第四章

 誠たちが異世界へとたどり着いてから三度目の朝が来る。

「それでも、朝は来るもんなあ」

 寝る前の自分を思い出し、少し後悔する誠。パートナーになれたと思っていた人になにか重大な隠し事をされたのだ。実際彼女は仕事のような感覚でこの異世界に来ているのだし多少の隠し事は仕方のない部分もあるだろう。一晩寝て彼は考えを改めた。

「ねえ、そらさん。昨日はごめんなさい」

 そらに背を向けたまま誠はつぶやく。

「もともと勝手に気球に乗り込んだのは俺ですし、そっちは結構ちゃんとした任務としてこの世界に来ていますもんね。そりゃ、隠し事の一つや二つあるに決まっていました。そこを教えてもらえないからって好き勝手文句言って、本当にごめんなさい」

 素直に謝れる男子高校生は、寝返りを打ち、そらの方を見た。

「んー? すきー? 」

「……」

 寝ている。寝ぼけている。

「いや、まじかこの女」

 しかも好き勝手の好きの部分だけ切りとってリピートするな。

「へー、まことくん、あたしのことすきなんだー」

 そう言ってすり寄ってくるそら。

「へっ、い、いや、好きとかそういうのは……」

「すきじゃないの?」

「好きです‼」

「えへへ」

 満足した顔で誠の袖を掴み、再び寝息を立て始める。

 王と対峙したときよりも緊張し、体を硬直させる誠は必死に頭を回そうとしていた。


「やっほーです、せんぱい」

「待ってた!亜湖!」

 思考がキャパオーバーしたときに表れる俯瞰装置、脳内亜湖の登場である。便利な女だ。

「今回の議題は、朝起きたら女の人が隣で寝ているときの対処法です亜湖さん!」

「やっぱりせんぱい、こういう綺麗な女性が好きなんですよね」

「まあな。嫌いな男はいないと思うぞ」

「むー。まあいいです。いいでしょう。簡単ですよせんぱい。まずは、寝返りを打つような軽いフットワークでそらさんに右手を回して抱き合ってください」

 そらは仰向けになっている誠の左腕を掴んでる。このまま右手をそらの方に回して抱き合え、そういっているのか?

 脳内の亜湖の指示に従い、横向きに抱き合う。あ、いい匂いする。


「えへへ、誠くん」


「ねえ亜湖!この人俺の名前呼ぶんだけど‼」

「これはもう脈ありですよせんぱい。葉っぱくらい脈ありますよ」

「葉脈ぅ~~」

「せんぱい!ほっぺた触りましょう。今なら許されますよ!」

「えっ本当か!」

 アドバイスに従い右手でそらの左頬を撫でる誠。アドバイスというが、全部彼の一人芝居であることを我々は忘れてはならない。

「……ねえ、せんぱい」

「多分俺と亜湖、同じことを思っていると思う」

「ですよね。」

「……キス、してもいいかな」

 気持ちよさそうに眠っているそらの顎を指で触る。そしてそのまま、目を閉じ、唇を。


「いや、なかなか積極的だねー朝から」

 そら、起床。

「あっ……」

 抱き合っていて、顎を触っており、目を閉じたまま顔が近づいている。

 どこからどう見ても眠っているそらにキスをしようとする男の絵がそこにはあった。

「ご、ごめんなさい!」

 慌ててそらから離れる誠。しかしそれを許すそらではなかった。

「離れちゃいや。」

 そう口ずさみ、少年の首に両腕を回した少女は、目を閉じ唇を重ねた。

「っ……」

 離れた唇から少しこぼれる唾液すらも愛おしい。ぼうっとした頭で誠はそんなことを考えていた。

「こういうことがしたかったんだねー、少年」

「……」

「続きをしたい気持ちはあるんだけど、そういうのは元の世界に帰ってからにしよう? 」

「……か、帰れるって信じていいんですかね」

「キスしようとした女のことすら信じられない?」

「それは……」

「それにたとえ嘘だったとしても、キスしようとした女の嘘すら抱えられない器の小さな男だとは思えないよー」

「……帰ったら、絶対続きですからね」

「あーあー、やらしい少年だね」

 二人は目を見て笑いあい、激動の一日へと身を投じる準備をする。


「あと傍付き人が四人、王様が一人だね」

「ですね。昨日、俺の癇癪ですごく中途半端なところで反省会が終わった気もするんですけど、今後の方針はどうしますか?」

「不意打ちで王を叩く。この世界が悪意を持って現代日本に攻めてくるかどうかはわからなくなっちゃうけど、王がこちらの命を奪おうと考える以上それが最善よ、というかそれしかないかも。その道中でできるだけ不意打ち成功の確率を高めるために傍付き人は全員倒す。それでどうかな」

「なるほど。王から逃げ回っていても確実に負けるし、ならこっちから倒しに行くのが正解ですね。」

 今後の方針を決めた二人は、不意打ちをかますには王がどういう生活をしているのか知る必要があると考え、王の生活スタイルを把握するために再び城へと向かった。


「不意打ちだとか言われても、全部聞こえているんだがなあ」

 自室でお茶を飲みながら王はつぶやく。

「なぜ王は今奴らを殺さないのですか? 王ほどの力があればここに座ったままでも二人を殺せると思うのですが。」

 王の隣でティーポットを持っている男が尋ねる。

「まあ理由は二つだな。一つ目は純粋に、ここで遠隔で殺したらあいつらはわけのわからないまま死ぬだろう。うちの傍付き人一人を殺しておいてわけもわからず死にました、それでは済まない。」

 殺したのは王様ですけどね。と男は思ったが口には出さなかった。

 シャンデリアに潰され気絶した五代は、王と約束したことを守れなかった罰にその命を奪われている。

「後悔や絶望を抱えて死んでほしい、ということですね。もう一つの理由は?」

「あの女に興味がある。」

 王の脳裏にはあの時の光景がよみがえっていた。

 光景を思い出せるほど、何が起きたのかを認識しているわけではないが。

「あの女はあの時、青の光で地面に深い穴を掘った。そこまではわかるんだがそのあとがわからない。気付いた時にはもう城の遥か外に出ていたんだ。」

「あー、あの三条が塞いでいた穴は女があけたものだったんですね。」

「そういうことだ。思うにあれは光の力ではなく、あの女個人の超能力」

「……超能力」

「あれが光の力によるものだった場合、どれだけ工夫しても儂が認識できないということはあり得ない。ただ脱出方法は人知を超えている。だからあれはそういうたぐいのものだと予想する。それに興味があるのだ。」

「左様ですか。納得しました。」

「ところで。」

「なんでしょう?」

「五代が兵士レベルの指輪を装備した旅人に負けたということで儂の中で傍付き人の評価が著しく下がっている。それこそ、傍付き人を一新しようかと考えるくらいにはな」

 それを聞き男の表情が曇る。

「お言葉ですが、王。」

「五代は傍付き人の中でも最弱、とでもいうつもりか?」

 図星をつかれ、口を閉じる男。

「確かにお前は傍付き人の中では最強だ。すなわちこの国の中で二番目に強い男だ。そんなことはわかっている。わかっているがな、お前が五代を最弱だと言えるほどの差はそこにはない。もしあれば傍付き人という括りでお前らをひとまとめにはしないだろう?」

「で、ですが、それでも五代と私には絶対的な差がありました。私ならあんな旅人風情に後れを取ることは」

「だがもう奴らは傍付き人の指輪を手に入れているぞ?」

「……」

「まあいい。儂はただ証明してほしいんだよ、傍付き人たちの強さを。だから戦ってきてくれ。」

「……承知しました。行ってまいります。」

 ティーポットを置き、部屋から出ようと歩を進める男を王は呼び止めた。

「いや、お前が戦うのは最後だ。なんせお前はなんだかんだ傍付き人の中で最強だからな。お前が旅人に勝っても、序列二位以降の強さを測ることはできん。戦うのは序列四位の四宮から順番にひとりずつ、だ。わかったか。わかったらこの会話の内容を傍付き人全員に通達してくれ。儂は昼寝でもする。」

 言いたいことを捲し立てた王は、そのまま自室のベッドに向かった。

 舌打ちをしたい衝動を堪え、男は傍付き人全員に王との会話を伝える。

万が一にでも負けたら、王に殺される。その緊張感と、旅人風情に負けるはずがないという油断を入り混じらせ、傍付き人たちは旅人の迎撃態勢に入った。


「さて、そらさん。」

 王と傍付き人の会話内容など微塵も知らない旅人二人は、いよいよ城の門を開け、玄関にたどり着いた。

「この扉を開けたら王に瞬殺される、ってこともあり得ますよね。」

「んー。それはないんじゃないかな。」

「その心は?」

「もし王が私たちを殺すつもりならもう殺されているよ。あれほどの力があったら遠隔で人を殺すくらいわけないと思うの。だからきっと王は、絶望や苦痛を与えてから殺したい、とか思っているのよ」

 二人に知る由はないが大正解だった。

「言われてみればそうですね。」

 じゃ、行きますか。と少し緊張した面持ちで誠は扉に手をかける。

 ぎぃ、と鈍い音を立ててゆっくりと扉が開いていく。

「ようこそでーす」

 あれだけぼろぼろに倒壊していた豪華な洋風の内装は、五代と戦う前のようにきれいに整理されていた。

 前回と違い、二階へ続く階段で待ち受けていたのは女だった。

「どうも、です。」

 たどたどしく返事をする誠。

「あーしの名前は四宮ユリカ。傍付き人が一人よ。あなたたちはなんとか誠くんとなんとかそらさん、今王宮をにぎわしている旅人二人で間違いないよね? 」

 無言で肯定しながらあたりを見渡す二人。他に誰かいる様子はなく、状況が状況でなかったらお出迎えに来てくれたかのような空気だった。

「そんなに警戒しなくていいよ。王サマは今お昼寝タイムだから。」

「は……?」

「君たち五代くんに勝ったでしょ?そのせいであーしらの信頼も巻き沿い食らって暴落してさー。一人ずつ戦って旅人風情に負けないことを証明しろ、証明できなかった奴は殺すみたいなこと言われたんだわ」

 それを聞き誠は顔を曇らせた。誠には五代を殺した記憶がない。すなわちシャンデリアに潰された五代があの後王に殺されたのだろうという事実に行き着いたのだ。仕方がなかったとはいえ、自分が原因で人が死ぬことはいい気分ではない。

「で、手始めに四宮さんが俺たちと戦うってわけですか。」

「そういうこと。」

 だが今の会話から、この瞬間にも王に殺されるという心配をしなくてよくなり、うまくいけば傍付き人を一人ずつ削っていける、という希望がわいた。

「……戦わない選択肢、そうですね。四宮さんが俺たちを殺さないよう王を説得してくれる役目を務めてくださるとかそういうのは? 」

「あると思った? 」

 笑いながら階段を下りてくる四宮。

 これは戦いは避けられないな、と察し誠とそらは臨戦態勢に入った。前回はそらが完封されている状態だったため人数の有利を作り出すことができなかったが、今回は二人とも万全の状態で動ける上に誠は傍付き人の力を持っている。

 勝てるんじゃないか。という希望が湧いたその時だった。


「え」

 階段を下りてきていた四宮の胸元が突然真っ赤に染まった。目が大きく開かれ、赤く染まった個所を抑えながら振り返る。彼女の背後にはいつのまにか男が立っており、その手には赤く染まった刃渡り数十センチの短剣が握られている。ゆっくりと四宮が倒れ、階段から転げ落ちた。

「さんじょうくん……?なんで?」

 それが彼女のこの世最後の言葉になった。


「はじめまして、だね。」

 目の前で起きた現象を把握するのに数秒の時間を要した二人は、回っていない頭でから返事をする。二人はにこやかに挨拶をしてきた、嫌に爽やかな金髪の男が何のために四宮を殺したのか、そしてこの男が敵なのか味方なのか測りかねている。

「おいおい、何緊張しているんだ?倒すべき対象が一人減ったんだから素直に喜びなよ。」

 はは、と男は笑う。


「せんぱーい。」

「……待ってた。」

「ここ最近あたしのこと酷使しすぎじゃないですか?好きなんですか?」

「あー、好き好き。」

「今朝別の女にキスした口であたしに愛を囁かないでください……」

「……」

「ここは素直に喜んでいいと思いますよ。あたしは彼から敵意を感じることができません。もしかすると一緒に王を説得してくれたりする人かもしれませんよ?」

「俺もそう思ってはいるんだが。」

「まあ、あたしは先輩の脳内の存在ですしそりゃ基本的には同じ考えですよね……」

「警戒を解かないようにしつつも話を聞くのが正解かなあ」

「死ななければそれでいいですよ。ちゃんと帰ってきてくださいね」


「あー、待ってろ。」

「ん、どうしたの誠くん」

「なんでもないです、独り言です。そらさん、俺あいつと会話します。いいですよね?」

「私もそれがいいと思っていたところだからそうしよー」

 警戒しつつも階段の方へ歩いていく二人を見てうれしそうな顔をする金髪の男。

「おー、警戒しながらも話くらい聞いてやろう、といった歩き方だね」

「それ口に出す必要ありますか?」

「安心しなよ。僕は君たちの味方だよ。王が寝ているこのタイミングでしか接触できなかったからこういう形をとらせてもらったけどね」

「……四宮さんを殺す必要はあったんですか?」

「なになに、敵に感情移入かい?それは矛盾しているよ誠くん。君がユリカちゃんに勝っていたらどっちみち彼女は王に殺されている。ここで重要なのは、もし僕が彼女を殺さずに気絶とかさせて君らに接触していたとしても、ユリカちゃんが旅人を取り逃したことには変わりないんだから王はどうせ彼女を殺しているってこと。」

「……」

「どうせ彼女は死ぬんだ。なら、下手に気絶させて僕たちの会話を邪魔されるリスクを残すよりも殺した方が合理的じゃないか?」

 納得させられた誠は黙り込んだ。平和な日本とはまるで違う環境にいることを嫌でも思わせられる。

それに、どうせ死んでいるようなものだしね。男は次にそうつぶやいたが、その声は二人に届かなかった。

「待って。えーと、」

「三条深夜。シンヤでいいよ。」

「じゃあシンヤくん。私はそう簡単に味方だって言われてもあなたを信用できない。確かに傍付き人を一人消してくれたことに関しては感謝するけど。」

「……こっちの世界に主体的に来たのはそらちゃんの方だよね?」

 シンヤくん、そらちゃんとお互いがお互いを後輩かのように呼ぶ光景が少しおかしくて誠の口に笑みが浮かんだ。

「そうだよ。私が誠くんを連れてここに来た。」

「目的は?」

「いうと思う?」

 ははっと爽やかな笑い声を立てたシンヤはそらに近づき、耳打ちをした。

「……の場所を教えるよ」

 誠は前半部分を聞き取ることができなかったが、それを聞いたそらの顔には驚愕の色が浮かんだ。

「……わかった。信用に値する人だってことはわかったわ。でもあなたの目的を聞きたい。話はそれからよ。」

「自分の目的は明かさないくせに人には聞くんだね、傲慢」

「うるさい。」

 シンヤと話すそらからは誠を相手するときの余裕が失われていて、彼は少し複雑な気分になった。

「立ち話もなんだ。僕の部屋に来ないか?」

「いいわよ。行きましょう」

「えっそらさん俺の部屋には来てくれないのに……」

「そんなタイミングいままでなかったよ」

 雑談しながら十数分歩き、三人はシンヤの部屋にたどり着いた。

「どうぞ、自分の部屋のようにくつろいでいいよ」

 高校の教室程度の広さに質素なベッドと机だけ置かれているアンバランスな部屋に通された誠とそらは、緊張した面持ちでくつろげるところを探す。しかし何度見返してもその部屋にはベッドと机しかなく、くつろげるスペースは一人分すらなかった。

「え、その勉強机に一人腰かけるとしてあと二人分のスペースを確保しなきゃいけないんですか? この質素な部屋で? 」

「こら、誠くん。さすがにその言い方は相手がこんな人の住んだ形跡がない部屋に住むようなもの好きだとしても酷いよ」

「絶妙に酷くない言い方でツッコミ辛い!」

「全部聞こえているよ……」

 シンヤがため息をついた。

「あと、君たちがくつろぐのはこの部屋じゃない。あの扉の奥の部屋だ」

「奥の部屋?」

 彼が指をさす方向には頑丈そうなこげ茶色の扉があった。二人はその秘密の部屋への入り口のような、それにしてはあまりにも目立つような、何とも言い難い扉を見て、何とも言えない顔をした。

 あの部屋の奥にくつろげる空間があると思いますか? と誠はそらに目で訴えかける。オーバーライドの力など使わなくても、ないと思うよというそらの声が伝わってきた。

「何とも言えない顔で会話しないで。ほら、行くよ。ここまでついてきたんだしある程度信用してくれているんでしょ」

「あー、いけないんだーシンヤくん。いくら女の子が部屋に一人で遊びに来たからってそれを襲っていい言い訳にしちゃいけないんだよー?」

 あはは、というシンヤのとぼけた笑い声にかき消されたが、「いや、マジで。殺すぞあいつ」とぼそっと呟かれたそらの声は確かに誠の耳へ届いた。

 なにがあったんだそらさん。清純なのかただの旺盛な大学生なのかどっちなんだ。どっちにしても最高だけど。ますます誠の中でそらさんへの好感度が高まった。

 三者三様に思うところがありつつも、シンヤの手招きで二人とも秘密の部屋の中を覗いた。

「……研究室?」

 部屋の真ん中には四つの机で構成された島があり、部屋の周りを薬品やガラス容器などの入った棚が取り囲んでいる。

 実験器具は高校の理科室にあるレベルをはるかに超えており、当然卓球ラケットの代わりになる例の小箱も机の上に乗っている。そら曰く、大学の研究室に匹敵する設備らしい。

「えぇ、そらさん、理系だったんですか?」

「つっこむところそこじゃないよー。アルファ崩壊の話とか一緒にしたじゃん。ほら、誠くん。もっと現実を見て。この研究室なにかおかしくない?」

「……そうですね。」

 数瞬の間考えこむ誠。そして、そもそも研究室というものが存在することがおかしいということに思い至った。

「そうか、この世界は想像ですべてまかなえる世界。それなのに物理学や化学というものが研究されていることがおかしいんだ」

「そうなんだよねー。ねえシンヤくん。ここは何をする場所なの?」

「え?なにって、研究だよ。そうだね、ちゃんと自己紹介をしようか。僕はこの島で唯一の科学者、三条深夜。気軽に三条博士って呼んでくれてもいいんだよ」

 爽やかな笑みで握手を求めるかのように手を差し出すシンヤ。

 それを無視して誠は問いかける。

「そんな胡散臭いくらいに似合う金髪で博士とか言われても信用できないんですけど」

「ん、褒めてる?さんきゅー。でも、僕はそっちの世界に行ったとしても相当なクラスの科学者だと思うよ」

 その言葉を聞いた誠の背筋が伸びた。

「い、いまなんて?」

「ん?カブトムシ?」

「それは絶対言ってなかったから、違う、その前だ!っていうハリウッド映画によくある言葉すら言えないんですけど。」

 ツッコミを聞き流したシンヤは何かに気付いたような顔をして眉をひそめた。

 そらを呼び誠に聞こえないよう耳打ちをする。

「もしかしてそらちゃん。君、この島のことについて誠くんに何も話していないの?」

「……ええ。」

「なんで?」

「……私が思うに、もうこれしか勝ち筋がないから、かな。あとで二人きりで話したい。」

「いいよ」

「また俺抜きでこの世界の秘密の話ですか? そらさん。」

 そらと寝た夜以降、できるだけ異世界の秘密について詮索しないようにしていた誠だったが、ここまであからさまに省かれるといらだちを覚えた。その不穏な空気に気付き、そらから離れたシンヤが笑顔で誠の方に向き直る。

「僕は島内一の科学者だよ。君の世界の話も少しくらいは知っているさ。」

「いや島で一番なのは確かにそうですけど、島唯一の科学者ですよね……まああくまで誤魔化すというのなら俺は詮索しませんけど。いつか聞かせてくださいね。」

 唇を噛み、こぶしを強く握りしめた誠が、誰から見てもわかる強がりを言って口を閉じた。

「そうだね、ごめん。その時が来たら必ず言うよ」

ひいてくれた誠を見て安堵のため息をついたそらは、一つの可能性を見落としていた。

数十秒待たされている誠が、そらの隠し事の内容にたどり着いている、という可能性に。


「僕が研究をしている理由は二つあるんだよ、一つは代々その血筋だから。」

「父親も研究者だったんですか?」

「そう。で、もうひとつ。」

 そこでシンヤは言葉を切り、顔をあげて誠の方を向いた。

「誠くんは兵士クラスの指輪でうちの五代を倒したんだよね。」

「そういうことになりますね。」

「なら大体この光の力について理解したころだと思うんだけど、念のためおさらいしておくね。赤の力が起こり得ることを起こす力。って言っているけど正直想像したことを現実に起こす力だから、起こるはずがないことも起こそうと思えば起こせる。鮮明なイメージが必要だけどね。青の力は化学変化を引き起こす力という理解でいい。だから質量保存の法則などは守られる。」

 だいたい誠の理解した通りだった。それに加えて、オーバーライドはオーバーライドによって上塗りできることも把握している。その際はイメージ度合いと階級によってレベルが決まり、上回った方が上塗ることができる。

「そうだね。ここで重要になってくるのは、赤の力の万能性だ。」

「そうね。青の光で空を飛ぶことはできないけど、赤の力では可能。反対にあの力でできる化学変化は赤の力で引き起こすことができる。」

「正確に言えば熱と上昇気流や磁力などの使い方次第で青の力でも空中を浮遊することはできるんだけどね。じゃあ、ここで問題。赤と青の最大の違いってなんだか考えたことあるかい?普通に、赤の光で全部まかなえるのなら青の光なんて必要ないわけじゃん」

「青の方が、科学的な根拠がある分イメージしやすいから、打ち消されにくいのとイメージミスによる失敗が少ない、ということですよね」

「そう。この島でもそっちの世界でいうところの中等教育程度の教育は義務付けられている。とはいっても人口数百人から千人程度だからそこまで優秀で組織だった教育機関があるわけではないんだけどね。だから、青の力は特定の状況下においては赤の力に勝るんだ。」

「それには納得ですけど、その前にひとついいですか。この世界には教育機関があるって本当ですか?」

「そこ食いつくんだね。そうだよ。この島には教育機関がある」

この世界の政治形態はどうなっているんだ、と疑問に思った誠だったがすぐに王政国家だったことを思い出す。教育を施し、一般教養や道徳と一緒にオーバーライドについての知識を受けさせ、絶対的な序列を学ばせることで反乱も起きないようにしているのだろう。

「ここでひとつ、聡明な誠くんならもう気づいているかもしれないこの力の真理を教えよう。」

 年上のイケメンに聡明な、と褒められたことが少し嬉しく誠は顔をほころばせた。

「この世界で一番科学について理解している僕は、最強の青の光を使うことができる。さっきの話からすると最強の青の光は赤の光すら上回る。すなわちこの世界で一番強いのは、僕なんだ。」

「えっ、自慢話だったの?」

 照れたように笑うシンヤを見て、少しだけ緊迫していた空気が緩んだ。

「ということは、シンヤくんが傍付き人で一番強いっていうことなの?」

「……んばん」

「え?」

「三番手です」

「正直でよろしい。」

「っていうことはそらさん。なんかこの人味方になってくれそうな空気醸し出していますけど、味方になったところで格下三人が序列一位と二位と王の三人を倒さなきゃいけないという現実には変わりない、ということですか?」

「めちゃくちゃ言いにくいことさらっていうじゃん。シンヤくんへこんでいるし……」

 会話に一区切りがついたところで、研究室の入り口でずっと立ち話をしていた三人は部屋の中でくつろげるスペースを探した。誠とそらはソファに腰かけ、シンヤは研究室の椅子に座った。

「さて、本題に入ろう。」

「本題、ですか?」

「ああ。扉は締まっているかい?」

 シンヤは研究室の扉の方を見、しっかりと扉が閉まっていることを確認した。

「オッケーだ。じゃあ誠くん。ちょっと何でもいいから光の力を使ってみてほしい。」

「……? はい。」

 戸惑いながらも、誠はそらの靴下が脱げる想像をした。服を脱がそうかと思ったがそうするとシンヤにもそらの裸を見せてしまうことになるのでやめた。

「あれ? 」

 しかし数秒、数十秒想像をしてもオーバーライドの可視光線は発現しなかった。慌てて右手の中指を見るが指輪は外れておらず、力が使えないはずがなかった。

「……部屋が原因、ですか?」

「ご名答。この部屋は光の力を完全に遮断することができる特殊な部屋なんだ。」

 科学者として存在が認められているシンヤは王に頼みこの部屋を作った。

 携帯電話の性能チェックを、余計な電波が妨害してこない完全に電波を遮断する部屋の中で行うように、想像により半分自動で現実が書き換えられてしまう光の力は科学には最も邪魔なものなのだ。ということを王に伝え、許可をいただいたという運びである。

「つまりこの部屋は、完全に王を遮断できる部屋だということ。」

「そうか、俺たちの行動を完全に予知するほどの圧倒的な王のオーバーライドをもってしても、そもそも光を通さない特殊な部屋なら何も手を出せないのか。」

「だから君たちをこの部屋に招き入れた。王の殺害計画を王に知られるわけにはいかないから、ね。」

 王の殺害計画。急に出てきたその物騒な単語を聞いた誠の脳裏に四宮ユリカの死体がフラッシュバックする。そうだ。俺はそういう世界に身を投じていたんだ。改めて自身の置かれた状況を理解しなおす。

「でもさ、シンヤくん。四宮さんを殺したのがあなただってことはもう王にも気づかれているわけでしょ?そのうえで、君がこの部屋に私たちを連れ込んだっていうことはもう私たち三人が王を倒すつもりだっていうこともばれたんじゃないの?」

「ああ、そうだと思う。でも殺意はばれたとしても、殺害方法までばれなければいいっていう話だよ。あと、王は自分以外を舐めているからね。きっと彼が次にとる行動は、残り二人の傍付き人をけしかけて僕たち三人を殺すことだと思うんだ。もう夕方だ。だから今日はここに完全に隠れる。王以外の傍付き人にはこの部屋の存在が知られていないからね。それに、見せたいものがあるんだ。だから決戦は明日の朝。スケジュールに疑問点は?」

「ない。順調にいけば明日の夜までには王との決着がつくっていうことですね」

「やったわ。テストに間に合う」

「この状況で気にすることそれですか……」

「これ以上単位落としたら若干留年の危機なのよね。一浪一流女子大生はさすがに嫌すぎる」

 そらさん、浪人していたのか。思わぬところで複雑な気持ちにさせられる。


「誠くん」

 シンヤが申し訳なさそうな顔で誠に呼び掛けた。

「そらさんと二人で話したいから俺はどこかにいっていろ、って話ですか? 」

 不機嫌そうな声で返事をする。

「うーん、そうだねそういうことになる。ただ誠くんはこの部屋にいてほしい。」

「この部屋に? 」

「そう。僕とそらさんはこのままちょっと下に降りる。たぶん30分くらいで話は終わるからそれまでこの部屋でちょっと待っていてほしい」

「……わかりましたよ。」

 不機嫌そうな誠と目を合わさず、そらはシンヤについていった。彼らはオーバーライドの力を遮断すること部屋と同じ材質でできた防護服を着こみ、王に探知されないようにしてから部屋を出ていった。

「そらちゃんには感謝したいことがあってね」

「なによ。大好きな誠くんを置いていって傷心中なんだから変に話しかけないで。」

「あは、大好きな誠くん、ねえ。君たちが出会ったのは数日前という話だけどそれだけでそんな大好きになるかね」

「シンヤくんは女心を全くわかってないんだね。科学実験に興じている暇があったらデートの一つや二つでもしたほうがいいんじゃなくて? 」

「うるさいなあ。島から出ればいざ知らずこの島には僕のことを満足させられる女の子なんていないんだよ」

「視野が狭いんじゃなくて? 」

「三日前に出会った少年を誑かすような性悪女に言われたくはない。誠くんを誑かせて何が目的なんだい?」

「別に誑かしているわけじゃないわよ!」

 急に大きな声を出したそらに少し驚くシンヤ。

「私は……楽しかったから」

「……」

「誠くんといたこの数日は、本当に楽しかったの。命を守ってもらったことなんかよりよっぽど、私を楽しませてくれたことの方が」

「楽しかった、ねえ。僕に上から恋愛指南をしてきたわりに君は女子中学生みたいなことを言うんだね」

「……女子中学生、か。私中学校には行っていないんだよね」

「は? 僕の知っている義務教育というやつは廃れたのか? 」

 現代日本では教育を受ける権利というものが存在しており、日本人の親には小学校、中学校へと通わせる義務がある。当然そらも日本人なので義務教育を受けているはずなのだが。

「私、今二十一歳なんだけど」

「いや聞いてないけど。」

「十九歳で大学に入るまで、家の敷地から出たことがなかったの。」

「……」

「まあ家の敷地がすんごい広大だったから不自由はあんまり感じなかったんだけどね」

 なんでいちいちちょっとした自慢を挟むんだ。でもそうか、だからこそそらは。

「だからこそそらちゃんは、たった数日の人の優しさに触れただけで落ちちゃったんだね」

 俯くそらの耳はほんのり赤く染まっていた。

「……いいから、大切な話とやらをしなさいよ。」

「そうだね、もう少しで着くから」

 彼らは階段を下り、遥か地下へと降りていた。

「ここを見つけたのは本当にたまたまでね。」

 一階の広間の床板を外したところに現れた、明らかに正規の階段ではない階段を降りていく。

「そらちゃん、何が目的かわからないけれど王から逃れるときに床にすごく深い穴をあけたでしょ。」

 先日の戦いで、彼女自身が床に穴をあけたことは記憶に新しかった。

 それがどうかしたの? という顔でそらがシンヤの方を見る。

「あの穴をふさぐように命じられたのは僕なんだよね。本当大変だったよ」

「え? 」

 王ほどのオーバーライドの力があったらあの程度の穴を塞ぐのなんて一瞬だろうにどうしてだろう。

「たぶん、王は悔しかったんだと思う。」

「悔しかった?」

「この島において彼は絶対の存在だからね、女の子一人に出し抜かれたのがかなり衝撃的だったのさ。だから嬉しさと悔しさの混じった顔で僕に穴を塞ぐよう命じてきたんじゃないかな。」

 男の子っていくつになってもそういうところあるよね。そんなに男の子のこと知らないけど。

「さて、そらちゃん。君が床に深い穴を開けてくれたことで、僕は地下深くに封印された隠し部屋を発見したんだよ。」

 階段の終着点らしき踊り場の壁には扉があった。

「この階段は床を塞ぐときに僕がついでに建設したものなんだ。荒っぽい作りでごめんね」

「なるほど、ここがシンヤくんが私に教えてくれるっていったあの場所ね。」

「そうだね。君が僕を信頼するきっかけになった場所だよ。」

 シンヤがドアノブに手をかけた。

「ちなみに不安だと思うから言っておくと、王の島全体の出来事を把握する恐ろしい力は、平面は島全体という膨大な範囲だけど、高さ的には地表より上、城の最高地点より下という限られた部分しかないんだ。王が意識しない限りはね。だからここで何があっても王に知られることはないから安心してほしい」

 扉を開く。電気をつけ、部屋全体が明るく照らされることにより、部屋の真ん中に鎮座している物体の詳細がよく見えた。


 氷漬けの生首。


「これ、が……」

 そらが息をのむ。絶句したそらに代わり、シンヤが続きを紡ぐ。

「そう。これが、光の力の根源だ」



「おかえりなさいー」

 ソファで休日の猫でももう少しましな体勢をとる程度には酷いだらけ具合の誠が二人を出迎えた。

「そらさん、大丈夫でした? シンヤさんに襲われたりしませんでしたか? 」

「んー、そんな心配してたのー?大丈夫だよ安心して。この体は誠くんのものだから」

「それ部屋の外でシンヤさんにも同じこと言っていたんでしょ……」

「さすがにえっちな漫画の見過ぎです。早いけどご飯にしよー、シンヤくん、ここの部屋ってご飯作れる環境あるの?」

「まあ、火と鉄板はあるし、食材は少しなら冷蔵庫に入っているし、調味料は作れるからできると思うよ」

 調味料は作れるから、という不穏な言葉が気になったがどうやら部屋から出ずとも晩御飯にはありつけるらしい。特殊な防護服を着ずに部屋から出た瞬間、傍付き人に見つかる可能性があるから、オーバーライドの力で食材を確保することもできず、どうしようか迷っていた誠には朗報だった。

「うーん、この感じだと野菜と肉を茹でる程度が限界かなー、シンヤくん、塩は?」

「待ってね、作る」

「作る? 」

 塩、食塩、塩化ナトリウム。それが塩酸と水酸化ナトリウム水溶液から生成できるということは今日日中学生でも知っていることではあるが、まさかそれを本当に実践する奴がいるとは思ってもみなかった。

「調味料っぽいやつだとあとは砂糖と酢くらいしかないかなぁ」

「カルボキシ基の棚から酢酸を取り出すのやめてもらっていいですか……」

「誠くん、何か苦手な食べ物とかアレルギーとかある? 」

「あー、パクチーとコオロギは苦手ですね」

「そんなコアな食材使うつもりないから。」

 コオロギは食材認定を受けていた。

 一時間もしないうちに素朴な匂いが部屋に充満する。

「お腹すいているからこんな野菜茹でただけの匂いでもすごく美味しそうですね」

「でしょ、人間はちょっと複雑な味に慣れすぎなのよ。どうせほとんど味なんてわかっていないんだから塩を一振りするだけでいいんだよ。」

 炒飯やラーメンにコショウやニンニクをふんだんに盛ることが生きがいの誠は黙る。あー、亜湖と頭の悪いラーメン食べに行きたいなあ。

「ところでそらさん。野菜ばっかり調理していますけど、肉って存在するんですか? 」

「……」

 二、三秒の間があいた。

「あは、そうだね。やっぱりお肉食べたいよね……」

 きっとシンヤの方を睨むそら。その目は「肉くらい用意しておきなさいよ」と叫んでいた。

「いやいや、ないならないで全然。」

「……いいや、あるよ、大丈夫。とはいっても冷蔵庫に一切れしかないんだよね。喧嘩になっちゃうと思っているんだけどそらちゃんお肉食べたい? 」

「あー、私は平気。明日の戦いはたぶん誠くんがキーになるだろうし、食べなよ」

「肉譲ってくれるのはすごい嬉しいんですけど、俺がキーになるんですか?」

「そうだね、確かに僕の頭で描いた作戦でもそうなる。食べながら話そう、明日のことについて。」

 シンヤの言葉で三人は食卓に着いた。器に盛られたご飯が運ばれてくる。誠の器にだけ一塊の肉が入っていた。本当に一塊しかなかったらしい。一人暮らしの大学生か。

「じゃあ、いただきます」

 手を合わせて温野菜を口に運ぶ。そらの言う通り、複雑な味付けのない素朴な料理だったがだからこそ野菜の甘さと塩っ気が口の中で完全調和し、最高の料理となって混ざり合っていた。

「……美味しい」

 誠は思わず顔をほころばせた。ごめん、亜湖。俺もうニンニク効いたラーメンじゃなくても満足できる体になってしまったよ……。

 続けて肉に手を伸ばす。

「……これ、は?何の肉ですか、食べたことない味です。」

 不思議な味だった。牛や豚、鳥とは全然違う食感だが羊やシカのような独特な臭みもない。とどや顔で独白するが、彼は牛と豚を見た目以外で判断することはできない。

「……もしかして、オーク……?」

 誠は最悪の可能性に行き当たってしまった。そうだ。今まで人間しか出てきていないとはいえ家畜の類はまだ出会っていない。豚とよく似たオークが飼育されていてもおかしくないのだ。オークの酢漬けというパワーワードが頭をよぎったとき、そらが口を開く。

「……ああ、ごめんね。ちょっと考え事してて。オークの肉じゃないと思うから安心して。まあ私も何の肉か知らないんだけど」

 それを聞き怪しげな笑みを浮かべているシンヤ。本当にオーク説が浮上してきたな。

「まあいいや。それにしても考え事ってなんですか? あ、また二人の秘密の話ですか? 全然いいんですけど、いや、全然いいんですけど。」

「や、ちが」

「……でもさ」

 大人ぶっているところはあるが、誠は所詮高校生、思春期真っただ中の男である。彼があからさまに隠し事をされ続けている状況に憤りを感じないはずがなかった。

「その隠し事を俺が快く思っていないことくらいはさすがに知っているでしょ。それなのにそれを改めて意識させるようなことを言うのはさすがにマナー違反だと思うんですよね。俺はもう隠し事については我慢して詮索しないって決めているんですよ。だからこれ以上意識させないでくれません?」

 誠は苛立ちを隠そうともせず静かに怒りをぶつける。

「……ごめんなさい。」

 そらは言い訳せずそれ以上のことは何も言わなかった。誠も少し反省し、黙る。数分の無言の食事が続いた。

「重い空気のところ申し訳ないんだけど明日の話をしてもいいかな? 」

 沈黙に耐えかねたシンヤが口を開く。

「はじめに、残った二人の傍付き人の固有能力を解説するね。」

「固有能力? 」

 聞きなれない単語に誠が再び口を開いた。

「そう。傍付き人って別に生まれた時から傍付き人の指輪をもらっていたわけじゃないんだよ。それこそ僕なんて将来は工芸人か農民だったと思う。科学はこの島だとそこまで役立つものじゃないからね。」

 彼が言うに、傍付き人はオーバーライドの力を一般人のままでも使いこなした人間に王から直々に声がかかるシステムらしい。ヘッドハンティングというやつだ。

「五代くんは圧倒的な想像力。四宮ちゃんは赤の力で自身の時間を制御することができた」

「時間の制御?」

「うん。簡単に言えば高速移動とか緊急回避だね。ぶっちゃけ彼女を不意打ち以外で倒すのは相当骨が折れると思う」

 それを聞いて不謹慎ながらにほっと一息をついた誠とそらだった。

「ただ五代くんと四宮ちゃんの能力は使おうと思えば僕や序列二位、一位の人にも使えちゃうんだよね。だからイメージ的には上三人と四位、五位は大きな差があると思っていい。」

「自分が三位だからってさらっと上位三位以降を別次元にするのってどうなんですかね」

 酷いこと言うなよ、という顔で誠を見るシンヤ。しかしシンヤは大人なので抗議を声には出さず、話を続ける。

「三位の僕は、圧倒的な科学知識による強固な青の光。対となる強固な赤の力は、絶対的なイメージ力を持つ一位。」

 五代以上の絶対的な赤の力を持つ序列一位に今の段階から震え上がる。

「待って、二位は?」

「二位の固有能力は、そうだね、君たちならもううすうす気づいていると思ったんだけど、さすがにわからないか」

 突然シンヤが挑発的な態度をとってきたことに驚きつつも、ここまで言われたからには、と誠は頭を回しはじめた。反対にそらには頭を回すつもりがさらさらなく、シンヤに話かける。

「ってことはシンヤくん。もし誠くんがこの世界の住人だったら、傍付き人に引き上げられていた可能性もあるっていうこと?」

「そうかもね。彼は混色の光、『絶対不可侵領域』を我流で生み出した。だから傍付き人に任命されてもおかしくはない。ただ、彼の力はカウンタータイプで、自分一人で何かできるっていうわけではないからわからないね。そもそも五代くんと同じ圧倒的な想像力に目をつけてもらえるかもしれないけど。」

 ……混色の光、紫のオーバーライド。そして、王の世界。

 誠の中で何かが繋がった。

「そうか、シンヤさん、わかりましたよ二位の力」

「ほう、さすがだね。じゃあ聞かせてもらおう」

 誠は右手の人差し指を立てた。

 それを唇に当てる。

「それでは、言葉を成すといたしましょう」


「……」

「……」

「……いや、あれです。これ言わないと推理パートへの気合が入らないんですよ……」

「……」

 そらもシンヤも、恥ずかしいものを見るような、この年齢なら仕方ないことかというような生暖かい目を誠に向ける。

「そもそも!」

 恥ずかしくなった誠は誤魔化すかのように声を荒げた。

 誠の脳内に思い浮かぶのは王の世界の白い光。

「王の、なんでも思い通りになる力が白の光だった時点で思い至るべきだったんですよ。緑の光の存在に。」

「緑の光……」

 色の三原色が赤青黄色というのは小学校の授業でも学ぶことであり、世間の常識となっているが案外光の三原色というものはある程度年齢が上がるまで学ぶ機会がない。赤、青、そして緑である。また、色の三原色を全て混ぜると黒になるのに対し、光の三原色をすべて混ぜると白となる。

 赤と青を混ぜると紫になるのは色も光も同じである。

「正解だ。誠くん。じゃあ緑の光の能力ってなんだと思う?」

「現象というこの世の全てを司る赤の光。物理的な現象を司る青の光。残りは、人の心を司るものじゃないのかな」

「やるね。どうしてわかったの?」

「そうですね、自分が圧倒的な青の力を持っていた時に負けるとしたら、ということを考えてみたんです。」

 明確な根拠に基づいた青の力は簡単に打ち消されない。それを上回るには、さらなる青の力か、対となる赤の力。しかしシンヤはこの島で一番の科学者。そして圧倒的な赤の力は一位が持っている。だから、シンヤを越えて序列二位になれるほどの固有能力とは

「もし自分の思考を支配されてしまったら、想像もクソもない。だからそうかなと思った感じです」

「うんうん。想像はついていると思うけれど、緑の力は相当強力なんだ。人の脳を操るためには相当な想像力が必要だから、そもそも普通の人には緑の光は出せない。人間は意識せずとも常に何かを想像しているからね。それを上回るほどの強力なイメージが必要だ。さらに、ただそれを上塗りするほどの鮮明なイメージがあれば緑の力を使えるかと言われればそういうわけでもない。」

 シンヤの言わんとすることは伝わってきた。人の意識を操り、その人の不利益になるような行動をとらせる。それは確かに常人の精神にできることではない。人間には教育や人間関係により深く根付いた道徳心というものがあり、人の嫌がることを本当にできる人間は案外少ないのだ。

「鮮明な想像力と強靭な精神力。いいや、人を意のままに操ることができる精神力を強靭だなんて呼びたくもないね。もはや狂人の沙汰だよ。そういう人間が、序列二位に君臨している。」

 いつも余裕ぶっていて軽薄そうなシンヤが絞り出すような声で放ったセリフに誠はおののいた。

「これが二位と一位の固有能力ってわけ、把握した?」

 シリアスな雰囲気を吹き飛ばすかのようにシンヤは笑いながら言葉を結んだ。

「で、王が俺たちも体験した『王の世界』ってわけですね」

「そう。閉鎖空間全体に赤、青、緑の全ての光を同時に練った白の光で覆うことで、一瞬の思考で部屋の全てを思い通りにすることができる。」

 今振り返っても恐ろしい能力である。通常は思考、対象の指定、発光、効果発動というプロセスを踏みオーバーライドは発生しているが、王の世界の中では対象の指定と発光という手順が存在しない。すなわち、常人よりはるかに速いスピードで現実を上塗りできるのだ。

 誠の『絶対不可侵領域』も近い効果を持っているが、あれはあくまで赤と青の光に対応するだけのカウンター。すべて思い通りに動かす空間を想像する王とは圧倒的な序列の差が存在する。

「王もずるいよね。この世界で二番目に強い傍付き人の指輪ですら、すべてを思い通りにする部屋をあの規模で長時間維持することはできないだろうに」

「……この世界の王だから仕方ないな」

「それで、シンヤくん。君はどんな作戦で明日に臨もうと思っているの?」

「まず、序列二位に対してだけど。」

 人の意識を操る緑の力使い。

「彼に対して複数人でぶつかるのは悪手だと思うんだ」

 同じことを誠も考えていた。操られて同士討ちになる可能性が最悪のパターンである。

「かといって洗脳相手に一人で挑むのはさすがに無謀すぎるとも思う。」

「じゃあどうするの?」

「物事を一つの面しか見なかったせいで大切なことに気付かないことはとても多い。今回考えなければならない事象は序列二位との戦いだけじゃないんだ」

 そう。序列一位との戦いも後に控えているのだ。

 最強の赤の光の使い手。

 現実を想像で上塗りするプロフェッショナルに対しては、正直三人がかりでも勝てるかどうかわからない。だが、逆に一人だけ勝てる可能性がある男がいた。

「最強の、青の光の使い手。」

「あは、急に褒めるなよ。照れるじゃん。そう。最強の赤に勝てるのは対となる最強の青、すなわち僕だけだ。」

「……それはそうだけど。勝算はあるの?」

 尋ねるそら。

「……」

 黙りこむシンヤ。いやないのかよ。今ありそうな雰囲気かもし出ていただろ。

「ない、わけじゃない」

 歯切れの悪い返答が聞こえてきた。

「説明して。可能性がある、という程度の話で一人で戦いに行かせてもらえると思った? 」

 そらは静かに、冷たく言い放った。

「わかった、わかりましたよそらちゃん。とりあえず順を追って説明するね」

 彼は観念したように両手をあげた。

「まず、明日は序列二位と、誠くんそらちゃんの二人が戦う。緑の力にできるだけ気をつけて、片方が洗脳されたら頑張って止める。彼は、人を操るイカれた精神だけが武器だ。だから誠くんの実力なら十分勝ちうる」

 片方が洗脳されてしまった場合、俺たち二人には緑の力が使えないのにどうやって洗脳を解くんだ、と誠は思ったが口には出さないでおいてあげた。

「その間に僕は序列一位と戦う。最強の赤に対となる最強の青をぶつけるっていうわけ。これが一番効率がいい戦い方だと僕は思う。」

 三人で序列二位と戦うのはリスクが大きい。だからあくまで二位とは二人で戦う。そしてその間に唯一一位に勝ちうるシンヤがそれと戦う。

 誠も同じ結論に至っていた。

「作戦はわかったよ。でも私が聞いているのは作戦じゃなくて勝算なんだよね」

 確かにまだシンヤはそこには触れていない。序列という順番で一度は格付けがされている身だ。普通にやっても勝てないことくらい、シンヤが一番わかっているだろう。

「勝算は、君たちが二位に勝てるかどうかだ。」

「……は?」

 予想外の言葉に誠もそらも戸惑う。

「私たちが勝てば、シンヤくんも勝てるっていうこと?」

「正確には、君たちが勝てば、僕にチャンスが訪れる、だけどね。」

 それは勝算というにはあまりに薄い話に聞こえた。

「もう少し詳しく話して。」

「んー、話したいのはやまやまなんだけどさ、そらちゃん。ちょっと頭回ってなさすぎない? 」

「なっ」

 声をあげるそら。しかし彼女の頭が回っていないというのは誠も思っていたことだった。なにかあったのか今晩のそらはどこかおかしい。

「俺も同意です、そらさん。何かあったんですか?」

「誠くんまで……そんなに私頭の悪いこと言った?」

「洗脳能力者を相手取る味方に秘策の内容を教えるのはさすがにリスキーすぎると思うんですよね」

 それを聞きはっとした顔をするそら。

 序列二位が、自分が倒されることに起因するシンヤの勝算を知ったとき、その勝算が消えてしまうことは容易に想像できる。

「そうね。私が間違えていたよ。」

 そらは申し訳なさそうな顔な顔でそう告げた後、言葉をつづけた。

「信じていいの?シンヤくん。」

「信じて。大丈夫だよ」

「……」

「そもそも、先に僕の方が君たちを信用しているんだぜ?正直に言うと、君たちが勝つことで生まれる要因がなければ、僕は一位に絶対勝てない。」

 軽い感じでシンヤが言い放つ。このシンヤをもってして、勝てないと断言する相手とはいったいどれほどのレベルなんだろうか。

「だから、君たちを信じている、僕を信じてくれ」

「……普段軽薄な男が時折見せる真剣な表情ってずるいですよね」

 心の底からいい空気を壊す誠だった。

「……で、王との戦いは何か作戦があるんですか?シンヤさん。現状、二位と一位に勝てたとしても王には勝てなさそうなんですけど。」

「そうなんだよね。それこそ数年間ずっと王に勝つ方法を考えているんだけど、何も思いつかないんだよね」

 シンヤレベルの頭脳で数年間考えて何も思いつかなかったのだ、一晩考えたところで何も思いつかないだろう。そう誠は考える。

「じゃあ、どうすれば」

「『王の世界』発動前に何とかするしかない、かな。ただし、オーバーライド以外で。」

「オーバーライド、以外で?」

 この世界の最強の力を使わずに王に勝つというのか。いやそうじゃない。誠は考える。

「そうか、王にオーバーライドで勝つのは不可能だ。そもそも発動すら拒否される。だから、王の知識の及ばない化学変化で戦えば……!」

 ヘビ花火という花火がある。

 通常の花火と違い、火をつけても火花が飛び散ることはない。代わりにうねうねと黒いヘビのような物体が出てくるものだ。

 人はヘビ花火を見ると火を警戒してはなれるだろう。しかし実際には無害なうねうねが出現するだけ。

 この逆をやればいいのだ。

 無害そうな、何も起きなさそうな物体からオーバーライドではなく化学変化を起こし、人間を傷つける。

 『王の世界』は最強だが、使い手が人間である以上、思考から発動まで数瞬のタイムラグは存在する。圧倒的な物量でその隙を大きくし、とどめを刺す。

「それしかない。そのための化学物質は用意してある。王とエンカウントしたら、『王の世界』展開前にそれらを引き寄せて、使ってくれ」

「使ってくれ?なんで私たちに頼むの、一緒に使おうよ」

「いや、残念ながら僕の読みでは明日先に王と出会うのは君たち二人だ。だから使うのは君たちになると思う。僕が一位を倒すころには、戦いが終わっていることを期待しているよ」

 王と遭遇するのは誠たちの方が先、という発言が引っかかったが、シンヤが練った作戦なのだとしたらそうなる可能性が高いのだろう。

「泣いても笑っても明日でおしまいだ。王が死に、君たちは元の暮らしに戻り、僕は王政から解放される。もしくは僕たち三人ともいなくなる。」

 いなくなる。その可愛くも物騒な発言に改めて誠は気を引き締めた。

「じゃ、今晩は寝ますか?」

「そうね。寝ましょう」

「明日は九時に出発だからね」

「修学旅行のノリだよ……」

「そらさん一緒に寝ませんか?」

「……誠くん、僕もいることを忘れないでほしいんだけど」

「だいたいどこで寝るの?研究室、ろくな寝具ないよー」

「ソファで一人、寝袋で一人」

「……あとひとりは?」

「……」

「そうか、オーバーライドでベッドを」

「この部屋光通さないよ」

「……」

 このあと一時間にわたってソファ争奪戦が繰り広げられた。

 結果的に誠とそらが寝袋をシェアした、などという事実は残っていない。

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