エピローグ いつかどこかで

 空は曇り模様だった。冬を前にした海には冷たい風が吹いていた。しかし、雨が降りそうといった感じでは無い。天気予報でも今日の降水確率は10%であり、休日を心置きなく過ごす分には問題無い数字だった。波は風に煽られて高い。冷たい日本海、ドラマなんかで見る景色そのものといった感じだ。火サスとかを撮るにはうってつけの日だろう。

 俺はそんな景色の中車を走らせていた。こないだ買った新古車の軽四、総額約100万の小型ボディが颯爽と海岸を飛ばしていく。

 向かうはこの海岸沿いにある公園だ。展望台なんかがあり、運動場が併設されたそこは海岸を含めるとそこそこ大きな敷地でこの辺では休日を過ごす人も多い。まぁ、この片田舎の小都市の人口なんかたかが知れているので訪れる人もたかが知れているのだが。関係ない話だが、都会の人と田舎の人の「人でいっぱい」という言葉の「いっぱい」の量には大きな差があると思う。

 本当に完全な脱線だった。

 とにかく、俺は公園に向かっているのだ。

 今日は日曜。今から俺は花の休日を謳歌しようというわけである。辛く苦しい平日で刻まれた傷を癒やすのである。予定のある休日というやつを過ごすのだ。

 車は海岸沿いの国道を通り、公園への交差点を曲がり、そのまま駐車場へ入る。駐車場は8割ほど車が止まっていた。みな公園へ行っているわけではない。運動場の方でサッカーの大会が開かれているらしい。走っている時に見えた。なので、中型バスや保護者の車で埋まっているのだ。俺はその間を抜けて駐車のベストポジションを探す。

 その間に、

「お、あったあった」

 俺は待ち合わせをしている相手の車を見つけた。昔、毎日のように見た車、に似たデザインの軽四だ。これで、間違い無かったはずだった。その隣には『吉村デブリ駆除(株)』とロゴが書かれたミニバンも止まっていた。

「社用車とは.....」

 俺は若干呆れるのだった。どちらの車にも人は乗っていなかった。先に公園に行っているのか。

 俺は少しうろついて公園入り口に近い場所を見つけてバックで駐車した。

 そして、車を降りて公園に向かった。

「会うのは久々だな、ほんとに」

 俺は独り言を漏らす。そこはかとなく緊張もする。一体、数年ぶりに会うあいつらはどんな顔で俺を迎えてくれるだろうかと。こうやって約束を受けてくれたんだから邪険にはしないだろうが。むしろこっちがちゃんと受け答え出来るかという心配もある。

 いや、うだうだ考えても仕方が無い。俺は歩き始める。

 坂道を伝ってちょっとした丘を上る。頂上には展望台がある丘だ。頂点まで来ると、視界一杯に海が広がった。どんよりした雲からわずかに差し込む陽光が照らしている。波は高いし、気分の良い青い海とはおせじにも言えない。言えないが、これはこれで良い景色だ。荒々しい北国の海が右にも左にもずっと広がっているのだ。ほう、と息を漏らす俺。

 そして、視線を下に移す、公園の芝が広がり、いくつか遊具やら休憩所があり、そして海の近くは堤防になっている。公園の端っこには砂浜もあった。

 堤防になっているところの一角に人影がふたつあった。男と女、見慣れた姿。相変わらずよれよれのスーツの男と、ラフな服装の銀髪の女。女の方が手を上げて俺に振った。俺も手を振って応えた。

 一目で俺と分かったのか。さすがの洞察力か、それともしっかりと覚えてくれていたのか。後者なら少し照れくさいところだ。

 俺は丘を下って二人のところへ向かった。



「久しぶりじゃないの」

「お久しぶりです」

 二人は、九条と古津鹿は言った。会ったのは数年ぶりだった。俺もそうだが、二人とも年を食っている。口には出さないが。絶対に出さないが。

 しかし、二人の雰囲気みたいなものは変わっていなかった。最後に会った時のそのままだ。少し嬉しく思った。

「あれからどうしてたの」

「私生活にこれといった変化は無かったけど、仕事は変えたな。あれから2年務めたけど結局上手く行かなくてなぁ。思い切って業種を変えて、介護の仕事をしてるよ」

「あらあらそれは。へぇえ。大変だって聞くけど大丈夫なの」

「ああ、色々大変だけどなんだかんだ性に合ってるみたいだ。今のとこは続けて行けそうだ」

「ふーん、いろいろあったんじゃないの」

「色々ってほどじゃないさ。仕事が変わっただけだ」

 仕事が変わっただけだ。生活パターンに変化は無い。でも、少しだけ毎日にゆとりみたいなものは出来たような気がした。

 本当はあの仕事を上手くやってちゃんと働けるようになるのが良かったのかもしれなかった。しかし、2年やっても出来るようにならなかった。最後まで怒られていた。これはどうやら本当に無理らしいと気づいたのだ。なので、俺は辞めた。残念だったが、仕方なかった。後悔はしているが、これで正しかったと思っている。

 俺の戦いはひとつ終わって、次の戦いがまた始まったという感じだ。

 俺の生活はそんな感じだった。

「そっちは? まだ、二人で働いてるのか?」

 九条と古津鹿のコンビが俺の記憶の中の二人だ。

「いえいえ、残念ですけどコンビは解散してるんですよ」

「3年くらい前ね。九条が出世して別の地域の配属になってね。そんでお別れよ」

「古津鹿さんも出世でしょう」

「単に新人と組んで教育してるだけよ。あいつが中々大変なのよね....」

 古津鹿は少し遠い目をしていた。

「結局私みたいな現場管理の新人なんですけど、ものすごい堅物で融通が利かないそうで。古津鹿さんは仕事ひとつするたびに山ほどの苦労をしているそうです」

「でも、怒鳴ったりはしてないわよ。パワハラは絶対しないのよ私。それになんだかんだ良いやつなのよあの子。能力もあるし。だから邪険にしたくないっていうか、上手いバランスを分かって欲しいっていうか」

 古津鹿の声はしかし弱々しい。くたびれているようだった。皆それぞれ色々あるらしかった。

「まぁとにかく! 色々あるから今日は久々に顔会わせるメンツで休日を楽しもうってわけなのよ! なんか企画してんでしょ九条!」

「ええ、まぁ。おいしい弁当はとりあえず持ってきましたよ」

「おお。九条弁当。これも久々だわ」

 古津鹿は一発で上機嫌になっていた。心が削れてノイローゼというわけではないらしく安心だ。

 それにしても、俺は二人と数年前と同じように受け答え出来た。問題なしだ。なんだかそこはかとない嬉しさがあった。良かった。

「でも、まだ少し昼には早いわね」

「そうですね。それに....」

 二人がこの後の動きについて話す。と、その時だった。

-ドカン!

 轟音が響く。何かが地面に激突した音だ。それも中々大きなモノが。その音は丘の方から。「嘘でしょ。休日なのよ今日.....」

 古津鹿は再びげんなりした様子になった。

 俺たちは恐る恐る音の元に視線を向けた。

 そこに居たのは怪物だった。大きさは工事現場なんかに置いてあるプレハブ小屋より少し大きいくらいか。それはカエルだった。灰色でゴツゴツした見た目。岩で出来たカエルといったような印象だった。

 カエルはゲェエ、と野太いまったく可愛くない鳴き声を上げた。

 デブリだった。跳流で出来た怪物。古津鹿たちが飯の種にしている超常存在だ。

「今日このタイミングで出る普通!? あんたら何座よ。絶対今日の運勢最下位の山羊座が居ると見たわ!」

 錯乱した古津鹿は意味不明のことを口走った。ちなみに俺は水瓶座だ。関係は無い。

「どうすんのよ! 刀、車よ!」

「私も札は車ですよ。持ってきたのは重箱だけです」

 このままでは公園に居る人々の身が危ない。カエルはびょーんと大きく飛び上がり、そして芝生広場に落下した。地面が大きく陥没する。そしてまたひと鳴きだ。大きさは昔朝州でよく見たデブリほどではないがそれでも大きい方だ。能力もどれほどかは分かったものではない。公園内の人々も叫びながら逃げ始めた。

「くそ! このままじゃやばい! 私がなんとか引きつけるから九条は車に戻って.....」

 そうやって二人が言っている時だった。

 突如、カエルがまたゲェエエと鳴いたのだ。どこか苦悶の声のようだった。

 そして、次の瞬間カエルは端から金色のもやになって霧散していった。

 古津鹿たちがやっていたような殺したといった感じでは無かった。分解されて消滅していくというような今まで見たことの無いデブリの消え方。

「なにが起きたの!?」

 動揺する古津鹿。そして、消えたデブリの傍らには、

「どうやら、遅れていたもう一人も到着したようですね」

 女の姿があった。ちょっとおしゃれな若者みたいな見た目だ。いつか見た容姿だ。だが、心なし少し前より大人になっているように感じた。

 それは小佐野だった。

 小佐野は俺たちに手を振った。

 俺たちも振り返した。



「いや、やっぱ数日前に出所したやつが絡んでると長かったな。悪い」

「気にすんな」

 今し方警察の事情聴取が終わったところだった。まさしく今出現したデブリに関して、そしてそれの駆除に関して警察がやって来て聴取を取ったのである。デブリのせいで陥没した地面は警察が手早く立ち入り禁止にしてしまった。小佐野が居たので警察は余計にしつこく質問を行い、1時間半も拘束された後にようやく解放されたのだった。

「出所おめでとう」

「ああ、ありがとう」

 小佐野は笑って言った。

 小佐野は二日前に東京の刑務所を出所したのだ。刑期は山ほど残っていたが模範囚だったので仮出所という形で外に出ることを許されたのである。手には位置情報を監視するためのGPSの入ったバンドが巻いてあった。まだ、囚人だ。だが、小佐野はようやく外に出たのだ。

「ここまでどうやって来たんだよ」

「電車で駅まで行って、あとはタクシーだよ」

「行ってくれれば迎えに行ったのに」

 古津鹿も言う。

「自分の力で行くっていうのがみそなんだよ」

 小佐野的にはそういう冒険要素が必要だったらしい。人間らしく、一人の大人らしく、自分で行くのにこだわりがあるのか。相変わらずだ。

「ああ、ようやくここまで戻ってきたぜぇ!」

 小佐野はぐん、と伸びをした。気分は良さそうだった。

 つまりそういうことだったのだ。何を隠そう、今日ここに来たのは小佐野の出所を祝うためだったのである。

「さて、じゃあみんな揃ったところでお昼にしましょうか」

「ああ、もうそんな時間か」

 時刻はもう1時になろうとしていた。悲しいかな警察の事情聴取が良い感じに時間つぶしをしてくれたらしい。

「風も止んできましたしね。ここでお昼にしましょう」

 確かに風は止んできていた。ついでに、少しずつ青空も見え始めている。九条はシートを芝生の上に広げた。四隅を手早く杭で止め、重箱を置くのだった。あっという間にお昼の始まりだった。

 重箱の中にはだし巻き卵だの唐揚げだのきゅうりの詰まったちくわだの桜でんぶの乗ったちらし寿司だの運動会のお母さん顔負けの料理が詰まっていた。そして、重箱は結構大きく、数は三つあったのだ。

「良いじゃん良いじゃん。いっただきまーす!」

 そうして見るなり古津鹿が食べ始めてしまった。実に旨そうだ。相変わらず飯を旨そうに食べるやつである。そして、重箱が三つもあるのは間違いなくこいつのためである。

 若干呆れながらも俺はお茶のペットボトルを取り紙コップに注いでいった。

「ああ、悪いですね三好さん」

「あ、ごめん。先に食べ始めちゃった」

「いえいえ」

 構いはしない。今の仕事は人に気を使うことばかりなのだ。これぐらいは条件反射で体が動くのである。

 そして、俺も箸を取り弁当を食べ始めた。実においしかった。何年経っても味の衰えは無いらしい。というか、むしろ味が上がっている。その内、店でも開けるのではあるまいか。

 横を見れば小佐野もパクパクとちらし寿司を食べていた。

「うめぇええ! こんな飯食うの初めてだ!」

「あー、刑務所の飯はまずいんだもんね」

「それもあるけどそもそも今まで食った飯の中で一番旨い。失踪する前の子供の頃食ったの含めても一番旨い」

「ほほお。それは光栄な言葉ですね」

 九条は上機嫌だ。小佐野は普通に《神懸かり》になる前のことを口にした。昔なら思い出すのも嫌だったと思う。もう手に入らない幸せな時間だったのだ。それをさも当たり前のように話すというのは良い方向に心が変わったのか。少なくともそう思いたかった。

 パクパクと飯を口に運んでいく小佐野。その前でどんどん重箱を掘り進んでいく古津鹿。気のせいではないだろう。この二人は食べる速度が同じだ。つまり、小佐野も古津鹿並に食べているということである。思わぬ伏兵の登場だった。そういえば病院に持って行っていた差し入れもすごい勢いで平らげていたのだった。

 みるみる弁当が減っていく。

「ちょっとあんたら食べなくて良いの」

「ああ、そうだ。まずったぜ。旨くて忘れてた。あんたらの分残さねぇと」

 唐揚げを箸で二個挟みながら古津鹿が問い、皿一杯にロールキャベツと数の子を乗せた小佐野が言った。

「いえいえ。どんどん食べてください」

「俺たちのことは気にすんなよ」

 だが、気にする必要は無い。まだ飯は山ほど残っているのだ。というかまだ残りすぎなのだ。少なくとも4人で食べる量では無い。恐らくこの二人が思う存分食べても俺が満足する分は残るだろう。九条の読みは完璧だったのだ。

「なら良いけど」

 そう言ってまた笑顔で古津鹿と小佐野は弁当を減らしていくのだった。

 俺はコップのお茶を飲んで一息ついた。

 空は晴れ間が広がっている。冬を前にした冷たい風が吹いていたが、強くは無い。ここにこうしていても寒さは感じなかった。少しだけ差し込む日差しが俺たちを優しく照らしている。海は荒れていたが、見応えがあるとも言えるだろう。

 なんというか、悪くない休日だった。

「親にさ、会ったんだ」

 と、マカロニサラダを食べる小佐野が唐突に言った。

「ああ」

 親とは小佐野の親のことだろう。失踪する前に小佐野と暮らしていた実の父親と母親だ。《神懸かり》として過ごした10年の間に摩耗していった昔の日常の象徴だ。恐らく小佐野にとっては。

 その二人が恐らく刑務所に入っている小佐野に面会に来たと言っているのだ。

「来てくれたのはつい1年くらい前からでさ。手続きが通らなかったとかでさ。で、来て一目で俺のこと分かってくれたんだ。それで見つけられなくてごめんって言ったんだ」

「そうか」

 小佐野は重犯罪者だった。あの事件は社会的な影響が大きすぎたのだ。だから、面会には厳重な審査があった。俺も何度か申請したが、ただの一般人の俺は絶対に通らなかった。

「そんで、それから何回も来て、昔のことを話したんだ。一杯話したんだよ。楽しかった時の毎日を」

 小佐野の居た家族で過ごした毎日を両親は話したのか。

「初めは聞きたくも無かったんだけどさ。だって、無くした物の話だ。それに10年も会ってなかった人たちだ。でも、話してる内にさ、なんか暖かい気持ちになってな。最後は笑いながら話せたんだ」

「そうか、そりゃ良かったな」

 俺の言葉に小佐野は笑顔だった。心から笑っているみたいだった。

「ああ、良かったよ」

 小佐野は言った。なにか、その一言は簡単なものなのに、小佐野の中で一区切りが付いたのだというように感じられた。なにかが小佐野の中で終わったのだろう。そして、また新しいことが始まったのだ。

「真伊ちゃん。ご飯粒付いてるわよ」

「な、感動的なとこだっただろうが今のとこ! 茶化すなよ!」

 小佐野は顔を赤くしてわめいた。恥ずかしかったらしい。あと、なにげに古津鹿が突然『真伊』と読んだのも恥ずかしかったように見える。

「仕方ないなおい」

「そう言ってる三好さんもチャック半分開いてますよ」

「な、止めろよ飯時だぞ!」

「こ、これは失礼を」

 俺の社会の窓は半開きだった。とんだ粗相だ。急いで閉めた。

 その後も4人でどんちゃん騒ぎをしながらご飯を食べた。それぞれが近況を話したり、何があっただの最近時事ネタだの、女性界隈の流行の話だの、いわゆる世間話だった。

 そして俺と九条は半分が残ったところでギブアップをした。無理だった。人間の食べる量では無かった。しかし、恐ろしいことにその残り半分を古津鹿と小佐野は二人で平らげていった。なんということか。気づけば二人で張り合いながら食べたりなんかしていた。

「本当に食べるとは思いませんでした」

「なによ。食べるわよこれくらい」

「相変わらずの大食らいだなぁ」

「旨かったよ。ごちそうさん」

 俺たちは手を合わせて食事を終えた。

 実になんでもない一時だった。誰でも味わうような、知り合いと楽しくご飯を食べるというイベント。

 弁当があらかた終わって、4人で腹を押さえながら体を楽にする。

 その時、

「あー。こういうのをずっとやりたかんだよ。ははは」

 小佐野が本当に楽しそうに笑いながら言った。

 俺はその笑顔が見られて本当に嬉しかった。

 景色は北国の寂しいもので、公園の芝生には大穴が空いたりなんかしていて。空は晴れ間の覗く曇り空で、海の波は高くて、火サスなんかを取るにはうってつけのロケーションで。その中で4人の人間が明らかに10人前以上の弁当を平らげたところだった。

 4人は笑っていた。

 そんな風ななんでもない休日だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神憑狩リ @kamome008

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ