第三章

「さて、誠くん。これで私たちは一般人の中だと最強のオーバーライドの力を得たわけだけれど。」

「そうですね。旅人、子供、職無し、商人、工芸士、農家、兵士って序列が上がっていってそこから先は貴族、王族、王の傍付き人、王様。でしたっけ」

「そうそう。貴族とかの指輪を奪うとさすがに大問題になりそうだよねー。」

「それにしても、どうしてこの二人の兵士は俺たちを襲ってきたんですかね」

「それなのよね。昨日の指輪の盗難がばれたのかな、と思ったけどそれにしては人数が少なすぎるし、私たちに絡んできたときも「上からの命令」の一点張りだったもんね。」

「俺たちが異世界人っていうことも知らないかのような口ぶりに聞こえましたよ」

「私にもそう聞こえたわ。上からの命令ってなんなんだろうねー」

 階級的に四つ上であり戦闘慣れもしているはずの兵士二人を難なく撃退した二人は町の入り口へと差し掛かっていた。

 城はもう目の前である。

「誠くん、本当にこの力使うの上手だよね」

「なんですかいきなり……」

「いや、普通突然開花した能力をそんなすぐ扱うなんてできないよ。私だって何年……いや何日かかるか」

 言い直したそらだったが、想像を現実に反映させる力だ、習得に何年かかってもおかしくない。

「たぶん、俺もともと“起こり得ることは起こり得る”っていう信条のもといろんな出来事を想定して生きていたんですよ。その生き方とこの世界の力が絶妙にかみ合ったんじゃないですかね。」

 この世界に転移する直前の亜湖との会話で、一言から気球という答えにたどり着いたのはズルだったが、たとえ見ていなかったとしてもあの答えにたどり着けた可能性は十分にあった。樋波誠とはそういう人間なのだ。

「現実世界にもこんな異能があったらなあ」

 オーバーライドを得て二日もたっていないが誠がそうつぶやくのも当然である。それほどまでに便利な能力だった。

「あるよ? 」

 意外な答えが返ってきて誠は言葉に詰まる。

「……あるって、なにがですか?」

「ん、異能。オーバーライドほど汎用性高いのは聞いたことないけどね。」

「冗談?」

「半分本気。」

 半分ってなんだよ、そんなこと言ったら俺だって幽霊の存在とか宇宙人の襲来とか半分くらい本気で語るときあるわ。

 心の中で悪態をつく誠。

「そうだな、誠くんは『幽才』って聞いたことない? 」

「有罪?」

「ううん、幽霊の才能。ほらよく言うじゃない、人間は潜在能力の何パーセントかしか使っていないって。」

 常時百パーセントの力で動くと人間の体自体がそれに耐えられなくなり壊れてしまう。だから人間は常時三十パーセントほどの力しか発揮できないよう脳が制限をかけている、という話は有名だろう。そらは突然その話を持ち出した。

「まあ、聞いたことはありますよ。」

「人類はみな等しく、不条理な異能を持っている。でもそれを自由自在に操ってしまうと世界のバランスが崩壊する恐れがある。それを危惧した人類は生きている間、自然に無意識に制限をかけているの。」

「……いやいや、生きている間制限かけていたら使えないじゃないですかなんすかその世界観」

「そうだよー、だから幽霊の才能で『幽才』なんだって。死んだあとしか使えない」

 異能の話が始まったから少し期待したのに肩透かしを食らった気分だった。子供だましが過ぎる。右手にコインを握りしめ、「今左手にコインが移動しました。そして、再び右手に戻ってきました」と言ってから右手を開くコインマジックと同じものを感じた誠だった。

 ここで誠は重大なことを思い出す。

「……え、待ってください。俺たちがこの世界に来た時、そらさん言っていましたよね。異世界への扉を見つける超能力だって。もしかしてそれもその口なんですか? あれ? 実はもう死んでいる人なんですか」

「あーあれはね、ごめん。嘘ついたの。異世界への扉を見つける超能力は私のものじゃなくて、組織の研究のたまものなの」

 それを聞き彼は納得した。

「ごくまれに、それこそ人類史でも数人っていうレベルで生きているうちに自然と制限が外れちゃう人とかいたらしいから、誠くんもそれに期待するといいよ」

「可能性!」

「あとは、一度臨死状態になってから奇跡的な復活を遂げたら、不完全な状態ではあるけど異能が目覚めるって話も聞いたことあるなあ」

「急に安っぽい漫画みたいな話になりましたね」

 そんなくだらない話をしていた二人はついに城の目の前にたどり着いた。

 大きな門がある。日本風の城で、四方が堀で囲まれている。

「インターホンとかあるんですかね」

「確かに、城ってどうやって入るのかな……」

 オーバーライドで何とでもなることに二人が気付くのは三分後のことだった。

「でもさすがに木と石からインターホンは作れないですよそらさん。たぶん銅とプラスチックは必要です……。構造をよく知らないから鮮明なイメージができるか怪しいですね」

「なんでインターホンを作成する方向で進んでいるのよ。頭ハッピーセットなの?」

「なんすかそれ楽しそう」

「普通に、こうでいいんじゃない?」

 そらは目を閉じた。

「偉い人とお話がしたいので開けてください」

 ぼそっと呟く。城の内部空間を対象とし、その声が中の人間に聞こえるような想像をしたのだろう。

「……」

 数秒経ったのち、門の前、誠たちのいるあたりが赤く光る。

「……返事がきたわ。門を押し開けて中へどうぞ、だって」

「物わかりのいい王様ですね」

 この時に誠は想像しておくべきだったのだ。

 王様がすでに明確な敵意を抱いているということに。

 しかし、上からの命令で襲ってきた謎の兵士二人を除いて職務質問すら受けていない状況で、二人が行った指輪の強奪などの悪事が広まっているということを想定する方が難しいのかもしれない。

 門を開け、堀にかかった橋を渡り、彼らは城の玄関の扉を開けた。

「ひろ……しかも中は洋風なのかよ」

 300人規模で立食パーティーができそうなその広間には赤いじゅうたんが敷かれ、天井にはシャンデリアが揺らめいている。まっすぐ進むと大きな中央階段があり、それで二階へ登る。という間取りである。

 上を目指そうと中央階段に向かって歩く誠。

「待って、誠くん。誰かいるわ」

 中央階段を登った先からゆっくりと若い男が降りてきた。

 誠たちが知る由はないが、彼こそが昨晩王と対話していた傍付き人と呼ばれる人物であり、襲い掛かってきた二人の兵士に命令した存在である。

「ようこそ。ここまでは歓迎しますよ。ただし、二階以上にはあげません。一階で死んでもらいますね」

 よく通る声でそう言い放った若い男の右手は、赤く光っていた。

「なっ……、そらさん、上です!」

 誠たちの真上にあったシャンデリアが一瞬赤く染まり、次の瞬間には落下運動を始めていた。

「くっ、見えなかったぞ」

 叫びながら赤のオーバーライドでシャンデリアの落下軌道をそらし、直撃を避ける。

 安心したのもつかの間、青く染まったシャンデリアの破片が三本の剣となって誠に向かってきた。

「無理だろ!」

 間一髪、床のタイルを剥がし盾にする。

 三本の剣が盾を貫通するころには、全身を赤く光らせた誠はもうその場にいなかった。

 自身にオーバーライドすることで身体能力の上限を超えた動きをすることができるのだ。誠を見失った若い男はあたりを見渡した。

「すいません、よく聞こえなかったんですけどー、二階以上にはあげませんとか言っていましたっけ?」

 盾を生成した後に驚異的な跳躍力で二階へと跳んだ誠は煽るように言う。

「……なるほど、ただの旅人ではないようですね」

 それを聞いた誠とそら、二人の顔が曇った。どうして自分たちが旅人だということを知っているのかを考え、それが攻撃を受けた理由に繋がったのだ。

「そっか、全部ばれていたわけね」

「お姉さん、ご名答。あなたたちの行動は王にはすべて筒抜けでした。残念ながらね」

 オーバーライドの力を統括する、序列最上位にいる存在だ。島での出来事全てを把握していたとしてもおかしくはないのかもしれない。

「でもそれだと不思議なことがあるわ。どうしてあの二人以外の兵士は襲ってこなかったの? 私たちみたいな外からの侵入者、物量で押せばすぐに捕らえられたでしょうに。」

「ああ、簡単な話ですよ。あなたたちの動向を知っているのは王と傍付き人五人だけ。そしてあの二人に命令したのはほかならぬ私なんです。」

「……いや、どうしてだ? 捉えるつもりなら侮っていたとしても二人は少ないだろう」

「根本的に勘違いしていますね。私が兵士二人をけしかけた目的は、あなたたちに指輪を譲渡することですよ。確かにあなた方は強いイメージ力を持っている。この力。あなたたちはオーバーライドって呼んでいるらしいですね。オーバーライドは想像の鮮明度合いと序列という二つのパラメータによって強さの絶対値が決まります。だから実は序列が一つ違うくらいだと、想像力によってひっくり返る可能性もかなり高い。」

 話を聞きながら誠は反撃の準備をしていた。柱を青の力で小刀に変形させ、それを三本ほど作成する。

「でもさ、あの時のあなたたちは職無しだった。こっちは傍付き人。王を除く序列最上位。あまりにも差がありすぎてつまらないじゃないですか。もちろん、兵士と傍付き人も天と地ほどの差があるからどっちにしろつまらないんですけどね。今の攻防だって君が職無しランクのままだったら最初のシャンデリアで死んでいるでしょう。」

「ちょっと待ってくれ。」

 引っかかったことがあり、必死で言葉を成そうとする誠。

「なんでしょうか?」

「つまり、兵士さん二人から指輪を奪ったのは仕組まれた話だったんだよな?」

「そうですね。」

「確かに俺たちは職無しから指輪を強奪した犯罪者だ。でもあれは向こうから襲い掛かってきた。兵士二人に危害を加えた上に指輪を強奪したせいで殺されるのならわからなくはない。でもそこの罪が仕組まれたものなのだったら、俺たち殺されるほどのことはやっていなくないか」

 もう一度殺されかけているというのに今更の正論だった。

 誠たちは確かに職無し二人と兵士二人を傷つけたが、前者は正当防衛、後者は仕組まれた罠である。落ち着いてみれば誠たちの罪は指輪の強奪だけなのだ。

「いいえ。殺されるくらいのことをやったのですよ、王様にとっては。彼にとっては入国自体が大罪ですし、入国の資格を強奪したことが万死に値するらしいです」

「……心の狭い王様もいたもんだなあ」

 そう叫びながら不意打ち気味に小刀を二本、投げつける誠。

「さすがにこの距離では不意打ちもクソもないですよ」

 二人の距離の中間地点程度で赤の光に弾かれる二本の小刀。

「くそ、やっぱりそううまくはいかないよなあ」

 二階から飛び降り、傍付き人と同じ高さに立つ誠。

 にらみ合う二人。

「ねえちょっと、私はいないことになってない?」

「お姉さんは黙ってください。彼を殺した後ゆっくり遊んであげますから。慈悲ですよ。同じ男として、自分の女が滅茶苦茶にされるのを見るくらいなら死んだほうがましって気持ちは理解しているので。」

「そんなこと俺一言も言ってない……」

「だからお姉さんそこでおとなしくしておいてください。」

「えっ」

 すっ、と動きが止まるそら。その体は赤く発光している。どうやら赤の力で動けないようにされたらしい。

「このくらいがちょうどいいハンデではないですかね。私はお姉さんを止めることに少しだけ力を使い続ける。あなたは万全の状態で戦う。どうです?楽しくなってきましたか?」

「……」

 楽しいわけがない。どうやら向こうは楽しみながらも本気で命を取りに来ているらしい。先ほどの一瞬の攻防でもわかるくらいに二人の間には大きな差があった。

 オーバーライドの差は絶対でも使い手は人間。だから二対一や不意打ちは有効。そう思っていた誠だったが、そらが封じられ、その上絶対的な序列差がある状況、さらに対面してしまったため不意打ちも使えない。

 必死に頭を回し打開策を練る誠だったが、それを待ってくれるほど相手は優しくなかった。

「じゃあいきましょう」

 その言葉を皮切りに戦闘が再開する。青の力で階段の手すりを長い槍に変え、構える。

「待ってくれ」

 長い槍を構えた男に対して言葉という横やりを挟む誠。

二階にいたとき、誠は三本の小刀を生成していた。先ほど飛ばしたのはそのうちの二本。すなわち一本はまだ二階に残っている計算になる。

「なんですか?」

「……あなたの名前を教えてほしい。」

「確かに。自己紹介がまだでしたね」

 若い男は律儀に槍を地面に置いた。

「律儀なんだな」

「そう見えますか? そう見えるってことはやっぱりあなたは旅人だ。」

「どういうことだ」

「オーバーライドはこの状態からでもどんな攻撃だってできるんですよ。むしろ相手が武器を置いたら現実への干渉を気にするべきなんです。」

 その通りだった。むしろオーバーライドという万能の力がある状態で、わざわざ両手に槍を持つ必要はない。

「ま、でも私は戦いを楽しみに来ているんで、不意打ちなんてしないですよ。」

「……信用したいんだが、圧倒的に劣勢なんだ。俺の方は臨戦態勢に入っていていいか」

 そう言い全身を赤く光らせる誠。先ほど二階に跳びあがった時に見せた、自身の体にオーバーライドし、身体能力上限突破の想像をしているのだろう。

「はは、いいですよ。では私の名前ですが」

 若い男の真後ろ、階段の二階の影が揺らめいた。

「……いや、やっぱり名前は必要ないわ」

 誠の想像は身体能力上限突破だけではなかった。

 加えて隠していた一本の小刀を死角から飛ばすための想像をしていたのだ。

 攻撃を中断させてまで自己紹介を要求され、にもかかわらずやはりそれは不要だと言われて戸惑う若い男の背後に音もなく小刀が迫る。

 ……音も、と言ったが訂正しよう。光はあった。赤い光に包まれた小刀が男の首に突き刺さる軌道で飛ぶ。

「なんなんですか自己紹介をしろと言ったりするなと言ったり。飲み会の宴会芸を振る人みたいに……いや!」

 あと一秒気付くのが遅かったら男の命はなかっただろう。それほどまでに小刀は接近していた。

「消えろ!」

 飛んでくる小刀を包んでいた赤い光が消える。それと連動して小刀も落下した。カラン、という寂しい音だけがあたりに響く。勝利を確信していた誠は落胆を隠さなかった。

「……おいおい、この世界には慣性の法則ないのか? 」

 慣性の法則とは、ニュートンの運動法則の一つであり、外からの力が作用しなければ物体は静止、または運動を続けるというものである。

 スケートリンクで一歩蹴ればその後しばらく力を加えなくても進み続けることを例にとるとわかりやすい。人は摩擦のない氷と靴を使用し、空気抵抗のない世界で一歩蹴れば無限に前へと進むことができるのだ。

「オーバーライドで首を刺す、という力を加えていたんですから、そりゃ打ち消せば落ちますよ。人間だって、首を刺す、という目的をもって突き進んでいるときにその目的を失ったらそのまま走り抜けますか? その場で止まるでしょう。ま、もしオーバーライドで初速だけ加えていてあとは慣性の力で飛ばしていたのなら話は別ですが、その場合だと小刀が赤く光り続けるのはおかしいですからね」

 わかったようなわからないような理屈で納得しつつも誠の顔は絶望に染まっていく。

 唯一用意していた勝てる不意打ちを、一秒の差で消されてしまったのだ。

「……気づいてから無効化までのラグがなさすぎる」

「小刀がひとりでに飛んでいく、って不自然ですよね。普通は起こり得ない現象ですよね。それを打ち消すのは簡単なんですよ。逆に、物が重力に引っ張られて落ちる、というような自然現象のオーバーライドを打ち消すのは少しだけ骨が折れます。ま、自然現象を想像する意味もないのでほぼあり得ない話ですけどね。」

 で、と若い男は言葉を続ける。

「自己紹介はいらないんでしたっけ? 」


 さすがにまずいな、と思考を巡らす誠。

 たとえ不意打ちであっても、オーバーライドを用いたものだと通用しないらしい。それを痛感した彼が次に練った策は、青のオーバーライドを使用するものだった。

 青の力で持っていた小銭と落ちている金属から鉄と銅を取り出し、鉄心と銅線を生成、何重にも巻き付けることでコイルを二組作った。

 電磁石。電流を導線に流すことで磁石と同じ役割を果たす中学生が実験で作るようなものである。

 次に昨晩宿泊した森の宿にあったリモコンを強くイメージし、中に入っていた電池を二本引き寄せようとする。対象が見えていない分少しだけ苦労したが、見事目的のものを手に入れることができた。その電池と導線をつなぎ、少しの衝撃で電池から導線が外れるように接着する。

「……森の宿の人、ごめんな」

 苦笑とともに強力な電磁石を二本完成させた誠は、悪びれもせず再び若い男に向かって自己紹介をするよう言った。

「……不意打ちしようとしたことは謝りもしないんですね。まあいいでしょう。私は王直下傍付き人が一人、五代耀太。気軽にヨータでいいですよ」

「友達かよ。」

ていうかあまりに和名がすぎるだろ!え、なに全部脳内で日本語に自動変換されているのか? 本当は異世界の言葉で◇※△※だけど五代耀太って聞こえているだけなのか?

「さて、私が名乗ったんです。あなたの名前も教えてくださいね」

「あー、確かにな。」

 赤の光を全身にまとい、誠は臨戦態勢に入る。

「樋波誠。こっちも気軽にヒナさんでいいぜ」

「誠くんそんなあだ名あったの!」

 動けない女が横やりを入れてくるが気にせず誠は床に転がるタイルから木刀を作った。

「じゃあ、お手柔らかに頼むわ」

「できない相談ですね」

 名前を述べた時と同タイミングに誠は一つ細工を施していた。まだ攻撃に使われずに残っているシャンデリアを吊り下げている金具と、先ほど生成した電磁石を赤の力で交換したのだ。

 天井に少しでも衝撃が走るとオーバーライドの力を使わなくてもシャンデリアが落下するトラップを仕掛け、誠は木刀を構えた。

 五代の目の前の槍が赤く光り、次の瞬間それは誠の目の前に迫る。

 木刀を青の力で薄く延ばし簡易的な木製の盾にし、ギリギリのところで槍をはじく。

「死角を増やすのはミスだと思うんですよね。」

 右の方から飛んでくる鉄球を目の端でとらえた彼は、鉄球がその場に落下する想像をする。

 そのせいで盾へと割いていた集中力が切れ、槍の勢いに負けた盾に吹き飛ばされる誠。そのまま鉄の槍が赤く染まり檻へと姿を変えようとする。槍が檻の形になる前に青の力で分解しまたもやギリギリのところで攻撃をかわした。

 そこで手が緩まるような相手なら苦戦などしていない。

 誠の後ろの床のタイルが青い光に染まりはがれ、バラバラになったのち鋭利な木の破片と化したそれが雨のように降ってくる。

 制服の右足の布を破り取り、赤の光で木の破片を吸い寄せる。

「……ちょっとずつわかってきたぞ。」

 想像を具現化する赤の力には、物理的な変化を起こす青の力で対抗し、物質を変化させる青の力には、想像を具現化する赤の力で対抗する。光そのものを打ち消すことができない格上と戦うときにコツのようなものを誠はつかんでいた。

 赤の力で誠に刺さろうとする槍を赤の力で逸らすことはできない。なぜなら相手の方が格上だからである。その時には青の力で槍そのものを分解すればいい。では分解されないよう青の力で強化された槍が投げつけられれば、赤の力で軌道を逸らせばいいのだ。

 オーバーライドの戦いだけでなく、世界はすべて格上相手に同じ土俵で戦ってはいけない仕組みになっている。スポーツで勝てない奴は勉強で、音楽で勝てない奴はダンスで打ち勝つしかない。

 想像に対しては物理で、物理は想像で、と違うベクトルから否定しなければ勝機はない。

「くっ」

 もちろん、勝機があると勝利できるはイコールではないのだが。

変形する床や飛び交う槍に対抗する誠は、そろそろ限界を感じ始めていた。

「攻撃が赤の力なのか青の力なのかわかんねえからうまいこといなせねえよ」

人間の思考力というものには時間制限やキャパシティがある。一時間を超えるテストを受けるときなどに感じたことはないだろうか。突然集中力が消える瞬間を。思考がキャパオーバーしたとき、人間は考えることを中断してしまうのだ。

樋波誠の思考も限界が近づいている。

 五代耀太は、傍付き人だけあって能力の使い方がとてもうまく、常に片方が即死の二択を迫るような追い込み方をしている。将棋でいうところの限定合駒だろうか。いくつかある持ち駒の中で、唯一の正解である駒を打たないと詰んでしまう状態をそう呼ぶらしい。

「そろそろ限界が近そうですね」

「うるせえ、その通りだよ」

 そう言いながらも攻撃はやまない。

「まあヒナさん。あなたが倒れたら次はお姉さんが死ぬので死なないことをお勧めしますよ!」

「じゃあ殺しに来るな!大体その名前で俺を呼ぶやつなんていねえよ!俺は俺自身もそらさんも両方救う!」

 そう叫んだ瞬間、ある誠は自分の発言に違和感を覚えた。

 俺はこんな暑苦しい男ではないとかそういうやつではない。

「……」

 攻撃を交わしながらもある可能性に気付いた誠は、微笑を浮かべ唇に人差し指を当てる。

 そうして、誠めがけて飛んでくる赤や青に光に包まれた、柱だったものや床だったものに向かって誠は手を伸ばした。

 その手に宿ったのは―

「な……」

 絶句する五代。それもそのはず。

 彼の手には、紫の光が灯っていたのだから。

「……なんですか、それ」

「さあな」

 呟く誠に向かう物体はすべて軌道を変え分解される。

「まさか……誠くん……」

 光の三原色を知識として持つそらはいち早く真相にたどり着いた。

「そういうことね。赤には青を。青には赤を。相手の使った光に対して逆のものをぶつけるのが基本的戦術だと思っていたけれど、どっちが来ても打ち消せるように赤と青の光を同時に使用しているのね」

 そう。自分自身とそらの両方を救う、という発言から思い至った一つの可能性。それは、“対象が赤の光を帯びているのなら分解、青の光なら軌道変化”という赤と青のオーバーライドを同時使用することだった。赤の槍を視認してから分解というイメージをするのではなく、赤の光を帯びた物体が飛んできていたら分解するというまとまったイメージをする。

「なるほど、やっぱりあなたはただの旅人ではないようですね。なかなか楽しませてくれる。」

 五代はそれを見て楽しそうに笑った。しかし王直下傍付き人が一人、彼はそれで折れるような人間ではなかった。

 そう、誠はただ防御力を底上げしただけであり、全く形勢逆転には至っていない。それに五代は、いまだにそらのことを拘束したままなのである。

「まあでも、紫という得体の知れない光を纏ったとしても、所詮防戦一方です。攻撃手段を持たないあなたに負ける気はしませんけどね」

「赤か青か考えなくて済んだということは、その分の思考を策に費やせるということなんだよ。震えて眠れ」

「寝ません。あと、赤か青か考えなくて済むっていいますけど、本当にそんな単純な話ですかね?」

「なに?」

「いえ、例えばこうなったらどうするのかなと」

 そう言い、右手を前に突き出す五代。

 次の瞬間、誠の前後左右を囲むように剣が生成される。

「もしかして、私の攻撃に対応しているとき、一つでも手を間違えたら死ぬ。そんな風に考えていましたか?」

 図星だった。限定間駒、強制二択。五代の戦略をそういう風にとらえていた。

「さすがに手を抜いているにきまっていますよね……別に私がちゃんと戦おうと思ったら二択とも死ぬ選択肢にすることだって余裕だったんですよ」

「……」

 納得、そして絶望の顔を浮かべる誠。

 それでも剣を無効化しようと紫の光を練り上げる。かろうじて四方の剣を逸らしたが、次の瞬間彼の体が宙に浮いていた。

「てめ、俺の体にオーバーライドを……」

「どうぞ無効化してください。落ちたら大けがじゃすみませんけどね」

 人間の体が宙に浮くことは自然の法則に逆らっているので、階級差はあれど無効にするのは簡単だろう。

 しかし今落下すれば五代の言う通り大けがは不可避だ。それに五代のこと、落下中に何もしないわけがない。

「何もしないなら、それはそれで愚策ですよ」

 五本の槍やら剣を生成し、誠の方に向ける五代。

 飛んでくる五本の軌道を紫の光で分解しようとするが、今回は本気で命を取ろうとしているのか、分解されたところからどんどん修復されていく。

「ちっ。」

 舌打ちした直後、五本の凶器が誠の体に突き刺さった。


「―」

 そらの悲鳴が響き渡る。

「意外とあっけない終わり方でしたね。なんで軌道をそらさなかったんでしょうか。まあいいや。お姉さん、そらさんでしたっけ? 解放してあげますよ」


 ぼろ雑巾のように地面に横たわった誠はまだ生きていた。

 軌道を逸らすことではなく、槍の速度を緩めることにオーバーライドを使ったためダメージは思っているより浅い。

「せんぱい」

「……」

「せんぱい、生きてますよね」

「……これはいつもの脳内亜湖なのか、死ぬ間際の妄想なのか、それともこの異世界ファンタジーが妄想で現実の亜湖なのかどれなんだ?」

「多分一番初めのやつですよ。まあ死ぬ間際かもれませんけど」

「かもな」

「ところでせんぱい、どうして武器の軌道をそらさなかったんですか?」

「逸らして天井に当たったら、その振動でシャンデリアのトラップが発動するだろ、攻撃手段のない俺の勝機はあれだけなんだ。でもあの瞬間、五代はシャンデリアの真下にいなかった。だから天井を揺らすわけにはいかなかった」

「なるほどー、そこまで頭が回っていたということはまだ戦えますね」

「厳しいなあ、亜湖は。無理だよ。紫の力にたどり着いたときは行けるかなと思ったけど、圧倒的な攻撃を前にはどっちにしろ思考が追い付かないんだ」

「……」

「だから、もう勝てないよ。死ぬ間際に亜湖のこと思い出すんじゃなく、会いたかったなぁ」

「……違うんです」

「……なにが」

「違うんですよ、せんぱい。せんぱいはあたしを思い出しているんじゃないんです。」

「なにがいいたい?」

「せんぱいにとって、あたしはなんですか?」

「……急にメンヘラ彼女みたいなこと言いだしたな」

「いたことないくせに」

「俺にとっての亜湖、か。かわいい後輩、とか?」

「それはあたしじゃなくて本物の亜湖ちゃんでしょ!違います。脳内に登場するあたしのことです」

「……いや、考えたことなかった」

「いいえ、ありますよ。せんぱいにとってのあたしは俯瞰装置なんです。せんぱいの脳内にあたしが登場するときって、あなたの思考がキャパオーバーをしているときなんですよね。一年前、あたしたちが出会ったあの事件の時に決めたじゃないですか。思考がキャパオーバーしたら俺は何もできなくなる。だからそうなったときに俺のことを上から見てくれる俺が欲しい、って。あたしはせんぱいに思い出されて飛び出してくる存在じゃなく、何かを思い出すことすらできなくなったときに飛び出てくるせんぱいの制御装置なんです。」

「……」

「ねえ、せんぱい」

「……」

「なんで、いちいち、たくさんのことを考えるんですか?」

「……」

「もっと楽に生きていいんですよ。おはようと言われたらおはようと返す。いいことをされたらありがとうという。自分が作ったご飯を食べるときもいただきますという。」

 誠は答えにたどり着きつつあった。それでも脳内の亜湖の話は続く。

「攻撃が来たから、避ける。そんなこといちいち考える必要ありますか?」

「……そう、だな」

「だいたいせんぱい、学校であたし以外に友達いないじゃないですか。あれって、別に考えた結果じゃなくて、自分の中の踏み入れてほしくないところに入る人を勝手に弾いているだけでしょ。あたしだってなかなか受け入れてもらえませんでしたもんね。」

「不可侵の領域が大きいんだよ、俺は」

「そうです。せんぱいはそういう人なんです。じゃあ、別にオーバーライドの力だからって関係ないじゃないですか。オーバー?上塗りする必要なんてない。全部自動で弾けばいいんですよ。」


「そらさんから離れろ」

 誠は立ち上がった。

「誠くん‼」

 まだ彼女の拘束は解かれていない。

「へえ、まだ立てるんですね。第二ラウンドといったところですか。」

「赤が来たら青。青が来たら赤。全部いなせ。上塗りを自動でするんだ。イメージしろ、できるだけ薄い領域を。絶対に侵入できない壁を。」

「なにをぶつぶつ……」

オーバー、いや。

「オートライド」

 彼の全身が紫色に染まる。


「『絶対不可侵領域』」


 誠は一歩、踏み出した。

「……また何か新しいことをはじめたんですね」

 そう言い数本の武器を生成、誠に向かって飛ばす五代。

 しかし五本の凶器は彼に届く瞬間、すべてその軌道を変えた。

「な?」

 信じられない、といった顔で柱や床のタイルを飛ばすが、それらもまた、すべて分解され、軌道を変え、何一つ誠には届かなかった。

「どういう、なにを? なにをしているんです」

「言うわけないだろ」

 笑う誠。

 オーバーライドの力で放たれる武器は、考えなくともすべてオートではじくことができるが、序列が上の相手に全身を包む光そのものが消える想像をされてしまうといとも簡単に突破されてしまう。

 その弱点を理解している誠は、一瞬の勝機にすべてをかけるために人生最大の虚勢を張る。

「完全なる攻撃の無効化だ。これで逆転の目ができたな」

「そ、そんなはず」

 後ずさりをする五代。地面に落ちていた槍を受かし、破れかぶれに飛ばしたところで弱点に気付く。

「そうですよ、たとえ何をしていたところで関係ないです、その紫の光を消してしまえばいいんだから!」

「……悪いけど」

 しかしこの世界の絶対、序列を思い出した五代は、すでに敗北が決定していた。

 誠は飛んできた槍をはじいた後、天井にぶつけ、シャンデリアごと揺らす。

「ここは絶対不可侵領域だよ。たとえお前のオーバーライドだろうとね」

 五代の想像により誠を包み込んだ紫の光が消えると同時に、シャンデリアが落下した。

 誠に躍起になっていた彼が、上から落ちてくる危機に気付いた時には、もう遅かった。

「誠くん……!」

 五代が気絶したことにより拘束が解けたそらが誠に駆け寄ってくる。それを見て彼は自分の勝利を確信した。緊張が解けその場に倒れこみそうになるが、必死に体を支える。

「大丈夫? 痛くない? 平気? 」

「あー、はい、平気です……」

 明らかに平気ではないのに強がってしまうのが男という生き物である。

「そっか、ならよかったわ……」

 誠は気絶している五代の指から指輪を外し、自分の指にはめた。

「これでついに最上位ね」

「そうですね、でも一旦ひきませんか、この怪我のまま上に登るのはさすがに……」

「それはそうだよ、じゃあ帰ろ? おんぶするよ」

 そらさんのおんぶ!と無理やりテンションをあげようとした誠だったが、その夢はかなわなかった。

「ティータイムが台無しだよ」

 ボロボロになった階段の上に、年老いた男が一人。

「……あんたが王様、か」

「よくわかったな。儂がこの世界の王だ、異分子よ」

 年老いているが若々しさを感じさせる力強い声と動作の王。彼らの間に和解という選択肢はもはやなかった。

「王様。私たちここに迷い込んだだけなんです。」

「職無し二人、兵士二人のみならず傍付き人一人倒しておいて通ると思うか?」

「……」

「だいたい、この島にお前たち異端分子がたまたまたどり着けるわけがないんだよ。悪意を持った侵入以外ありえない。」

「いえ、王様。俺たちは本当にたまたま異世界へ続く扉で―」

「異世界、へ続く扉だと? 」

「誠くん、今はちょっと黙っていてほしい。」

「え、あ、はい」

「なるほどな、そういうことか、女」

「……そういうことだとしたら? 」

 王とそらが何を言っているのかついていけなくなった誠は聞くことに専念し始めた。

「そうだとしても、そうじゃないとしても儂のやることは変わらんよ。君たちを排除する。変に外に逃げられても困るからな。大変残念だが殺すという選択肢をとることにするよ」


 王がそう言った瞬間、誠とそらの視界がホワイトアウトした。

「『王の世界』」

 厳密にいうと二人の視界がホワイトアウトしたのではなく、部屋全体が白く染まっている。

「さて。この部屋はたった今すべて儂の思い通りの部屋になったので、無駄な抵抗はしないでいい。」

 それを聞きながら、足元に転がっている剣を拾い王の方へと飛ばそうとした誠だったが、その瞬間にはもう剣など存在していなかった。

「無駄なあがきなんだよ」

 悲しそうな眼をする王。

「っ……」

 うめき声をあげる誠。右腕に違和感を覚え、目をやると完全に折れていた。驚愕の瞳で折れた腕を見つめる少年。

「この世界、部屋の中は何でも儂の思い通りになる。それが『王の世界』。もちろんその腕のように首を折ることもできるが、少しは絶望してから死んでほしくてな」

「そらさん。」

 小声で囁く誠。

「なにかな」

「勝つことを考えたら負けです、傍付き人の力を得たはずの俺でさえ何もかなわないでしょう。だから逃げることだけを考えましょう」

 逃げることも怪しいが、とは言わなかった。

「……そうだね。誠くん」

「なんですか? 」

「さっき、私のために立ち上がってくれて、ありがと」

「なんですか今から死ぬみたい……っ」


 唇が重なる。


「……」

 そらさん? と目で訴える誠。

 キスをするときは目を閉じるのがマナーだよ、と目で返すそら。

 目の前で突然キスシーンが繰り広げられ、複雑な顔でそれを見ている王。

 そしてそのまま、誠は意識を失った。

「……女、何をした?」

「いえ、私が逃げるときに少年が邪魔だったので、キスで王様もろとも思考を止めてからオーバーライドで彼を寝かしただけです」

「ふん、自分の体すら道具というわけか」

「王様は、女心を全然わかっていないですね」

「なに?」

「女の子からキスをするときは、愛が溢れたときだけなんですよ!」

 床に手を当て、青の力で地面に深い、とてつもなく深い穴をあけるそら。その右手には誠の指から引き抜いた五代の指輪がはまっている。

「ほう、確かに『王の世界』は部屋という閉鎖空間を対象に万能の領域を展開する技だからな、床下は儂の力は及ばん。だが、及ばないのも一瞬だぞ。すぐに白の光は穴を覆う!」

 荒々しく叫ぶ王様。しかし、もうそこにそらはいなかった。

 一瞬呆然とした表情をし、すぐに余裕を取り戻す王様。

「……ほう、儂から逃げるとはなかなかやるなあの女。しかし、この世界でオーバーライド使いが儂から逃げることは不可能のはずだ。つまり今のは、あの女自身が持っている、オーバーライドではない異能というわけか。おもしろい。」

 笑みを浮かべる老人。

 彼は二人を追わず、自分の部屋へと戻っていった。



「……目が覚めた?」

 森の奥。

 誠は深い森の奥で目を覚ました。

「そらさん……おっ、王は?」

「逃げてきたわ。」

「え、いや、え?」

「王の力で誠くんが気絶したときは死んだと思ったけどね、ギリギリ逃げおおせたわ。」

「……」

 納得できないという顔をする誠。しかし彼が生きてここにいることが、逃亡の成功を証明していた。

「さて、そろそろ思い出して折れた腕が痛むころじゃないかなー」

「……っ、あああああああああああああああ」

 二人はこの後、オーバーライドで正確に人体を修復できる、村の医者の下で治療を受けるのだった。


「じゃあ誠くん。反省会をしよう」

「反省会、ですか?」

 指輪が住民票や保険証の代わりになるこの世界で、異世界の医者の治療にかかることは簡単だった。

 それどころか、片方は王直下の傍付き人ということで代金はタダ。傍付き人がどうしてこんな大ケガを? という顔をされたが、傍付き人同士で稽古を行った結果だという言い訳で納得してもらえた。

 一時間程度で治療を終えた二人は、城から少し離れた宿で休むことにした。

「まだ夕方なのにこうして女性とベッドに腰かけていると、なんか大人になれたみたいですね。」

「実際、こういうホテル夕方に行くことってほとんどないよ。夕方は授業受けたり仕事したりしてるし。実家暮らしの箱入り娘がたまにこの時間帯にいくかなーってところじゃないかしら」

「そういう、私そういうことよく知っているのでみたいな空気醸し出すのやめません? 」

「……け、経験豊富だよー。」

「はいはい。それで、何の反省会ですか? 怪我はしたもののあの戦力で傍付き人に勝ち、よくわからないですけど王様からも逃げることができたの、反省するところもないと思いますけど」

「反省ってなにも悪いことを見直す行動をさす単語じゃないよ。自分が行った行動をよく考えなおすことなんだから、いいことを振り返って次もできるように対策を練るのも反省なんだよ」

 納得した誠は、傍付き人五代との対決を思い起こす。

「色々聞きたいことはあるけど、とりあえず最優先事項から聞くね。あの紫のオーバーライド、今も使えるの?」

 誠は立ち上がり、鮮明なイメージを練る。赤、青。どちらが来ても打ち消せる、混色の光を。

「……できました。」

 彼の右手には紫の光が宿っていた。

「ふうん、特殊状況下におけるその場限りのものじゃないみたいね。じゃあ次はそれをどう攻撃に活かしていけるか考えてみよっかー」

「ごめんなさい、攻撃に活かすのはたぶん無理です」

「え?どういうこと?」

 オーバーライドは複雑そうな力に見えるがその実単純な仕組みである。物質を変化させる、ある種超高速の化学変化ともいえる現象を引き起こすときは青く発光し、自分の鮮明なイメージを現実に反映させるときは赤く発光する。オーバーライド同士がぶつかったときは、階級とイメージ度合いの掛け算で優劣が決まるため、赤の力は万能でどんなことでも起こせるが、確かな理屈に基づく青の力の方が打ち破られにくい。青の力で作られた物質は赤の力で無効化し、赤の力で引き起こされる現象は青の力の理論で上塗りする。

 誠の練り上げた紫の光は、逆の色の光で無効化するということまでをイメージした技である。『絶対不可侵領域』はその力を全身数ミリのところに纏い、領域に侵入する全てのオーバーライドによる効果を無効化する。

「だから、俺の紫の光は要するに無効化能力、完全な迎撃型なんですよ。なんなら、攻撃手段を持たない分迎撃とすらいえない。」

「……たしかにそうね。攻撃に転じた瞬間、自動化されていた思考が赤か青のどちらかに寄っちゃうもんね。」

「そうです、だから俺たちは次に攻撃手段を得なきゃいけないんです。」

「でも、傍付き人の指輪を手に入れたんだから攻撃手段もなにも、そこは同等なんじゃないの? 」

 それでは王に勝てない。

 対面したのはほんの数秒とはいえ、誠はそこに絶対的な差を感じていた。

「……王、ね」

 複雑な顔をするそら。

 その複雑な顔を見て、誠は思い出した。


「なんかキス……された気がする」

「!?」

 目を見開き、誠の頭に手のひらをのせる彼女。

「忘れなさい!」

 誠の頭が赤く発光する。―赤のオーバーライド。そう、彼女は記憶消去を企てた。

「くっ、『絶対不可侵領域』!」

 しかし一瞬で誠の体が紫色に包まれ、接吻行為が議題に上がることとなる。

「……普通に階級が上なんだから打ち消してよ。なんでわざわざ必殺技使うのー」

「使いたくなったんですよ許してください。」

「まあ、許すけど。そうね。王様に勝つためには……」

「まって。」

 キスの話はまだ終わっていない、という顔でそらの肩を掴む誠。そしてそのまま彼は目を閉じた。

「……」

「……」

「……」

「……なんでキスされると思ったの?」

「俺のこと好きなのかなって。」

「嫌いじゃないしむしろ好きだけど、今まだ反省会中だよ。」

「ちゅう?するの?」

「ベッドで甘える女の子みたいな声出さない!キスのことをちゅー、セックスのことをえっちって呼ぶ女は大体駄目!」

「いや何が駄目なんですか可愛いじゃないですか……」

「ああやって人間の汚い本能を可愛く誤魔化すのはよくないと思う。えっち、とかじゃなくてけだもののまぐわい、とかいう呼び方が定着すればもっと十代の中絶は減ると思うんだよねー」

「その呼び方、嫌すぎる!」

「それにしても『王の世界』。とんでもない力だったね」

 誠はその圧倒的な力を思い出す。部屋が白く染まり、その空間で王は絶対の存在だった。

「あれは王だけに使える色の光なんですかね、きっと序列最上位でしょうしなんらかの上位の力を持っていてもおかしくはない。」

「そうね、それか……いや、わかんないや。問題は王の力をどう攻略するか、よね」

 なんでも思い通りになる絶対無敵の領域を持つ男にどう戦えというのか。二人は絶望的な気分だった。

「正直あそこまで圧倒的に叩き潰されたら、もう不意打ちしかないと思うんだよねー。寝ている間とか臨戦態勢に入る前に殺すしか。」

「そう思うんですけど、それだと一つだけ問題点があって。」

「問題点?」

「彼らが現代日本に悪影響を及ぼすかどうかは完全にブラックボックスとなってしまう。」

 そう。現状だけ見ると世界に不法侵入さえしない限り現代日本に攻めてくるなどということはなさそうだが、それも確信が取れているわけではない。

「そういえば、王が異世界の扉で来たことに対して否定的だったような。」

 誠は数秒交わした王との会話を再生する。あれは異世界なんて信じていないというよりもむしろ、どうしてそんな下らないことをいうのだという口ぶりだった。まるで王は、俺たちがどこから来たのかを知っているかのような。

 誠の右手が口元に伸びる。唇に人差し指をあてる彼独自のポーズをとろうとする。

「誠くん。」

 いつになく真剣な表情のそらが、その右手を包み、押さえつけた。

「それ以上、考えないでくれるとうれしいな」

「なんで……なんでですか」

「ごめんね。誠くんが不審に思うように、確かに私は隠し事をしている。でもそれは、別に意地悪でしているわけじゃないんだよ。」

 そらの言葉通り、王との会話で少し彼女への不信感を募らせていた。

「でも、俺たちは少なくともこの旅路に関してはパートナーです。多少のプライベートな隠し事ならまだしも、もっと重大な、なにかやばいことを隠しているようにしか思えないですよ!」

 隠し事を明言された誠は激昂する。もともと基本的に人との交流を遮断する彼は、身内だと認識した人に突き放されることをひどく恐れるのだ。

「……信じてもらえないと思うんだけど、これは全部誠くんのためなの」

「じゃあ何について隠しているかだけでも話してくれてもいいじゃないですか」

「できない。」

 間延びした喋り方を辞め、真剣に淡々と言葉を紡ぐそら。その様子から踏み越えてはいけないラインを察知した誠は言葉を飲み込む。

「ごめんね、誠くん。でもね。あなたなら何を隠しているかというヒントだけですべてを知ってしまうかもしれない。だから」

「あ、いいです。もう。どうでも。」

「まって」

「いや、言いたくないなら、言えないなら俺も聞きたくないです。どうせ今そらさんが言おうとした言葉も、真実じゃなくてただの慰めの言葉ですよね。そんなものはいらない。俺が欲しいのは二つだけなんですよ。そらさんからの信頼と、真実。二つとも手に入らないなら、そのほかの余計なものは何もいらないです。寝ますね。」

 疲れもあったのだろう。そらがかけた二、三の言葉をすべて無視した誠は、翌日の朝まで眠り続けた。

 本当は誠に隠していることを全部話したい。五代との戦いで守ってもらう形になった彼女は、冗談ではなく樋波誠に惹かれ始めていた。しかし、惹かれているからこそ、好きだからこそこの旅の真実は隠さなければいけない。そらは唇を噛みしめ、眠ろうと努力した。

 そのうちそらも、自分の行動に不安を抱きながら眠りについた。

背中合わせで眠る彼らは、さながら倦怠期のカップルのようだった。

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