(3)恋慕の情と御神託

北畠親房は、月の珠があるだけでは「三種の神器」の真の力を得ることはできないことを知っていた。


「三種の神器」と「月の珠」の配列に謎があるのか、将又、何か細工をしなければいけないのか、それとも何か別の要因があるのか…その答えを知り得るのは渡月姫だけなのである。


北畠親房は、丁重に協力を要請しても首を縦に振らない渡月姫に手段を選ばず恫喝する。


「貴殿のような穢れたものでは、ご神器の力を体感して使いこなすことはできません」


「言わせておけば…」


渡月姫は苛立ちを隠せない親房に対して、女神からの想いを痛烈に言い放つ。


「心願成就するには、素直で清らかな心、穢れのない体、そして、静かに手を合わせ、本気で神様に祈ることです」


親房は肺腑に沁み入る渡月姫の言葉を深く受け止め、神々に仕える斎王制度の再開が必要であることを強く再認した。


「余と一緒に来るのじゃ!」


清らかで柔らかな渡月の白く透明な手を鷲掴みにして、その場から連れ去ろうとする親房に抵抗する渡月姫。そこへ戦から凱旋した顕家が鉢合わせした。


「その手をお離しください、父上!」


「そなたは黙っておれ!」


顕家を睨みつける親房。


「顕家様!」


渡月の声を聞いた顕家は、渡月を見つめながら自身の言葉に耳を傾けようとしない親房の手を掴み、渡月姫から父親を引き離した。


渡月姫と親房の間に割り込んだ顕家は親房に哀願的な眼差しを送り、その場に立ち尽くす。


顕家の願いを受け入れることもなく、親房は顕家の頬を平手打ちする。顕家は静かに渡月の手を優しく取ると親房に睨みを利かせ、その場から渡月姫を連れ出した。


「おのれ、顕家…」



渡月の手を握り締め、自らの屋敷へ歩みを進める顕家。忠義に篤い顕家は、父親と愛しい渡月姫との狭間で更に苦悩する。


「大丈夫であったか?怪我はないか?」


顕家は渡月に優しく声をかけた。


「怪我はございません。先程はありがとうございました」


顕家を見つめながら感謝の意を伝える渡月。


「そなたの身は余が守ってみせる、だから何処にも行くな、良いな?」


「顕家様…」



渡月姫を匿った顕家は、渡月姫と夫婦になることを認めて貰えるように公家としての矜持をすべて捨て、頭を下げ父親である親房に哀願した。


京の都を奪還した後醍醐天皇と北畠親房は、戦況を確認しながら今後の対策について協議していた。親房は顕家からの申し入れに対して聞く耳を持たず、渡月姫の力を有効活用する事を考え、後醍醐天皇にその事を伝えたうえで顕家を奥州に帰るよう命を下し、渡月姫を顕家から奪還する。


忠誠心が強い律儀な顕家は、帝からの命に逆らう事はできない。甘んじて命を受け入れる事しかできなかった。


動乱の世を一刻も早く平定することを願う顕家は、愛しい渡月を忘れる事は出来ない中で、ひとり奥州への帰路に就くという苦渋の決断をした。


京を離れる前にせめて一刻、いや一目だけでも…恋慕の情が怒濤のように押し寄せて来た顕家は、募る想いを胸に渡月の下へ駆け出した。


親房の名により厳重に警護された屋敷に隔離されている渡月姫に会いたい顕家は、静寂な闇夜をひとり屋敷に忍び寄る。


庭苑で夜空を見上げながらひとり佇む渡月姫に木陰から静かに声をかけた。声の主が顕家だと知った渡月姫が辺りを見渡しながら顕家に近づくと月の光がふたりのシルエットを池の水面に浮かび上がらせた。


「帝の命により、未明に京を発ち奥州へ向かいます」


「顕家様…」


「余と…余と共に奥州へ行けぬか…」


渡月を慕う顕家は真剣な眼差しで渡月にそう伝えた。渡月姫は顕家の想いを有難く受け止めながらも女神の想いを顕家に語る。


「人を正しく進化させるためには平和で清らかな世にしなければなりません。そして、まずはこの乱世を鎮め、戦のない平和な世にする必要がございます。」


渡月姫の言葉を聞いた顕家は、反駁するどころか、正鵠を射た指摘に同感するばかりである。


「余はどうすればよいのだ?」


「お命を大切になさってください。」


「そなたは何をするのだ?」


「斎王は途絶えましたが、私は本物の斎王として神々の御心を万民に伝える役割を果たします」


これまで未婚の皇女が継承して来た斎王の役割を渡月が担うと言うことは、詰まる所、奥州へは同行しないことだけではなく、婚姻はおろか異性との付き合いを断つ事を意味するのだ。


しかしながら、顕家の表情は明るく爽やかな微笑みを浮かべていた。何故なら渡月の言葉を聞いた顕家は、国家の大計をも超えたいにしえからのご神託を賜ったような感覚が全身に伝わって来たからである。


顕家は個人的な自らの願望に拘泥して、未来の子々孫々を崇拝しない選択は過ちであることを感じた。そして、渡月姫の存在が顕家に先祖崇拝と子孫崇拝の大切さを理解させた…


春の訪れを前に顕家は再び奥州へ戻るために京の都を出陣した。奥州までの道中においても敵陣を蹴散らし、桜の花が舞い散るころには奥州へ帰還した。


奥州に帰還した顕家は、奥州の安定に孤軍奮闘する中において渡月姫のことを想い慕わぬ日は一日たりとてなかった。



九州の地


陣営の再建と増強を図っていた尊氏の下へ早馬と共に朗報が舞い込んで来た。


「そうか、北畠顕家が京を出陣したか!」


「顕家軍は奥州へ帰還するとのことでございます」


「顕家の居ない軍勢など取るに足らん…皆の者、よいか、この千載一遇の機会を逃してはならぬ!出陣の準備じゃ!」



京の都を奪還して室町幕府を開いた足利尊氏。


後醍醐天皇は京の都を脱出して奈良の吉野へ逃れて南朝を開き、北朝に渡した神器は贋物であり光明天皇の皇位は正統ではなく、自己の皇位の正当性を主張したのである。


しかしながら、事の本質を見抜いた尊氏にとっては「三種の神器」が贋物かどうかは二の次なのである。



室町幕府(京の都)


「あの麗しい姫が渡月であったか…」


この尊氏の言葉が物語るように南朝方が渡月姫を追い回していたと言うことは、「月の珠」が無ければ「三種の神器」の真の力を解放することは出来ないと認めていることを意味する。


そして、その重要な「月の珠」は自らの懐にあるのだ。更に言える事は、渡月姫が南朝方に協力的ではないことであり、その事実も露呈しているのである。


妻子のある尊氏ではあるが、清らかな気を身に纏う雅やかな渡月姫への想いが日増しに強くなることを感じていた。それは決して野心的な側面からの想いではなく、胸の痛みを伴う純粋な恋心であった。

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