第7話 四十にして学生になる
これまで散々就職先・バイト先の話をしてきたんですが、私はある人の事が気になっているのですよ。ツイッターのフォロワーさんなんですが、この前こんな事を呟いていたのです。
「高校をもうすぐ卒業するが、就職先が決まってない」
その方が今現在どうなっているのかは定かではないのですが、この時期にもなるとさすがに同級生の間では、進学先や就職先の話で持ちきりなのではないでしょうか。
かく言う私も、高校卒業ギリギリで就職活動をしたんですが。だってやりたい仕事が無かったから。部活の顧問(美術部)からは進学を勧められていましたが、育英会の奨学金とか何か辛そうだったんですよ。新聞配達しながら学校に行こう、っていう。
実家はその頃お金の事で揉めていたため、とにかくどこかで働かなくてはと思っていました。でも、いざとなったら何もかも嫌になってしまったのです。「絵が描けないんならもう生きててもしょうがないよなあ」などと思って、生きてるのも馬鹿らしい気持ちだったのです。
で、担任に相談したところ、看板屋を紹介されました。「看板屋なら絵を描ける」って理由で。で、最初の就職先は看板屋に決まったのです。それが確か二月ごろだったかなあ。三月の終わりには、出社していました。確かに、立て看板の作成と下塗りは出来るようになりました。私が作った看板を地元の繁華街で見かけると、嬉しかったです。絵は、描けなかったですが。
私は三月生まれな上に、高校卒業時はまだ十八歳にもなっていなかったので、働きながら車の免許を取りに行きました。五時に仕事が終わるとすぐチャリで教習所に向かう。通勤は片道四十分。教習所までが家から約十分ほど。疲れて講習中に居眠りしてたら講師が激怒し、教室を追い出されそうになる。
そんな調子で五月にようやく車の免許が取れたんですが、看板屋の仕事が嫌になり六月に辞める。何で嫌になったのかと言えば、塗料シンナーでラリッたのに、マスク着用を社長に訴えたら笑われたからです。チャリで仕事から帰る途中、笑いが止まらなくなって怖かったです。
まあそんなわけで、高校出てすぐに働くというのは正直楽では無かったです。何よりも嫌だったのは、十代で大人の社会に飛び込んで様々なセクハラやパワハラを受ける事よりも、自分よりも馬鹿な人が「東京の学校に行くんだー」とか言ってるのが嫌だったなあ。今だから言えるんですが、当時は「だから何だくそったれが! 親が金持ちでいいよな!」とか思っていました。口には出しませんでしたが。どす黒い心!
で、今年からは通信制の大学で福祉の勉強をする事になり、社会福祉士を目指しているのです。何でそうなったのかと言うと、おととしの夏に介護の仕事をした事がきっかけでした。何というか、福祉に関する理解を深めたいと思ったのです。介護の現場で見たことは、一言では言い表せないですね。今までやってきたどの仕事よりも、私にとっては衝撃だったのです。
そんなわけで、人生の進路というのはいつどこでどんな風になるのか分かんないよ、というお話でした。
ちなみに現在は学費を稼ぐために、コンビニで早朝アルバイトをしています。子供たちは「ママ学校行くの?!」と驚いています。
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