天の川(Milky way)

坂井ひいろ

天の川(Milky way)

 東京タワーの特別展望台。地上250mの高さから眼下に広がる夜景。


 家庭やオフィスに普及したLED照明が作り出す青白いともしびは冷たくてどこかセツナイ。小学校最後の夏に父にせがんで見た地上の光景は、少し黄色味を帯びた白熱電灯が作り出すやわらかな光だった。


 私は壁に背をあずけて眼下を見詰めたまま、ゆっくりとまぶたを閉じた。地上に天の川が広がっていく。幾百、幾万もの光点がおのおのの色で鼓動している。


「きれい」


私は小さくささやいた。制服のブラウスの上から自分の胸にそっと右手をあてる。


ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。


『だれかの心臓』が私の中で力強く、規則正しく息づいていた。もう6年もの間、私を生かすためにけなげに働き続けている。


「ありがとう。だれかさん」


私は左手を上げて、胸にのせた右手に重ねて感謝した。私の声に答えるかのように、両手の下で白い光が鼓動に合わせてゆっくりと瞬いていた。


 小学校6年の夏。セミの声がせわしなくなり始めた頃、知らせはギリギリになってやってきた。


『拡張型心筋症』それが私の心臓に与えられた名前。『余命半年』それが私に与えられた時間だった。子供のドナーはめったに表れず、私の命は消えかけていた。


 それでも奇跡は起きた。『だれかの心臓』と共に私は生き返り、私の腫れあがった心臓は死を宣告された。『だれかの心臓』の持ち主と共に。


 心臓移植を終えた後、不思議な力が私に宿った。人の魂の輝きが見えるようになったのだ。正確には見えると言うより感じ取るに近くて、目を閉じてもそれを視覚的にとらえることができた。


 私の魂の光は白色。『だれかの心臓』の位置に輝いている。


 私は学校や駅、図書館やショッピングモールで行き交う人々の魂の光を観察した。魂の光は人によって色が違った。


 青色の光、赤色の光、黄色い光、オレンジ色の光、紫色の光、中には黒色の光もあった。現実の世界では黒い光は存在しないが私の心はそう感じとっていた。


 白は善、黒は悪と言うような単純なものではなく、人それぞれ顔が違うように単に生まれ持つ個性の様なものだった。


 移植によって覚醒した私自身の力なのか、『だれかの心臓』の持ち主からもらい受けた力なのかはわからなかったが、手術を終えて病院のベッドで目覚めた時に、それは発現した。


 いいえ、目覚める前から私は、街中の人々の魂の光に包まれていることを理解していたようにも思う。だから、自分に与えられたその力に驚くことなく、すんなりとそれを受け入れた。


 奇妙な現象であることは幼いながらも理解していたが不安はなかった。おかげて父や母はもちろん、病院の先生にもだれにもそのことを話さずにすんだ。


 異常がみつかったら、また病院に逆戻りだ。もう、退屈な検査はこりごりだった。



 秋になって二学期が始まると、運動制限の必要のない体に生まれ変わった私を見て、クラスの女の子達は泣きながら私の手を取って喜んでくれた。しかし、一ヶ月もたたずに元気すぎる私を見て悲劇のヒロインをたたえるのをやめた。


 病気になる前は、目が大きく、卵型の均整の取れた顔立ちで近所でも可愛い子として評判だった。発病して乾いた粘土のようなパサパサな皮膚になり「はにわ」と呼ばれるようになった。


『だれかの心臓』は不気味な毛虫を蝶に変えた。手のひらを返したように言い寄ってくる男子を見て、彼女たちは嫉妬した。それでも私は男の子と混じって走れ回れる自分が嬉しくて、嬉しくてしかたなかった。


 私に訪れた幸せは、病気であきらめたはずだった憧れの修学旅行で無残にもついえた。十センチを超える私の胸の傷を見た女の子達が、陰で男子に言いふらし、私はまた彼女たちのあわれみの対象に押し戻された。


 いや、それ以上に子供の持つ純粋さは残酷だった。彼女たちにとって、私は『だれかの心臓』を埋め込まれた異次元の人造人間だった。


 それでも私は不思議と同級生を恨むことはなかった。私には彼女たちの心の光が見えていたから。彼女らの心の光は好奇心に満ちみちていた。


 中学生になると同時に私は父の都合で転校した。秘密を胸に秘めて。私の過去を知らない土地で、髪を伸ばし、メガネを掛け、地味に装ってできるだけ目立たないように過ごした。


 時折、「本当はすごい美人だよね。もっとオシャレをすればいいのに」と言う声が聞こえてきたり、知らない男の子から告白されることがなんどかあった。その度に私は自分が傷つくことを恐れて、その場から逃げた。


 高校生になって自分だけが持つ能力の意味を探すことに没頭した。能力を持つ者の使命だと自分に言い聞かせていたが、本当は歳並みの恋をするのが怖かった。人が集まる学校や駅、繁華街はもちろん、時には病院や刑務所の外まで足を運んだ。


 しかし、魂の光が見えるだけで、困っている人を助けたり、病気の人を癒すような能力はまるでなかった。悪い人を改心させるものでもなかった。人よりちょっと耳がいいとか、鼻が利くとかとあまり変わらない力だった。


 東京スカイツリーより、東京タワーが好きだった。手術の前日に祈りをささげた思い出の場所と言うこともあるが、魂の天の川が一番きれいに見える場所だったからだ。心が疲れた時は必ずここにきて目を閉じた。


 ミント系のシャンプーのわずかな香りをまとって白い光がゆっくりと私の目の前を通り過ぎていく。私と同じ白い光。私は思わず瞳を開いて、光の持ち主を目で追った。


 白いシャツに黒のパンツ。少し長めの髪。横顔をちらりと見て、私の心ははなやいだ。勇気を振り絞って彼を追いかけた。


 エレベーターの中で彼と目が合う。『だれかの心臓』が私に声をかけろとささやいたが、視線をそらしてうつむくことしかできなかった。高校三年生にもなって。


 エレベーターが地上に降りると、彼は開いた扉から雑踏の中へと消えていった。私はただ立ち尽くして、遠ざかる白い光を見つめて記憶した。



 東京タワーでのできごとから二週間ほどたった日、二度目の奇跡がおきた。


 高校からの帰りの地下鉄の中で、彼の放つ白い光を見つけた。満員電車の一両先の人混みの奥にその光は瞬いていた。姿が見えなくても私には確信があった。


 満員電車の中で見る魂の星々は、曲がりくねって流れる天の川だった。彼の光が彦星なら私の光は織姫。この光の川をわたって彼の下へ。『だれかの心臓』が私を勇気づけた。私は彼が地下鉄を降りるのを待ちながら、その光に見とれた。


 二駅ほど過ごすと、彼が地下鉄をおりた。私も人込みをかき分けて電車をおりる。


 ホームで私は彼に再開した。彼は改札をぬけると、駅前の交差点を左に折れて、住宅街の手前の美容院へと入っていく。私は不器用な探偵のように電柱に身を隠しながら彼を追った。


「どうする私」


そうつぶやいてから呼吸を整えて、彼の入っていった美容室の木製の扉を引いた。


カラン、カラン、カラン。


美容室の奥で準備をしていた彼が振り向いた。どうやら彼一人らしい。


「あのー。ここ、やって、ます?」


私の口から出たのはとぎれとぎれのつまらない言葉だった。


 彼は私のところまでくると、ドアのガラス窓にかかった看板を裏返して、「OPEN」の表示を外に向けた。ミント系のシャンプーの香りが私の鼻孔をくすぐる。


「予約とか、してないよね」


「あっ。はい」


「見かけない顔だけど初めてだよね」


「あっ。はい」


「今日は、まだ予約客がこないから切ってく。髪?」


「あっ。はい」


私のことばは同じ言葉の繰り返しだ。ずっと握りしめていた手のひらが汗でじっとりとしている。


 彼に渡された用紙に名前と連絡先を記入し、小さなカードを受け取った。カードを見て私は初めて店の名前を知った。椅子に座った私は鏡の中の自分をじっと見つめる。


「おしゃべりはあまり得意じゃないほう?」


「あっ。はい」


彼がカットやシャンプーの道具をのせたワゴンを引いてくる。


「もったいないなー。美人さんなのに」


鏡の向こうで彼が人懐っこそうにほほ笑んだが、私は首を左右にふることしかできなかった。


 目を閉じて彼の腕に頭を預けてシャンプーをしてもらっていると、顔の上に彼の魂の光が輝いて見える。白く優しい光に私は見とれた。カチカチに緊張していた私の心が少しずつほぐれていく。


「きれいな髪だね」と褒めてくれる彼の言葉が嬉しかった。


 ドライヤーで髪を乾かしてもらっているときに私は気づいた。彼の右腕に大きな傷跡があることに。私の目線を追って彼が言った。


「ああ、ごめん。これ。気になるよね」


「ごめんなさい」


「いいんだ。六年前にバイクで事故って」


彼は遠くを見るようなまなざしで続けた。


「後ろに乗せていた妹を死なせてしまった。これはその時に背負った十字架みたいなものだから」


私は目を閉じで彼の魂の光を感じた。普段ぽい口調で淡々と話す口ぶりとは裏腹に、彼の白い光は激しく震えていた。


「私も胸に大きな傷があります。6年前に受けた心臓移植の後が。誰かの命を犠牲にして生きる私の十字架です」


 彼は驚いた顔をしてしばらく手を止めた。彼の魂の白い光がひときわ大きく輝くいた。それに呼応するかのように私の魂の白い光も今までにないようなくらい輝きだした。二人の光は重なり合い、やがてゆっくりと見えなくなった。


 彼がポケットから財布を取り出した。中から大切そうに折りたたんだ小さな手紙を出して開いた。


『私に心臓を提供することに同意してくださった、ご家族の皆様。本当にありがとうございます。この心臓を大切にして生きます』


それは6年前に私が書いた手紙だった。


 その瞬間をさかいに、私の中に根づいた心臓は『だれか』ではなくなり、目的を果たした能力も消えた。


でも私は寂しいとは思わない。


代わりに、ささえあえる運命の人を得たのだから。




おしまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天の川(Milky way) 坂井ひいろ @hiirosakai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ