第2話:秘密の場所

「陽子は人間なの? イルカなの?」


 ぼくは本来イジワルだ。


「その両方に決まってるじゃん」


 彼女はぼくより少しだけウワテだった。


「つまり、陽子は自由になりたいんだね」


 ストレートで危うい問いかけにも、彼女は涼しげに答える。


「あんたを見てると、あたしと同じだなって感じるよ」


 彼女はぼくを見抜いていた。

 つまり、彼女もまた、ぼくと同じように思っていたはずだ。

 海の中の生き物たちと等しく、ぼくたちも大宇宙の偶然から生じた存在に他ならないのだと。


「あたしより優秀だよね、息継ぎ」


 別れが近づいたある日、彼女はぼくを誉めた。


「そんなあんたを見込んで、お願いなんだけどさ。ふたりで行ってみたい秘密の場所があるんだ。もちろん水中だよ」


 イルカのような深く無垢な瞳で見つめる陽子。


「あたしと一緒に死ぬ勇気ある?」


 凍ったように動かないぼく。

 いや冗談だってば、と笑った彼女はいつになく真剣に見えた。





 今日で最後という日に潜ったところは、いつもと同じだった。

 明日はシティーに帰るというのに、別れを惜しむ演出は特になかった。

 アオリイカのカップルや仏頂面のロブスターに挨拶をして、いつもの折り返し地点で方向を変えようとした時に、普段と違うことが起きた。

 そのまま陽子はどんどん進むのだった。

 急に深くなるドロップオフも過ぎて、次第に下がっていく広い砂地になっても、まだ先へ行く。

 差し込む太陽光がかすかな青にまで弱くなったころ、彼女が指し示した先に大きな岩があった。


 近づくと、岩の根元には穴があいていた。

 この奥は、もしかしたら通信が届かない場所かもしれない。

 ぼくにも陽子にも、シンクロしている人間は多数いるだろう。

 進むのは逸脱行為に他ならない。


 目配せする陽子に、ぼくはうなずく。

 迷いはなかった。

 彼女の手をとろうとすると、いち早くぼくの腕をつかみ、彼女のほうから力強く泳ぎ始める。

 暗闇をのぞかせる穴の中に、ふたりは滑り込んだ。


 息継ぎの心配はなかった。ぼくは優に2時間ほど平気なのだった。

 陽子に会うまで自分の能力を知らなかった。

 限界を試すような危険なことは逸脱行為とされて禁じられていたから。


 一方、彼女は30分が限界だったので、既に危険領域に突入していた。

 それでもぼくは落ち着いていた。

 彼女が知っている場所なのだから大丈夫と。

 いざとなれば、いにしえのアニメのように口移しすればいいと思っていた。

 あとで考えてみたら、酸素の残っていない一息では、どうにもならなかったのだけれど。


 曲がりくねった穴の中は、かすかな明かりに照らされていた。

 進むうちに、でこぼこの壁は次第に滑らかになり、いつしか金属の通路になった。

 明るい大きなスペースにたどり着くと、とたんに彼女は手を離し、猛然と浮上した。

 四肢を大きくしならせ、背筋を収縮させ、頭を上に向ける。

 身体を一直線に伸ばす。

 全身を波打たせて進む。

 イルカのようだった。

 生命を燃やして生きる命のようだった。


 ぼくも負けじと上昇する。

 上を仰ぐぼくは、水面に射す光が陽子の姿を縁どってゆらゆらときらめくのを見た。

 人間の姿をしたイルカのような彼女は、まばゆく、気高く、美しかった。

 この一瞬を、ぼくは網膜に焼き付けようとした。

 人間がするように。

 

 次の瞬間ぼくの頭は勢いよく水面から出た。

 しぶきの中で空気を大きく吸った。

 隣ではベリーショートの少女が荒い息を繰り返している。


「死ぬかと思った!」


 泣きそうな顔で、彼女は笑った。


 そこは洞穴ほらあなの中ではなかった。

 かといって、陸地にうがたれた、海とつながる底なし池でもなかった。

 大きな部屋だった。

 四方の壁は機械で埋め尽くされていて、だいぶ腐食しながらも銀色の光を反射していた。

 天井は一面に明るく光っていて、太陽と同じスペクトルの光線を放射していた。


 見逃してはいけない重大な事実が、ひとつあった。

 部屋の中が完全にオフラインになっているのだった。

 通信が遮断された場所にぼくらが入ることは、固く禁じられている。

 したがって、帰って陸に上がったら、ふたりはすぐさま拘束されて初期化処置を受けることになる。


 それがなんだ、とぼくは思った。

 陽子といっしょに死ぬ覚悟は出来ていた。


「おそらく、ここは昔の超重力兵器の司令室ね。100%通信遮断構造だし、機械の構成があたしの知識と一致する。エアコンが出してる気体分子組成もピッタリ同じ。予想は大当たり」


 立ち泳ぎをしながら、彼女は首をせわしく回してあたりを観察している。

 ぼくも手足を震わせて、なんとか浮いている。


「陽子もここまで来たのは、はじめて?」

 

「まだわからない。けど……」


 しきりになにかを探していた陽子は、それを見つけた。

 彼女はしぶきを上げて壁に向かい、ぼくは追った。

 銀色の表面に手をついて、彼女はまっすぐ凝視する。

 彫られたキズが金属面に並んでいる。

 数字の列だ。


 2214、8、21 Y 

 2217、7、 5 Y 

 2219、9、17 Y 

 2221、8、 3 Y 

 2222、8、14 Y 

  

 訪れた者が残したと思われる、しるし。


「やっぱり何度も来てる」


「このYって、陽子?」


 ふり返った彼女は満足げだった。


「そうよ、あたしの字。そして……」


 さびしげに付け加える。


「今日で6回目。ということは、これで最後」


 ぼくはすべて理解した。

 次回はないことを。

 彼女にもう明日はない。


「覚悟はしてた」




 


 

 

 


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