366.王妃として

「うちの奥さんたち……ですか?」


 うんとひとつ頷いてから、ゲオルクは腕組みする。


「戴冠式を前にして、きみ以上に緊張しているのではないかと思っているのだがね」

「いやあ、あの五人はオレなんかよりよっぽどしっかりしていますからね。そういった心配をしなくても大丈夫ですよ」

「いやいや、タスク君。十八人の妻がいる人生の先輩として助言させてもらえれば、表面上は気丈に振る舞っていたとしても、心では震えを抱えている場合があるのだよ。女性という存在はね」

「はあ」

「そういったものを汲んであげてこそ、真の伴侶といえるのではないかな? ましてや王妃となれば、いままで以上に負担を抱えることにもなるだろう」


 ……だからこそ、さりげなく不安を聞き出して、それを取り除いてやるべきでは?


 ゲオルクはそう結び、「私のことは構わず、奥方たちのもとへ行くといい」と言って、励ますようにオレの背中を力強く叩くのだった。痛いなあ、もう。


 そんなわけで市場をあとにしたオレは、道すがらに奥さんたちの顔を浮かべながら想像したものの、五人の王妃姿は、全員が全員しっくりとしており、むしろオレのほうが浮いているように思える。


 とはいえ、それはオレの個人的なイメージでしかないわけで、実際のところはゲオルクの言う通り、緊張や不安に苦しんでいるかもしれない。


 人生の先輩の忠告は素直に聞いておいたほうがいいと思い直したオレは、戴冠式を前に準備に追われている領主邸に足を踏み入れたのだが。


 待っていたのは、ゲオルクの予想を裏切る奥さんたちの姿だった。


「ど、どいてくださ〜い」


 遠慮がちに叫びながら、ふくよかなハイエルフがエントランスを駆け抜けようとしている。野菜や果物をカゴいっぱいに抱えたエリーゼは、山になった食材から覗き込むように顔を動かして、こちらを見やっている。


「ああ、悪い、エリーゼ。忙しそうだな」

「は、はい。タ、タスクさんの戴冠式直前ですから。り、料理の仕込みもラストスパートです!」


 玉のような汗を額に浮かべるも、エリーゼは普段通りの柔和な表情を崩さない。


 多忙な状況を邪魔するのは心苦しいし、いまはタイミングが悪いかもしれない。とはいえ、いまを逃せば聞く機会を失うかもしれないしとためらいながらも、オレは結局、ゲオルクのアドバイスに従って質問を投げかけるのだった。


「オレの戴冠式が迫っていることは確かなんだけど、エリーゼも王妃になるんだぞ? なにか心配事はないのか?」

「……え? え、ええと、こ、これと言って特に」


 そう答えたふくよかなハイエルフは、あっと呟き、思い出したように付け加えた。


「ワ、ワタシ、が、頑張ります! タ、タスクさんにふさわしい王妃様になれるように!」


 ほんの少しだけ表情を引き締めたエリーゼは、食材をこぼさないよう気を配りながら一礼すると、そのまま食堂に向かって歩き出した。


 不安や心配というより、どちらかといえば決意表明を聞かされたなとか考えていた、まさにその時、階段のほうから元気な声が響き渡った。


「お〜い☆ タックーン! ちょうどよかった♪」


 ギャルギャルしい格好をしたダークエルフは、二着のフォーマルなドレスをそれぞれの手に持ってオレに見せつけた。


「あのさぁ、戴冠式あるじゃん☆ ウチが着るドレスどっちがいいかなって思って♪」

「え〜……どっちも似合うと思うけどなあ」

「ぶ〜。タックンってばわかってないなぁ★ ウチも王妃様になるんだよ〜? せっかくの晴れ舞台だもん。ビシッと一発決めてやりたいじゃん?」

「確かに」

「だから、ほら。どっちのドレスがいいか選んで?」


 そう口にするベルの口調からは、不安や緊張のたぐいは一切感じられない。クリーム色をしたドレスを指ししめしたオレに、ダークエルフの妻はウインクで応じたあと、


「アハッ☆ 任せてね、タックン。ウチ、タックンにふさわしい王妃様になるから!」


 と言い残して階段を駆け上がって行くのだった。


 ……いまのところ、あなたの予想は大ハズレです、ゲオルクさん。みんな、オレが思っていた通りしっかりしているなあ……。


 とはいえ、話をしたのはまだふたりなわけで。残り、三人の奥さんと話し合うためにも、オレはアイラたちを探しに出かけるのだった。


***


「気遣いはありがたいのだが、いまさらなんだなという話だぞ、旦那様」


 半ば呆れるような口調はヴァイオレットによるものだ。元・帝国軍の女騎士は世話をしているミュコランの頭を撫でながら、自分はとっくの昔に王妃になる覚悟を決めていると続けるのだった。


「そういったわけで、不安や心配などは無縁だ。他の面々も同様ではないかな? なあ、リア殿」

「そうですねえ。ボクはタスクさんと挙式をあげた時から、こういうことは想定していましたし……」


 胸元にカオルを抱きかかえながら、リアが応じる。


「王の座にふさわしいかたと結ばれるのであれば、むしろ当然と言いますか」

「そうなのか……」

「むしろ、旦那様が王座につくのが遅いぐらいだと、私たちは揃ってヤキモキしていたぐらいだ。いよいよふさわしい地位に落ち着かれて、安心しているところだぞ」


 ウンウンと龍人族の妻が同意するように頷いていると、だあだあとカオルも声を上げる。


「ほら、カオルも『王様になるのが遅いですよ、お父様』って言ってます」

「いや、違うと思うなあ。……っていうか、アイラはどこだ? さっきから見当たらないけど」


 いつもであればカオルの面倒を見るため、リアと一緒にいるんだけど。あたりをキョロキョロ見渡していると、リアがアイラの居場所を教えてくれた。


「アイラさんでしたら、海に向かわれましたよ」

「海に? なんで?」

「理由はわからないが……。そういえば、昨日も海へ足を運んでいたな」


 こう、筒状のものを抱えてとジェスチャーを交えつつヴァイオレットが付け加えた。


 そのジェスチャーにおぼろげながら記憶の断片が蘇る。ふたりに感謝を告げたオレは、アイラが待っているだろう海辺へと向かうことにした。


***


 思っていたとおりというか、なんというか。


 海辺にたどり着いたオレが目撃したのは、まさにいま仕掛け罠を回収している猫人族の姿だった。大昔にオレが構築ビルドして作った筒状の仕掛け罠を引き上げては、一個一個中を覗き込んで釣果を確かめている。


 やがて木桶に程よいサイズのシマアジを放り込んだアイラは、頭上の猫耳をピクリと動かしてから、こちらを見やった。


「なんじゃ。ぼうっと突っ立っておるぐらいなら手伝わんか、タスク」


 やれやれ、こちらの世界にきた当初と立場が逆転してしまったな。懐かしさを思い出すその光景に、心が温かくなるのを感じながら、オレは砂浜を歩いてアイラのもとへ近づいた。


「ずいぶんと懐かしいものを使っているな。それ、オレが作ったやつだろう?」

「そうじゃ。倉庫でホコリを被っておったゆえ、掃除がてら、ひとつ漁でもしてやろうと思ってな」

「お前の食事用か」

「阿呆ぅ。お主に食べさせるためじゃ」


 とてもじゃないけれど、食いしん坊が言うセリフとは思えず、オレは聞き返した。


「……ごちそうしてくれるのか? お前が、オレに?」

「そうじゃ」

「なんでまた」

「お主はいよいよ王座に就くであろう。しかしながら権力を抱くというのは、同時に人を腐敗させる危険もはらんでおる」

「…………」

「こうして昔懐かしい道具を用いて漁を行えば、お主も初心を思い出すだろうと思うての。こちらの世界に来た時の気持ちを大切にしてもらいたいからな」

「アイラ……」

「しかしまあ、なんというか、お主が王になるとはなあ。下着一枚で水汲みに汗水垂らしていたお主がのう」

「いい加減、それは忘れろっ!」


 ケラケラと笑い声を立てながら、


「忘れぬものか、絶対にな」


 と、アイラは続けてみせる。それからオレたちはどちらからでもなく、砂浜へ腰を下ろし、しばらくの間、海を眺めやるのだった。


「マルグレットや歌劇団の人たちがアイラのことを褒めていたぞ。色々世話をしてくれて助かったって、まさしく王妃にふさわしいとさ」


 沈黙を破るように切り出すと、猫人族の妻は得意げに胸を張った。


「ふふん。そうであろう、そうであろう。やろうと思えば、私もそのように振る舞えるのでな」

「オレも驚いたよ。いつの間にテーブルマナーも身につけているしさ。お前も成長したんだなあ」

「うむ。学べばその分、お主に色々とねだれるしの。あれほどの成果を披露したのじゃ。褒美はしっかりもらえるものと期待しておるぞ?」

「やっぱり、そっちが目当てか」

「ふん、悪いか。せっかくの機会じゃ、美味い菓子をたんと用意しておくれ」


 ……はあ、あの時に覚えた直感は正しかったと証明されたわけだ。そうだよな、アイラはこういうやつだったよ。


 そんなことを考えていたのもつかの間、神妙な面持ちになった猫人族の妻は、尻尾をふわりと動かしてから続けてみせた。


「まあ、それは冗談として。王妃になるのじゃ。妻として、お主が恥ずかしい思いをせぬよう務めねばな」


 いつになく真剣な声で呟くアイラに、オレはかつてアイラから訊ねられた言葉で問いかけた。


「後悔、してるのか」

「なにをじゃ?」


 その返答もかつてオレが口にした言葉そのもので、髪をかき回しながら、オレは語をついだ。


「その、王妃になるとかさ。色々と窮屈になるんじゃないかって」

「窮屈になるのはお主も同じじゃろう? なに国王になるんじゃからな」

「それはまあ、そうなんだけどさ……」

「安心せい。これはこれでわりと楽しんでおるからの、私は」


 その意外な返答に、オレは驚いてアイラの顔をまじまじと見やった。


「なんじゃ、珍妙な生き物を見るようなその眼差しは」

「いや、アイラがそんなことを言うとは、正直思ってなくてさ」

「独り身であれば、そう思っておったじゃろうな。私を変えてくれたのはタスク、お主じゃ」

「…………」

「お主と出会ってから、なにがあろうと一緒にいようと決めたからの。結婚してからより一層、その気持ちが強くなった」

「……そうか」

「それにベルにエリーゼ、リアにヴァイオレット。それに他の皆。揃いも揃って心地よい連中ばかりじゃ。だからこそ迷惑をかけるわけにもいかん。自分を律する必要があるのじゃ」

「立派な心がけだな。尊敬するよ」

「ぬふふふふ〜。そうじゃろそうじゃろ、崇め奉れ!」


 得意げな面持ちのアイラは、しかしながら、急に気恥ずかしさを覚えたらしい。


「……ま、まあ。とはいえ私にも限度はあるからなっ。昼寝の時間はきっちり取らせてもらうぞっ」


 どう考えても照れ隠しとしか思えない発言に愛おしさを覚え、オレはアイラの頭を優しく撫でてやる。


 くすぐったいような、それでいてうれしそうな。目を細める妻を眺めやりながら、同時にオレは、家族以上に、そして夫婦以上に尊い存在があることを実感し、それに心の奥底から感謝を覚えた。


「さて、せっかく魚を捕ってくれたんだ。久しぶりに腕を振るうとしますかね」

「お、極上の逸品で頼むぞ、タスクよ」


 オレが左腕を、アイラが右腕を伸ばし、ふたりで木桶を抱えながら家路につく。このようなかけがえのない日々が続くことを感謝し、どんなに偉くなったとしても、謙虚な気持ちを忘れずにいよう。

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