第3話 喫茶店からの、レストラン
二十三歳ぐらいだったでしょうか、ある日私は思ったのですよ。
「このままコンビニで働き続けるのか」と。
で、その頃コンビニでお昼と夕方働いていたので、とりあえず午前中どこかで働こうと思ったのです。そんな悩める深夜、友人が働いている深夜営業のラーメン屋に行き、友人とそんな話をしていたらですね、友人がこう言うのです。
「お客さんで、喫茶店のママがいるんだけど、新装開店の準備で忙しいからって、従業員を募集してたよ」って。
私は、喫茶店と聞いて「面白そう」と思い、
「いいやん、やってみようかな」
と言ったのですよ。そうしたらラーメン屋の店長が話つけてくれて、喫茶店で働くことになったんですね。自宅から車で、十五分ほどの場所にある博物館内の喫茶店でした。店内はほぼ内装の工事が終わっていて、明るい雰囲気でした。そこで、面接もそこそこに働き始めるんですがね。初めは、お皿洗ったり買い出し手伝ったり、コーヒーの淹れ方習ったりとまあ、普通の仕事をしていたのですよ。ところが数日経つと、なんかおかしい。「社長」が来たら徳利(とっくり)に日本酒を入れて、鍋で温めるのです。中を覗いて、ふつふつと気泡が出始めたら火を止め、お猪口(ちょこ)と一緒に出す。「あれ、飲み屋か?」と思っていたら、社長とママの会話を聞いてびっくり。
社長「いいのいるか、五万でどうだ」
ママ「いるよ、どうでもいい友達」
何と売春の斡旋(あっせん)あっせんをしているではないか。しかも「どうでもいい友達」って。私は割と子供の頃から無表情であるため、そういう時顔に出ないから良かったです。黙って酒を出し、シルバー(おぼん)を拭く。それが働き始めて三日目くらいだったかなあ。
ある時、いつも来ている三人の男たちが大声で話し始め、私はコーヒー淹れたりしながら嫌でも耳に入って来る話のせいで帰りたくなっていたのです。それは、ママの彼氏とその仲間だったんですがね。ママの彼氏は、他の二人から「アニキ」と呼ばれていました。アニキ以外の一人は黒いスーツに濃いブルーのシャツ、オールバックの細身の男で、もう一人は腕一面にタトゥーが入ってる、バスケの選手みたいな恰好の男で、三下(さんした)とかママから言われてました。
アニキ「ちゃんと仕事してねえから蹴り入れたったわアイツ」
三下「……」
オールバック(三下の足に蹴り入れる)
何かこんな感じで、後に全国的なニュースになったんですが、「090金融」のお仕事の話をしていました。どうやらヤクザのシノギ(仕事)の話だったようで。ちなみに「090金融」とは、各地の電柱などに突如張り紙で宣伝し始めた、謎の高利貸しの事です。大抵「ブラックOK」とか書かれていて、消費者金融などでブラックリスト入りしている人間でも借りられるよ、という謳(うた)い文句が書かれていました。ブラックリストとは、返済期限を一度でも守れなかった人間が入る、リストの事です。このリストに入ると、あちこちの金貸しにその情報が回ります。
彼らが去ったあとは、ママの「うちのひと自慢」が始まります。
「あのひと、カタギじゃないの」
「極道はね……」
怖い! 朝昼は喫茶店、夜はスナックで働くママは当時二十六歳。山奥に嫁いで三人の子供を産んだけど、ヤクザに惚れて今、って感じで。薄情そうな狐顔は、いかにも幸薄そうで儚げ。こういう女の話術に、男は弱いんだろうなあ……とか思いつつ、心の中で毒を吐く。「姐(ねえ)さんとか呼ばれてるが、情婦(愛人のこと)じゃねえか。本妻気取りのババアめ。こちとら自慢じゃないが、水商売の女の耳が腐るような話ならガキの頃から慣れっこだわ。同情するかよ」と。とはいえバックにヤクザがいる女は怖いので大人しく話を聞く私に、新装オープン前夜ママが「夕飯どう」と誘うので、付いていきました。凄くおしゃれな店のカウンター席でパスタを食べていたら、ママがこう言いました。
「うちの人の事務所の掃除手伝ってくれない、今から」と。
うちの人の事務所。その言葉に、パスタの味がしなくなる。とうとうそっちの方にスカウトかよ。で、私はこう答えたのです。
「いえ、今日は疲れたので帰ります」と。するとママは「ああそう」と言って、勘定を済ませそのまま私は家に直行……できなくて、バイト先に。時刻は夜十時。店には夜勤前の店長がいて、私は店長に
「ヤクザの事務所に呼ばれちゃったよー! 怖い!」
と泣きつきました。そうしたら店長は
「帰れ!」
とキレました。で、気持ちが収まんないからラーメン屋の友達のところへ。事の次第を友達とラーメン屋の店長に話すと、店長が
「あの女、ヤクザだったのか! とんでもねえ女だな!」
と言いました。その日は眠れず、次の日のバイトが終わった後はママからジャンジャン電話がかかってくる。新装開店当日、私は喫茶店のバイトをバックレました。
そんなこんなで、十日分の給料を貰いに行くのが怖いと、ラーメン屋でボヤいたらですね。店長が「話付けてやる」っていうんで、任せたのですよ。そうしたら、数日後お金いりの封筒が、手元に入ったのです。ラーメン屋の店長はたまに私を口説くのでキモいと思っていたけど、頼りになるなあと感心していたら、「俺の息子の店で働けよ」って言うので、自宅から歩いて二分程の、レストランで働くことになったのです。そこのオーナーは暴力的だったので、一か月で辞めましたが。
で、そんな事の顛末(てんまつ)を母親に話したらですね。
「あのラーメン屋の店長もヤクザやで」
母はそう言うと、呆れたように私を見たのでした。
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