第二章

「……ん」

 意識を取り戻して一番初めに視界に映ったものは整った女性の顔だった。

 というか、そらの顔だった。

「お、目が覚めたね、少年」

 じわじわと後頭部に柔らかい感触が広がっていった。

 というか、そらの太ももだった。

「ここは……? 」

 ガバっと飛び起きそうになる自分の反射を死ぬ気で抑え、誠は膝枕に甘んじたままそらへ質問を投げる。ここで起きたら、年上美人の膝の感触を十分に堪能できなかったことを俺は一生後悔するだろう。

「気球での会話忘れちゃった? 異世界だよー、世界の名前は知らないけどね」

「へぇ、ここが」

 どこか他人事のようにつぶやく誠。膝に頭をのせたままあたりを見渡すと、なるほど確かに空が少し紫がかっている。

「空の色が異世界っぽいですね」

「ん、呼んだ? 」

「いや、スカイのほうですよ。膝枕されたくらいでいきなり下の名前呼び捨てになんてしません……そこら辺の勘違い男と一緒にしないでください。」

「あー、こっちの空ね。」

そらは上空を指さしながら、誠の言葉に同意した。

「確かに紫がかっているねー、そのせいで心なしか視界すらもうっすい紫色だもん」

「紫色のフィルムを顔に当てている人みたいな感想ですね。眼科にでも行ってください。でも本当に青色じゃない空を見ると異世界に来たって感じですよね。そらさんが以前訪れた数々の異世界もこんな感じだったんですか? 」

 異世界への扉を見つける超能力という発言を誠はもう疑っていなかった。

「いや、そんなことはなかったよ」

 なかったのかよ。

 そのつっこみと同時にさすがにそろそろ膝枕も悪いと思った誠はゆっくりと起き上がった。

「もう動ける? 」

「はい、大丈夫です」

「じゃ、いこっか」

 そう告げ、そらは立ち上がった。

 どこにですか? と尋ねようとした少年の疑問を先回りするかのようにそらは言葉を続ける。

「あそこに城みたいなのが建っているの見える? 」

 彼女の指の先には確かに城のようなものが見えた。高い木々に囲まれているのでてっぺんしか見えなかったが。

「誠くんが寝ている間に少しだけ回りを探索したんだけど、ここから城の逆側に少し進むと海があったわ。どうやらここは島みたい。目算だから詳しいことは言えないけど、あの城が島の真ん中に位置していて、それを取り囲むように木々、というか森が存在しているっていうイメージなのかな。」

 誠は多重ドーナツを想像した。

 海という一番外側のドーナツがあり、その内側にいま誠たちがいる草原、その内側に森。城の周りには町でも存在しているのだろう。どちらかというとバウムクーヘン構造か。全く関係ないことだが誠の頭にバウムクーヘン分割積分という単語が浮かんだ。

「とりあえず、あのお城を目指します。」

 そう告げて城の方へと歩を進めようとする少女を、少年は手で制止した。

「あ。その前に一ついいですか? 」

「うん、どうしたの? 」

「異世界に来たのはいいですし、ここが異世界だということも疑っていないんですけど、そもそもそらさんが異世界に訪問する目的ってなんなんでしょう。まさか観光ってわけでもないですよね」

「あーそれはまだ話していなかったっけね。」

 当然ともいえる誠の疑問に微笑んでから、彼女は答える。

「簡単に言うと、異世界の扉からなにか悪いものが現代日本に流れ込んでこないかを調べる仕事なの。流れ込まないのならそのままでいいし、もしなにか流れ込んでくる可能性があるのならそういう専門家に依頼する、仲介みたいな感じのことをやっているんだよ」

「なるほど、仕事だったんですか」

 この世界には様々な職業があるものだなあ。

 誠は一つ賢くなった。

 確かに誠の知る異世界創作物に出てくるオークやエルフのような人ならざるものが現代日本に侵入してきたら大問題である。エルフは可愛いイメージが強いが普通に魔法とか放てるはずだ。異世界へとつながる扉を見つける超能力を持ったそらが、そういった仕事をしているのも頷ける話である。

「ほかに質問ある? 別に道中に思い付いたらなんでもいつでも聞いていいけど」

「そうですね、とりあえず何もかもわからないので今は何も言わないです。お城目指すんでしたっけ? 」

「そうそう。お城を目指すよー。あ、あともう一つ少年が寝ている間にずっとあの恒星を見ていたんだけど」

そらが指をさす方向には誠の世界でいう太陽がさんさんと輝いていた。紫色の空に。

「あの恒星によってできる影の動き方を見ていたんだけど、ほぼ太陽と同じ動きをしているっぽいんだよね」

「……つまり、この異世界ほとんど地球と同じってことですか? 」

「そうなるねー。ついでに朗報というか、異世界に憧れる君にとっては悲報かもしれないんだけど。今あの太陽ほぼてっぺんにいると思うんだ」

 確かに影の感じからも太陽がほぼ最高度にいそうなことがわかる。

「でさ、誠くんに質問なんだけど、お腹すかない? 」

「……いわれて思い出しました」

 そう。体感で一時間ほど前だが、亜湖をこってりで有名なラーメン屋に連れ込もうとしたことは記憶に新しい。

 お腹のすき具合があの時とほぼ変わっていないということはまだ元の世界でいうところの一時か二時ということだ。

「俺ってどのくらい寝てました? 」

「たぶん異世界に転移してから一時間もたっていないんじゃないかな」

「……つまり、この世界も今一時くらいってことですか? 」

「そういうこと!」

 満面の笑みを浮かべるそら。

 可愛い。

 そらの言う誠くんにとっては悲報かもしれないというのはすなわち、せっかく日本から異世界に転移したというのに今のところ空の色が違う以外、環境や時間すら変化がないということだった。

 これは異世界という単語に無駄にワクワクしていた誠からすれば大変な悲報である。

「今のところ、空の色以外で異世界感を感じられないんですけど!」

「空を見上げるだけで感じられるだけいいと思いなさい、ぜいたく者!」

 すごすごと引き下がる誠。

 美人な年上と知らない土地に二人きり、ということなのでまあ及第点としよう。


 しばらく雑談に興じながら森を歩いていた二人はあるものを発見した。

「……あれ、なにかな? 」

「大き目の小屋、というか、ペンション? コテージ? に見えますけど」

 木々が晴れた隙間から建物が見えた。サイズ感はそれほど大きくなく、金閣鹿苑寺の一番有名な金箔に塗られているあの建物くらいだろうか。

「もしかするとご飯を提供してくれるところかもしれませんし、ちょっと寄りませんか? 」

 空腹に耐えかねた誠は、藁にも縋る思いで建物に入ることを提案する。

「そうだねー、あたしもちょっとお腹すいてきちゃったし。」

 建物へと近づいていく二人。そこの入り口には看板が立っており、何か文字が書いているようだが、残念なことに誠には読むことができなかった。言葉が通じない、二つ目の異世界観である。

「……あれ? 」

 看板の文字を見て首をかしげるそら。

「どうしたんですか? もしかして異世界経験者のそらさんには読めちゃうんですか? 」

 だとしたら少し興ざめである。冷静に考えれば言葉が通じない世界で一週間過ごすというのは相当苦痛な行為なのだが。

「いや、読めないのよ。」

「読めないのかよ。人並以上には博識だという自信のある自分も見たことすらない文字の羅列ですしそんなおかしいことでもなくないですか、なんて言ったってここは異世界ですよ!」

「……ま、そうね。それもそうだわ。」

 きっとそらは様々な異世界を旅しているから異世界言語には自信があったのだろう。そう判断し、誠は店の中に入ろうとした。

「ちょっと待ってよ少年。ここ何のお店かわからないのに入るの? 」

「や、むしろそらさんは何のお店か分かった上では入れると思っていたんですか?」

「そういうわけじゃないけど……」

 歯切れの悪いそら。どうやらビビっているようだ。一方の誠は、もとより何のお店かわかるはずないと割り切ったうえで小屋に立ち寄ることを提案している。

「ほら、そらさん。台湾旅行に来たと思えばいいんですよ!死ぬことはないですから!たぶん。」

 そういって彼は強引にそらの手を引いた。

「あ、ちょっとー、どさくさにまぎれたボディタッチとかお姉さんドキドキしちゃうんだからやめてよ」

「あ、ごめんなさい」

 慌てて手を離す誠。それを見て少しだけ残念そうな顔をするそら。手を放して残念がるのなら言わなければよかったのに。

「すいませーん」

 建物の扉を開け、奥に届くように叫ぶ誠。

 数秒しておくから足音が聞こえてきた。

 人間が、少なくとも人間と同じ姿かたちをした生物が奥から顔をのぞかせる。その姿を見て二人はひとまず安堵した。見たことのない奇怪な生き物が出てくる可能性を考えなかったはずはない。

「※☆※△」

 突然意味の分からない音の羅列が誠とそらに流れ込んだ。

「……もう一回言ってください。」

 誠はゆっくりと、そして人差し指を一本立てるというノンバーバルな仕草も加え声を発した。

「※☆※△」

 先ほどと同じ音の羅列が聞こえる。誠たちの伝えたかったことは伝わったのだろう。しかし肝心の内容がわからないのでもう一度復唱してもらった意味がなかった。なんとなく、復唱してもらったのに会社名が聞き取れなかった電話対応に追われる新入社員の気持ちを想像した。

「……どうします? そらさん」

「……まあまあ、お姉さんに任せなさい」

 とても不安そうな顔をしたそらがすっと誠の前に出た。任せなさいという人の顔ではなかった。

 彼女はそのまま店員らしき人、人らしき生物、に向かってひたすらジェスチャーを繰り返した。

 自分と誠を指さし、お腹を抑える。ものを食べるジェスチャーをし、体の前でばってんを作る。

 言わんとすることはわかるようなぎりぎり及第点のジェスチャーだった。

「☆※☆※△」

 数回それを見て得心が言ったような顔をする店員。

 そのまま奥に引っ込み、一枚の紙を持って再び現れた。

「……伝わったんですかね」

「あの紙が何の紙かによるね」

 小声で二人は言葉を交わす。

 店員が持ってきたその紙にはかつ丼、親子丼、天丼、に見える数種類のどんぶりの写真が載っていた。現代日本でいうメニュー表だということに気付いた現代日本人は驚いた表情で店員の顔を見る。選べ、というような顔とジェスチャーをされたので誠はかつ丼を、そらは親子丼を指さした。


 こじんまりした店内の四人掛けテーブルに通された二人が調理時間の雑談のトークテーマを探そうとしているとき、厨房が一瞬青く光ったように見えた。

 不思議に思った二人は青い光に包まれたほうへと目を向けたが、発光は一瞬で終わり、厨房からどんぶりを二つ持った先ほどの店員が出てきた。

「※☆※△」

 お待たせいたしました、というようなニュアンスを含んでいるであろう異世界言語を添えて誠の前にはかつ丼が、そらの前には親子丼が並べられた。

 さすがに出てくるのが早すぎる。日本の牛丼チェーン店でもこのスピードで配膳されることはないだろう。

 二人は店員に頭を下げ、彼が奥に帰っていくのを見届けたのを確認し、目を合わせて首を傾げた。

「出てくるの、明らかに早くないですか? 」

 口火を切る誠。

 激しく同意するそら。

 恐る恐る匂いを嗅いだ二人だったが、どちらもおおよそ異世界にはふさわしくない和風だしのいい香りを放っていた。

 そのまま口に運ぶ。

「……あ、美味しい」

「うわー、食べられるわね……」

 いたって普通の定食屋のメニューだった。なんなら美味しい部類である。

 食べながら話を進める二人。

「ここ、本当にご飯を提供してくれる場所だったんですね」

「驚きだよ。メニューもオークの酢漬けとかじゃなくて私たちの知っているものによく似ている料理だし。」

「そうですね、オークの酢漬け嫌すぎる。まあ、この肉がオークの肉じゃない保証はないですけどね……ところでさっきの青い発光、何だったんですかね? 」

「そうねー、少年は何だと思う? 」

「……異世界ならではの調理の過程、とかですかね」

「あたしもそう思ったのよ、和風だしが香るとはいえここ異世界だし。異世界の電子レンジみたいなものかなって」

 異世界の電子レンジとは言いえて妙な表現だな、と誠は思った。

 それならあの速度でそれなりの美味しさの料理が運ばれてきたのも頷ける。

「言語が通じれば、仕組みを聞いたんですけどね」

「そうよね……でも通じないから仕方ないわよね」

 そういう間に食べ終わり、そして二人は新たな問題に直面する。どちらもずっと胸に抱えていた、しかし食欲という三大欲求のうちの一つに負け、必死に気が付かないふりをしていた問題だ。

 ところでこの異世界、現時点で城や料亭があることが確認できる。すなわち文明はそれなりに発展しているのだろう。

 文明の象徴とはなんだろう。

 その代表的な例が文字である。言葉を書き残す、という手段を得た人類は大幅に文明を発達させた。もちろんほかにも様々なものがあげられるだろうし、どれも文明の象徴だろう。

 さて、文字や言葉、火以外の文明の発展と切っても切れない関係にある道具のひとつをここでは紹介したい。

 通貨、すなわちお金である。

 物々交換の時代を超えた人類は、信頼を紙切れに託して通貨というシステムを構築した。その信頼は紙切れ程度の薄さなので、それによって様々な文明が滅びている。

 そう。間違いなく通貨は文明を象徴する一つの例である。


「ねえそらさん。今気づいたんですけど、本当ははじめから気付いていたんですけど、俺たちこの世界のお金持っていないですよね……」

「気づいちゃったかー。実はあたしも親子丼半分くらい食べたところで気づいたんだよね。本当は店に入る前からうすうす思っていたけれど」

「もっと早く言ってくれれば……」

「それは私のセリフでもあるよー」

 最も、どちらかが店に入る前に言い出したところで、結局は食欲に負けてなんとかなるの精神で無銭飲食という結果を残していただろうが。

「正直に話して皿洗いとかして許してもらうしかないですね」

「異世界人にそれをジェスチャーで伝えるの、なかなか無理ゲーだけどね……」

 誠たちは店員を呼びつけ、申し訳なさそうに何度も頭を下げながら、なんとかお金を持っていないことを伝えた。

 警察を呼ばれる可能性もあるよな。そういう不穏な考えが誠を支配したが、その心境とは裏腹に店員の態度はあっさりとしたものだった。

 店員はまず誠の全身を舐めるように見回した。

「もしかして、体で払えとかそういうやつですかね……」

 小声でそらに尋ねる誠。

「それならまずあたしの体を見ると思わない? 」

 確かに。納得しかけたが店員が男色家の可能性だって十分にある。現代日本でもジェンダーフリーとやらが流行っているのだ。異世界ではそれが普通だといわれてもなにもおかしくはない。だいたい見た目は人間の男に見えるがそれがこの世界の雄である保証はないのだ。この世界の性ってどうなっているんだろう。

 一通り誠の体を見渡した店員は、手首にまかれている腕時計を見つめた。

 見つめられているところ悪いが、別に入学祝で父親からプレゼントされた高級なもの、というわけでは全然なく電気屋さんで購入した五桁もいかない安物の真鍮の腕時計である。

 その真鍮の腕時計を指さしたまま、それを対価としていただきたい、というジェスチャーをする店員。

 地の文故二行で簡単に表現したが、実際のところそれを伝えるために五分以上は経過している。

「ねえ少年、その時計がよっぽど大切なものでなければそれをおとなしく渡すのが正解だと思うわ」

「そうですね、かつ丼と親子丼の対価としては高いかもですけど食い逃げの対価として考えたらとても安いですもんね」

 そう言って腕時計を外し、頭を下げながら譲渡した。

 しかし、この世界で日本製の腕時計があったところでこの店員はなにを得するんだろうか。誠がそう思いいたったところで“それ”は始まった。

 腕時計に触れ、店員が目を閉じると、それが青い光に包まれた。

「これって……」

 先ほど厨房から発せられたものと同一の光に見える。

 そして次の瞬間、真鍮の腕時計はいくつかの金属の塊へと形を変えていた。


「……」

 二人の息を呑む音がリンクする。

 落ち着け、と誠は自分に言い聞かせる。だが目の前に突き付けられた不条理に、そう簡単に落ち着けるはずがなかった。状況を整理しよう。必死に思考を巡らせるが光に包まれた腕時計が一瞬でいくつかの金属塊に分解された光景を整理できるはずもない。そのまま誠の思考がフリーズする。

 その時、誠の頭の中に聞きなれた声が響いた。

「せんぱい」

「……亜湖? 」

「どうしたんですか? そんな思いつめた顔をして」

 もちろんこの世界に亜湖が同行していた、などということではない。今のやり取りはすべて誠の脳内で行われたものである。

 統合失調症という、幻覚や妄想を現実のものだと信じ込んでしまう精神疾患がある。かつては精神分裂病と呼ばれていたそれは、周りの人間との関係をも壊してしまう危険性をはらんでいる。

 ただ、誠は統合失調症ではない。時々脳内に亜湖が召喚されるが、それは脳内の出来事だと知覚しているので大丈夫なはずだ、と彼は思っている。

 だれしも一度は、この場面あいつだったらこういう風に発言するだろうな、と考えたことがあるはずだ。それのもう少し鮮明な妄想だと思ってくれればいいだろう。誠は妄想が得意なのである。

「いや、大丈夫だ。亜湖はあれからどう? 」

 誠の脳内に無意識のうちに亜湖が召喚されることは、彼にとってはもう慣れっこであるが、傍にいる人にとってはその限りではない。というか意味が分からないだろう。それを重々承知しているのでそらに心配されないよう、もちろん誠の発言も脳内でだけ行われている。

「どうもこうもないっすよ……せんぱいが謎の美女と一緒に旅行に行っちゃうとかいう連絡を受けたせいでほかの男に乗り換えようかと何回も考えましたからね」

「乗り換えるもなにも、別に亜湖は俺のものではないだろ……」

「や、あたしはせんぱいのものです。というかそう思って自制していないとあたし遊びすぎちゃいそうなので……だからせんぱいはどう思ってくれていてもいいのであたしはせんぱいのものだと思わせておいてください。」

「あんまり妄想で暴れないでくれないか? これ全部脳内の会話なんだから、俺がそういう寝取られ性癖を持っているみたいじゃないか」

 繰り返すがこれは妄想なので、誠には寝取られ性癖があるみたい、というか寝取られ性癖あるのだろう。

「まあ、早く帰ってきてくださいね、あたしが飽きちゃう前に。」

「はいはい。全裸で待ってろ」

「わんわん。さすがに脳内とはいえそれは気持ち悪い妄想が過ぎますよ。じゃ、そろそろ消えますね。」

「おう、ありがとね、落ち着いたわ」

「最後にせんぱい。真鍮って銅と亜鉛の合金ですよね。あの数個の塊の手前二つ、茶色と銀色ですね。それでは」

 そう残し、誠の脳内から亜湖が退場した。

「……さて」

 少年の思考がフリーズしてから平静を取り戻すまで二秒。亜湖とだらだら会話をしていたように見えたがすべて脳内で処理が行われているので現実世界では数秒しかたっていないのである。

「そらさん、気づきました? 」

「……え、なにに? 」

 そらはまだ呆然としている。

「あれ、俺の真鍮の腕時計を銅と亜鉛に分解して再構築しているように見えませんか? 手前の塊、明らかに銅ですよね」

 それを聞きはっとするそら。どうやら大学生の知識を持ってして誠の馬鹿げた仮説がある程度信憑性の高いものだと判断されたようだ。

「……店員さんの超能力、といったところかなー。物の分解と再構築。思い返せば料理の提供時間が驚くほど速かったのも、卵や肉などの素材を並べて、青い光で親子丼という形に再構築していた、という仮説が立てられるわ」

 そこまでは考えが及んでいなかった。しかしたしかにあの時も厨房から青い光が漏れ出していたことを思い出す。

「……現代日本に持ち帰ったら驚くような能力だねこれ。物質を原子レベルで分解し、再構築している。」

「そうですね……」

 と、ひそひそ会話を続けていたら店員がこちらを見て何か言いたそうにしていた。

「どうかなさいましたか? 」

 伝わらないことはわかっているがそれでも丁寧な言葉づかいで尋ねるそら。

 伝わらない言葉とともにボディランゲージが開始された。

 たっぷり十五分かけてそのボディランゲージを受け取った二人は、わくわくした顔で店を飛び出した。


「いくわよ。みててー」

 わくわくした顔でそらが右手の薬指にしていたアクセサリの指輪を外し。目を閉じる。


 指輪が青い光に包まれた。


 そしてそれが箱のような立方体に形を変える。

「すごい! 本当にできたよ!」

「本当ですね、話半分というか明らかにボディランゲージの解釈ミスだと思っていたんですけど……」

 そう。この光の力、別にあの店員固有のものではなかったのだ。どうやらこの異世界にいる人間全員が使える能力らしい。

 職業によって能力の序列はあるらしく、例えば町を守る戦士はより強い能力を使うことができ、誠たちのような旅人は島民の子供よりも弱い力しか使えないらしいが。

 とはいってもこれらのことはすべてジェスチャーで受け取っているので、例えばより強い力、という言葉の本当の意味するところは二人にはよくわかっていない。

 ちなみに能力の使い方のプロセスは至極単純である。

 対象を決める→想像する→対象が光に包まれる→分解、再構築がなされる。

 以上。

 どうやら原子分解するときも特別な知識は必要ないらしく、先ほどの腕時計の場合でも、「一度バラバラになった後、各金属原子に再結合する」という程度の緩い想像をすれば自動で銅や亜鉛、その他と分解されるようだ。

 さしずめ、想像したことを現実に反映する力、といったところだろうか。誠の思考は再び深い部分へと潜っていく。青い光に包まれて料理の素材は料理へと姿を変えた。腕時計は金属の塊に、指輪は立方体へと形を変える。原子レベルで分解し、再構築することができるのだとすれば例えば通常の原子と中性子の数が違う放射性同位体を作成することは可能なのだろうか。淡い知識だが、確か中性子を失ったことで安定していた状態から不安定な状態へと移り変わった放射性同位体は、アルファ崩壊という現象を引き起こし原子番号の異なる物質へ変化してしまうことがあるはずだ。そうなれば物質を壊して戻す、だけでなくそもそも別の物質に作り替える、ということも可能なのだろうか。

 だいたい親子丼が作れるのなら当然卵焼きやスクランブルエッグを作ることも可能なのだろうが、材料がほぼ同じのその二つは卵焼きを想像したら卵焼きに、スクランブルエッグを想像したらスクランブルエッグに、きちんとなるのだろうか。

 思考がぐるぐる回り始める。何が何やらわからなくなってきたところで再び脳内に声が響く。

「ねー、せんぱい。」

 決して誠は統合失調症でもなければ乖離性人格障害、通称二重人格ではない。

「そんな頻繁に妄想に登場するな、亜湖」

 脳内で返事をする。何度でもいうが彼はそういう病気では全くないし、これが何かの伏線というわけでも全くない。実は亜湖も異世界についてきていた、という叙述トリックでもない。ただの妄想との会話である。高校生だから仕方がない。

「その力って、想像したことを現実に反映するんですよね。なら、アルファ崩壊とかベータ崩壊を考えるより先にやることがあるじゃないですか!」

 脳内亜湖は憤っていた。それに気づいた誠も今までの無駄な十分を悔いた。

 そう、やるべきことがあるだろう!

 想像を現実に反映させる力だ。目の前には美人のお姉さんがいる。ならばやることは一つ!

 誠は、そらの服がはだける光景を想像した。

 想像し、想像する。

 すると想像通り対象―そらの体が光に包まれた。

「ちょ、誠くん? 何する気? ていうか……」

 想像と違ったのは、そらを包み込む光の色だった。彼女は青色ではなく赤色の光に包まれている。

「赤? え?」

 戸惑うそら。そして下からはだけていくそらのワンピース!

 いよいよ下着が見えそうなところで、そらの体がひときわ明るく発光した。

 元に戻るワンピース。

「え、なんで……? 」

 次に戸惑ったのは誠だった。

「どうして。作戦は完璧だった。赤の発光が起きたのは計算外だったけど俺の読み通り、この異世界の特殊能力は原子を再構築するものではなく、想像を現実に反映するものだというのは正解だったはずだ……」

「ねえ、少年。」

「な、なんですか」

「怒らないから言ってみて? 確かにこの能力の本質に気付いたところまではすごいと思うから誉めるよ? でも、いま、どんな想像をしたの? 」

「……たんです」

「は? 」

「見たかったんです」

 正直に伝えることで人は深く追及できず許してしまうというのは有名な話だ。

 今回も例に漏れず、そらは自分の下着がどうしても見たかったという誠のことを許してしまった。単純すぎる女だった。

「物質の再構築をするときは青く光って、そうじゃない行動を反映するときは赤く光るっていうところかしら」

 その解析にはおおむね同意する誠。

「でもそらさん、なんで俺の能力がキャンセルされたんですか? あと少しで下着が見えるところだったのに。」

「簡単よ。私の服がはだけない、という想像を自分にしたの」

 相殺。

 聞いてみれば単純な話だった。

「あ! もしかして? 」

 何かひらめいた様子のそら。自分のひらめきに確信が持てないのか首をかしげながらも言葉をつづけた。

「さっきのあの店員が言っていた、戦士の持つより強い能力って、能力の序列のことを現しているのかも」

「能力の序列? 」

「そう。いまあたしは誠くんの想像を完全に当てることで真逆の想像をし相殺、地獄を未然に防いだわ」

「地獄……まあそうですね」

「もう一度同じ想像をしてみて。」

「え、そんなに俺に下着見せたいのなら素直に脱げばいいのに」

「ちげえわ」

 そう言ったそらの手前の土が青く光り、泥団子が完成した。その泥団子が赤く光り、誠の顔にぶつかる。土を対象に青い力を使用し、物質の再構築で泥団子を作成。その次に泥団子を対象として、誠の顔に向かって飛んでいくという想像をしたのだろう。能力を完全に使いこなしている人の図かそこにはあった。

おとなしく誠は言われたとおりにそらのワンピースがはだける想像をする。数秒してそらの体が赤く発光し、スカートがめくられはじめる。

そして太ももがあらわになったところで「なるほど、やっぱりね」と呟いたそらの体がひときわ大きな赤の光に包まれた。スカートが元に戻る。

「なにがわかったんですか?」

「今ね、前半は“あたしを包むこの赤い光が消える”という想像をしたの。でもそれだとスカートは捲れ続けたわ。だから次はさっきと同じく“ワンピースがはだけない”という誠くんとは真逆の想像をしたの」

「なるほど。つまり、完全に真逆のことを想像しないと相殺はされないというわけですね」

「そう。ここからは予測なんだけど、能力の序列ってそういうことなんじゃないかな」

 先の小屋の店員がボディランゲージで伝えてきた戦士が強い、旅人は子供にすら及ばないという能力の序列。そらの考えは、上位の能力者は下位の能力をより簡単に打ち消せるのではないか、というものだった。

「それはありそうですね……簡単に分かったことをまとめると、青い光が物質に干渉する場合で、赤い光が現象に干渉する、というイメージ。真逆のことを考えれば相殺されるが、序列の高い立場の想像がより優先される。もしかすると序列が低い相手の場合は“光が消える”という想像で光を打ち消すことができるかもしれない」

「うーん、そうね。言葉選びに不満はあるけど、青が材質変化、赤がそういう現象を引き起こす、というイメージでいいと思うわ。相殺システムについてはまだ未知数ね」

「言葉選びに不満……」

「現象に干渉って言いたかっただけでしょ?」

 図星をつかれた誠だった。

「じゃあついでに誠くん、この能力になんかわかりやすい名前でも付けてみて」

「え。なんか緊張しますねそれ」

「いいやつだったら採用するわ」

 とても上から目線のそらだった。

 そして結局数秒考えてひねり出した誠のアイデアが採用された。

「現実を“上塗り”する能力、『上塗り(オーバーライド)』ね。中二臭くていいじゃない。それでオーバーライドするときに表れる発光を『可視光線』と呼ぶ。こっちはルビなし。なるほど。いいセンスだと思うよー」

 棒読み感あふれる受け答えだったが、ひとまず能力の名前が決定した。

 そこからは実験の時間だった。先ほど誠が思案していた青の力でアルファ崩壊等を引き起こして、全く別のものを作れるのかという疑問は、実験が危険すぎるということでわからないままだったがそのほかにはたくさんのことが分かった。

 例えば。

「でも、実際赤のオーバーライドが万能すぎて青のオーバーライドの存在価値がないと思うんですよね」

「それは思ったわ。」

 分解して再構築する、これも赤のオーバーライドで代用できるのではないかという考えに対する答えは、単純だった。物質に干渉するときは自然に青く光り、そうでないときは自然に赤く発光するのだ。誠たちがどちらの光を使うのか考えるのではなく、光の方が勝手に想像に合わせてくれる。

「もしかして」

 さらに疑問は積み重なる。

「目の前に親子丼が現れる、という現象を想像すれば親子丼にありつけるんじゃない?」

「確かに。」

 こうすればもう対価を支払わずとも食事にありつける、わくわくしながら二人はイメージを巡らせた。だが当然そんな甘い話はなかった。無から有は生み出せない。いかなる想像も、対象が選択されていないと発動しないのである。

 しかし対象が明確だったら自由度の高い光だった。例えば目の前の木を切り倒すことができたし、人間をある地点からある地点へと瞬間的に移動させることもできた。前者は青の光、後者は赤の光である。

 じゃあどこまで瞬間移動させられるのか気になった二人だったが―例えば歩かずとも一気に城の元まで行けるのではないか、という仮説を立てたりした―ついにそれを試す度胸はなかった。なぜかというと、オーバーライドの発動に失敗することが多々あったからである。

 失敗するケースは大きく二つ。一つ目は対象の未選択。そらさんがどこにいるかわからない状況で彼女の服を脱がそうとしたが、対象として選択されなかったので失敗に終わった。

そしてもう一つはイメージ力の欠如である。

人間を瞬間移動させられるということは空を飛ぶことだって可能なのではないか、と思い実験したが人間が飛ぶということに懐疑的だったそらは、誠をうまく飛ばすことができなかった。徐々にイメージが固まっていくにつれてうまく飛ばすことができるようになったが。

後者の問題が大変重要で、うまくイメージできないままオーバーライドを発動してしまうと、失敗としてどういう対価が支払われるのか未知数なのである。飛行の代償は地面に落ちる、程度だったが、遠い距離の瞬間移動に失敗したとき、その体や命が無事である保証はない。


 あらかた実験を終えた二人はさらに城へと向かう。

「ねえ、そらさん」

「なあに?」

「気のせいであってほしいんですけど、俺たち、後つけられていません? 」

 実験を終え、森の中を歩くこと十分弱。誠は確かについてくる気配を感じていた。

「確かに気配は感じるけど、後ろの人もきっと城目指して歩いているだけだよー、誠くん自意識過剰過ぎない? 夜中後ろから足音聞こえてきたら早歩きになっちゃうタイプでしょ」

「いや夜中の背後の足音は俺でなくても早足になると思うんですが……」

 夜中にすれ違う老人とかすごく怖いよね、申し訳ないけど。

「それに大丈夫だよ、もし暴漢だったとしても私たちには現実を塗り替える力、オーバーライドがあるんだから」

「そらさんこそ忘れていませんか、この力って序列があるんですよ。もし暴漢が本気で俺たちを犯そうとして能力を使われたら絶対勝てないんですよ!」

「……誠くんが犯されるとしたら私はたぶん無事だからなんでもいいや」

 呆れたような眼をするそら。

「いや呆れないで! やつらどうせ穴があれば性別なんてどうでもいいんですから! そらさんだってきっと」


「※△※□〇※」

 視界の端が背後の赤い可視光線を捉える。

「やっべ」

 その瞬間誠はそらの手を掴み強く思考する。

「飛べ!」

 背後からの可視光線が二人を対象として掴むよりも先に、赤く包まれた誠は前方へとダイブした。

 勢いを殺しきれず数メートル転がる二人。不器用な逃げ方だな、と彼は自嘲気味に笑った。

「ありがとう誠くん、不器用だったけど助かったわ」

 距離をとったことと痛みで冷静になった誠は状況を分析する。敵は二人の男だった。間には二十メートルほどの距離がある。

「何の用ですか? いきなりオーバーライド、しかも赤の方って俺たちに何をする気だったんですか? 」

 相手に聞こえる声量で誠は問いかけた。もちろん言語が伝わらないことはわかっているが、彼なりの敵意のないアピールである。

 返事はなかった。

 代わりに赤い光が二人の方へ伸びてくる。

「えっ、ま、誠くんどうしよう」

 数瞬の思考。そしてこの世界では数瞬の思考が最大の武器になり得るのだ。

「壁‼」

 地面に手を当て、青色のオーバーライドを発動した。地面一帯が青色に染まり、土と水を混ぜることにより一瞬で巨大な壁が建つ。その壁は相手の視界と赤の可視光線を遮った。

 さらに、青色の光は物質の分解と再構築。当然だが物質は突然消えたり増えたりすることはない。すなわち壁に使われた分の土がどこから供給されているかというと……

「※※!」

 壁の向こう側から絶叫が聞こえてくる。二人は突然できた深い穴へ落ちたのだろう。

 敵の前の地面に干渉し壁を構築することで赤の光を避けることと敵への反撃を同時に実現したのだ。

「うっわー、誠くんさすがにやることが的確過ぎない? 」

「まあ妄想は俺の得意分野なんで……」

 さて、と誠はつぶやき次の策へ出ようとした。

「……もしかして誠くん? 」

「えへへ、わかっちゃいましたか」

 女子中学生までしか許されないような笑い声とともに誠はもう一度地面へと手をやった。

「オーバーライド」

 壁が崩壊する。崩壊した土の行き場所は当然もともとあったところだ。そしてそこはもうすぐ襲い掛かってきた二人の死体の遺棄場所にもなる。

「※△!」

 再び男の絶叫が聞こえる。

「序列最下位の旅人ならやれると思ったのかな。土砂っていう自然様には勝てないんだぜ」

 誠が格好をつけたその瞬間、そらの目が赤い塊を捉えた。

「ま、ことくん!上!」

 慌てて上を見る誠。そこには赤い光に包まれた一人の男が浮遊していた。

「……まあ、俺たちにも飛べたんだから飛べちゃうか」

 一人しか飛び上がっていないことを考えるとどうやらもう一人は作戦通り土砂の下敷きになってしまったらしい。突然のことに慌ててオーバーライドで対抗することもできなかったのだろう。

 そうこう考えている誠に向かって文字通り飛びかかってくる男。右側に生えた木に思考を向け、青のオーバーライドでその木を切り倒す。倒れ掛かった木を難なく避け、地面に降り立った男と誠は対面した。

 素早く思考を巡らせ、横転する男を想像する誠。

 男が一瞬赤く包まれ、すぐに光は消えた。当然彼は横転などしていない。

「あは、この距離まで詰められると、さすがに序列的にかなわないんだな」

 対等な序列ならば真逆の思考をしなければ相手の光を打ち消すことができない。しかし序列的に上のこの男は誠のオーバーライドを打ち消す、という思考をするだけでいとも簡単にそれを実現させられる。

「※△□※※!」

「……もう一人の方をやりやがって、かな。言葉はわからなくてもさすがにそれくらいはわかるや。でもね、敵さん。」

 微笑とともに右手の人差し指を唇に当てる誠。それは作戦終了を告げる姿勢。

「オーバーライドは確かに万能の力かもしれないけれど。」

 男の背後には木の棒を振りかぶるそらの姿があった。

「あんたの体は万能じゃないよな」

 倒れこむ男。彼はきっと、何をされたのかもわからないまま意識を手放したのだろう。

 生まれた時からオーバーライドの力を使えるこの世界の住人は、逆に言えば可視光線の出ない攻撃には対応しきれない。

「……土砂で生き埋めにした俺もたいがいだなって自覚はあるんですけど、木の棒で昏倒するレベルで殴り掛かってしまうそらさんもなかなかですよね」

「気にしちゃだめだよー、でもあれじゃない? 生き埋めにした方はちゃんと掘り返してあげたほうがよくない?」

「うーん、目が覚めたらオーバーライドで勝手にやってくれると思うんですけどね」

「そのまま窒息して気絶したまま死ぬ可能性もあるから……」

 たしかに、と納得した誠は地面を掘り返す。案の定生き埋めにされた男も気絶していた。

「オーバーライドに関して言えば序列はマジでひっくり返らなかったですけど、不意打ちと二対一なら勝てるってことが証明されましたね」

「そうだねー、誠くんの機転がすごいってことだね。」

「いやいや、そらさんもよくこの世界観で能力を使わずに物理で攻撃しようと思いましたよ」

「……褒めている?」

「いいえ。」

「褒めなさいよ……。でもこれでだいたいこの世界のルールがわかったね」

 そういってまた森の中心へ向かって歩き始める彼女。

 追いかけようとして倒れている二人を一瞥した誠は何かに気付いたような顔をする。

「……そらさん、ちょっと待ってください」

「どうしたのー?」

「ずっと不思議に思っていたんですよ。この世界はオーバーライドの強さによって序列が決まるのではなく、序列によってオーバーライドの強さが変わる」

「そうだね、さっきの実験とか戦いの感じ、オーバーライドの強さは序列という絶対的な数値に、想像した現象をどれだけ鮮明にイメージができているかというパラメータが関わってそうだね。」

「そうですね、イメージ力や起こりやすさは確かに関係ありそうですけど、でも絶対的に“序列”というものがある。イメージ力でオーバーライドの強さが決定されて、その強さによって序列が決まるのなら話は単純なんですけど、この世界では逆です。例えば俺は今序列最下位の異世界人、という扱いですけど明日王女様に気に入られて王族になったとしたらどうなると思います?」

「……オーバーライドの強さが変動する、のかな?」

「きっとそうですよね。ということは」

 誠は倒れている二人の異世界人の体を眺め、指にはまっている指輪に気付いた。

 結婚指輪ならダイヤモンドが刺さっているであろう部分にスイッチがついており、それを押しながらではないと指輪が抜けないような仕組みになっている。

 誠は躊躇なくそれを引き抜き、自分の指にはめた。

「何らかのアイテムが序列を識別している可能性がありますよね」

 そらが納得したような顔をし、赤のオーバーライドを発動する。

 一瞬灯った赤の光は、しかしすぐに消えてしまった。

「なるほどねー。ちなみに念のため聞いておくけど、誠くんは今どんな想像をしたの?」

「そらさんの赤の光が消えるように、です。」

 序列が同じ場合、真逆の想像をしないとオーバーライドを打ち消すことはできない。

 つまり今この場において同じ旅人という序列の、誠とそらの間に差ができたということだ。その原因は―。

「ほら、そらさんもこいつの指輪はめましょう。旅人→子供→無職→商人……っていう順番ですから最低でも二階級特進ですよ!」

 おそらくこの指輪に、異世界の能力を増幅する石のようなものが組み込まれていて、職業によって序列に応じた増幅度合いを持つ指輪をもらえるのだろう。誠はそう予想した。

「そうだねー、ってことはあれか。この世界の王様と戦うとかそういう最悪の事態になったとしても、少しずつ序列が高い人を倒して指輪を奪って、少しずつ序列をあげていけばいいのね」

 そう単純な話なのか、と思いつつも誠は肯定し、街を目指して森の中心へ歩を進めた。


 さて、夜。

 人間の三大欲求の一つに睡眠というものがあるのは常識だが、果たして睡眠は三大欲求でいいのだろうか。人は時間がたったら自然と眠りにつく。テスト前夜などがいい例である。しかし同じ三大欲求である食欲、性欲は自然と発散はされない。眠い、食べたい、ヤりたい、という欲求は沸いてくるので確かに三大欲求であるが、どう頑張っても自然に解決されてしまう睡眠はさらに上位の存在な気がする。

「なんかぼうっとしてるけど、なに考えてるのー?」

「あっ、いや、なんでもないですよ?」

「何でもないことはないでしょー、なになに?ああ、いやらしいことでも考えていたんでしょ」

 にやにやしながら聞いてくるそら。この女、男子高校生が思案することはえろいことしかないとか思っているんじゃないだろうな、と誠は思う。

「違います。人間の三大欲求について考えてたんすよ」

「……あってたじゃん」

「……たしかに」

 そんなくだらない会話をしながら二人は小さな小屋の前にたどり着いた。日が沈んでから少し時間がたっている。

 何気なく小屋の前の看板に目を向けた誠は息をのんだ。

「あれ、そらさん、この看板」

「なに? 別に普通じゃない? “森の宿”なんて安直なネーミングセンスだけど、宿泊できることには変わりないでしょ」

「いや、あの、さっき親子丼食べた小屋のこと思い出してくださいよ、文字が読めるっておかしくないですか?」

「……そうじゃん。なに? 中心街に近づいてきたから観光客に気を使っているのかなー」

「なんで日本人に気を使ってくれた上に、ここの世界の言語では書かないんですか。英語、中国語、ハングルでしか書かれていない日本の看板の悪口ですか」

「まあ、あの時のあたしたちと今のあたしたちの違いって一つだけだよねー」

 そう言いながらそらは指輪を外した。

「うん。読めないね」

 誠も指輪を外すと看板の文字が解読できなくなることを確認した。

「異世界だから何が起きても特に驚かないんですけど、指輪をしたおかげで世界の一員と認められたから識字できるようになったってところですかね。」

 ということはさっきの二人はこれから文字も言葉もわからない世界で生きていくことになるのかかわいそう。と誠は人ごとのように考える。

「相手の話す言葉もわかるようになるのかなー、だとしたら相当過ごしやすくなるわね」

 そういって森の宿の扉に手をかけるそら。

 その手を慌てて制する誠。

「……なによ」

「……何部屋」

「は?」

「何部屋取るつもりですか?」

「……」

 なんだこいつは、みたいな顔をして扉に開く彼女。

「すいません宿泊したいんですけど」

「はーい、二名様ですね。ダブルベッドでよろしいでしょうか?」

「それしかないならそれでお願いします」

「ではチェックアウトは明日の朝十一時なので」

「あ、すいません、宿泊料っていくらですか……?」

「……失礼ですがお客様、職業は? 」

「あ、旅」

「今は仕事を辞めて人生の息抜き中です」

 旅人であると正直に言いかけたそらの言葉にかぶせる誠。

 彼らは今異世界の住人である証明指輪をしているから、外部からの旅の人だと言うといろいろおかしくなることに気付いたゆえの発言である。

「……そう、ですか。うちの噂聞いたことないですか? 」

 少し怪しんだ顔をしつつも話を続ける宿の受け付け

「うちはあなたたちのような職のない人を無料で泊めている宿泊料無料の宿なんですよ」


「さっきは助かったわ誠くん。完全に失念していた、警察とか呼ばれてもおかしくなかったわよね」

「いえいえ、こういうときのためにバディで動いているんですから」

 格好つけた誠だが心拍数は通常の倍以上になっている。

 彼は高校生。年上の綺麗な女性と同じベッドで寝る経験など当然初めてなのだ。思考がパンクしそうになる。

「……もっと亜湖で練習しておくんだった」

「せんぱーい、さすがにそれは人としてどうかと思う発言ですよ」

「出たな、脳内亜湖。頼む教えてくれ。初夜ってどういう風に立ち居ふるまうべきなんだ」

「……あたしに聞かないでくださいよ。あたしだってまだなんですから。そもそもこれから初夜が始まるって期待してしまうところが気持ち悪いですよ。まあでもどう立ち居ふるまうべきかアドバイスするとしたらたぶん、そんなソワソワしている感じだとだめだと思います。緊張とかソワソワがばれないように落ち着きましょう? 」

「ああ、わかったぜ」

「どうしたのー誠くん。ソワソワして」

 駄目だった。

「い、いえ。いえ……こっちはこっちでしっかりとした文明が築かれていそうですけど、元の世界に影響を及ぼす可能性があるのかなって」

 動揺を悟られた少年は強引に話題を変える。

「俺たちが入ってきた異世界の扉がここの住人に見つかってしまったら、やっぱり攻め込まれるんでしょうか」

「わからないわね、親子丼の店員さんとか森の宿の人は温厚そうだったけど、実際私たち襲われたし、闘争本能のない人たちってわけじゃないでしょう」

「もし俺たちの世界の人類がオーバーライドを使えないとわかると、攻めてきてもおかしくなさそうですよね。」

「それを確認するためにやっぱり城を目指すという方針は変わらないかなー」

  城の場所が明確なわけだから、徒歩で目指さなくともオーバーライドの力で移動すればいいのでは、と思ったが森のせいで城の全体像が見えないので断念する。

「そうですね、じゃあ明日からも頑張りましょ」

「うん、頼りにしているよー」

 そういう何気ない、頼ってくれる一言が男を落とすことに気付いていないそらだった。

「任せてください、自分想像力だとかイメージには自信があるんで」

「たしかに、先に赤のオーバーライドに気付いたのも君だったもんね」

「……またその話するんすか」

「別にいいよいいよ。魅力的な私の下着が見たかったんだから仕方ないよ。」

「……いま、いいよっていいましたね?」

 目を光らせる誠。慌てて首を横に振るそら

「違う!それは許可のいいよじゃなくて―」

 そらは下着姿で叫んだ。

「ひっ」

 自分を覆う布の急激な減少に気付いた彼女は両手で胸を隠し、その場にしゃがみ込む。その耳はオーバーライドの対象に選択されていないのに真っ赤に染まっていた。

「……ねえ誠くん」

「……はい」

「せめてさ、脱がしたのならさ、私のこと見てよ。なんで目を背けているのよ!」

 その言葉通り誠はそらの方を向いていなかった。

「いや、ごめんなさい。いざ脱がしちゃうと罪悪感が勝ったんですよね……」

「じゃあ脱がすな! だいたいどんな想像をしたのよ。私のワンピースどこ行ったの? 」

「服を脱がす、服が捲れる系のイメージをしてしまうと、完全にはだけるまでのタイムラグのうちに相殺されると思ったので、服が崩壊して、そのあと自分の手元に引き寄せられるという想像を行いました。これがそらさんのワンピースだったものです」

 彼の言う通りその右手には布切れが収まっている。

「……確かにそれだと青の光で一瞬のうちに服を消し去ることができるけども。イメージ力強すぎるでしょ。なんなの。そもそも私あのワンピース気に入っていたんだけど」

「……」

 右手を軽く振る誠。その手に青色の光が宿り、そらのワンピースが出現した。

「青の力で元の形に再構築しました」

「……なんか言うことない?」

「……」

「……」

「……脱がせてごめんなさい」



 場面は変わり、同時刻城の最上階。

「王。話があります」

 若い男が初老の男に跪いている。

「あの二人のことか?」

「お気づきでしたか。さすがです。」

「儂の世界のことは儂が一番わかっているからな。して、どうした?」

「ご存じかもしれませんが、このままいくとやつらは明日の昼過ぎにこの城へと到着します。」

「ふむ。それで?」

「撃退したほうがいいでしょうか。」

「はは、物騒なことを言うな。若いのは血の気が多くて困る。そんなに戦いに飢えているのか」

「……出過ぎた真似をいたしました、申し訳ありません。それでは二人のことは何もせず放っておくということでよろしいでしょうか」

「いいや、殺せ。」

「……」

「儂の世界に踏み入れただけでも腹立たしいのに、奴らはこの世界の住民の証である指輪を奪いおった。今日はまだいい。どうせあの指輪は仕事もろくにせんような奴らのものだからな。でもきっとやつらはそこだけにとどまらない。この世界の平和を守っている兵士たちと交戦し、万が一勝利するようなことがあれば躊躇なく指輪を奪っていくだろう。それが許せんのだ。だから、序列最上位、『傍付き人』が一人であるお前が確実に二人を殺してくれ。儂は明日、お前と一緒に二つの死体を眺めながらロビーで茶でも啜ろうと思う。」

「御意。私にお任せください。最高のティータイムをお届けします。」

 若い男がそのまま闇へと消えてから13時間後の午前10時。

 王の予言通り二人の侵入者は兵士のリングを強奪した。

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