それから、
古代先生はそれからも、たびたび私の仕事を邪魔しにきてはあれこれと本を物色していた。
あれだけ張り切って猫を飼って小説を書くと豪語していたくせに、ふらっと現れてはくだらないお喋りをする。それでも、私はあれきり小説の話はしなかった。
いくら無礼講に接しても怒らない先生が、あんなに真剣に怒ったから。開けてはいけないパンドラ
でも、あんなことがあっても先生は変わらず私に話しかけるので、こちらも調子に乗って「孤狼くんのセリフを言ってみて」とせがむくらいのことはやった。結果、キャラクターボイスと声質が違うので、落胆した以外には変わらぬ日常を過ごしている。
そんな冬のある日。
入荷予定の本のリストをチェックしていると、思わぬ文言に釘付けになった。
「ちょっと、志熊! つぶったーでも話題になってんだけど、古代先生の新刊が出るって!」
私の驚きを代弁するかのように、加苅が私のカウンターまで走ってくる。
「へぇ」
「へぇって、あんたも知らなかったんだ。てっきり聞いてるもんだと思ってたら。ってか、反応うす!」
加苅ほどの曲解型ファンではないし、一般人の反応としては不足ないだろう。
でも、著者と知り合いなんだし、もっと大袈裟に驚いてもいいのかもしれない。というよりも、あんだけ無駄に長い話をしていたくせに、肝心なことはひた隠しにされていた。
「おっと、噂をすれば」
加苅が入り口に目を向けた。
まるで見計らったかのように、黒のトレンチコートとだぼっとしたパンツを合わせた古代先生が快活な笑顔で現れた。
「やぁ、加苅くん、志熊くん」
ご機嫌がよろしく、キザったらしく挨拶をしてくる。
「先生! ちょっと、聞きましたよー。新刊、出されるんですね! おめでとうございます!」
いつもは邪険にする加苅も今日ばかりは晴れやかに彼を迎え入れる。
「あぁ、地味に話題になっていたね。世話になると思うけど、どうぞお手柔らかによろしく」
いつもよりも丁寧だな。
加苅は「楽しみにしてます!」と期待を込めた眼差しを送り、西側の陣地へ戻っていく。呆けた私と、上機嫌な先生だけが取り残された。
「そんなわけで、志熊くん。君にはまずゲラ読みをしてもらいたいんだ。ほら、約束通り持ってきた。僕の文字を食らえ」
先生は持っていたアタッシュケースをカウンターに置き、綺麗なプルーフ用紙に印字されたゲラ原稿の束を私に突きつけた。それを私は受け取らない。
「どうした?」
「私、約束なんてしてませんよ」
一方的に言ったのはそっちだから。私は、「読みたい」だなんて一言も言ってない。早とちりしてもらっては困る。
それでも、先生は私をじっと見たままで手を引っ込めようとはしない。
「大体、猫もまだ飼ってないくせに、順番が違いますよ」
「猫は飼ったさ。君に宣言したその日にね」
訝る私の前に、彼は自分の携帯電話を見せてきた。画面にはブサイクなブチ猫がこちらにガン飛ばしている。
「名を『
偉そうに鼻高々な古代先生。私は唖然としたままで、猫と原稿を交互に見る。
タイトルは「猫舌とカドミウムレッド」。猫という文字に、思わず目を瞠った。
「……どんな話なんですか」
「ズバリ、猫を巡るミステリ小説さ。猫の骸からカドミウムが検出され、その猫の
勢い余って話し出す彼は慌てて言葉を切り、気まずそうに咳払いした。
「君が僕の文字を食えないと言っても、否応なしに本は出る。古代廻流の第二作目が書店に並ぶのだ。その壮観な景色を期待して待つといい。安心しろ、君のおかげで僕は復活した」
まったく、この人は……口だけだと思ったら、有限実行なんて。こうなっては、けなすところがどこにもないじゃない。
私はしぶしぶ原稿を受け取った。しかしこれ、私が読んでもいいのだろうか。そんな迷いを抱えつつ、私は彼を見た。
「古代先生」
「なんだい?」
カウンターに肘をついて、私の前に陣取る。その顔面は私の大好きな推しに負けず劣らずかっこいい。だから私はいつも彼の話を聞いてやる。
でも、今日は先に私の話を聞いてもらおう。
「私、『よいいざ』運営に猫又男子を提案してみたんですよね」
「ふむ。いつかそんな話をしたような」
「それが意外と大当たりで。ビジュアルが出た途端にユーザーがざわついてて。だから、新キャラにしては異例のフルボイス実装です」
どうしても素直じゃない私は、おもむろにスマホを出した。シュッとして痩身で、細い目と凛々しい眉毛が特徴の猫又男子、
どうしよう。推しが変わりそうで怖い。そんな私の心情を読み取ったのか、先生はなんだか嬉しそうに
古代先生式、猫のすゝめ 小谷杏子 @kyoko
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