後編

 夜の図書館は静まり返って物音一つしない。エドワードは図書館の独特の匂いをいつもより感じる気がした。


「確か大学側から博物館に回れたよな?」


 エドワードは慎重に図書館のドアの鍵を回しながら聞いた。


「ああ、渡り廊下でつながってる。警備員に見つからないといいけど……」


 2人は図書室を出ると、玄関ホールにやって来た。目がだいぶなれてきて、窓から入ってくる月明かりだけで玄関ホールを見渡すことができた。玄関ホールは明日の準備がすっかり整っていて、大きな花瓶には香りのきつい生花せいかがたくさんいけてある。夜はこの場所でダンスパーティーも開かれる。


「あっちだ……」


 コナーがエドワードたちの位置からちょうど向かい側にある、博物館につながる細い渡り廊下を指さした。ホールを横切ろうとしたが、ランプを手にした警備員がちょうどやって来たので2人は柱の影にそっと隠れた。


 警備員が行ってしまうと、2人は足音を立てずに細い渡り廊下に滑り込んだ。博物館側のドアの前まで来たが、残念ながらドアには南京錠なんきんじょうがかかっていた。


「おい、入れないじゃないか。他に入り口ないのかよ?」


「お、おかしいな……いつもここには南京錠なんてかけないんだけど」


 コナーが震える指で南京錠を触ったとき、渡り廊下の向こう側にランプの明かりが見えた。それはだんだんと近づいてくる。


「エ、エド! どうしよう、警備員が来るよ! 博物館の警備を強化してるのかも。どうしよう、どうしよ……」


「うろたえるなよ! 堂々としてるんだ。お前は研究員見習みならいなんだろ? 明日の準備を今の時間までしてたことにしろよ」


「そんな……なんて言えば……」


 警備員は目の前に突然現れた学生2人に相当驚いた様子だった。エドワードは精一杯せいいっぱい余裕のある表情を作ったが、コナーは汗びっしょりで震えている。せめて体をそわそわ前後に動かすのはやめてくれればいいのにとエドワードは思った。


「お前たち、ここで何してるんだ」


 警備員は思い切りけげんそうな顔で尋ねた。


「ああ、俺たちは今まで博物館の歴史展示品のコーナーで明日の準備をしてたんですよ。なんせ明日は無料で一般公開になるし、なあ相棒?」


 エドワードはコナーの背中をこっそりこづいた。コナーはびくっとして、しどろもどろになりながら何とか話した。


「俺は、お、俺は研究者見習いで、それで……将来の夢は考古学研究で、あの……教授の指示で準備をしてました」


「この時間までか?」


 警備員は懐中かいちゅう時計を取り出して時間を確認した。夜の9時半だ。教授ですらみんな帰宅している。


「……それで、この扉に鍵をかけて今から帰宅するところなのか?」


「ああ、そうだけど、もう帰っていいかな?」


「ふうむ……その南京錠の鍵を見せてみろ」


「え……?」


「今施錠せじょうしたなら鍵を持ってるはずだろ? それを出してみな」


「ああ、鍵ね……」


 エドワードはチラッとコナーを見た。コナーはろう人形みたいに真っ白で、ブルブル震えている。


「おい! あれなんだ?」


 エドワードは突然大声をあげて、警備員の後ろを指さした。


「え!?」


 警備員はつられて後ろを振り返った。その隙にエドワードは警備員のランプをひったくると、火を消して隅に放り投げた。ランプはすさまじい音をたてて扉にぶつかり、ガチャンとガラスの割れる音がした。


「走れ!!」


 エドワードがコナーに怒鳴った。2人は警備員を突き飛ばし、闇の中を疾走しっそうした。警備員が怒鳴り声を上げながら追いかけてくるのが聞こえる。ランプの明かりのせいで再び目が闇に不慣れになってしまったので、2人はあちこちにぶつかりながら進める方向にめちゃくちゃに走った。途中何かにぶつかって、ガチャンとか、パシャっという音が聞こえたので、もしかしたらホールの花瓶を割ったかもしれない。


「あっ! くそ! 行き止まりだ」


 目の前に突然石の壁が現れて、エドワードは悪態あくたいをついた。警備員の足音が迫ってくる。


「ああ、エド、おしまいだ」


 コナーはその場にうずくまってしまった。エドワードは息を整えようと壁から突き出た円柱の石の柱によりかかった。その時、柱の石が回転して、エドワードは太い柱の内側に倒れ込んだ。


「え!」


 エドワードは驚いて辺りを見回した。そこは円形の狭い部屋で、上を見上げるとてっぺんまで螺旋らせん階段が続いているようだった。上の方から月明かりが差し込んでいる。


「エ、エド! あれ? エド? どこいったんだよう」


 コナーの泣き声まじりの声が外から聞こえてくる。壁を押すと、少し壁が動いて外が見えた。どうやら隠し扉になっているようだ。エドワードは扉を回転させて素早くコナーの腕をつかむと、そのまま部屋の中に引きずり込んだ。


「うわ! ここどこ……」


「し! 静かに!」


 警備員がすぐ壁の向こうまでやって来たようだ。どうやら応援を要請したらしく、数人の足音が聞こえる。


「上に行ってみようぜ。もしかしたら外に出れるかも」


 エドワードは螺旋階段を登り始めた。


「あ! 待ってよエド! 置いてかないで!」


 コナーも必死で後を追った。相当高い塔の中のようだ。登っても登っても塔のてっぺんはまだ遠い。すぐに息が上がり、エドワードは制服のジャケットを脱いだ。息を弾ませながら、ついにエドワードは階段の最後の一段を登り切った。


 目の前に広がったのは、月明かりに照らされた黒い湖と、闇の中に浮かび上がる大きな城だった。空はさえぎるものなく見渡すことができ、たくさんの星がまたたいている。湖には満月がくっきりと写り込み、月が世界に2つあるように見える。塔の下を見下ろすと、城の庭園が広がっていた。


「ずげえ……」


 アクセサリーや景色や、そのほかのきれいな物に感動することの少ないエドワードだが、この光景はさすがのエドワードも立ち尽くしてながめた。エミリアにも見せてやりたいし、天体観測てんたいかんそくにはうってつけの場所だ。


 そのとき、ようやく追いついたコナーが螺旋階段を登り切った。まだ落ち着きを取り戻していないコナーは、エドワードを見ると周りの状況も確認せずに突進してきた。


「エド! そこにいたの!」


「うわ! バカ、コナー押すなよ!」


 エドワードは前につんのめってしまい、塔から落ちないように鉄でできた柵に必死につかまった。その拍子にうっかり脇に抱えていたジャケットを手放してしまった。


「おわ!」


 エドワードは急いでジャケットをつかみ直したが、ジャケットからペンダントの小箱とメッセージカードがするりと滑り出した。


「ああ!」


 エドワードは小箱をつかもうとしたが間に合わなかった。蓋の開いてしまった小箱から、月明かりを受けたペンダントが一瞬だけきらりと光り、その後は塔の下にある茂みに向かって真っ逆さまに落ちていった。


「ああー! うそだろ!!」


 エドワードは身を乗り出して塔の下に光るものがないか探したが、眼下には黒い茂みと庭園が広がるだけだった。茂みから小さなペンダントを探すのは一苦労に違いない。エドワードはがっかりして引っ込んだ。そしてコナーをきっとにらみつけた。


「おい! あのペンダントは明日入りようなんだぜ! どうしてくれ……」


 コナーは今度こそ本当に泣き出してしまった。座り込んで、ぽたぽた涙を石の床の上にたらした。


「ご、ごめんよエドワード……俺は本当にダメなやつさ、退学が怖くて首飾りを持ち出しちゃったけど、本当は俺なんて退学になった方がいいんだよ。いつだって役立たずだし、成績だって悪いし……」


 エドワードは泣きじゃくるコナーをしばらく見つめていたが、そのうちごろんと床に転がると、満天の星空をながめた。流れ星が一筋空を横切るのが見えた。


「……たかだか細いチェーンでつないだ石ころだしな。少なくとも俺にとっては

『イザベルの首飾り』よりは価値があったと思うけど」


「エド……」


「もういいさ、10時すぎちゃったし、今降りたらまだ警備員いるし、帰れたとしても寮母さんに見つかったら面倒だからここで一夜明かそうぜ。こんな星空、寮にいたら見れないもんな」


「うん……エド、ありがと……」


 エドワードは、明日ペンダントなしでエミリアの機嫌をどう取るか星をながめながら考えていたが、そのうち眠ってしまった。


* * *


 翌日の早朝、エドワードはコナーに揺すられて起きた。太陽はもうすっかり昇っている。


 2人は塔を降りると、隠し扉をそっと押した。警備員はいなくなっていた。早朝なので人も少ない。


 2人はなるべく怪しく見えないよう、正面から堂々と博物館に入った。


「首飾りがなくなったからもっと騒ぎになってると思ったけど、静かだね……」


 コナーが言った。博物館にはちらほらスタッフがいるが、特に騒がしい様子はない。あたりに人がいないことを確かめてから首飾りのある台に近づいたが、台を見たコナーが驚いて小さく悲鳴ひめいを上げ、慌てて口を押さえた。


「おい、コナー! どうなってんだよ。首飾りを持ち出したんじゃないのか?」


「これは……これは」


 コナーが無断で持ち出したはずの『イザベルの首飾り』は、博物館が特注で作らせている専用のライトの光を受け、燦然さんぜんと輝きを放ちながらガラスケースの中に安置されていた。首元の石まで全てそろっている。


 コナーはジャケットの内ポケットから石が欠けた首飾りを取り出した。石が一つ欠けていること以外、どう見ても全く同じ首飾りがそこにあった。


 そのとき、ひとりの女性スタッフが近くを通りかかり、コナーの手元を見た。


「コナー! そのレプリカどこから持って来たの? 今日は本物を展示する日だから、レプリカは必要ないのよ。管理室に戻してきてくれる?」


「レプリカ? ……本物?」


「ええ、今朝レプリカが展示されてなかったから誰かがもう片付けたのかと思って、本物をケースから出したんだけど。それで警備がいつもより厳しくなるって、ミーティングで言ってたじゃない」


「おいコナー、お前……」


 エドワードは真っ赤になったコナーの首筋をながめた。コナーはバツが悪そうにチラッとエドワードを見たが、その表情からは明らかに安堵あんどの色が見てとれた。結局被害にあったのはエドワードのペンダントだけということだ。


* * *


 その夜、エドワードはタキシードを着て、玄関ホール近くの庭園の中でエミリアが現れるのを待っていた。


「エド、俺のパートナーもう来てるんだけど。先に会場に入ってるぜ」


 隣で一緒に待っていたアーチーが言った。もう2時間もエドワードに付き合ってエミリア待ちをしているのである。


「頼むよ、ひとりになりたくないんだ! ひとりで待ってたあげくエミリアが来なかったら、俺すげーみっともないじゃん。タキシードまで着て来たのに」


「だからエミリアと待ち合わせ時間をちゃんと決めとけよって言ったじゃんか」


「しょうがないだろ、今口きいてくれないんだから」


 アーチーはやれやれと星空をあおいだ。ペンダントは2時間前まで茂みをかき分けて探していたのだが、ついに見つからなかった。


 機嫌を損ねたエミリアはやっぱり現れないか、あきらめかけたそのとき、色とりどりのドレスを着た女学生たちが通り過ぎて行ったあとにエミリアが庭園を歩いてくる姿が見えた。エドワードはドキッと心臓が一瞬止まったかのように思えた。


「ああ、なんだ来たじゃん。じゃあ俺先に会場入ってるから」


 アーチーはまだいて欲しそうなエドワードの表情を無視して先に会場に入ってしまった。


「や、やあエミリア。そのドレス似合ってるよ」


 エドワードはそう言って、エミリアの手の甲にキスをした。それなのに、エミリアの表情は硬いままだ。ああ、なんて強情なんだろう、とても俺の手に負えないよ。そう思ってふとエミリアの白い喉元のどもとに目をやると、ハート型でピンク色のペンダントが、月光を浴びてキラッと光るのが見えた。


「え! ええ! エミリア、そのペンダントどこで……」


 無表情だったエミリアの口元が、これ以上我慢できないというようにいたずらっぽくゆがんだ。次の瞬間、エミリアはお腹に手を当てて、ぽかんとするエドワードを尻目に大声で笑い出した。


「バカね、エド。このペンダント勝手につけてきちゃったけど、やっぱりあなたからの贈り物だったのね」


 エミリアはエドワードの腕を優しく抱いた。


「今朝早くに庭園を散歩してたら、ばらの茂みにこのペンダントが引っかかってるのをローズが見つけたのよ。ローズがきっと私のものだって言うの。イニシャルも入ってるし、それにほら」


 エミリアは小さな薄紫色のバッグからしわくちゃのメッセージカードを取り出した。多少汚れてはいるが、昨日図書館で書いたやつだ。


「サプライズはもう少し上手にやんなきゃだめよ。ケースもなしにトゲのついたばらの枝に引っ掛けておくなんて、ローズがいなかったらどうするつもりだったの?」


 エミリアはもう少しも怒っていないようだった。ピザを耳を残したとき以来見ていなかったえくぼが見える。


「もしまたサプライズをくれるなら、もっとロマンチックにしてよ。景色がいい場所がいいわね」


 エドワードはエミリアがまた口をきいてくれるようになったのが嬉しくて、上品にエスコートするのも忘れてエミリアを抱き寄せた。


「まかせてよ。エミリアもびっくりするような、すごい場所を見つけたんだぜ」

 そうして2人は階段を登って、玄関ホールの向こうに消えていった。

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スチューデント・ストーリー ちはる @_chiharu

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