第5話 世界の終わりに

秒針が動く。

午後21時34分43秒。


…静かだ。もうあの物体は海に落ちて、同時に巨大な津波に飲み込まれるはずだったんだけど。

私は再び店のテレビをつけ、息を呑んだ。


画面には、海上に静止した例の物体。その一部が裂けて、中から無数のきらきらしたものが海に零れ落ちていくのが見えた。

月の光を浴びて輝く、真夏の海に降る雪みたいだった。

ひとしきり雪を降らせたそれは、やがて役目を終えたみたいに萎み、静かに海に沈んでいった。

興奮したニュースキャスターが、世界各地で同じ現象が起きていると告げる。


私は、店のドアを開けて外に出た。

空を見上げる。真ん丸い月。

風に飛ばされ、近くの海から飛んできた白い雪が、ふわふわと舞い降りてくる。

手のひらにそっと乗せると、球状の表面は綿毛みたいなものにくるまれているのが分かった。風に吹かれて、また私の手から飛び立っていく。

「死に損ねたなぁ」

田崎さんも外に出てきて、呟く。

「まだ、ばあさんへの土産話が足りなかったかな。…夜が明けたら、旅行会社に行くよ。前から、イタリアに行ってみたかったんだ。明日、予約を入れよう。またな、ひなちゃん」

田崎さんは笑って店を出ていく。私も手を降った。


また、と声を掛け合える贅沢さ。

明日が来る。

純粋な喜びが、込み上げてきた。

明日は臨時休業にしよう。店の買い出しに行って、帰省しよう。お祖母ちゃんの顔を見て、懐かしい実家に泊まろう。そしてまた、お店を頑張るんだ。

未来を思い描ける、幸せ。

私たちの世界は、続いていく。



あれから、一ヶ月。

あの物体が何だったのかは、謎のまま。

有力なのは、宇宙の動く植物、という説らしい。言うなれば、宇宙を泳ぐ巨大なユーグレナミドリムシ。何かしらの事情で還るはずの海を失くし、宇宙を彷徨い、この惑星にたどり着いた。

あの日世界に降った白い雪は回収されていったけれど、全てを回収するのは無理な話。

今のところ、あれが芽吹いたり孵化したりした形跡は無いらしい。テレビは注意を呼び掛けているけれど、長い月日の果てにたどり着いたというのなら、受け入れて、この惑星で共に暮らしたっていいような気がする。

いつかそれに滅ぼされる日がくるとしても。

この星は、それどころではない火種をいくつも抱えて、今日も回転を続けている。

朝、笑顔で別れた人が、夕方には冷たくなっていることもある。

本当は、私たちは明日をも知れぬ世界で生きている。


街には喧騒が戻った。私はまた店の売上に翻弄される日々。喉元過ぎれば、というやつだ。

けれど今でも、街の片隅に取り残された白い雪を見つけると、胸がいっぱいになる。

田崎さんの横顔。カレイの煮付。見知らぬ誰かと交わした乾杯。あの日の月と、海に舞う雪を思い出す。

これからも、人生の岐路に立つ度、私はあの夜を思い出すだろう。

世界の終わりに。最後に、人生で何を大切にしたいのか。シンプルに問い掛ければ、答は見えてくる。

不安に駆られる夜もある。生きていくのを、投げ出したくなることもある。

それでも、何度でも立ち上がる。いつか世界が終わるとしても、自ら終わりにはしない。最後の瞬間まで、生きたい。


明日がくる喜びを、知っているから。


〈完〉


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世界の終わりに プラナリア @planaria

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