365.観劇(後編)

 舞台中央にぼんやりとした光が差し込む。そこへ現れたのは花売りの少女だ。


 花を買ってくださいと半ば懇願するように訴える少女。しかし、人々の視線は冷たい。心ない言葉を浴びせかけられ、少女はもの悲しい旋律にのせて、いまにも消え入りそうな声で歌い始める――。


 差別と貧困、そして家族愛をテーマにしたこの演目は、魔道国歌劇団の中でも屈指の人気を誇るもので、上演する機会が多いらしい。


 劇中半ばで国を追いやられる少女たち一家だが、後半、苦難と苦労を乗り越え、エンディングでは新天地で幸せな生活を送る……というのがかいつまんだ内容なのだが。


 なんというか、オレも年を取ったのかなと、すっかり弱くなった涙腺でつくづく実感するわけだ。いやあ、家族愛を描かれると心にくるものがあるなあ。いっぱしに家庭を築いた身となると余計にさ。


 まあ、それはオレの奥さん方も同様だったようで、見事なまでに五人とも号泣。ベルなんて「うあ~ん! めっちゃメイク崩れる~!」とか言いながらワンワン泣いてたし。アイラはアイラで「泣いてなどいないわ、阿呆め!」とかいいながら、鼻をグシグシさせてたし。


 そんなこんなで、観劇の内容をざっくりとはしょってしまったのは、あまりに詳細を述べてしまうと思い出しただけで泣けてしまうのが理由でしてね。いやはや、いいものを見せてもらいました。


 ちなみにカーテンコールは実に四回も行われ、その間、スタンディングオベーションが続いていたのだけれど、ラストの四回目はキャストではなく、オレたちに対して拍手が沸き起こり、オレはオレでなんだかわからないけれど、ぎこちなく手を振り返したのだった。


 あとでニーナに確認したら観客・キャストが揃って拍手をするのは、公演を催した主催者と主賓に対する感謝の気持ちだそうだ。手を振り返したのは正解だったのかと思いつつ、そういうことが行われるなら前思って教えてくれよと思わないでもなかったり。


「もう、兄様! そんなことはいいですから! 楽屋へご挨拶に伺いましょう!」


 お願いだから、オレの話を聞いておくれ、ニーナよ。


 はあ……。仕方ない、沼にハマるというのはこういうことでもあるからなあと思いつつ、オレは観劇の余韻を楽しむ間もなく、半ば強引に手を引かれて楽屋へと足を運んだのだった。


***


「おお、タスク様! 楽しんでいただけましたかな?」


 楽屋前で出迎えてくれたのは、歌劇団の演出を担当する骨人族のヘルマンニで、珍しいタキシード姿に意表をつかれつつも、オレは率直な感想を口にした。


「素晴らしい演目だったよ、ヘルマンニ。とてもいい舞台を見せてもらった」

「いやはや、お気に召したようであればなによりですな」

「ヘルマンニ様! 本日、流れていた楽曲ですが、主旋律が多少違っていたような?」

「お気づきですか、さすがはニーナ殿。多少アレンジを加えましてな」

「まあ、やはり!」

「ええ、ええ。評判次第で、アレンジを加えたものを正式採用しようと考えておりましてな」

「素晴らしいお考えですわ! 私は本日のものが好みでしたもの!」

「それはそれは……。では、歌劇団としても前向きに検討しようと思いますな」


 ニーナはすっかり上気した顔で興奮気味にまくし立てたあと、今度は舞台裏にいる衣装係や小道具担当へ話を聞きに行ってしまった。嵐のようだな。


「慌ただしくて申し訳ない……」

「いえいえ、お気になさらず」

「いつもはもっと落ち着いた子なんだけどなあ」

「それだけ歌劇団を気に入ってくれているということですな! ワタクシとしても鼻が高いのですな!」


 もっとも、ワタクシ、鼻などありませんがな! と、いつものボーンジョークを付け加え、ヘルマンニはカタカタと顎骨を鳴らした。平常運転で安心するけど、とてもじゃないが、この演目の演出を担当している同一人物とは思えないなあ。


「やあやあ、ヘルマンニ君! 実に、実に、優美な歌劇だったよ!」


 颯爽と現れたのはファビアンで、両手を広げ、白い歯を覗かせながら登場した龍人族のイケメンは、演出担当の骨人族と熱い抱擁を交わし演劇論を語り始めた。当然、オレはひとり取り残されたわけだ。


「ふふふ、感動を分かち合うための抱擁をご所望なら、私がお相手しますが」


 声のするほうへ振り返ると、涼しげな目元に笑みをたたえてマルグレットが佇んでいる。


「またまた、ご冗談を」

「私は本気ですが?」


 美貌の麗人は、さあと言わんばかりに両手を広げて待ち望んでいるが、奥さんたちと一緒にきている手前、名残惜しさを覚えつつも遠慮はしておく。


「それは残念」

「ニーナだったら、鼻血を流しながら飛びつくでしょうけれどね」

「ふふ、可愛らしいお嬢さんには、また別の方法で感動を分かち合うことにしますね」


 色気のある声で呟かれるとドキッとしてしまうなあ……って、そうじゃない! 演目がとてもよかったことを伝えなければ!


「それはなにより、猛練習した甲斐があります。陛下からお言葉を賜り、団員たちも喜ぶでしょう」

「公演はいつまで催される予定ですか?」

「二ヶ月ほど滞在しますので、その間は、一日おきで催そうかと。よろしければまたお越しください」

「ぜひぜひ。今度は別の演目も拝見したいですね」


 そう告げると、マルグレットは思い出したように言葉を続けた。


「そうだ。実験的にですが、お子様のいる家族向けの演目をやろうと思っているのです。今度はカオル様もご一緒にいらしていただければ幸いですわ」

「実はそれをご相談しようと思っていたのですよ」


 ファミリー向けの演目をやってほしいと思っていたところなので、渡りに船といった申し出は感謝しかない。お言葉に甘えて、今度はカオルを連れて見に来ることにしよう。


 まあ、まだ一歳にもなっていない赤子に演劇云々はわからないとは思うけどさ、こういうことには小さい頃から慣れ親しんでおくのが重要だからな。


***


「なるほど、魔道国歌劇団が来ているのか。来る途中、領民が少ないなと思っていたのだが、皆、観劇に行っているのだね」


 ゲオルクがやってきたのはそれから四日後――戴冠式が二日後に迫った日のこと――で、赤い長髪をした紳士はいつもの執事服でなく、カジュアルな装いに身を包むと、オレを誘って市場を散策するのだった。


 ジークフリートの退位に伴い、お役御免となったゲオルクは「これからは悠々自適の生活さ」なんてことを言いつつも、なんだかんだとお義父さんによる将棋普及の手伝いをしているらしい。


「我が家の妻たちも、歌劇団のファンでね。今度、観劇に連れてきてもいいかな?」

「ええ、ぜひ」

「うん、そうさせてもらうよ。とりあえず、今回は土産物で機嫌を伺うとして、ね」


 そう言って、ゲオルクは水晶細工の工芸品を手に取った。


 戴冠式に伴う前夜祭に参加するため出向いてくれたゲオルクだが、聞けば、パーティに誰を連れて行くかで奥さんたちと揉めに揉めたそうだ。結局は角が立たないようひとりでやってきたのだと、半ばぼやくように呟いては、それでも楽しげに土産物を物色している。


 楽しんでいるようならなによりなんだけど、こちらとしては落ち着かない心境である。


 なにせ、道行く領民やら商人やらが、口々に「ご機嫌麗しゅう、陛下」とか「これはこれは樹海王。よい品が入りましたので見て行かれませんか?」とか声をかけてくるのだ。


 もちろん、すべてを相手にするわけにはいかない。返事をする程度に留めておくけど、それにしたってなかなかに大変なことは確かなわけで……。


「まったく楽じゃありませんよ」


 ため息混じりで呟くと、ゲオルクは愉快そうに応じるのだった。


「あれだけ王様呼ばわりを嫌っていたのに、タスク君もずいぶんと成長したじゃないか」

「そうなるように焚きつけたのは、どこのどちらでしたっけ?」

「私が焚きつけたのは『商業都市を作るように』までだよ。王様になるようにとは言っていないさ」


 反論のすべを失い、ボリボリと頭をかき回しているオレを見やって、ゲオルクは続ける。


「誤解しないでほしいのだが……。私は純粋に、君が自らの選択でここまで辿り着いたことを喜ばしいと思っているのだよ」

「本当かなあ?」

「本当だとも。いよいよ相応しい地位に落ち着いて、私もジークもほっとしているところさ」


 片目をつぶってから、龍人族の紳士は再び水晶細工へと視線を落とした。お義父さんもゲオルクも、どこか軽口を叩く癖があるからなあ。なんとなく信用できないというか……。


 商人に金額を尋ねたゲオルクは、財布を取り出しながら「それはそうと」と話題を転じるように語をついだ。


「奥方たちの様子はどうだい?」

「……へ? みんな元気ですけど?」

「いけないなあ、タスク君。そういうことじゃなくて」

「……?」

「王の座に就くのは君だけじゃない。王妃になる奥方たちをキチンと気遣っているのかいと、私はそういうことを聞いているのだよ」

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