スチューデント・ストーリー

ちはる

前編

「愛しいエミリアへ……愛を込めて。君のしもべ、エドワードより」


 17歳のエドワードはエミリアにあててメッセージカードを書いていた。図書館の窓から夏の気持ち良い風が吹き込んでくる。


 エミリアは17年の人生で初めてできた大切な彼女だ。白い肌、ブロンドの髪、エミリアは何もかも完璧なのに、エドワードは先週彼女と大ゲンカした。理由はエミリアがエドワードのために作ってきたピザの耳を残したからだ。


 サラミとモッツァレラチーズをたっぷり使った豪勢ごうせいなピザで申し分なかったのだが、エドワードは普段からピザの耳を残して食べる癖があった。エドワードとしてはいつも通りに食事をしただけだったのだが、エミリアは気に入らなかったらしい。


「なあアーチー、俺は誠意せいいを持ってピザの耳を残したことを謝ったし、もう残したりしないって約束したのに、昨日も言い合いになっちゃったんだよ。エミリアは『あなたのために作ったのに』って言って涙ぐむんだ。それに、エミリアは料理は上手だけど、買い物に行ったり、掃除させられたりするのは俺なんだぜ! わがままなエミリーめ!」


 インクつぼに蓋をしながらエドワードは隣で学期末試験の勉強をしていたアーチーにぼやいた。だんだん声が大きくなるエドワードに、アーチーは指を立ててシーと言った。


「俺はピザの耳というより、ピザを食べながら歩き回ったり、他の女の子に話しかけたりしたのが気に入らなかったように見えたけどね。何にせよ食い物の恨みは恐ろしいっていうし、あのビクトールとロレッタのカップルなんか、ビクトールが外でロレッタの作ったグレイビーソースの悪口を言ったっていう理由で破局はきょくしてるんだぜ。男はレディーの作ったものに分かりやすく感謝を示さないといけないんだよ」


「何言ってるんだよ! レディーには分けへだてなく親切にするのが紳士だろ。俺は当然の礼儀をくしたまでなんだって! エミリアは俺が人気者なのが気に入らないのかな」


 同じ長テーブルに座っている学生がなぜクスクス笑いながらこっちを見ているのか、エドワードは不思議だった。エドワードが真剣に語れば語るほど、なぜかクスクス笑うものがいるのである。


「お前がピクニックに来た女性全員の手にキスしたりしなければ、エミリアはピザの耳を残すのも許してくれたんじゃないか」


「手にキスをするのはあいさつだろ。それでエミリアの機嫌きげんが悪くなるなんてどうしてわかるんだよ。でもリカバリーはバッチリさ、これでエミリアの機嫌が直ることまちがいなしさ!」


「どうだかな……まあ頑張れよ」


 エドワードはこれでうまくいきますようにと願いを込めて、メッセージカードを折りたたんで胸ポケットにしまった。注文しているペンダントが今日仕上がるので、それにえる予定だった。


 都合よく、明日は大学祭だ。学校中が楽しいお祭りムードになるし、夜にはダンスパーティーもある。ペンダントを渡すには絶好のタイミングだ。


* * *


 ここはミルフォード大学という大きな国立大学で、国内でも有名な大学都市、セント・ジョセフ市の中にある。エドワードは大学付属ふぞくの高等部に所属する学生だ。


 大きなお城のような作りの学校で、実際、昔は外国から来たどっかの貴族が住んでいたお城だったらしい。学校には大きな先のとがった塔がいくつもついていたし、広い中庭には噴水もあった。城の玄関ホールの床は大理石で、上を見上げれば豪華なシャンデリアを目にすることができる。玄関の前には広い庭園があり、ばらの咲く季節になると授業中でも窓からばらの香りを感じることができた。


 今エドワードがいる図書館などは、もしかしたらこの国で一番大きな図書館かもしれない。天井まで本棚が伸びており、様々な本たちが隙間すきまなくびっちり詰め込まれていた。本棚と床にはレールがついていて、そこにはしごをかけて登れば上の方にある本を取ることができる。史書の言うところによると、図書館に出している蔵書はほんの一部で、城の地下には歴史的にも価値の高い蔵書が何万冊とあるらしい。


 エドワードは本を小脇に抱え、花が咲き乱れる庭園を抜け、大学のすぐそばにある大きな湖にやって来た。木の根本に荷物を放り出して湖をのぞきこむと、湖に自分の明るい金茶色の髪と、青い目がはっきりと映り込んだ。髪をかきあげて整えようとしたが、波打った癖毛くせげの髪が目にかかってきてじゃまだし、ワックスをつけてもどうもきまらないのである。思い切って短く切るべきだろうか?


 そのとき、時計塔のかねが鳴った。注文したペンダントの受け取り時間がせまっていることに気がついたエドワードは、坂の多いセント・ジョセフ市の石畳をかけ抜けぬけて寮に戻った。


 寮の自分の部屋に息を切らしながら入ると、同室の住人コナー以外人はいなかった。


 ペンダントの引換券を持って部屋を出ようとすると、ふと部屋の隅にいるコナーの姿が目に入った。どうも様子が変だ。


「おい、コナー。どうしたんだよ。腹が痛いのか?」


 エドワードが話しかけた。


「ああ、エド」


 コナーの顔は真っ青で、床にしずくがたれそうなほどびっしょり汗をかいている。


「エド……ど、ど、ど、どうしよう。やっちまったよ……」


 コナーは人でもあやめてしまったかのような顔で、小刻みに震えていた。


「なんだよコナー。それじゃわかんないだろ。どうしたんだよ」


「それがさ、えっと、あの……うっ……」


 コナーは喉にパンが詰まったかのように言葉が出てこなくなった。


「おい、コナー。何かよくわからないけどさ、悪いことはさっさと言っちまった

方がいいぜ。こないだもさ、ダニエルが先生のインク壺を勝手に借りて返すの忘れてたみたいで、バレたときはひどかったんだ」


「インク壺なんか問題じゃないよ、エド。俺、多分明日には退学になるかも……。これを見ておくれよ」


 コナーが恐る恐る開いた手の中には、真っ赤な石のついた首飾りらしきものが見えた。丸まっているのでわかりづらいが、ペンダントみたいにシンプルなものではなくて、石がごてごてとたくさんついた豪華な代物しろもののようだ。どこかの結婚式で花嫁さんが似たようなものをつけているのを見たことがある。


「うわ! こんなのどっから持って来たんだよ! コナーってそういう趣味だったのか?」


 エドワードは首飾りを指先でつまみ上げた。首飾りは糸が切れていたようで、つまみ上げた途端バラバラと石が床にこぼれてしまった。


「おわわ! おい! 壊れたぞ! どうなってんだよ」


「エド! これ以上壊さないでよ!」


 コナーは震える指で石を拾い集めた。


「これは『イザベル女子の首飾り』だよ。エドも見たことあるんじゃないかな」


「イザベル女子って……」


 エドワードは必死に自分の記憶をたどった。イザベル女子はこの国では有名な人物で、ミルフォード大学の創始者だ。


「明日はミルフォード祭だろ。大学に併設されてる歴史博物館も明日は無料で開放するから、その準備を手伝わせてもらってたんだ。ほら、俺は将来考古学の研究をするのが夢だし……」


「……それで?」


 エドワードは続きをうながしたが、なんとなく察しはついた気がした。


「展示品のほこりを取る作業をしてたときに、うっかりこの首飾りを落としちゃって……。拾い上げたら糸が切れちゃったみたいで石がバラバラになっちゃって。作業員は僕が最後だったから、バレなかったんだけど、怒られるのが怖くて持って来ちゃった……」


「お前バカか! なんで教授に正直に言わなかったんだよ! 糸が切れたくらいすぐに直せるだろうに」


 エドワードはあきれかえってコナーを見た。コナーはいつだってこうである。怒られたり、注意されたりするのが怖くて、男子が好きなきわどい遊びやいたずらに誘ってものったためしがない。


「エドはこの首飾りの価値を知らないんだよ。値段なんかつけられないものだけど、もし値段をつければ一千万ドルは下らないものだぜ。俺の家はそんな金ないし、終わりだよ」


「一千万ドル……!!」


 こんな石ころの塊が一千万ドルなんて! だれが欲しがるんだろう。


「でもさ、ただ糸が切れただけだろ。そうだ、俺今からペンダントを引き取りにジュエリーショップに行くんだけど、一緒に来る? そこの売り子さんと知り合いだから、糸だけ入れ替えてくれるかもよ」


「ほんとかい! それで、できれば教授が気がつかないうちに博物館のショーケースに戻しておきたいよ。もしこれがばれたら、新聞の一面記事級のニュースになるだろうし、そうなれば大学は面目めんぼく丸潰れだし、俺はきっと退学だよ。ああ、エド、俺は家族の手前、退学だけは避けたいんだよ」


 2人は店がたくさん立ち並ぶ大きな通りにやって来た。エドワードが予約していたジュエリーショップに入ると、ドアのベルがチリンチリンと鳴った。


「あら、エドワードさん。ご注文の品はもちろんできあがっていますわよ」


 かわいい売り子さんが奥からエドワードの注文したペンダントを持って来た。エドワードと顔見知りのアイリだ。


「やあ、アイリさん。今日の髪型すてきですよ」


「あら、エドワードさんはいつもおだてるのが上手ね」


 アイリはお世辞と分かっていても嬉しそうだ。ペンダントはピンクのハート型で、裏側に「Love E・J」と彫ってもらってある。エミリアのイニシャルだ。エドワードはペンダントの小箱を大事にジャケットの内ポケットにしまった。


「アイリさん、じつは別に一つ仕事を頼みたいんだけどさ。この首飾りなんだけど、友達のコナーがうっかり糸を切らしちまって、直してあげれないかな? できれば大至急でお願いしたいんだけど」


 エドワードはコナーに例の首飾りを出させた。


「これは立派な首飾りですね。ん……? どこかで見たことのあるような……?」


 コナーの頬に冷たい汗が一筋流れた。エドワードがコナーを後ろから見えないようにこづいた。


「コナーの姉さんが結婚式で使うやつなんだよ。だから今日中に大至急なの。なあコナー」


「あ、ああ……」


 コナーは太めの体を落ち着きなくそわそわさせた。


「……それでしたら、これは精巧な作りのものですし、3時間はお時間をいただきますよ。もちろん、通常でしたら5日間かかりますからね。今回だけ特別です」


 エドワードとコナーは顔を見合わせた。今は夕方の6時。首飾りが仕上がるのは9時。寮の門限は10時である。もし門限をやぶれば、どこに行っていたのか問い詰められた上に罰則があったりと、面倒なことになる。


「もうちょっと早く仕上がらないかな?」


 エドワードが笑顔を作って聞いてみた。


「難しいですね。でもこれでも大サービスですよ。通常でしたらあと1時間で閉店ですからね。引き取りの際は裏口の扉を叩いて下さい。正面は閉めてしまいますので」


 待っている3時間の間、エドワードは湖のそばの草地に転がって休んでいたが、コナーは青白い顔に汗をびっしょりかきながら、膝を抱えて待っていた。季節は夏の終わりであったが、日はまだ長く、この地方では夜の7時頃まで外は明るい。エドワードと同じようにのんびりしたり、外で夕飯を食べているものもいたが、コナーは食べ物はおろか水も喉を通りそうになかった。


「大丈夫だって」エドワードがのんびり言った。


「どうにかなるさ。いくら価値が高くたって、たかだか糸でつないだ石ころじゃないか。歴史的価値なんて下らない。命まで取られるわけじゃないさ」


「エドワードは俺の家族を知らないからそんなふうに言えるんだよ。もし退学になんてなったら、父さんになんて説明すればいいんだろ」


 コナーは本気でおぼれてしまいたいというような顔で青い湖を見つめていたが、膝の間に頭をうずめてしまった。


 夜の9時、裏口から入った2人は首飾りを受け取った。良い仕上がりだったが、一か所不自然に石が抜けてしまっているようだ。


「石を一つ拾い忘れたようですね。可能な限り修復しましたが、同じ石の在庫がなかったので完璧には直せませんでしたの」


 アイリが返してくれた首飾りを、コナーは震える指でつまみ上げた。


「エド、おしまいだ。こんな首飾りを博物館に返したりできないよ。俺、今夜中に逃げ出してもいいかな」


「バカ言うなよ。首元の小さい石が一つないだけじゃんか。ほら、早く博物館行くぞ」


 エドワードはコナーを引きずるようにして大学に戻った。時刻は9時15分。急いで首飾りを返して、寮に戻らなければならない。


 明日の大学祭の準備のため正門は開いていたが、博物館の入り口は施錠せじょうされていた。


「ど、どうしよう、エド」


 コナーは寒いわけでもないのにブルブルと震えている。


「しっかりしろよ。こっちだ、秘密の入り口を知ってる」


 2人は図書館の外側にやって来た。図書館の窓は大きなガラス張りだが、この時間は当然全て施錠されている。


「エド、何をするの?」


「この窓の鍵が壊れてるのをこないだ見つけてさ、まだ修理されてないといいけど」


 エドワードは足元にある小窓の一つを引っ張った。窓枠からびた音がして、窓が開いた。小窓はおとな1人がようやく通れるくらいの大きさだ。


「こ、ここを行くのかよ……」


「ほら、さっさと行くぞ」


 エドワードは小窓をくぐった。コナーもかなりきつそうにしながら後に続いた。

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