ホッちゃんを守れ!

烏川 ハル

台風の夜に

   

 ゴウゴウと激しい風の音がする。

 数日前から心配していた通り、この学校に台風が直撃したのだ。


 学校といっても、ここは、しょせん田舎の小さな分校に過ぎない。時代遅れの木造校舎が、はたして、この台風を乗り切れるのだろうか……。

 ともすれば弱気になる僕に、隣から励ましの声が飛んできた。

「頑張れよ、キョージ。ホッちゃんをじかに守ってやれるのは、お前だけなんだぞ!」

「わかってるよ、キョーイチ兄さん!」

 自分に気合いを入れる意味で、僕は、必要以上に力強く返事する。確かに、この並び順――キョーイチ兄さん、僕、ホッちゃんという並び方――では、僕が彼女を守るしかない!

 毎日毎日、子供を包み込むような包容力で、みんなから慕われているキョーイチ兄さん。対照的に、僕のところに来る子供なんて、一人もいなかった。たまに来ることがあっても、すぐに「あ、間違えた」という顔をして、キョーイチ兄さんの方へ行ってしまう。

 そんな感じで、役立たずの僕。でも、だからこそ、こんな時くらいは……!


 ホッちゃんは、僕にとっては妹みたいな存在だ。

 小さな体で、いつも頑張っている、健気なホッちゃん。包帯や薬などを管理するのは彼女の担当なので、怪我をしたり気分が悪くなったりした子供は、彼女のところへ行き、彼女のお世話になる。

 まるで『白衣の天使』じゃないか! その上、僕やキョーイチ兄さんとは違って色白だから、本当に真っ白なイメージのホッちゃんなのだ。

 そんな彼女が、今はガタガタ震えている。いや、僕やキョーイチ兄さんだって震えているが、それとは比べものにならない様子だった。

 僕たち三人は、一列に並んだ状態で手を繋いでいるわけだが、一番端にいる彼女は、精神的にも物理的にも心細いのかもしれない。

「頑張れ、ホッちゃん! 今晩一晩の……。いや、もう少しの辛抱だ!」

 僕はキョーイチ兄さんの真似をして、彼女に激励の言葉を投げかけた。

 予報では、この台風は、明日の朝までには抜けて行くはず。そう思い返していた僕に対して、

「……うん、大丈夫」

 はかない声が返ってきた。

 なんと弱々しい! こんなホッちゃんを見るのは初めてだ!

 僕の中で「なんとしてもホッちゃんを守らなければ!」という気持ちが、いっそう強くなった。


 そして。

 ホッちゃんの尋常ではない態度に気づいたのは、僕だけではなかったらしい。キョーイチ兄さんの向こう側、誰もいない家庭科室や配膳室を越えたさらに向こう側から、甲高い声が聞こえてきた。

「お姉さま、大丈夫ですか?」

 ホッちゃんを慕う、しーちゃんだ。

 しーちゃんは今、少し離れたところで、一人でポツンと頑張っている。

 ちなみに、現在この学校にいるのは、キョーイチ兄さん、僕、ホッちゃんの三人と、しーちゃん、プー君。全部で五人だ。プー君はプー君で、僕たち三人とも、しーちゃんとも離れた配置になっていた。

「心配するな! お前は、そこで自分のするべきことに専念しろ!」

 しーちゃんに対応したのは、呼びかけられたホッちゃんではなく、キョーイチ兄さんだった。

 これが気に食わなかったらしく、しーちゃんは反抗的な言葉を返してくる。

「あら。私、今は身軽でしてよ。ウサギもニワトリもいませんから」

 この学校は、校舎から少し離れたところでウサギとニワトリを飼っており、それがしーちゃんの担当だったのだ。でも「台風で飼育小屋が倒壊したら大変」ということで、確かに今夜は、ウサギもニワトリも生徒たちの家へ避難中のはず。

 しかし、だからといって……。

「おい、『身軽』って、どういう意味だ! まさか、お前……」

 キョーイチ兄さんも、僕と同じ心配をしたらしい。完全に、咎めるような口調になっていた。

「ええ、その『まさか』ですわ。お姉さまの身に危険が及ぶのでしたら、私が助けに向かいますわ!」

 冗談じゃない! 僕たちは、それぞれの持ち場から動くことなんて、出来ないのに!

「あー。ホントは、おいらが助けに行けたら良かったんだがなあ。おいらが一番頑丈だし」

 ここで、呑気なプー君の声。どっしりとしていて、プー君は僕たち以上に動けないはずだ。

 それに。

「すまんなあ。おいら、吐きそうだから、それを堪えるだけで精一杯で……」

 そう、プー君は、いつも水をいっぱい飲んでいる。僕たちから見たら、飲み過ぎなくらいに。

 平常時は大丈夫だとしても、今みたいな時は苦しいのだろう。

「おい、プー! お前は何も考えず、ただ水を吐かないように努めておけ! この状況でお前が吐いたら、大惨事だぞ!」

 プー君に対しても、しっかりと相手するキョーイチ兄さん。

 でも、これが間違いだった。キョーイチ兄さんは、しーちゃんと話し続けるべきだった。

 僕たちの注意が逸れた隙に、

「お姉さまー!」

 叫び声と共に聞こえてきたのは、今まで耳にしたことがないような、バタバタとした音。

「……あ」

 ガタガタ震えるだけで、もう喋れなくなっていたはずのホッちゃんまでもが、驚きの声を上げるほどだった。

 なんと、しーちゃんは、本当に僕たちの方へ近づいてきていたのだ!

「おい、馬鹿、やめろ! 無理して動いたら……」

 そうだよ、キョーイチ兄さんの言う通り! そもそも僕たちは、動くべきじゃないんだ。ましてや、この強風の中……。

「大丈夫ですわ! 今日の私は……」

 と、しーちゃんは言いかけたのだが。

「きゃあっ!」

 悲鳴と同時に轟音がしたと思ったら、先ほどまでの『バタバタ』が聞こえなくなった。

 風で飛ばされた? あるいは……。

 僕の心の中で、冷や汗が流れた瞬間。

 キョーイチ兄さんの手が離れるのを感じた。

「えっ? どういうこと?」

「キョージ、俺も動くぞ。あいつを放ってはおけないからな。俺が助けに行く」

「えっ? でも、おそらく、もう……」

 キョーイチ兄さんだって、わかっているはずだ。今さら手遅れだろう、と。

 それでも。

 それでも行くのが、キョーイチ兄さんなのだ。

「……まあ、もしもの場合は。あいつの意志を引き継いで、俺がホッちゃんを守る方へ回るのも良いかもしれんな」

 無理して明るく喋るキョーイチ兄さんだったが、

「……後は任せたぞ、キョージ」

 その声には悲壮感が漂っているように、僕には聞こえたのだった。


――――――――――――


 翌日。

 台風一過の秋晴れの中、学校に来た子供や教師は驚いた。


 飼育小屋が台風に耐えられなかったのは、まだ想定の範囲内だったとしても。

「こんなに風で飛ばされてくるなんて……」

 小屋の残骸が校舎の近くに散らかっていたこと、これは、誰も想像していない事態だった。

 そして。

 肝心の校舎自体も、無残な有様になっていた。

「ああ、僕たちの教室が……」

「でも、なんで? なんで、ここだけ?」

 この学校の子供は、全校生徒を合わせても11人しかいない。だから全学年で一つの教室を――『第1教室』あるいは『教室その1』と呼ばれる部屋を――使っていた。だが、その部屋だけが、ぽっかりとくなっていたのだ。両隣にある家庭科室と第2教室は、全くの無傷だったのに。

 なお第1教室の残骸は、その大半が保健室――校舎の端に位置する小部屋――の周囲に、残りは保健室と第1教室の間――つまり第2教室のある辺り――に散乱していたという。まるで、第1教室が身を挺して、それらの部屋を守ったかのように。


 教室を失って悲しむ子供たちの中には、こんな声もあった。

「教室にいた精霊さんは、どうなったのかな?」

「心配だね。無事ならいいけど」

 この学校の子供たちは、それまで「自分たちの教室には、精霊とか付喪神とか、そんな存在が宿っている」と信じていたのだ。

 非科学的な話ではあったが、彼らは「教室に入ると、あたたかな気持ちに包まれる。でも、たとえば家庭科室や配膳室には、それがないから」と主張していた。


 そんな大好きだった第1教室の代わりに、第2教室を使うようになった子供たち。

 やがて彼らは、こう言うようになった。

 第2教室にも魂が宿っているようだ、と。第1教室の遺志を継いだに違いない、と。




(「ホッちゃんを守れ!」完)

   

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ホッちゃんを守れ! 烏川 ハル @haru_karasugawa

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