Ⅲ 偽物には本物の鉤爪を
その後、自警団により隈なく捜索が行われたが、あの人狼を見つけることはできなかった。
二本足で立つ狼だけでなく、右腕に撃たれた傷のあるやつもである。
また、ヘボ探偵にしては抜け目なく、前もって街の四方に見張りを立てておいたらしいんだが、人狼はもちろんのこと、この飲み屋街から出て行った者は誰一人としていなかったそうだ。
「いったい何がどうなってる!? あのバケモノはどこ行きやがったんだ? 魔法円の結界にも、街の入り口の見張りにも引っかからずに消えたんだぞ?」
飲み屋に戻った探偵が、巻き毛を掻きむしりながら困惑した様子で叫ぶ。
「だから言ったろ? 人狼に魔法円は利かねえって……けど、これではっきりした。相手は悪魔でも悪霊でもねえ。実体のある生身の人間だ。んで、見張りが見てねえってことは、この街ん中にまだいるってことだ」
だが、犯人に心当たりのあった俺は、むしろ納得したというように言ってやった。
「まだこの界隈にいるってのか!? でも、あれだけ探しても腕に撃たれた傷あるやつなんていなかったぞ?」
「一人残ってるじゃねえか……一番の当事者なのに捜査に消極的で、こんな騒ぎになってるってのに一人だけ顔出さねえやつがよ」
「まさか、それって……」
愉悦に口元を歪めて語る俺の言葉に、探偵は唖然とした顔で呟いた――。
「――リハルドさん! ここを開けてください! リハルドさん!」
わずかの後、店の二階へ上った俺達は、この街の顔役、ハコブ・リハルドの部屋の前に立っていた。
だが、いくらノックして声をかけてもまるで反応がねえ。
「面倒臭え、どいてろ!」
これじゃ埒があかねえんで、俺は鍵のかかったドアを一撃で蹴り破ると、強引に部屋の中へ踏み込んだ。
「リハルドさ…!?」
続いて侵入した探偵も、そこにいたリハルドの姿に言葉を失う。
案の定、上半身裸になったやつの右腕にはたっぷりと血の滲んだ包帯が巻かれ、その顔はさっき見た紳士面とはまるで別人の、まさに獣のような獰猛な形相に変化している。
だが、やつが正真正銘の人狼でないことはすぐに知れる……床には、狼の毛皮を繋ぎ合わせた着ぐるみが脱ぎ捨てられているのだ。
「り、リハルドさん、あんたが犯人だったのか?」
「ああ、そうとも。だから穏便にすませろと言ったのに……満月の夜には血が騒いでね。獲物を狩らずにはいられないのさ。だが、人に見られるとマズイんで満月の夜に相応しい〝人狼〟の格好をさせてもらったんだよ」
いまだ半信半疑に尋ねる探偵に、偽人狼は尖った犬歯を覗かせながらあっさりと犯行を認めてみせる。
「知られたからにはやむをえん。君らにも今宵の獲物になってもらおうか……」
ところが、続けてそんな宣告をすると、鋭い鋼鉄製の三本爪が付いた武器を舌舐めずりしながら見せつけてくる。
おそらくは、そいつがさっきのねーちゃんを殺った凶器だろう。
「……やれやれ、何が獲物だか。満月で変身するなんざ信じてる偽物がよく言うぜ……それに本物の人狼はもっとすばしっけえ。ヘボ探偵のヘタクソな銃なんかに当りゃしねえよ。仕方ねえ。本物の人狼ってのがどういうもんかを見せてやるぜ……」
知らねえふりしてすますつもりだったが、こうなるとツッコまずにはいられねえんで、やむなく俺は正体を晒してやることにした。
変身は強制的にさせられるわけでも、逆に難しいことでもねえ……ただ、自分の内に秘めているもんを解き放ってやるだけでいい……。
ちょっと筋肉に力を込めるようにすると、俺の四肢は太くなり、全身が灰色の毛で追われてゆく……鼻先は伸び、尖った耳まで裂けた口には鋭く大きな牙が生え揃う……。
「…人狼っ!? ……ま、まさか、あんた、本当にリュカ・ド・サンマルジュ……」
真の俺の姿を見て、呆然と立ち尽くす探偵が譫言のように呟く。
「おうともよ。てことで、あんまし長居もしてられねえ海賊家業、とっととすませてお暇するぜ。ほら、獲物を狩るんだろう? 早く来いよ、このウスノロな偽物野郎」
俺は正直に短く答えると、やはり唖然とした顔の偽人狼を上から目線で挑発してやった。
「くっ…言わせておけば! このケダモノがあっ!」
その挑発にまんまと乗せられ、偽物は鋼鉄製の鉤爪を振り上げると、一直線に俺へ向かって突進して来る。
だが、遅え……遅すぎるぜ。俺は難なくそれをすり抜けると、その拍子にこちらも
「ぐぅああっ…!」
一瞬の後、やつの裂かれた腹からは真っ赤な鮮血が吹き上げ、交錯した俺の背後で断末魔の叫び声をあげて床へ倒れ込む。
「ああ、もちろん
みるみる広がる血溜まりの中に倒れ伏し、今や虫の息の偽物に対して、礼儀正しい俺はそう返事をしてやった。
「ふぅ…お頭に頼まれて新刊の魔導書写本を闇本屋に卸しに来たはいいが……ったく余計な労働させられたぜ。こりゃ、てめえからも手間賃もらわねえと割にあわねえな」
成り行き上、思いがけずも偽人狼を始末した後、俺は人間の姿に戻りながら、真っ蒼い顔で突っ立っている探偵にそんな冗談を言ってみる。
「ひぃっ…お、俺を食ってもうまくないぞ! か、代わりになんでもやる! 金はねえが……そうだ! あんたのことは誰にも通報させない! てか、これまでの無礼は謝る! だ、だから、どうかそういうことで……」
だが、場を和ませようとしたその冗談も、今のこいつには通じなかったようだ。小刻みに震える瞳で俺を見つめながら、歯をガチガチ言わせて命乞いをしてくる。
しかも、俺を猛獣か何かのように誤解していやがる。誰が人間の肉なんざ食うかってんだ。
「ハァ……しょうがねえ。んじゃあ店で飲み食いした分、タダにしてもらうってのでどうだ? それと後は………」
なんとも怖がられたものだが、どうにも誤解を解くのは面倒臭そうなので、俺はそのまま放置するとそんな提案をしながら部屋の中を物色する。
「お! やっぱりいいもん持ってんじゃねえか! 今回の手間賃はこいつで手を打つぜ」
すると、さすがは飲み屋の店主。棚に置いてあったフランクル王国名産の超高級赤ワインのボトルを見つけた。
こいつをもらえれば申し分ねえ。むしろ、お頭から拝借した金よりもこっちの方が価値はある。
「……リハルドさん! 今の音はいったい?」
「何かあったんですかぁ!?」
ちょうどその時、階段の下からそんな飲み屋自警団達の声が聞こえてきた。
やつらが上がって来て、この部屋の光景を目にしたらまた面倒なことになる。
床に脱ぎ捨てられた狼の毛皮、血塗れの顔役と震え上がった探偵、そして、満面の笑みで高級ワインを握りしめている俺……どう考えても俺が犯人だと誤解されるのは必至だ。
そうなれば大騒ぎになり、衛兵が大挙して駆けつけてそれこそ厄介なこと限りなしだ。
俺は窓を開けると脚だけを人狼のそれに変化させ、窓の縁にその毛むくじゃらの足をかける。
「んじゃ、そういうことで。俺は海賊らしく、こいつを頂いておさらばするぜ。
そして、いまだ蛇に睨まれた蛙のように固まってるハーフボイルドな
(Le loup-garou sous la lune ~月下の人狼事件~ 了)
Le loup-garou sous la lune ~月下の人狼事件~ 平中なごん @HiranakaNagon
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