(2)渡月姫と月の珠

吉野朝廷内


姫は逃走した道中で追手の別兵たちに包囲されてしまい、抵抗するも虚しく捕縛されて南朝側に連れ去られていた。


南朝の家臣たちに連れ去られた姫は、ひとり隔離された部屋で眠りについていた。そこへ現れたのは南朝の重臣・北畠親房である。


「お戻りになられましたか、我々は姫を手放す訳には参りません…」


親房は姫の持つ「珠」を探すが見当たらない。


「どういうことだ、月の珠がない…」


事の状況を思案しながら、親房は華頭窓から夜空に浮かぶ下弦の月を眺めた。


月の珠とは、神代の時代から賜った「三種の神器」の真の力を解放することができる伝説の清らかな珠…その珠の力を用いて「三種の神器」の力を解放すれば立ち所に天下を統治して乱世を鎮めることができるという伝説の珠である。


「三種の神器」を手にしても歴代の天皇は真の力を解放できていない。それを解放できるのが「月の珠」であり、その珠は見目麗しい美少女のもとに突如として現れる代物であると…いつの頃からか語り継がれて来たのである。



室町幕府(京の都)


「あの麗しい姫が渡月であったか…」


尊氏は自身が手にしているものこそ「月の珠」であることを知ったと同時に、あの夜、偶然にも出逢った姫が渡月姫であったことを理解した。



11か月前…


奥州の地


「足利の軍勢は余が撃退する!」


親房の息子で公家の猛将である北畠顕家である。


北畠親房は息子の顕家に「月の珠」を手中にしたと伝えていた。その知らせを聞いた顕家は喜悦の情で顔を輝かせ、身が震えるほどの感動が胸に押し寄せていることを感じていた。


敬虔の念が深い顕家は「月の珠」を手に入れた朗報を喜ばしく想うことは言うまでもない。顕家にとって身が震えるほどの心の抑揚を齎すものの正体は、只ひとつ「月の珠」の持ち主である。


親房が「月の珠」を手中にしたということは、同時に「渡月姫」の身を確保したということを意味するのだ。



5年前に遡る…幼少期から類い稀な才覚を発揮していた顕家は、15歳にも満たない若さで後醍醐天皇の行幸の際にもお供し、ある場所で優雅な舞を披露する。その優美な立ち振る舞いの中に勇壮さを秘めた顕家の舞は、その場にいたものすべてを魅了した。


舞を終えた顕家はひとり宴の席から離れ木陰で少し寛いでいた。その時、顕家はひとりの幼い美少女の姿に目が釘付けになる。周囲を一瞬の内に清らかな気で包む美少女は、まるで澄んだ珠のような透明感と神秘的な雰囲気を身に纏っていた。


「あっ、あの…」


緊張のあまり声にならない声で懸命に話しかけようとする顕家であるが、言葉を語りかけることすらできない。そんな顕家を見つめて愛らしい表情で微笑む美少女。


幼少の頃から、その卓越した頭脳と爽やかな容姿で周囲のものたちを魅了してきた顕家にとって初めての体験であった。


天稟に恵まれた美しさ、その神々しさに畏怖の念を抱いた顕家は清らかな美少女に声をかけることも出来ないまま、その場に立ち竦み、その美少女の背中を目で追いながら清廉なる恋心を抱いたのであった。


顕家は、それから数年後に心奪われた美少女の名が渡月であることを知った…その渡月に再会できる。顕家は渡月姫を慕うあまり破竹の勢いで京へと行軍を進めた。それはまるで神風の如く、凄まじい速さであった…


尊氏が率いる北朝の軍勢を悉く撃退する顕家は、大将軍の号を賜わり「鎮守府大将軍」となった。そして、父と再会した顕家は親房から「月の珠」が何者かの手に渡ってしまったことを聞かされる。


「父上、姫は、渡月姫は何処いずこに?」


顕家は尊氏を追討するための出陣が迫る中、親房に渡月姫が幽閉されている場所を聞き、逸る気持ちを押さえきれずに渡月の下へと駆け出した。


高ぶる感情と募る想いを抑制することのできない顕家は、渡月姫がいる部屋の前で立ち止まり、双眸を閉じて静かにひと呼吸した。


「失礼する」


そう声をかけ、目線を下げて入室する顕家。


本来であれば声をかけて入室する必要など無い…ましてや顕家は鎮守府大将軍である。そんな顕家であっても無意識にそうさせてしまう渡月の存在感…顕家にとってはこれでも威厳のある振る舞いをしたつもりであった。


顕家の声に耳を傾け振り返る渡月姫。愛らしい眼差しは5年の時を経て更に輝きを増し、美麗な容姿はまるで天女のようであり、清らかな気に包まれた部屋の中は完全に別世界の雰囲気を漂わせていた。


渡月姫の清らかな美貌に心奪われる顕家…


「私は、鎮守府大将軍、北畠顕家である」


「渡月でございます」


互いの目を見つめ合うふたり。


実直な顕家の佇まいに笑みを浮かべる渡月。


「ど、どうしたのじゃ?何か、おかしなことでも…」


「以前に、どこかでお会いしましたか?」


眉目秀麗な顕家は、幼少の頃より自身が出逢った女子おなごの姿や名を記憶していないことはあっても、まさか自身が女子からこのような問いを聞かされるとは想いもしなかったのである。


「いや、その…」


顕家は5年前に一度だけ渡月を見かけたことがあったと伝えた。渡月は顕家に親房の家臣たちに追われた時に見知らぬ武将の手により救われたことを話したうえで、顕家から親房に自身を解放するように頼んでほしいと懇願した。


この数年、何度も夢にまで見た愛しい女神のような渡月。その麗しい姫と父親との間で苦悩することになる顕家…


「相分かり申した」


愛しい渡月姫にそう告げた顕家は、またの再会を約束してその場を去った。


その後、新田義貞とともに足利尊氏・直義を追討するために京の都から出撃した。凍てつく寒さと荒れる吹雪が追撃の勢いを妨げるにも関わらず、顕家軍は再度の入京を試みる尊氏の軍と交戦する。


後退を余儀なくされた尊氏。


「京の都は必ず奪い返す!」


そう言い残して、摂津国から九州へと落ち延びた。


尊氏軍を撤退させた顕家は誇らしげな光を放ちながら京の都に凱旋した。奥州から駆けつけた顕家らの活躍により京の都を奪還した南朝方は歓喜に震え、栄華を極めたかに見えた…

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