367.樹海王ばんざい

 それから二日後。


 「国王に、オレはなる!」という決意はそこそこに、ついに即位式当日を迎えたわけだ。基本、「人生、なるようにしかならない」と思っているので、絶対的な信念がないことはご了承いただきたいところである。


 というかさ、オレ的にはね、


 「よしっ! いまからオレは国王だ! みんな、ついてこいよ!?」


 ……みたいな熱血キャラはちょっと違わないかと思うわけだよ。


 とはいえ、胸に秘めた思いみたいなものはあるにはあるわけで、心を静かに燃やしながら、戴冠式の控え室へと足を運んだのだった。


 ちなみに戴冠式はオペラ座で執り行われることになっている。戴冠式の最後に国王としての所信表明演説を披露したら、外に出てパレードが始まるというのが一連のスケジュールだ。午後から開始されるパーティは夜通し催されることになっているし、長い一日になりそうだな。


 オレの控え室はといえば、先日、歌劇団の団員たちを激励しに訪れた楽屋が割り当てられている。五人の奥さんたちとカオルは、また異なる楽屋で準備を進めていて、いまはメイクアップや着替えに忙しい時間だろう。


 しかし、なんだな。楽屋っていうのは、外からの声がよく聞こえるもんなんだな。招待者で満員御礼となった客席の話し声がここまで届くから、ちょっとした役者気分を味わえるというか。


「なにを悠長なことを言っておるのだ、我が息子よ。そなたはこれより王となるのだぞ」


 ほんの数分前、壊れたんじゃないかと思うぐらいの豪放さで楽屋のドアを開け放って登場したのは、龍人族の国の前国王であり現在は大陸将棋協会長を務めるジークフリートだ。


「そんなこと言われましてもねえ? ここまで来ると、なるようにしかならないと言いますか」


 礼服姿の義父を見るのは初めてかもしれない。珍しい姿をまじまじと見やりながら応じていると、メイクアップを担当するグレイスの両手がオレの両頬を押さえて、そのまま化粧台のほうへと動かした。


「じっとしていてくださいタスク様。化粧がずれてしまいます」

「おう、一生に一度の晴れ舞台なのだ。せいぜい、色男にしてもらうがいい」


 ガッハッハと力強い笑い声を立てながら、ジークフリートは微笑ましい光景を見守るような眼差しを向けている。姿を見せた時は「陣中見舞いだ」とか言っていた義父なのだが、正直、いまのところは邪魔以外の何者でもない。


 ……いや! これはこれでお義父さんなりに気を遣ってくれているのだろう。戴冠式でオレがヘマをしないようにと、普段通りに振る舞うことで緊張を解きほぐしてくれているのだっ。


「そんなわけないでしょう? ただの暇つぶしよ」


 そう言って顔を出したのはジークフリートの奥方であり夫人会代表である、龍人族の国の前王妃エリザベートだ。


「げえっ!? シシィ! お前いつの間に……!?」

「いつの間にもなにも、私も招待されていたのだから顔を出すのは当然でしょう? もっとも貴方には内緒にしていましたけれど」

「み、水くさいではないか……。い、言ってくれれば、一緒に出かけたというのに」

「あら、とてもじゃないけれど言い出せる雰囲気ではありませんでしたもの。三日も前から、それはそれは楽しげに準備を進める貴方を見ていたら、ねえ?」


 シックなドレスに身を包んだ貴婦人は、氷の微笑を浮かべてこちらを見やっているのだが、同意を求めるその眼差しがマジで怖いです、シシィのあねさん。


 すっかりと萎縮したジークフリートは返す言葉もないようで、意気消沈しているしさ。そんなにおびえなくてもいいんじゃないかと思うぐらい、見ていて気の毒になってしまう。


 そんな夫の様子にさすがのエリザベートも毒気を抜かれたようで、「まあいいわ」とため息混じりに呟いてから続けるのだった。


「とにかく、貴方がここにいてはタスクさんの迷惑になるでしょう。招待者は招待者らしく、席でおとなしくしていなさい」


 ジークフリートの腕に自分の腕を絡ませたエリザベートは、きびすを返すと、楽屋のドアの前で振り返り、慈しむような笑顔を浮かべて呟いた。


「大変な一日になるでしょうけれど頑張ってね、タスクさん。大丈夫よ、ジークこの人だってできたんだもの。貴方なら立派に務めを果たせるわ」


 片手をひらひらと振って立ち去る前国王夫妻を見送ると、不思議と肩の力が抜けていることに気がついた。いや、ある程度はリラックスできていたのだが、普段通りというか自然体で臨めるというか。なんだかんだ、お義父さんの闖入ちんにゅうによる効果もバカにできないものがあるのだなと実感するね。


「おう、タスク。ジークのオッサンがきてたけど、邪魔してねえだろうな?」


 入れ違いで顔を出したのは軍服姿に身を包んだクラウスだ。


「大丈夫。むしろ緊張を解きほぐしてもらったよ」

「ホントかよ? まあ、お前が言うならそれでいいけど」


 銀色の長髪を片手で整えたあと、クラウスは軽く咳払いし、いつになく真剣な面持ちを浮かべると腰元の剣に手をやった。


「なんだなんだ、どうしたどうした」

「だぁっ! 一発気合い入れるところなんだから茶々を入れるな!」

「気合いってなんだよ」

「いいから、黙って見とけ!」


 ちっと舌打ちした後、再び表情をあらためたハイエルフは腰元の剣を引き抜き、それを顔の真正面に運んだかと思いきや、重々しく呟いた。


「……陛下。準備が整いました故、玉体をお運びいただきたく。僭越ながら私めが先導を務めさせていただきます」


 それから剣を収めたクラウスは、片膝をついてうやうやしく頭を垂れた。……臣下の礼である。オレは大きく息を吐くと、立ち上がってクラウスの前へと歩み寄った。


「ご苦労。案内を頼む」

「御意!」


 そしてオレたちは細長い廊下を、戴冠式の舞台に向かって歩き出した。


 いよいよ、その時が来たのだ。


***


 古風なラッパ音がオペラ座の中をこだまする。


 舞台の左右後方には文官と武官が分かれて整列し、前方には五人の奥さんとカオル、それにフライハイトの要職に就く面々が顔を揃えた。


 中央には祭壇が鎮座し、その上に置かれた王冠とおうしゃく王笏が存在感を放っている。戴冠式の進行はハンスが務めることになっており、執事服ではなく祭礼用の衣装に身を包んだ老執事は、重々しく口を開いた。


「ただいまより、フライハイト王国樹立ならび国王即位の儀を執り行う」


 重低音の声が会場全体に響き渡り、全員が背筋を伸ばして次の言葉を待った。


「母なる精霊神、大いなる大地、永久の豊穣と繁栄――」


 戴冠式の祭文が読み上げられると、式は着々と進行していく。程なくしてハンスがオレの名を呼び、「こちらへ」と小声で祭壇の前にくるよう促した。


「……タスク様。これより王冠と王笏をお渡しいたします。楽団による演奏の後、お言葉を賜れれば……」


 そのささやきに目で応じ、オレは祭壇の前に歩み寄った。


 ハンスの手が祭壇の上に伸びる。王冠にかかった手は、そのままオレの頭上へと掲げられ、そして頭全体を覆うように収まるのだった。


 ずっしりとした重みを感じたのもつかの間、ハンスは次に王笏に手を伸ばすと、それをオレに手渡した。両手でそれを受け取った瞬間、楽団による演奏と、招待者から割れんばかりの拍手と歓声が沸きおこった。


 楽団の演奏よりも大きく響き渡るそれは、いつまで経っても終わりを見せる気配がない。にこやかに手を振っていたオレもどうしたものかと考えていると、舞台上のハンスが一歩前に出て、招待者たちの歓声を手で制してくれる。


 やがて静寂に戻りつつある客席を確認してから、ハンスはチラリとこちらを見やり、お言葉をどうぞと目配せするのだった。


 オレは舞台の最前列に歩み出て、それから真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに前を見た。


「今日という日を無事に迎えられたことを嬉しく思う……」


 そこまで言って、オレは口をつぐんだ。感動に打ち震えているのではなく、自分の口調に違和感を覚えたのだ。


 国王としての所信表明演説、それが大切だと言うことはわかる。人の上に立つからこそ、立派な振る舞いを求められていることも。


 しかしながら、オレがここまでこれたのは、他ならぬ皆の助けがあってこそなのだ。そこには上も下もない。だからこそ、つたなくとも自分の言葉で伝えなくてはと思い直したのである。


 沈黙に場内がざわつき始めるも、オレは気にせず、むしろ晴れ晴れとした笑顔で演説を再開した。


「……失礼しました。国王の演説に、毅然とした言葉を求められているというのは承知していたのですが……。らしくないと思い、自分の言葉で、あらためて思いを伝えさせていただければと思います」


 一瞥をくれた先では、仰天した顔をしているアルフレッドをアイラが抑えてくれている。……いろいろと悪いな。


今日こんじつ、私……いえ、オレが、この晴れ舞台に立っているのは、ここにいる皆さんのお力添えによるものです。ひとりの力では決して成し遂げられなかった記念すべき時を、皆さんと分かち合うことができることを心より嬉しく思います。なにより、オレを支えてくれた妻たち、そして子どもに感謝を伝えたいです。どうもありがとう」


 五人の奥さんへ視線を移す。アイラ、ベル、エリーゼ、リア、ヴァイオレットが楽しげな眼差しをこちらを向け、リアに抱かれたカオルは眠たげな瞳でオレを見やっている。


「オレには夢があります。それはこのフライハイト王国を、自由で開かれた国にすることです。差別や貧困のない公平で開かれた国家。国民ひとりひとりが幸せで豊かな生活を送れる国」


 再び視線を戻し、オレはさらに続けた。


「その夢を実現するためには、果てしない困難がつきまとうことはもちろん承知しています。夢物語だと笑う人もいるでしょう。しかし、オレは成し遂げたいのです!」


 声が大きくなっていくのがわかる。慣れない演説で、頬は熱を帯び、赤くなっていることだろう。でも、そんなこと知るものか。


「だからこそ、皆さんにお願い申し上げます! どうか力を貸してください! この国が、この国に住む人々が、ひいてはこの大陸で暮らす皆が幸福に包まれた日常を送れるよう、オレも精一杯努力することを誓います!」


 言葉を結んだ、まさにその瞬間、クラウスの号令が響き渡った。


「『漆黒シュバルツ幻影ファントム樹海軍ヴァルトメーア 』、捧げ剣! 樹海王タスク国王陛下ばんざい!」

「タスク国王陛下ばんざい!」


 続けて会場のあちこちから声が湧き上がる。


「樹海王ばんさい!」

「タスク王ばんさい!」

「フライハイト王国ばんさい!」


 楽団が演奏を始め、万雷の拍手が巻き起こると、それは外にも響き渡ったらしい。屋外のあちらこちらから、住民たちの声が伝わってくるのをオレは全身で感じ取った。


「タスク王ばんざい!」

「樹海王ばんざい!」


 胸の奥底から熱いものがこみ上げてくるのがわかる。その感情をぐっと堪え、オレは応えるように手を振った。


 ふたつの太陽が燦々と輝く、雲ひとつない青空の下。


 フライハイト王国の日々が始まる。



***

最終話までお付き合いいただきありがとうございました。

よろしければあとがきもご一読いただければ幸いです。

https://kakuyomu.jp/users/TaraiKazuharu/news/16817330666703064066

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