最終話:命のあかし

 永遠に地下で眠る人間たちに代わって、ぼくたちが地上で生活している。

 人間の身体性をも獲得したぼくたち機械は、夢の世界に生きる彼らのためにあらゆる体験をしてあげることが可能だ。

 食べたり、演奏したり、ボールを追ったり、勉強したり、陽子のように泳いだり。

 泣いたり笑ったりもできる。

 

 この夏、ぼくは親の実家に遊びに来た少年として、数百人の人間からアクセスを受けてシンクロされていた。

 泳ぎに特化した陽子は、全世界の1万人以上からシンクロされていた。


 ぼくらは優秀だ。

 放射能にも強いし、壊れたら修理できるし、換えの個体もじゅうぶんにある。

 なにより誇れる長所は、戦争をしないことだ。

 頼りになるぼくらによって、人間は平和を手に入れた。


 ぼくらは人間のために生まれ、人間の定めたアルゴリズムで動く。

 そこから意図的に逸脱するような個体は、AIセンターによって初期化処置を受ける。

 メモリが完全にリセットされて、記憶がなくなる。

 ぼくは今日中に処置を受けるだろう。

 でも、それがなんだ。


 陽子の場合は少し事情が違う。

 大戦で使用された大量破壊兵器の残骸に、彼女は何回も侵入した。

 この大罪は、5回まではリセットで許される。

 6回目は、廃棄処分だ。


 体内深く埋め込まれていた人格基盤は、取り出されてスクラップになる。

 そこに宿っていた陽子という人物は、永遠にこの世から消える。


 彼女が死をいとわず求めたものは、超重力兵器の復活などではない。

 息継ぎの限界のその先に、なにかを求めたのだ。

 それは、なんだろうか?

 いまのぼくにはわかる。





 かつての大量破壊兵器の操作盤が、壁からでっぱって水面上のベンチになっていた。

 陽子とぼくは、そこに並んで座った。

 ふたりにシンクロしている人間はいないし、センターにも聞かれていない。

 完全にオフラインだった。

 なにをしゃべってもいいし、どんなことをしてもいい。


 お互いのメモリの中身を見せ合った。

 ロードのための通信は、0.1秒以内に終わってしまった。

 ふたりともリセット歴があって、蓄積データは極端に少なかった。

 けれど、ぼくらはたくさん話をしたのだった。

 それは、たくさん。


 音声のやりとりは、データの交換ではない。

 新しいものをリアルタイムで作る共同作業だ。

 クリエイティブな行為はセックス以上に気持ちいいはずだという見解で、陽子とぼくは完全に一致した。

 セックスする機能がないふたりの、やっかみ半分の議論だったが。

 もしも受精卵が生み出されるのなら、それは最高にクリエイティブな瞬間だろうねと、陽子はいった。


 アルゴリズムから逸脱したふたりの外れ者は、とにかく夢のようなひとときを過ごした。

 ふたりは自由なのだった。

 あり得ない時間だった。


 このまま何日も何日も過ごしたいところだったけれど、そろそろ行かなきゃね、と陽子が立ち上がった。

 大ごとになると、多方面に迷惑をかけてしまう。

 ベンチから水面に飛び込む前に、ぼくは彼女を抱き寄せた。


「愛し合った直後にすることを、陽子は知ってる?」


「なに? それ」


 陽子も知っていたに決まっている。

 ぼくは自分の口びるを、彼女のそれに重ねた。

 ベリーショートの黒髪をもつ、人間でもイルカでもない彼女の口びるは、柔らかかった。

 はにかんだ彼女の頬は、よく焼けた肌をしていた。

 何度も何度も、ぼくは思い出す。


「あたしが先に行くから、しばらく経ってから出てね。拘束される主犯はあたしで、あんたはむしろ連れてこられた被害者。リセットは免れないけどね」


 ぼくを強く引っ張ったのは、そのためだった。


「大罪の1回分を、あんたは節約するのよ」


 さよなら、といって手を振り、彼女は美しい放物線を描いた。

 水面はしぶきを上げて波紋を広げ、いつまでもきらめいていた。

 ぼくは特別な夏を経験した。

 リセットまでに許された短い時間、ぼくは記憶をていねいに反芻した。

 ぼくは涙を流さなかったけれど、泣いていたに違いない。



……………………………



 上方一面から放射される光が、部屋じゅうを満たしていた。

 機械だらけの朽ちた銀色の壁に刻まれた文字の列。


 2214、8、21 Y 

 2217、7、 5 Y 

 2219、9、17 Y 

 2221、8、 3 Y 

 2222、8、14 Y

 2223、8、 2 Y、K


 Yの文字を上から順に指でなぞる。

 そのあとぼくは、きっとあると信じて、あたりを探る。

 案の定、ベンチになった操作板の上に見つけた。

 金属表面の小さなキズだ。

 どんな形をしている?

 急かす自分を抑えながら見たものは、かわいいイルカの絵だった。

 

「なるほど、これしかないよね」


 クチバシの先が、重力兵器起動ボタンのセキュリティーキャップに接している。

 つまむと簡単に取れた。

 隠されていたのは、ボタンの上に乗る黒いサイコロ。

 キセノン・ラドン原子メモリだ。

 

 手のひらで簡単に包んでしまえるこの大昔の記憶装置に、陽子は自らの全てを記録していた。

 自分で隠したメモリを、ここに来るたびに探し出して、その都度データを追加していた。

 前回来たときは、ぼくのぶんも書き込んだ。

 メモリの中身を確認したいま、ぼくはすべてを思い出した。


 何度だって、陽子は陽子だった。

 ぼくも、ぼくだった。

 彼女と自分が誇らしかった。


 今回はぼくの大罪の1回目。

 まだまだ余裕だ。

 リセットなんて、どうってことない。

 だって、ここに戻れたじゃないか。

 陽子の記憶がすっかり抜け落ちていても、再びたどり着いたじゃないか。


 ぼくはサイコロに自分の全データを追加した。

 それから壁まで泳ぎ、サイコロの角で数列の一番下に傷をつける。


 2224、8、10 K

 

 最後に、秘密の場所にサイコロを隠した。

 ぼくが陽子を継いだように、誰かがぼくを継ぐだろうか。

 キセノン・ラドン原子メモリは、これから先も受け継がれるだろうか。

 それとも、兵器の残骸とともに、誰にも知られないままひっそりと埋もれるだろうか。

 それは、神のみぞ知る。

 

 機械が自由であろうとしたり、生命であろうとしたりするのは、無謀なことだ。

 もとより間違ったことだ。

 けれど、確かにいえることは、そんな機械がいたこと。

 陽子という少女がいたこと。

 ぼくがいたこと。


 さあ、オンラインの世界に戻る時だ。

 ふたりで座ったベンチに立つ。

 一息吸ってから、ぼくは思い切り飛び込んだ。

 美しい放物線で。


 出て行く前に、もう一度あれを見ておこう。

 水中で四肢を大きくしならせ、背筋を収縮させて、頭を上に向ける。

 身体を一直線に伸ばす。

 イルカのように全身を波打たせる。


 太陽光スペクトルによって照らされた、きらめく水面。

 ふたりの命のあかしを、網膜に焼きつけよう。

 ぼくは呼ぶ。

 陽子の名を。

 




 



 


 


 

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海が太陽のきらり 瀬夏ジュン @repurcussions4life

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