6、脳という小宇宙


 3月最後の土曜日は曇り空。気温も低めだ。スタジオ・カルテジアンは朝か

らスタッフが集まり、「黄色いリボン占い」へ出発する準備を進めている。


 優人も指定された機材の搬出を手伝っていた。地下のスタジオからエレベー

ターで一階まで上げて、ガレージのクルマに運び込む。二台並んだ黄色い商用

バンにはまるでレース用のゼッケンのような番号が貼付されていた。


「カングー1号とカングー2号だ。フランス製で両方ともマニュアル車だけど、

優人はちゃんとマニュアル免許を取ってきたかい?」


「はい。それからうちにも古いロードスターがあるので練習してきました」


「ロードスターって久志さんらしいな」機材をラゲッジスペースの奥から順に

積みながら、浅野がうんうんと頷く。「ちなみにこの車の色はジョン・アグリ

ュムって言うんだ。フランス語でシトラスイエローみたいな意味だよ」


「単純にイエローとかじゃないんですね」


「いやあ、ジョン・アグリュムって言葉覚えておくといいよ」


「そうなんですか?」


「まあそのうちファウストがその言葉を口にすると思うから」


「分かりました。覚えておきます。ところで機材はこれで全部ですかね」


「ありがとね。男手が増えて助かったよ」


「いえいえ。今日の占いはどちらでやるんですか?」


「秋葉原の家電量販店だって。優人の面接の時と同じでフロアの一部を借りる

ようになってる」


 そこにビジネスモードの小春と、白いブラウスとスカートに薄いピンクのニ

ットを羽織った由梨が現れた。ホムンクルスも一緒である。ちょこまかと姉妹

の後をついて歩く様がなんとも愛らしい。


 小春は長く伸ばした黒い髪を後ろで束ねるいつものスタイルだが、薄いメイ

クのせいか雰囲気が大人っぽい。姉の由梨は小春よりずいぶんと色白で髪も栗

色。ただしすべて天然でメイクも髪染めもしていないらしい。たれ目を除けば

姉妹でも色々違いがあるものだなと、優人は心の中でつぶやいた。


「お待たせしました。そろそろ出発ですね」小春は男性陣の反応をうかがうよ

うに浅野と優人の顔を交互に覗き込む。


「はいはい、小春さんはグレーのパンツスーツが凛々しくて素敵です。由梨さ

んは言うまでもなく天女のごとき艶やかな……」


「もう完全に定型文ね。さ、行きましょう」小春は浅野の言葉を遮るように促

すと優人を振り返り、ホムンクルスを抱き上げて差し出す。「優人さんも研修

頑張ってね」


 行ってらっしゃい、と苦笑しつつカングー1号を見送った優人はガレージの

シャッターを下ろし、ホムンクルスを連れて地下へ戻る。


 暗いスタジオにはファウストがいて何やら資料らしきファイルをめくってい

た。ファウストの専用席らしい最前列の椅子がギッギッと音を立てている。


「現場組は無事出発したかな」


「はい」


「さてと、到着までは少し時間がかかるな」ファウストは両腕を肩のあたりで

開き、独特の芝居がかった口調で優人に語りかける。新人研修代わりのファウ

スト劇場、始まりである。


「人の受精卵が生物の進化を辿るようにその姿を変えるのは知っているな?」


 こくりと頷く優人に大きなディスプレイを見るよう促しながら、ファウスト

は新たな映像を再生する。そこには細胞分裂を繰り返す新たな命が、原初の生

物から複雑な形態へと成長する過程が早送りのように表示された。


 やがてオタマジャクシのような胎児に背骨のような神経幹細胞が現れ、上部

と下部で脳と脊髄らしきものに分化していく。神経幹細胞から脳に向かって無

数の物質が放出されているのが見える。


「あれが高名なるニューロン様だ。幹細胞から次々に生み出されるニューロン

は、グリア細胞と呼ばれるガイド役に誘導されて自身の行くべき場所、約束の

場所とでも言おうか、そこへまるで住所が決まっているかの如く移動する。遺

伝子の設計図どおりにね」


 ディスプレイの中では移動を終えたニューロンが四方八方に枝を伸ばし始め

る。枝には『樹状突起』とテロップがついた。


「妊娠24週までに1000億個ものニューロンが生まれ、それぞれが設計図通りに

数万単位のニューロンと接続を行う」


「……」優人はその数がうまく把握できない。


「天の川銀河の星々が電話回線でつながれるようなものだな。正に小宇宙だ。

脳でもニューロン間の電話回線をつなぐように神経回路を構築するんだが」


 ファウストは感慨深げに続けた。


「ここからはよく使う回路が強化され、使わなかったものが失われていく。刈

り込みと呼ばれている。電話回線に例えれば友人知人、家族や仕事先以外の番

号には用がないから回線そのものを遮断するような話だ」


「せっかくつないだものがなくなるんですか?」


「そうだな。回線の接続はおよそ妊娠10カ月で完成するそうだ。よく赤ちゃん

は天才だ、みたいなことを言うだろう?あらゆる才能の可能性が、その時点ま

では保証されているかもしれんな」ファウストが手元のコーヒーカップを取り、

一口飲んだ。


「それから刈り込みが始まり継続すると考えれば、遺伝子による指令はもちろ

んだが、産まれた後の環境などの外的要因が刈り込む回線を決めている可能性

がある。つまり個人の特徴、性格や才能、得手不得手もこれが左右すると」


「ずいぶん回りくどいやり方にも思えますね」


「生存戦略。遺伝子の考える最適化の方法なのだろう」


 優人がファウストの講義を聞いていると、ジーンズにパーカーという格好の

荒木が出勤してきた。荒木は何も言わずに壁面モニター群に向かって左、サー

バーが並ぶ近くに座り、自身のパソコン端末を開いた。


「荒木さん、おはようございます」優人が声を掛けると荒木はこちらを見ずに

小さく頷いた。ファウストは、いつもこんな感じだよという表情で優人に目配

せをした。


 里美はパソコンとファイルの束を抱えるようにして現れ、ふうとため息をつ

くように席に着いた。荒木とは逆、モニター群に向かって右側が指定席のよう

だ。昨日はもっとラフないでたちだったが、今日はまるで秘書職のような黒い

スーツ姿である。細くエッジの効いた眼鏡のフレームも黒だ。


「鮎川さん、おはようございます」


「あ、里美でいいわ。優人君もいよいよデビューね」挨拶もそこそこにデスク

周りの機材をテキパキとセッティングする。


「あのね、優人君」髪をかき上げながら里美が言う。


「なんでしょう」


「人の頭の中を覗くなんてね、あんまり楽しいことじゃないわよ」


 強めの語気にやや押されつつ里美の横顔を見ていると、現場組からの連絡が

入ってきた。ファウストと浅野が状況をやり取りする。


『こちら秋葉原の浅野です。これから機材のセットに入ります。どうぞ』


「了解。スタジオも準備中。お客さんは集まりそうかな。どうぞ」


『事前のポスター告知で予約が八組ほどあるそうです。どうぞ』


「了解。とりあえず、いつでも行けるように待機しておく。オーバー」


 ファウストが荒木と里美に向かって指示を出しデカルト・システムが始動す

る。スタジオ天井の淡い照明、そして壁面のモニター群が次々に光を放ち、室

内は明るさを増していった。


 秋葉原の家電量販店のフロアで各種機材や広告用の幟の展開が出来たらしく、

浅野から準備OKの連絡が入る。


『では、まず浅野がリボンを装着しますのでテストお願いします』


「了解、まずはノイズの除去だな」


 ファウストの言葉に里美が反応する。「電磁波マッピング開始。フィルタリ

ングに入ります」


「さすがに家電売り場だとノイズが多いな」


「フィルタリング正常、モニター可能レベルです」


 なるほど他の電磁波の干渉を防ぐためノイズキャンセラーのような作業を行

う必要があるのだな、と納得する。更に優人は里美の手際の良さに感嘆した。


「EEG接続、α波計測しました」


「よし始めよう」


「α波減衰、MEG接続します」


「プロファイル行くぞ。将司君は瞳がブラウン、身長174センチ、中肉、20歳の

日本語スピーカーの男性、で良かったかな」


「その通りです。プロファイル入力。EEG、MEG正常」


「荒木君、そっちは大丈夫かい」


 荒木は無言で手を挙げる。


「よしデカルト接続」


「デカルトシステム接続します」


 モニター類に一瞬の静寂が訪れた後、多様な色彩と波形の映像が乱舞する。

それから徐々に混沌が静まり、心臓音のようなリズムで電子音が規律を生み出

した。デカルト・システムをスタジオ側から体験できる興奮に、優人の鼓動も

そのテンポを増していった。


「対象の解析に入る。感情モニターから行こう」


「感情モニター、表示します」


 壁面左上の二十インチほどのモニターの画面は四分割されており、半分が白

色に、半分が青く光っていた。


「落ち着いているね。将司君はもう慣れたものだな。それから優人君にはこれ

を見てもらおう」ファウストは表示される色に関しての説明を、別の画面に映

し出す。


-----------------------------------


デカルト・システム 感情モニター 基本の性質


白        ポジティヴ


黒        ネガティヴ  


青        冷静


赤        攻撃的


緑        安心


黄色       喜び


紫        葛藤


茶色       抑圧


グレー      不安



デカルト・システム 感情モニター 組み合わせの性質


群青       悲しみ


青紫       緊張


赤紫       嫉妬


水色       爽快感


オレンジ     知的好奇心 


パステルピンク  憧憬的興奮


ダークピンク   性的興奮


琥珀       眠気


-----------------------------------


 優人がそれを見ていると、今度は里美が口を開く。


「視覚情報、聴覚情報の同期完了。視覚情報を正面に出します」


 現場で“浅野が見ている景色”が表示された。よくある家電売り場の風景の

ようで、しかしその画像には微妙な歪みや色の違いが感じられた。


「面白いだろう。元々目に入る映像は眼球のレンズの構造上、上下左右逆さま

に入ってきていて、それを脳が補正しているんだ。それに瞳の色もそれぞれ違

うから視覚情報は人によってかなり違いが出る」


 そのうち視覚モニターがキョロキョロし始め、感情モニターも複数の色が現

れ始めた。そして荒木が何か見つけたようで球形モニターの脳の一部を指差す

と、里美がその意図をファウストに伝える。


「言語化できる概念の情報が見つかったようです」


「出せるか?」


 荒木がキーボードを叩くと、20歳男性のサンプリングボイスでやや抜けた声

が聞こえてきた。


『早く始めましょうよ』


 スタジオ内の緊張感は幾分緩み、いよいよ「幸せの黄色いリボン占いin秋葉

原」が始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

デカルトの劇場 ~スタジオ・カルテジアン~ 橋口浩二 @sc1966

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る