を捌きながら質問をぶつける。

 無視を決める序列一位の男。

 数分の間白兵戦が続いたが、ようやくシンヤの拳が綺麗に分身の顔を捉えた。

 と思った瞬間、シンヤの体から一瞬赤の光が消え、速度を落とした右拳は何にも当たらず空を切った。

「……お前の光を消すことくらい、分身を出しながらでもできるけどな。」

 男は先ほどの質問に実演をもって答える。

「なるほどね、確かにここぞというときに消されたほうが厄介だ。」

 とはいうものの、自称鍛えている三条深夜は徐々に二人の序列一位を押していった。

 どうしてこいつは赤の力をめいっぱい使わずにわざわざ僕の土俵、肉弾戦で戦っているんだろうという疑問は頭に浮かんだが、そちらに思考を裂けるほど余裕の戦いをしているわけではなかった。

「さて、終わりかな、観念しな。」

 倒れた二人の男を前にしてシンヤは勝利宣言を行う。

 往々にして、勝利宣言を行った人間はそのあと敗北するというお約束も知らずに。

「どっちが分身だ?どっちからやればいい?」

 オーバーライドで生成した鉄の槍を構え、右と左どちらから刺すか数瞬思考を巡らす。どっちでも同じだということに気付いたシンヤは右から殺すことに決めた。

「じゃあね」

 そう言って槍を振りかぶった瞬間だった。

 右の男が消失する。

 ああ、こっちが分身だったのね、と左に目をやったがそちらにも男はいなかった。

「……え?」

「答えは、どちらも分身、だ。」

 後ろから響いてきた序列一位の声がシンヤの耳に届くのと、胸から銀色の鋭い鉄の塊が飛び出てくるのが同タイミングだった。

「赤と青じゃらちが明かないからな。いずれにせよ俺が勝っていたとは思うがより確実な勝利が俺には必要だ。不意打ち。これも勝ち方の一つだよな」

「……」

 やられた。致命傷ではないもののこれはちょっとまずいかも。

 胸に刺さった剣を引き抜かれ、その場に倒れこむシンヤ。

 オーバーライドで止血だけでもしようとするが痛みで意識が朦朧とし、うまく発動しない。

 発動したところで、序列一位に打ち消されてしまうのが見えているが。

「さて、格付けも済んだことだ、王のもとに向かうとするかな。王の敗北はあり得ないが、念のため。」

 壊れた玩具を見る目でシンヤに一瞥をくれた序列一位は、「もし回復したら挑んできてもいいぞ。一度負けている男に勝てる方法なんてないが。」と吐き捨てるように言い、彼に背を向けて歩き始めた。

「……ふう」

 激痛に慣れてきたシンヤは止血をし、周囲の炭素、水素、窒素、酸素を化合させモルヒネを生成する。

 モルヒネ。強力な鎮痛作用があるが薬物依存性を持つため現代日本では厳しく管理されている最強の痛み止めである。

「……あいつ行かせたらいよいよ誠くんたちに勝ち目がなくなるからなあ。というか読み外しちゃったかな、まさかそらちゃんがいるし序列二位に敗北したとは思えないけど、なかなか勝機がこない」

 シンヤがそうつぶやいた瞬間だった。



 時は少し遡り王と誠の対決。

 結論から言うと磁石の力で加速した鋭利な刃物は、王の体に突き刺さらなかった。

 避けられないと判断した王は、赤の力で自分の体を横に飛ばしたのだ。もともとネオジウム磁石は背後の鉄の塊に引き寄せられただけだったので、王の体がそこからなくなれば当たらないのも必然だった。

「駄目か」

 落胆する誠とそら。シンヤから託された化学の力はもちろんこれだけではなかったが、完全に油断していた王の隙をつききれなかった今、そのどれもが効果のあるものだと思えない。

「びっくり化学実験室はこれでおしまいか?」

「人類の化学の結晶をびっくり呼ばわりするな」

 次の策は考えるまでもない。誠とそらのオーバーライドで一度王に完封されているのだ、このまま二人で挑んだところで勝ち目はほぼゼロだろう。あの頃から変わったことと言えば、そらも傍付き人の指輪を手にしたこと、二人とも体力がほぼ全快だということの二点である。

 王は一度そらの超能力も見ているため、序列二位を秒殺したそれが通用するかどうかも怪しい。

 よって取るべき選択肢は逃げの一手。別に最後まで逃げるわけではない。シンヤが合流するまでの間だ。

 三条深夜が序列一位を打ち倒し、誠たちのもとに合流する。傍付き人クラスが三人いたところで王に勝てる可能性はほぼないが、今よりはましだろう。誠とそらは瞬時にそう判断する。そもそも、俺たちは序列二位を倒したんだから、その勝機を早く掴めよシンヤさん。誠は心の中でそう叫んだ。

「なあ、王様」

「……なんだ? 」

「殺意全開でびっくり化学実験室を開催しておいて言うのもなんだけど、ちょっと話をしないか? 」

「時間稼ぎか」

 目的が秒でばれてしまった。背中をそらにつねられる。ご褒美ですよと小声で囁く誠のセリフを聞いてしかめ面をするそら。

「まあ、その通りだ。でもそれだけじゃない。俺はあなたに興味がわきました。」

 何を言っているのかわからないという顔をする王だが、一応話は聞いてくれるようで誠は言葉を続ける。

「この世界に来てまだ数日しか経っていないけど、それでもこの世界のシステムは完璧すぎると思ったんだ。住民全員に配られる指輪で世界を上塗る絶対の力と言語を支配し、人間に格をつける。」

 誠はこの世界に来て一番初めの、言葉を読むことも聞き取ることもできなかったこと、指輪をつけた瞬間住民と認められ、言葉を認識できるようになったことを思い出していた。

「基本的にオーバーライドの力を自由に使うことができるため住民は何も不満を抱かない。しかし犯罪などに手を染めた瞬間、より上位の存在に粛清される。普段は自由にさせつつも最強の座に信頼できる傍付き人と自分を置くことで不満を抱かせない絶対王政を行うことができた。」

 誠は唇に人差し指をあてた。

さて。


「言葉を成すといたしましょう」


「このタイミングで!?」

 自分の考えや推理を解説するときに言うキメ台詞を時間稼ぎのために王と雑談するべきパートで用いたことに違和感を覚えたそらは思わず突っ込んだ。

 そのつっこみを無視し、王の方を凝視する誠。


「なあ、王様。この世界のどこまでがお前のオーバーライドなんだ? 」


「ふむ、やはり貴様はなかなか頭がいいのかもしれないな」

 王はおかしそうに笑った。

「お褒めにあずかり光栄です、王様」

「ちなみにどこで確信したんだ? 」

「違和感はずっとあった。あまりにも仕組みが整いすぎているからな。指輪で格付けができる理由を考えていたんだが、二つしか思いつかなかったんだ。指輪にオーバーライドの力を増幅させる力がある、という可能性がひとつめ」

 オーバーライドの力は世界の住民全員が使えるものだ。指輪に含まれる鉱石にオーバーライドの力を増幅する作用があるとすれば、序列がつくことも説明できる。誠たちはずっとこういう理解をしていた。

 しかしそれだと、指輪をはめた瞬間言語が理解できたことがやはり説明づかないのだ。

 そしてなにより。

「ところで王様、俺の編み出した紫の光は当然知っているよな」

「ああ、旅人風情が編み出したのには驚いたぞ」

「この世界に馴染みすぎて全く意識していなかったんだが、ここな、俺の知っている世界と決定的に違うところがあるんだ。」

「ほう」

「大気が紫がかっているんだよ」

 異世界に降り立った瞬間に感じた違和感。それは大気が紫色を帯びていたことだ。いまならわかる。

「あれは、王様。あんたの紫の光なんだろ。そして俺が紫の光に全てを無効化するという自動処理を書き込んでいるように、序列システムや指輪持ちでない人から言語を奪う等の、この世界の仕組みを書き込んで自動処理を行っているんだろ。整いすぎている序列システムと、大気の色に理由をつけるならこれが一番納得のいくものなんだ。」

以前誠たちと相対したときに使用した、『王の世界』。あれはあれでも思考の一部を世界の運営に割いていたのだ。そのキャパシティに今さらおののく。

「全部だよ」

「……何の話だ? 」

 会話になっていない言葉を投げられ、聞き返す。

「だから、貴様の最初の疑問に答えてやったんだ」

「……」

「どこまでが儂のオーバーライドなのか、という質問だよ。答えは至極単純だ。全部なんだよ。」

「……全部? 」

「自動化を解除してやろうか。貴様ら風に言うならオートライド、だったか?」

 王はそう言って、右手をかざし、縦に振った。



「あ?」

 突然、纏っていた赤の光が消え、呆気にとられる序列一位を前に三条深夜は笑みを浮かべる。

「やっと来たか、勝機。」

 青の光が出せなくなったことを確認し、シンヤは一気に間合いを詰めた。

「言っただろ? 青の力は、物理的な力は最強なんだって。」

 赤の力で強化された序列一位と少しの間渡り合った身体能力で、お互いオーバーライドが使えなくなった今負ける理由を探す方が難しかった。

 一方的に殴りつけ、壁の端に追いやる。

「待ってくれ、どういうことか説明してくれ」

 殴られながらもなにが起きたのか必死に理解しようとする序列一位にシンヤは説明をする。

「君は、島民全員が光の力を使えることに何の疑問も持たなかったのかい? 僕は持ったよ。そんなファンタジーよりも簡単に説明のつく解があるよね。絶対的な想像力を持つ一人が、この島の仕組みを想像すれば、全員が能力者になれるのさ。そう思えばこの島には違和感が多かった。だからもしその力の根源であろう王が飽きて、島民全員から光の力を奪ったときに備えて僕は化学と肉体、つまり超能力に頼らない勉強をしていたのさ」

「……俺は、ずっと」

「そういうこと。残念だったね、無知と馬鹿は罪なんだよ。与えられる罰は」

 シンヤは殴られたことにより半開きになった序列一位の口に球体状の物体を押し込む。

「死だね」

 言い終わるのと、序列一位の顔がなくなるのは同タイミングだった。爆散した顔面から飛び散った血が服にかかる。それを汚いなあなどといいながらハンカチで拭い、彼は王と誠たちが戦っている場所に向かった。



「この島にいる人間全員が、現実改編の能力を使えるってそんなわけがないだろう。すべて儂の手のひらの上だったんだよ」

 衝撃的な王の言葉に、そらは驚愕の顔を浮かべる。

「……まずい。見誤ったわ。」

 いや、驚愕とは少し毛色の違う表情かもしれない。どちらかというと、しまった、といった表情。

「大丈夫ですよ、そらさん。」

 そんなそらの考えなどすべてお見通しだと言わんばかりに、誠は悲しげな笑みを浮かべた。

「俺が言葉を成したとき、物語は既に完結へと向かっているんです」

 誠は笑みを消し、王の方へ向き直る。

「確かにオーバーライドの力が使えなくなったようだ、王様、あんたの言っていることは本当なんだな」

「この島で儂が嘘をつく必要がないからな。嘘とは弱者の武器だ」

「はは、それは言えてるかも。さて王様。もう俺に勝ち目はなくなったとみていいのか? 」

 あまりに堂々とした敗北宣言に王は吹き出す。だが潔くあきらめた誠を気に入ったのか、即、攻撃に移るということはなかった。

「まあ、ないだろうな。」

「じゃあちょっと会話に付き合ってくれよ。最後の一つ、動機だけがどう考えても答えにたどり着けないんだよ」

 ホワイダニット。推理小説のジャンルのひとつで、動機当て、と翻訳される。フーダニット、ハウダニットの犯人当て、犯行方法当てというミステリらしいミステリに比べて、ホワイダニットは少々特殊なジャンルである。犯行の動機、特に殺人事件の動機となると、それ相応の過去がないと犯行に理由付けができないので、描くのが難しいと言われている。誰でもよかった、という現実にありがちなふざけた動機で小説読みは満足しないのだ。

 誠が今回唯一考えられなかった、というより考えるだけ無駄だと判断したもの。それが動機だ。どうして王様はこの島で、オーバーライドで序列づける絶対王政を作り上げたのか。

「それをこたえる前に、貴様がどこまで把握しているのかを聞かせてもらいたいな。前回儂と話した時の印象だと、貴様は何も知らないまま連れてこられた人間、だったが。」

「それもそうだな、じゃあ前回の遭遇の時の話から片付けようか。」

 誠は前回の王との遭遇を思い起こす。

「あのときあんたは、異世界への扉というところに食いついてきたよな。今考えたら当たり前なんだ。だって、ここは異世界でも何でもない、現代の日本なんだろ?」

 誠の背中、そらのほうから息を呑む音が聞こえた。

「この世界を異世界だと思わせていたものはみっつあった。大気の色、オーバーライド、そしてそらさんの言葉。だがこのうち二つは超能力を持った王様のせいだった。」

 国民、いや島民全体にオーバーライドを使えるようにするオーバーライドをかけたせいで大気が紫色に発光していたのだ。さらに思い返せば、三条深夜は毎回この世界ではなくこの島、島民という風に、世界ではなく島単位で話をしていた。

「あとはそらさんの言葉が嘘だったら、この世界が異世界だという理由が一つもなくなるんだ。そらさんがなにかを隠しているのは自他ともに認める事実だった。だがそれがなにかを決定づける明確なものがなくて、俺はずっと考えていたんだ。そして序列二位との戦いでやっと全部つながったよ。」

「ついさっきだな」

「ああ。序列二位の男の死体には違和感しかなかった。」

 死体を目にした瞬間に思ったことだ。致命傷となった首の傷が、後ろ側についていた。

「不意打ちならまだしも、あのお互いに認識しあい戦いをはじめるという状態から首の後ろだけ切られて死ぬなんてありえない。序列二位もそらさんも傍付き人の指輪を持っていた、オーバーライドの力は等しいはずなんだ。となると不意打ちをかませた理由は一つしかないよな。」

「……光の力ではない、別の超能力」

「その通り。王様は序列二位との戦いを見ていたんだろ、なら理解したんだよな。自分が前回どういう風にして逃げられたのか」

 王は無言で頷く。誠に背後のそらの顔を見ることはできない。しかし自分の隠していたことが暴かれているのだ。笑ってはいないだろう。

「瞬間移動。俺はそういう結論を下した。なあ、そらさん。あなたは瞬間移動できるんですよね」

 誠は振り返り、そらの目をじっと見つめる。プレッシャーに耐え兼ね、そらはこくんと頷いた。

 一度臨死状態になってから奇跡的な復活を遂げたら、不完全な状態ではあるけど異能が目覚めることがある、と彼女が言っていたことを思い出す。そらが職無しに襲われたとき、躊躇なく後ろから殴り掛かったこと。序列二位を不意打ちとはいえ一撃で殺したこと。その戦いなれた行動は幽才を発現させたことでそういう世界に身を預けてしまったが故のものなのか、はたまた幽才を発現させる実験の過程で身についたものなのか。邪推が彼の頭を駆け巡るが、それは今は関係のない話だ。誠は必死でその考えを頭から振り払う。

「だが瞬間移動といっても思ったところに行ける便利能力じゃないだろう。もしそうなら、王と対面したタイミングで逃げているはずだからな。何か発動条件がいる。シンヤさんが埋めた穴を見て八割がた確信したよ。高さを横移動に変える力なんじゃないかって。俺が王様から逃げたとき、目が覚めたら島の端っこにいた。序列二位は背後に回り込まれていた。二つの移動距離の違いは跳躍した時点での地面からの距離、すなわち位置エネルギーの違いだ。地面に深い穴をあけたときに城から島の端という長距離移動を行っていて、序列二位との戦いのときは大した高さを必要としていなかった。おそらくジャンプして位置エネルギーを確保したんだろう。」

 さて、と一息つき、記憶の糸を手繰り寄せる。

「位置エネルギーを横移動のエネルギーに変える。ここでやっと初めに繋がってくるんだ。俺の前でそらさんが瞬間移動を使ったのは合計三回。序列二位との戦い、王から逃げるとき、そして、この世界に来た時。気球に乗って上空に上がったのは、異世界の扉が上空にあるからじゃない。」

 王に気付かれないように島へ潜入するためにはそらさんの超能力を使うしかない。島に潜入する理由は、きっと彼女が言っていた通りその能力が世界に危険を及ぼすかどうかを見極めるためだったのだろう。日本からこの島までの距離がどのくらいなのかはわからないが、位置エネルギーを横移動のエネルギーに変えるという特性上、彼女は単純に高さが必要だったのだ。

 そういえば、と誠はさらに回想する。気球が浮かび上がり亜湖の手を掴みそびれた時、そらはいつの間にか籠に乗っていた。あれも瞬間移動を使っていたのかもしれない。

「気球に乗っていたかどうかは知らんが、なるほど、そうやって儂の島に乗り込んできたんだな。」

「ここが日本なのに外界と完全に遮断されているのは、島全体にかかっているオーバーライドの効果のひとつなんだよな」

「その通りだ。儂がこの島にプログラミングしたのは三つ。島民に対するオーバーライドの付与、序列システム、そして日本との遮断だ。これで儂は絶対王政を作り上げた。」

「そう、それで繋がるんだよ。動機が知りたいという最初に質問にな。」

「なるほどな。動機、動機か」

 思いあぐねる王を見て誠が口を開く。

「まあ、実は予想はついている。」

 それを聞いた王はほう、という顔で誠を見る。

「それはなかなか意外な発言だな。ノーヒントといっても過言ではないだろう」

「古今東西、男が自分勝手なことを起こす行動原理なんてひとつ、女しかないだろ。」

 主語の大きい発言である。多様性を認める風潮の強い現代社会だとネットの海に晒され、各方面からたたかれるべき発言だろう。ここが異世界だから許されているようなものである。実はここは日本なので許されていないが。

「その年齢からすると、娘、いや妻が亡くなった、殺されたのか? 」

「何年たっても何も知らない他人から、ただの起こった事実として小説の一文のように口に出されると不愉快なものだな、愛するものの死とは」

 口調は変わらなかったが、その目には明らかに憤慨の色が浮かんでいた。挑発したつもりではなかったので、誠は素直に謝る。

「いや、よい。その通りだ。儂ら二人は数十年前、この島に移住してきた。」

 数十年前、島の人口は三十人にも満たない規模だったらしい。本土からも半ば無人島のような扱いを受けており、週に一回往復する船以外、島の外に出るものは何もなかった。宿泊施設として島おこしなどをすることもなく、細々と鎖国された日本のように生活が営まれていたそう。

「儂と妻は、仕事や地域との人間関係に悩まされていてな。妻の不妊の関係で家族からも白い目で見られていた。心も体も壊れる一歩手前にいた儂らは、数年でいいから味方もいないかわりに敵もいないどこか遠くへ逃げようと画策し、この島にたどり着いたのだ」

 そして彼らの所望する通り、その島の住人は敵でも味方でもなかった。出来上がったコミュニティに受け入れられることはなかったが、迫害されることもなく、正当な対価を払えば対価分のお金や食べ物、生活必需品を分け与えてくれた。

 そこに会話や人間の温かさというものは微塵もなかったが。

「一年か二年経った頃だろうか。儂らはだいぶ回復してきてな。ここで本土に帰るべきだったんだ。だが島に居心地の良さを感じてしまった。次にとった行動はわかるだろう?」

「……島民とコミュニケーションをとろうとしたのか」

「その通りだ。愛し合う二人とはいえ、会話の相手がお互いだけだというのも寂しくて、儂らは島民に会話を求めた。当然彼らは不審な目を向けてきた。」

 お互い無干渉だったからこそ成り立っていた敵でも味方でもない関係は、どちらかが干渉した時点で崩れ始める。それが敵意でなく、純粋な好意であっても。

「もちろん儂も妻も、はじめから受け入れられるわけがないことくらい承知の上だった。でも当時の儂らからすると、本土に戻ることの方があり得ない選択肢だったんだ。」

 誠の脳裏に一本の映画が思い浮かんだ。閉鎖された村にたどり着いた若い娘が、心を開いてもらうために村人の望むことを少しずつ叶える便利屋のような存在になり、徐々に受け入れられ始めるが、村人たちの欲望はだんだんとエスカレートしていくという、閉鎖されたコミュニティにおいて道徳の無価値さを描いた映画だ。

 王とその妻も、島民に心を開いてもらうために彼らの望んでいることを予想し、汲み取っていったという。裏庭の草むしり、船から売り場までの荷物運び、子供の世話などのできるならやりたくないがやらなければならない煩わしい行為をできる限り引き受けていった彼らは、徐々に信頼され、心を開かれるようになった。

「本土でひどい目にあい、逃げ込んだ島でも歩み寄ったら迫害された儂らが、雑用だとはいえ人間から頼られたということの嬉しさは誰にもわからないだろう。」

「……それで、島民が二人に依存してどんどん欲望がエスカレートしていったというわけか」

「それは違う。」

 王は今までにない強い口調で否定する。

「確かにはたから見たらそういうことかもしれない。結果的に言えば島の人間たちの欲望が暴走し、妻が死んだことにつながるわけだが、島民が儂らに依存したわけでは断じてない。儂らが、頼られることに依存したんだよ」

 誠は言葉を失った。

 狂ったのは島民ではなく、外部からの二人だったのだ。

「そこからは語ることはない。掃除などの雑用を想像しているお前らが想像を絶するような“お手伝い”をしたよ。」

「……それで」

 この物語にハッピーエンドはない、王の妻が亡くなっている時点でそれは重々承知だった。だが誠はその先を聞かずにはいられなかった。

「遺体すらも強姦された最愛の人の死体を見て、正気を保てる人間がいたらぜひお会いしたいものだな」

 そんなことができる人間は、もう人間ではないだろう。そして絶対王政を敷いた冷徹無慈悲な王は、どうしようもなく人間だった。

「遺体を見た儂は思った。綺麗にしてあげなきゃ? いいや違う。この現実ごと彼女を包み込んで、飲み込んであげなければ。そう思ったのだよ。そう思った儂は文字通り彼女を飲み込んだ。食べた。頭だけは残してな。」

 静寂が三人を包む。想像を絶する妻の死、そして王の行動に二人は動くことすらできなかった。

 世界のどこかに食人という文化が根付いた地域がある。そこでの食人は飢えをしのぐためのものではなく、能力向上のためのおまじないらしい。足が速い人の足を食べると足が速くなり、頭がいい人の頭を食べると頭がよくなる。そうしてその人のことを取り込み、より優れた人間になっていくらしい。

 王はそれと似たことをやったのだ。

 その時、誠の脳裏にそらの言葉がフラッシュバックする。

「人類はみな等しく、不条理な異能を持っている。でもそれを自由自在に操ってしまうと世界のバランスが崩壊する恐れがある。それを危惧した人類は生きている間、自然に無意識に制限をかけているの。」

幽才。そらとの雑談パートで出てきた何気ない単語。人知を超えた不条理な力。

「……死後、妻の体に発現した異能を食べることによって、その身に超能力が発現したということか」

「妻が死んでから半年、儂はこの能力の研究にいそしんだ。不思議と島民に復讐しようなどという気は起きなかったな。儂自身、彼らへの依存を自覚していたからな。だから目指すは完璧な世界。人が人を頼らなくていい、それでも互いに干渉しあえる世界。究極に便利で、究極に整理された世界。この力ならそれができたんだ。人々を洗脳する緑色の力で島民の意識を変え、人口を増やすために外部から現実に嫌気がさしていた数百人ほどを募り、移住してもらった。お前らの仲間の三条深夜も外部の孫だかひ孫だよ。そして一番煩わしい、外部からの監視はレーダーや海上からの目撃等、すべて排除した。万が一人間が流れ着いてしまったときは言語を理解できないように設定した。言語が理解できなければ、情報が流出することもないからな。数人流れ着いていたが、そっともといた本土に送り届けてやったよ。」

「……」

「儂は別に絶対王政をして権力を振りかざしたいわけではない。ただ、この平和で完璧な世界がいつまでも続けばいいと思っているだけなんだ。」

 凄惨な過去や正論とも取れる考え方を聞かされた誠は言い返す言葉が出てこなかった。勝手に侵入し、勝手に世界を荒らしたのは誠の方なのだ。

「五人の傍付き人を失ったのは確かに悲しい。だが貴様らを消せば、まだこの愛おしい世界は続いていく。そもそも首を突っ込んできたのはそっちの方だからな。大変名残惜しいがそろそろ幕引きとさせていただこうと思う。」

 王の纏う空気が変わった。

「……確かにこっちには何の正義もない。勝手に踏み荒らしたのは俺の方だし、殺されそうだからと言って反撃したのは俺たちだ。」

 王の振りかざした右腕が赤く光る。今までの戦いに敬意を表して、一撃で終わらせてやろうとその目が語る。

「でもさ。」

「誠くん!」

 そのとき突然、誠たちの背後の扉が音を立てて開き、そらの声ではない、男の声がした。

 振り返らずともわかる、宣言通り序列一位を打ち倒した三条深夜の声だ。

 もともとは仲間だったはずの顔を見ても表情一つ変えず、王は現実を書き換える必殺の一撃を誠に振りかざす。赤の光が誠を包むとき、彼の心臓は動くのをやめるだろう。

 その絶望の光を見て、誠は叫んだ。

「あんたの正義なんて知らねえ。俺はまだ死にたくない!俺にとってこれが一番の正義なんだよ!」

 顔をあげた誠の目に宿っていたのは絶望ではなかった。

「誠くん!君は!」

 絶叫するシンヤ。

「知ってるよ!」

 王の光が誠の体を包み込み、絶対のイメージが心臓の鼓動を―

「なんだと?」

 ―止めることはなかった。

「『絶対不可侵領域』」

 誠の体を紫色の光が包む。あらゆる赤の光、青の光を無効化する絶対の鎧。彼だけに許された、数ミリの領域。

 失われたはずのオーバーライドを展開した樋波誠の目には涙が滲んでいた。

「……どういうことだ?」

 数秒困惑した王は、その後結論にたどり着く。

「貴様!貴様、貴様」

「その通りだ、王様。俺は、あなたの最愛の人の肉を、食べた。」

 涙を拭うこともせず、誠は静かに答える。昨晩、冷蔵庫に一切れだけ入っていたという謎の肉。誠だけが食べたその肉は、その身に幽才を宿した人間の肉だったのだろう。

 今ならあの食卓の重い雰囲気も理解できる。あれは睡眠薬を盛ることだけに起因する沈黙ではない。そらとシンヤは当然だがあの肉が人の肉だと知っていたのだ。

 シンヤがそらを信頼させるために耳打ちした言葉。あれは「死体の場所を教える」という旨の言葉だったのだろう。この島のオーバーライドシステムが王一人のものであるとたどり着き、幽才についての知識をどこかで得ていたシンヤが、そらを信頼させると同時に、彼女が味方たり得るかを確認するための発言だった。

「王様も、最愛の人にはオーバーライドで干渉したくなかったのかな、冷凍保存された綺麗な女性の生首が、光に包まれることなくそのまま保管されていたの。」

 これは後にそらが教えてくれたことだが。

 王を倒すには、対等な幽才を持った状態で戦うしかない。それと同時に序列一位も倒さなければならない。シンヤが見た勝機はたった一つ、オーバーライドシステムが解除された瞬間に序列一位を倒し、対等な力で誰かが王と渡り合うこと。

 だが基本的に序列一位と渡り合うことができ、かつお互いが無能力になった状態で序列一位を確実に倒すことができるのはシンヤだけだった。

 そこからは簡単な消去法。序列一位をシンヤが倒すのなら、王と対面し、オーバーライドを解除させるのは誠かそらのどちらかしかいない。

 人間の肉を食べるという禁忌を犯すのは私だけでいい、とそらは言い張ったが、オーバーライドを使う才能においては圧倒的に誠の方が上だということ、肉を食べたという情報アドバンテージが油断や隙に繋がり、早い段階で王や序列二位の緑の光に作戦を看破される可能性があること、そしてその身にすでに超能力、幽才を宿しているそらが二つ目を宿したとき、どうなるか予想できないという三つの理由からそれは見送られ、誠に白羽の矢が立ったのだ。

「という読みは、どうやら全部正解だったようだな。」

 どのタイミングで行き着いたのか。それを悟らせないほど誠は自然体で振舞っていた。そして全部把握したうえで、把握したことが悟られてはいけない状況にいた彼は今まで気丈にふるまっていたが、もうその必要がないということで静かに悲しみを目に浮かべている。

「ごめんなさい」

「いいですよ、そらさん。これしか勝機がないのは俺にもわかっていますから」

 誠はそらを糾弾しない。だが王はそれを許すはずがなかった。

「勝手に人の島に踏み込んできて、勝手に儂の大切な国民をケガさせ、果てには殺し。それでもその命可愛さのために、儂の、儂の妻を、死体を食っただと?」

 正論も正論。返す言葉もない。そらは唇を噛み俯いている。シンヤも同様だった。

「食べなきゃ生き残れないからな」

 しかし誠は、毅然とした態度で言い返す。死体を食べていたことに気付いた時点で、倫理観や完璧な世界よりも自分の命を優先しているのだ。もう彼は揺らがない。

「そうか、生き残るためなら仕方ないか」

 その態度が、王の逆鱗に触れた。

「ならその命を奪って、貴様の死肉を食べてやろう。そうすれば妻はすべて儂のものに戻る。貴様の体内に入ってしまったあいつもすべて取り込んで、世界は元通りだ」

「はっ、狂ってやがる」

 乾いた笑いとともに吐き捨てる。

「狂っているのはお互い様だろう!」

 王の赤の光が地表を覆い、地形が変化する。

「そらさん、シンヤさん!」

 赤の光で無能力と化した二人を部屋の端っこまで飛ばす。

「戦いの最中に二人を気に掛けるとは余裕だな」

「二人がそこにいたほうが気になって戦えないだろうがよ」

 誠は軽口を叩き、せりたつ地面を躱す。

 しかし、数十年以上オーバーライドの力と付き合ってきた王である。序列システムがなくなり、対等になったからこそその差はじわじわと目に見える形で表れてきた。

 全方向から鋭い槍のようになり襲い掛かってくる地面を、上に跳ぶことで回避した誠は、青の光で強化され、王に投擲された必中の棒を限界を突破した右腕で掴む。槍の森に刺さらないよう着地し、王の方を向き直ったがそこに人影はいなかった。「誠くん、後ろ!」と叫ぶそらの声に半ば反射で反応し、後頭部に重点的に『絶対不可侵領域』を展開。背後に回っていた王の強化された右拳は、紫の光に軌道を逸らされ空を切る。

 当たらなかったことに安堵したのもつかの間、着ていた服が発火した。慌てて鎮火し、負けじと王の服を燃やそうとするが、対等な相手だ。完全に読まれ、真逆の想像をぶつけることで相殺されてしまった。

「……強い」

 距離を置き、対策を練ろうとするがオーバーライドの戦いに距離など全く関係がない。一瞬で距離を詰められ、いつの間にか右手に構えていた短刀で誠の首あたりを斬りつける。すんでのところで誠はその金属を腐食させることに成功し、致命傷を免れた。

 ここまでして、人間を殺し、人間の死肉を食らってまでして俺は王に敵わずここで死ぬのか。

 自信過剰に考えを述べていた先ほどまでとは打って変わって、そんなネガティブな想像が誠の頭を駆け巡った。

 ネガティブな想像をしている間も攻撃の手は緩まない。

「そんなものか。なあ。人の妻の肉を食ってなおそんなものなのか!」

 考える時間が欲しい。誠の頭はいかにして考える時間を割くか、という一点に絞られていた。

その時、三条深夜が高らかに声を放った。

「びっくり化学実験室、はじまるよ!」

 その言葉に王の動きが一瞬止まる。油断があったとはいえ誠のテルミット反応や磁石を用いた攻撃に不覚をとったことは彼の記憶に新しい。

 ましてやシンヤは化学のスペシャリスト。あらかじめ用意していた単純な反応しか使っていなかった誠とは質の違う化学を用いるだろう。

 先にあの二人を始末するべきだったか。冷静になった王はそう行き着いた。

しかし彼は、そらの幽才を思い出す。彼女の超能力は位置エネルギーを横移動のエネルギーに変えるものだったか。先ほどの誠の発言から、彼女たちは気球の高度を利用してこの島へと移動したことがわかっている。気球の高度は最大で五十キロメートルほど。日本の本土からこの島までの距離を考えると、おおよそ五十倍ほどの縦横距離換算ができるのだろう。一メートルの高さから能力を使えば、横に五十メートル移動できるということだ。となると特殊な道具や乗り物を使わなくてもこの部屋の半分は既に彼女の瞬間移動の領域だということ。オーバーライドは基本的には万能の力だが、自身の想像力がキーとなっているため認識を越えた範疇のものには通用しない。現にそらは一度王の力から逃げることに成功している。攻めにおいても守りにおいても、そらの超能力は王の対象選択をずらすのだ。オーバーライドの力があっても決して油断できない。王は誠への追撃を一旦やめ、シンヤの方を向いた。

「だが三条深夜。お前は別に今この場で秒殺できるんだぞ」

「王様、忘れたの?私の能力は触れている他人も一緒に運ぶことができるんだよ。光の力で心臓を止めるなりしようとしたら、私が彼を連れて補足できないところまで逃げるから」

「そちらこそ忘れたのか?儂の能力はこの島全体をも覆っていたのだぞ。どこに逃げるというのだ」

「威嚇しようとしても無駄だよー。オーバーライドの力は序列と鮮明なイメージ……いや、もう序列は関係ないのか。じゃあ鮮明なイメージ度合いによって引き起こされるのよね。視認していない相手を、対象の選択がうまくできない相手を、手を下さずに死へと追いやるなんてぶっ飛んだイメージ、簡単に引き起こせるとは思えないな」

「……痛いところを突くな。そもそもこの光の力、いうほど万能ではないからな、基本的に対象を視認していないと発動できない」

 誠の狂気的ともいえる実験の成果である。

「だから王様、安心して僕のびっくり化学実験室につきあってよ」

 それを耳にした王の背後で、爆発音が鳴った。


「せっかくシンヤさんが時間を稼いでくれているんだ」

 そのころ誠は、戦っていた広間と扉を一枚隔てた小部屋に隠れ、息をひそめていた。

「……どうするんだよあんな化け物。シンヤさんとそらさんも二分も持つとは思えない。」

 必死に頭を回そうとするが、うまく思考がまとまらない。

「……そう、そうだよ。亜湖。助けてくれよ亜湖。いつもみたいにさ!」

 思考がオーバーフローした時に自動で脳内に現れる大好きな後輩、亜湖を呼び出そうと誠は目を閉じた。

 数秒が立つがいつもの明るい声は響いてこなかった。

 当たり前である。彼女はあくまで思考がオーバーフローした時の安全装置。亜湖を呼び出す、という目的をもって頭を回している誠のもとには現れるはずもない。

「亜湖……」

 夏休みなのだ。家のベッドで寝転がっているであろう亜湖を思い出す。会いたい。会ってこの感情を聞いてもらいたい。

 その思考は空振るばかりだった。

「どうすればいいんだ」

 亜湖を諦め、王との戦いに強引に思考を持っていく。そもそもさっきの戦いで王は緑の力を使っていない。赤と青を無効化する誠の『絶対不可侵領域』も緑の力だけはどうすることもできない。それは先の序列二位との戦いで証明されていた。

 思考を奪われたとき、誠自身がこの恐ろしい現実を上塗る力でそらやシンヤを手にかけることは想像に難くなかった。

 どこかでかたかたと音がする。

 それが自分の体の震えだということに気付いてからも、その音は鳴りやまない。

 気丈に振舞っていた彼も、気丈に振舞っていたからこそ、死体や食人、王の過去やこれから待ち受ける現実に押しつぶされ、目を開けることができなくなっていた。

「……せんぱい?」

 その声を聴くまでは。

「……亜湖?出てきてくれたのか!」

 小部屋に響く暖かい、誠を呼ぶ声。いつも通りの脳内の妄想、だがそれでも誠を何度もピンチから救ってくれた大切な音。

「何言ってんすか、ていうかここどこですか?え?」

 いつもと違うのは、冷静沈着で誠を落ち着かせるはずの亜湖が、とても戸惑っているという点だった。

「亜湖?」

「あーはいはい、亜湖ちゃんですよー。ってかせんぱい、え?怪我して、首どうしたんですか。あれ? 泣いてません? いや違くて、ここどこなんですか? あたしさっきまでベッドに寝転がってスマホいじってたんですけど」

 誠の時間が止まった。

「もしかして、亜湖、本物の亜湖なのか? 」

「……偽物と出会ったんすか? 」

「いや、俺の脳内の亜湖」

「脳内であたしのこと飼わないでください。」

 遅れて、現実がやってくる。

「そうか、ここは日本なんだ、人間の転送は既にシンヤさんがやっていたことだし俺が亜湖を無意識のうちに呼び出していてもおかしくはない」

 対象が遠く離れておりイメージが難しいはずだったが、誠は亜湖を召喚するという鮮明なイメージだけは強く持っている。夏休み中だからベッドで寝転がっているという予想がたまたま当たったこともあり、遠く離れた人間を呼び出す奇跡と相成ったのだろう。

 気付けば再び誠の目に涙が流れていった。

 亜湖は困惑した顔をしながら躊躇したのち、誠を優しく抱きしめる。

「せんぱいはよく頑張りました」

 それは、誠が一番欲しかった言葉。もちろん誠は、自分の行ってきた行動が倫理的に許されざることだということを知っている。巻き込まれて、何が何やらわからないうちに成り行きでそうなってしまったが、とはいえ大罪を犯しているということを、彼はしっかりとわかっている。

 それでも誰かに優しく包まれ、肯定されたいと願って何が悪いというのか。

「せんぱいは、間違っていたかもしれないですけど、あたしは全部肯定しますよ。だから安心して泣いてください。」

 優しい声が聞こえる。

「あと、落ち着いたらちょっと状況を教えてください」

「……そうだな」

 その常識的な、まともな疑問にわれに返った誠は、一瞬で自分のなすべきことを思い出した。少年は涙を拭い、小さく息を吐きだす。

「長い話になるけど、長い話はできない。大切な人たちがあと数分で死ぬ。そのあと俺も死ぬ。俺の持っている手段は、“思ったことがなんでも現実に起こること”そして敵も同様の能力を持っている」

 馬鹿げた話をまじめな顔をして受け入れる亜湖。その力であたしは呼び出されたんですね、と呑気な返答までした。

「呑み込みの早い女で助かるよ。」

「ありがとうございます、で、せんぱい」

「……」

「その作戦で行きましょうよ。」

 まだ作戦など伝えていなかったが、亜湖は誠と一年間ずっと一緒にいた。彼の考えることなど全部お見通しだったようだ。

「あたしを呼び出して心を落ち着かせてもらった上に、さらに危険にさらすなんてできない、ってせんぱいは思っていると思うんですけど。あたし、せんぱいのためなら死ねるんで」

 それは、生死の狭間で数日戦ってきた誠の耳にも嘘には聞こえないほど覚悟のこもった声だった。時間がない。

「わかった、亜湖。俺のために死んでくれ。絶対死なせないから。」

「はい!心配はしていません」

 満面の笑みで、亜湖は答えた。


「さて、そろそろ幕引きか。死体食いの少年を置いて逃げたほうが賢明だと思うぞ。日本の本土に戻ればもう儂も追う気はないからな」

 シンヤは万策尽きていた。

 防戦一方とはいえ、現実を塗り替えるという強大な力を相手に五分弱渡り合ったというだけでも十分な戦果なのだが。

「終わり、か」

 小さく呟いた。

「そらちゃん。正直に言うと僕は死にたくないから、君にこのまま日本の本土へと送り届けてもらいたいと思っている。でも君は、誠くんを待つんだよね? 」

「ええ、ごめんなさい。私は彼をおいて逃げるなんてできない」

 唇をかみしめ、絞り出すように答えた。

「いいや、仕方ないさ。大丈夫。僕もここで死ぬ覚悟を決めなきゃだね」

「大人しくするなら、ここまでの貴様の暗躍や戦いに敬意を表して望む死に方で殺してやるぞ。考えろ」

 その時、小部屋の扉が大きな音を立てて開いた。

「いいや、シンヤさん。覚悟も死に方も、決める必要はない」

 余裕を顔に宿した、樋波誠の登場である。

「誠くん!」

「どうした、殺される覚悟ができたのか、それとも何か勝機でも掴んだのか?」

「さあ、どっちだろうね」

 そう言い放った誠は、そのまま王に向かって一直線に走り出す。

「血迷ったか!」

 赤の光で床から大きな槍が生え、そのまま誠の体めがけて伸びていく。

 防御の姿勢とともに、誠の体を赤い光が包み込んだ。

「……え、赤?」

 傍から見ていたそらが驚愕の声をあげる。どうして紫を纏わないのだろうか。

 そう疑問に思ったのも一瞬のこと。巨大な槍はそのまま誠の体を貫いた。

「な……」

 あまりにも呆気ない最後だったので攻撃を放った王すら戸惑っている。

「まこと……くん?」

 現実を受け止めきれず、そらは膝から崩れ落ちた。

「……そんな」

「なんと。なんとまあ呆気ない最後だったな。もう少し何かやるのかと期待したが。あの余裕の表情は命を捨てる覚悟が決まったが故のものだったか」

 自分なりの見解を述べたまま王はまだかすかに息のある少年に近づいていく。

「だがまあこいつのことだからな、死にかけたふりをしていることだってあり得るか」

 王は誠から目を離さず、油断なく距離を詰めていく。

「まあ、これであとはあの二人を殺せば、この島は元通りというわけ―」

 言葉がそこで途切れる。王の胸に赤い花が咲いた。

 鮮血が噴き出て、無意識のうちに足の力を失った王は膝をついた。血で花びらを彩られた赤い花の茎の部分には細い、しかし王の命を奪うには十分なほどに鋭い鉄の棒が伸びていた。

 王は朦朧とする意識の中で、目の前の貫かれた瀕死の誠に目をやるが、彼が何かをした様子はない。

「何が起こった? 」

 王が現実を認識するよりも先に、鉄の棒に赤い光が灯った。その光は熱へと姿を変え、王の傷口を血液ごと沸騰させる。

 このままでは死ぬ、血液の沸騰を止めなければ。いや、鉄の棒の温度を下げ、いや、この光を消すべきだ。

 現実を塗り替える力を手にし、数十年島の絶対的支配者として君臨した悲しい王様の最後の思考は、島のことでも最愛の妻のことでもなく、どうして背後から貫かれたのかでもなかった。彼は最後、何かを考える暇もなく、体の熱さに思考を削られ、そのまま絶命した。


 王の背後で鉄の棒を握り、絶命を確認した誠は、槍で貫かれた人間のもとへ駆け寄る。

「亜湖!」

 貫かれた男を包む赤い光が消え、そこには少女が浅い呼吸を繰り返していた。

「やり、ましたか。せんぱい」

「やった、やったよ。亜湖。亜湖。亜湖、もう喋らないで」

「駄目ですよ、せんぱい。せんぱいは大した余裕もないくせに余裕ぶっている、その感じが格好いいんですから。だからそんな取り乱さないで。」

「だって」

「だいたいこうなることは、わかっていたじゃないですか? 」

「……でも!」

「大丈夫ですよ、あたしも、わかっていたんで、大丈夫です」

 だんだんと弱っていく亜湖のその声に、誠は狼狽することしかできない。

「ていうかせんぱい、あたし、心配していないって言いましたよね。だから、ちゃんと、言葉に責任をもって」

 腹を貫かれているわりにはよく喋る女の子だなあ。あまりにも呆気ない戦いの幕引きに置いて行かれたシンヤは、突然現れた知らない女の子に対してそんなことを思った。

「誠くん? さっき貫かれたのはその子で、誠くんは何ともなくて、王様は死んで……ん? 」

 戸惑いを隠せないまま話し始めたそらという第三者の声にわれに返った誠は気持ちを切り替え、後輩の信頼にこたえるべく立ち上がった。

「説明は後です。そらさん、俺はこの子の命を救わなきゃならない。でも俺のオーバーライドじゃ、人体を鮮明にイメージできないから治療が難しい」

「あーもう、わかったよ。日本に帰りましょう。今から。今すぐ。シンヤくん、あなたはここに残る?」

「僕すごい置いて行かれているんだけど。でもとりあえずこの島に残る理由はないから僕も一緒に行く。」

「わかったわ。つかまって。誠くん、最後のオーバーライドよ。上空三十キロに私たちを運んで。」

「普通に誠くんのオーバーライドで本土に戻れば……」

「血だらけの女の子抱えて、しかも瞬間移動でどこに行くのよ。私がうまいこと跳躍距離を調整してうちの敷地内に帰るから。そこなら幽才も認められているし、先端医療も揃っているわ。そこで治療をしてもらいましょう。」

 慌ただしい会話劇を繰り広げながら、来るときは二人だった異世界……いや、離島での冒険が、四人になって幕を閉じた。

 これが、樋波誠の高校生活最後の七月の出来事だった。

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