第15話【遺跡 その2】

少女は、キツネの発言を咀嚼しきれずに居た。返す言葉も浮かばず、脳裏に過去の思い出を駆け巡らせながら黙りこくっていた。

 キツネは、そんな少女の反応を知っていたかのように落ち着き払って言った。

「すぐに飲み込めないのも無理はありません。何せ永い宇宙の歴史の中でも、一度や二度起きるかどうかの偶然が複数重なり合って起こった出来事ですから」

 あまりに理解を超えた話に固まっていた少女は、暫くしてようやく言葉を絞り出した。

「え、えっと⋯⋯それじゃあ、この世界も、キ、キツネさんも、私が創った⋯⋯っていうこと?」

 キツネは何も言わないまま遺跡の門まで歩くと、さっと振り返ってみせた。

「その質問は、少し預からせて下さい。まずは今の話や貴方自身について、色々とお伝えしたい事があります。心の準備が出来たら、この扉の前までいらしてください。」そう言うとキツネは、扉の方へと顔を向け、ぺたりと座り込んだ。

 その場に立ちすくんだままの少女は、自分の中で思考を走らせる。少女の旅の目的は、生物の到達点を知る事。それが思いがけない方向へと向かい、いつの間にか宇宙の創造などにまで事態が及んでしまった。少女はキツネの言っていた、"思いがけずに大きく答えへ近付いてしまった事への動揺とそれ以上の恐怖"という言葉が、頭の天辺から爪先に至るまで染み渡っていた。

暫くその場に立ち尽くしていた少女は、突然、スタスタと扉の前へ歩き出した。キツネはそれに気付くと、ゆっくりと立ち上がる。

 少女は少し暗がかった表情を浮かべて、キツネに話しかけた。

「⋯⋯キツネさん、私ね。正直、怖いんだ」少女は淡々と言った。「突然答えに近づいた事もそうだし、この扉の先に、自分では理解出来ない様な、分からないものだらけの世界が広がってるのかと思うと、足の震えが止まらないの」

 キツネは静かに耳を傾けていた。

「でもね…⋯」

 少女の顔が、ふっと明るくなる。

「それ以上に、ワクワクしてるの!この扉の先に、知らないものがいっぱいに広がってるのかと思うと⋯⋯! だから、考えるのは後!今はこの好奇心に任せて、分からないものは分からないまま、とにかく受け入れてみるよ!」

 キツネはその少女の姿に、過去の自分が重なって見えた。

「分かりました。あなたならきっと、答えに辿り着けます。付いてきてください」

 そう言ってキツネが扉に右前足をかざすと、扉は音をたててゆっくりと開いた。少女はどきどきと高鳴る鼓動に背中を押されながら、目の前の暗闇へ足を踏み入れた。


少女とキツネが暗闇に包まれると、背後から戸の閉まる音が響いた。それと共に、辺りの暗闇に、プラネタリウムの様に光が浮かび始めた。よく見てみるとその光の中には、少女が今まで旅をしてきた場所が映っている。

「うわ…⋯これって、宇宙?」

「そうですね、正確に言うと少し違いますが、それに近いものです」

 キツネは、その光たちを見ながら言った。

「ここは、貴方が生み出した空間。そしてこの光たちは、貴方が生み出してきた世界です」

「私が……」

 少女の理解も追いつかないまま、キツネは話し続けた。

「では、これまでに起きてきた出来事、そして、貴方が起こしてきた出来事について、順を追って話します。宜しいですか?」

 少女は声も出せぬまま、僅かな震えを感じながらゆっくりと頷いた。

「分かりました」

 キツネはどこか嬉しそうだった。

「まず、全ての始まりは、貴方の生きている宇宙に起こった、"ひずみ"でした」

「ひずみ⋯⋯?」

「はい。宇宙というのは、生物が生まれた、生物が死んだ、星が生まれた、星が死んだ──そういった出来事によって生まれる極めて矮小な波紋がぶつかり合い、それはそれは、我々の及びもつかないほど微妙なバランスによって保たれています。しかし、幾億もの時を重ねる内に、僅かずつ、小さな小さなズレが生じていくのです」

 キツネは続ける。その顔には表情という表情もなく、ただ、光に照らされているだけだ。

「そしてさらに時が経つと、そのズレも次第に大きくなっていく⋯⋯。そしてそのままでは、宇宙の均衡が崩れ、崩壊に繋がります。そこで宇宙は、ひずみ始めた均衡を保つ為、一つ、小さな小さなひずみを意図的に生み出しました。それは、ズレを打ち消すための小さなズレ⋯⋯そんなうるう秒の様な存在──」

「──それが、あなたです」

 キツネは、真っ直ぐに少女を見つめた。もはや少女は、緊張や恐怖などという感情にすら届かず、混乱した頭を落ち着けるのに精一杯だった。

 キツネはその反応も察していた様で、淡々と話を続ける。

「理解をするのは、目が覚めてからで結構です。今はただ、とにかく私の話を聴いて下さい」

 キツネはそう言って続けた。

「そして、ここからは貴方にとって酷な話になります」

「え……?」

「今言った通り、貴方は宇宙の均衡を保つ為に生まれてきました。言い方を変えるなら、生まれた時点で役目を果たしたのです。で、あるが故に、貴方には何の運命も、個性も定められていなかった⋯⋯。本来生物とは、周りの生物や環境が持つ運命の波に干渉し、周りに影響を与え、そして与えられて、それぞれが唯一無二の一生を形作っていきます──」

「──しかし貴方には、その運命の波が無い。つまり、周りの生物や環境に影響を与える事も、与えられる事も無い」

 キツネは、続く言葉を躊躇いながら言った。

「⋯⋯敢えて言うなら、"存在しない存在"、であると言えます」

 呆然としたままキツネの声を耳で拾う少女は、冷静と混乱の狭間のような感覚に包まれていた。理解を超えた出来事でありながら、キツネの放った言葉は僅かに理解出来た。キツネの言葉を濁さずに言うならば、"居ても居なくても変わらない人間である"という事。少女の心に、その事実が実感として染み渡った。

「ここまでが、貴方の存在についてです。理解を超えた出来事ばかりですが、本題はここから⋯⋯。先程扉を開ける前にお話した、"貴方の旅した世界は全て、貴方が作った"という話についてです」

 すでに混乱に飲まれそうだった少女は、拳を固く握り、暫し目を閉じた。少女は心の中で、ここに入る時に自ら放った、"分からないものを分からないまま、とにかく受け入れる"という言葉を、何度も反芻した。

 暫くすると少女は、ゆっくりと深呼吸をしてから目を開いた。その瞳には少なくない迷いや不安の色はあれど、その奥には確かに力強い探究心を宿していた。

「……大丈夫、続けて」

「……分かりました。では続けましょう。」

 キツネの表情が、僅かにやわらいだ。

「今お話した通り、貴方は"存在しない存在"、すなわち、"無の存在"であると言えます。しかしそれと同時に、あなたは一個人としての命と思念を持った、有の存在でもある」

「え⋯⋯そ、そんな事って、あ、有り得るの⋯…?」

「普通に考えれば、有り得ません。ですが、有り得てしまったのです。貴方という厳然たる前例が生まれてしまったから。すなわち、宇宙が自身の均衡を保つ為に生み出した小さなひずみ、それこそが、奇しくも限りなく宇宙に近しい存在になってしまった──」

「──さて、それでは、"無"と"有"を内包した生物が存在したら、果たしてどんな事が起こり得るでしょう?」

 少女の脳内に、これまで見てきた世界、そして、見てきた景色、聞いてきた言葉が駆け巡る。まばらであったピースは徐々に一本の線へと姿を変え、先から先まで光が迸った。少女は言った。

「新しい、宇宙が作られる⋯⋯」

 それに続くキツネの言葉は、少女にとって絶望的な肯定だった。

「仰る通りです。貴方は、"無"と"有"の両方を持った存在。そして、''無''は''無''を生み出し、''有''は''有''を生み出す。貴方が自ら生み出した''無''の世界に、同じくそこに貴方が自ら''有''――つまり思念を生み出し、与え、新しい宇宙を形作った。そういうことになります」

 キツネの観念的な語りに、少女は気圧されたままだった。

「ですから、貴方が今まで旅をしてきた夢の世界は、全て実際に存在しています。この"遺跡"も同じく、貴方の生きる現実世界とは別の宇宙に、確かに存在しているのです。」

 少女は急きこんで話を遮った。

「ちょっと、ちょっと待って、それってつまり⋯⋯」

 少女の唇は震えていた。

「私が今まで出会ってきた生き物たちも皆、私が作った、っていうこと⋯⋯?」

「⋯⋯そういえば、預かったままの質問がありましたね」

 キツネは声色一つ変わらないまま言った。

「答えは、私以外は皆そう、です」

「そ、そんな事⋯⋯」

 体から、みるみる力が抜けていくのを感じる。ついにはその自重さえ支える事が出来ずに、その場に膝を崩してしまった。何が絶望的であったのか、それを言語化する事は出来なかった。これまでの旅で見聞きしてきたものは全て、壮大な自問自答であったのか? それでも確かに、皆の生き方を、皆の口から聞いてきた。そして、皆の話を聞く度に、新たな知見を得て、新たな刺激を受け、一喜一憂していた。その瞬間は間違いなくあったはず。

 ふたつの思いが交錯する。しかし、ただ、とにかく、心に穴が空いたようだった。

「⋯⋯私には及びもつかないほど、幾重もの思いがぶつかりあっていることと察します。でも、これだけは聞いてください」

 今度のキツネの表情は、思いを強く訴えるようだった。

「貴方の出会ってきた生き物達は皆、貴方が生み出した、それは事実です。しかし──」

「──貴方が生み出した生き物は、皆確かに生きています」

 キツネの言葉に、嘘の色はなかった。

「初めはどうあれ、皆それぞれ、幾多もの希望と絶望を味わい、それを自分の心で受け止め、自分の意思で、自分の足で、前へ進み続けている。貴方という存在を介在せずに、一つの"生物"として、確かに生きています」

 キツネは懇願するような目つきで言った。

「それだけは、忘れないで下さい」

「キツネさん……」


 机の上でスノードームに誘われたはずの少女は、気が付くと自分の部屋のベッドの上に横になっていた。外は間もなく朝を迎えようとしており、白みがかった空にちぎれた雲がまばらにかかっている。

 少女は椅子に座り、遺跡を映し出すスノードームを見つめながら、別れ際にキツネが言った言葉について考えていた。


「私が話せる事はこれが全てです。あとは、貴方の旅の答えに辿り着くだけ──」

「──今から一週間後の午前零時、もう一度ここに来てください。きっとその時が、貴方の旅の終着点となります」

 少女は独り呟いた。

「生物の…⋯行く先⋯⋯」

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