(4)伝説の斎王

数日後・・・


夜更けになり冷たい小雨が降り始めた頃、尊氏が南朝に幽閉されている渡月姫を解放するために夜襲を仕掛けた。


「月の珠は余の手中にあり!」


尊氏は声高らかに鬨の声を上げた。その姿を見た南朝軍は「月の珠」を奪還しようと必死に交戦する。



吉野の朝廷に侵入する数名の影…その中には尊氏の姿があった。尊氏は渡月姫と再会するために先手を打ち計略を施していたのである。影武者に鬨の声を上げさせ、自ら渡月姫の居る吉野の地へ歩みを進めていたのだ。


「こちらでござます」


雨が激しさを増して来る中、静かに頷く尊氏は内通者の案内により姫が幽閉されている屋敷に忍び入る。


その頃、南朝の重臣たちは渡月姫を尊氏に渡すことだけはさせまいと策を講じていた。協力的ではない渡月姫への対応を論じていたのである。


顕家の許嫁とすることで生娘ではないように穢れさせるのか、この場で姦するか、いっその事、暗殺するか…神々しい女神を髣髴ほうふつとさせる姫を巡って、その美貌に魅了された男たちの魔の手が渡月に迫る。


南朝の家臣たちに腕を掴まれ、屋敷の庭園に投げ捨てられた渡月姫。


「いやぁ〜!」


天を仰ぎ、雨に打たれながらひとり泣き叫ぶ、渡月姫。


次の瞬間、南朝の家臣たちが次々とその場に倒れた。慌て怯える南朝の家臣たちを尊氏の家臣たちが次々に斬殺する。尊氏は渡月姫の下へ駆け寄り、手を差し伸べた。


「怪我は無いか?」


姫の身を案じ、声をかける尊氏。


「私は大丈夫でございます」


「そうか、それなら良かった」


互いに相手を見つめながら、尊氏と渡月姫は初めて出逢った瞬間ときと同じ言葉を交わす。


尊氏は家臣たちと共に渡月姫を救い出し、吉野から京へ向けての山道を静かに前進する。予め待機させていた騎馬隊の軍勢とも合流して渡月姫の身を労りながら更に京へ歩みを進めた。


渡月姫は京入りする道中で尊氏に対して斎王になることを告げた。先祖崇拝と子孫崇拝の大切さを説く渡月姫に対して、尊氏もまた渡月姫からのご神託を重く受け止める。


尊氏は動乱を収めるため、そして、渡月姫を誰にも渡さないために斎王の役目を渡月姫に託し、自らも協力することを約束した。前進する軍馬の蹄音とともに尊氏らが京の都へ無事帰還した時には、雨は雪へと姿を変えていた。



南朝・吉野朝廷


「どうであった?」


「我が陣営を抜け出したようです。辺り一帯を隈なく探したのですが…」


「今なんと申した!陣営を抜け出しただと?貴様、そのような報告で済むとでも想っているのか!」


親房は渡月姫を逃がしてしまった家臣たちに対して怒り心頭である。あまりの衝撃に乱心した親房は家臣を殴り倒すが、それを見兼ねた重臣たちに取り押さえられた。



奥州・霊山の地


激しい吹雪の中、早馬が到着する。尊氏が「月の珠」を手中にしていることを伝令により告げられた顕家は、渡月姫の言葉を想い返す…


「勇猛なある御方が私をお助けくださいました…あなた様もあの御方のように正しい選択をなさってください」


渡月姫を助けた武将が尊氏であることを知った顕家は、荒ぶる吹雪のような複雑な感情を必死に鎮め、親房からの援軍要請に答えるように出陣することを決めた。



可怜うまし国(伊勢国)


渡月姫は四方に門のある館の中にいた。その館は渡月姫により結界が張られ、空間の穢れを祓い清められた場所になっている。


静謐で神秘的な雰囲気が漂っている空間は、神々と渡月姫だけが立ち入ることを許された清らかな神域と化していた。


誰もいない、何もない、ただ其処には祭壇だけがある広い部屋にひとり静かに坐っている渡月姫は、淡い灯火を受けながら広大な空間に意識を広げている。


「私、巫女になります!」


渡月は神々と対話して正式に斎王になることを決意した。


渡月にとって斎王の役割を果たすと言う事は、神々からの許可を得たと言うよりは、神々からの願いを受け止めたと言うことが正確なところである。


そんな渡月姫にとっては神前に立つ以前に払拭しなければいけない個人的な汚れた想いなどある訳がない。


目の前にある現実を受け入れ、自らが立場上も巫女となることによって世の中を正しく変革するために身を捧げ、神々に奉仕する人生を選択したのである。


渡月は、世に決して現れることもなく、知られることもない斎王になった。そして、神々を通じて尊氏と顕家、双方の心に世の理と神々の想い伝え、戦のない平穏な世を築き上げる志を強固なものにさせたのだ。



8か月後…


「私を想い、呼びましたね」


顕家が渡月姫を想い、上洛することなく伊勢に退いたことを感じた渡月姫。


顕家は劣勢になる南朝の行く末を察していたかの如く、あの世へ旅立つ最後の願いとして心の中で渡月の名を呼んだのだ。


渡月姫は顕家の気を感じ、誰にも悟られる事なく顕家の陣営に姿を見せた。周囲の空間が渡月姫の全身から発せられた清らかな気で一変する。澄んだ空気、玲瓏な風の音、汚穢に塗れた男たちの戦場とは真逆の空間である。


「そなたか、本当にそなたなのか…」


顕家は渡月姫と再会できた驚きと感動のあまり全身を震わせた。そして、その場に平伏し、歓喜の涙を流した。


「成仏させますので、ご安心なさい。」


「有難き幸せに存じます」


凡人であれば死の訪れを感じる中で最愛の人に出逢えたならば、手を握りしめ抱きしめたくなるものであるが、清らかな神々に畏怖の念を抱く顕家は、血に染まった穢れた自身の肉体を渡月姫に近づけようとはしなかった。


平伏して渡月姫に近づかないその姿勢こそが顕家の好意の現れであり、愛の証なのである。


渡月姫、いや女神を愛した自身の一生に悔いの無い顕家は、晴れ晴れとした表情で最期の時を迎えたのであった。二十歳を過ぎたばかりの青年の重圧と凄惨な時代の情報が時に刻まれる…


尊氏と顕家は同じ女子に心を惹かれ、互いに身内との確執に葛藤し、地位名声は得たものの人としての質の違いに苦労し続けた生涯を過ごしたのである。


ふたりの本質を見抜き、熱き想いを深く理解してくれた人物こそが渡月姫であった。


乱世を駆け抜けたふたりの英雄が愛しい姫を追い、見目麗しい姫は清らかな女神を愛しく想う中…南北朝時代の歴史の裏には三種の神器と月の珠、そして、清らかな姫の争奪戦があったのである。


渡月姫、月の珠…伝説だったのか、将又、真実であったのか…


渡月、尊氏、顕家の魂の声が聴こえてくる。


「想いは続き、願いは叶う…」

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