生物のデザイン会議
真花
生物のデザイン会議
大御所が集まる重要なデザイン会議に若手が二人放り込まれる決まりになっている。その二人のことを変異原性人物と呼び、その道を極めたが故に思い付かないようなアイデアを、つまり突然変異を会議にもたらすことが期待される。
生物デザイン局に入局してから三百年経つが上の人の勤務年数から考えたら赤ちゃんが産声を上げるための最初の吸気が口の中に流れ込み始めた程度の長さだ。彼等は万年億年と働いている。それだけの差があるからこそ変異原性人物のアイデアが新しい場合があるのだろう。
「方針決まった?」
同期入局のスギと昼休みに喫煙所で出会い頭。
「やっぱ、耐性持たせる方で行くわ」
私が担当しているのは「ゴキブリに新規殺虫剤の耐性を持たせるか」というデザイン変更の会議だ。
「スギの方はどう?」
「花粉の量を増やすということに今朝まとまったよ」
煙を吐きながら、それはまるで安堵のため息のよう。
「まあ、スギのコンセプトからしたらそうなるか」
「分かる?」
「分かる」
悪戯っぽい表情を作り合う。
「そう言えば、今期の変異原性人物の発表、今日だよな」
「あー、まだ見てないわ。一応若手だから可能性あるもんな」
まあ、若手もかさ張ってるからね、クジに当たるようなもんだよな、とか言いながら二人して中央掲示板に向かう。仕事の真っ最中なのに仕事から離れたかのような時間。サボっている訳じゃない合法的な休憩は、背骨に一本凛としたものが残っているからこそ伸びやかな時間になる。
掲示板の前は人だかりになっていた。選ばれた二つの名前が自分のものか否かを皆が見に来ている。知ってる顔もちらほら居て、スギと私が通ろうとするとモーゼのように道が開いた。不思議だねと思うより強く、これは選出されたからなんじゃないのかという思いが湧き出て来る。
案の定、「ゴキ」の名が記されている。なんと隣に「スギ」もある。
確かに、変異原性人物は同期同士で選ばれることが多いとは聞いていたが、自分達がそうなると驚きが込み上げ切ってその後は笑ってしまった。選考基準は明らかにはされてはいないが今までの仕事が認められたとように思え、さらに笑いが止まらなくなった。周囲に居た人は皆讃えてくれたが、同時にこの男達が生む突然変異はどんなものかと視線には好奇の芯が通っていた。
おめでとうのアーチを快感と共にくぐって、局長室に向かう。
「入りたまえ」
ティラノ局長は立ち上がって私達二人の所までやって来て、挨拶をしてくれた。
「半月後から始まる今期の重要会議に君たち二人に参加して欲しくて、辞令を出した。受けてくれるね」
「もちろんです」
うむ、とゆっくり頷く局長。
「じゃあ、今持ってる会議をそれまでに終わらせて、以降は新しい会議を取らずに、重要会議だけに集中してくれ」
まるで子供の頃のようにいい返事をするスギと私。
「それで、一番大事なことなのだが、会議内での発言は何をしてもいい。そう言うルールになっているから。ただ、単なる悪口はだめだ。とにかく、色々言うのが仕事であって、まあいつもは自分が会議を回す側だから分かると思うが、バラエティーに富む発言は進行に対してはマイナスでも成果に対してはプラスになることが多い、可能性をどんどん生んでくれ」
「はい!」
「ん、ではよく備えておくように」
ここは地球上のあらゆる生物のデザインを決めている役所組織だ。ダーウィンや木村の考えていた進化論は現実と全く外れている。進化圧は環境ではなく、官僚がかけるのだ。
仕事は三つに大別される。その生物をどういうデザインにするかを決める「会議」、これは昔のセルアニメで言うところの原画にあたる。元になる生物から目標のデザインまでの間にどのような進化をさせて行くのかを決める「中割」、そのままセルアニメの中割だ。そのように進化が進んで行くようにするために遺伝子をどのようにいじるかを決めてゆく「設計」がある。
ほ乳類、は虫類、鳥類、菌類、被子植物などで分けられた部署の中にそれぞれ「会議」「中割」「設計」をするチームが無数に属している。通常は部署ごとで仕事は完結しているが重要な議案の場合には部署の垣根を超えて人員がピックアップされ、一つの「会議」を行う。なお、その後の「中割」「設計」に関しては元となった生物の担当部署が引き継ぐ。
「本当にいいのかな」
「そういうルールだからしょうがないだろ」
スギと心配しているのは会議に参加すること自体ではない。それには気持ちも入ってるし覚悟も決まっている。懸案は会議に参加するタイミングだ。
変異原性は後から加わるものだ、という比喩を地でいかせる命令によって私達は会議室近くの別室で待機させられている。
当然会議の開始前からスタンバイしているので、長い。
「でもさ、自分が変異原性人物に選ばれるなんて、ちょっとリアリティーがなかったけど、こうやってここで待っていると現実味が帯びて来るよな」
スギの言う通りだが、この場所は本番の場所そのものでない分多くを想像させて、それは恐らく現場に出てしまえば開き直れるのだけどここにいる内には払拭出来ないもので、現実感を超えたリアリティーが私の中を渦巻いて、くらくらする。腸が踊り出す。
「スギ、ごめん、お腹痛くなって来た。ちょっとトイレ行くわ」
「おう、いつ呼ばれるか分からないから手短かにな」
「叱咤激励しながらするわ」
トイレに籠るとほんの少しいい。この左右前後に近い壁がセキュリティ感を演出するのだろう。
一度出切ったと思ったが、拭いている内にまた繰り返しになる。
過ぎた現実感が自分が作り出しているものなのは分かっている。どの受験のときも、初デートのときも、必ずトイレで腹を揉む時間があった。マーキングをするのさ、と誤摩化してみても自分の本番直前のメンタルの弱さを腸が代行しているようで好きになれない行動だ。ただ、一度出してしまえばその後はフルにパフォーマンスを発揮出来て来たし、だからこそ今私はこの場面に居る。
腹の中がさざ波から湖面のようになり、待合室に戻る。
スギが居ない。
呼ばれたのだ。
慌ててはいけない。だけど限りなくスピーディーに歩く。
会議室のドアは下見に来たときの通りの豪勢な両開きだ。
立ち番にIDを見せると、しなくていいのに二人で両方を同時に開ける。目に飛び込んで来るスギの後ろ頭。一番近い所に座っている。
「お、来たね」
奥のホワイトボードの前に立つティラノ局長がよく響く声を発し、スギを合わせて六人のメンバーが一斉にこっちを向く。
「この会議への変異原性として来ました。ゴキ、ゴキブリです」
「座りたまえ」
局長の指示に従ってスギの隣に座る。
テーブルは縦に長く、横にもそれなりの幅がある。
向かって左に三人、右に二人座っていて、正面に局長、末席の手前の端にスギと私という布陣になった。
扉が閉まり切るのを待つような間。
「では、今期の重要会議を開始する。事前に資料で配った通りだが確認を最初にする……、の前に自己紹介をしよう」
会議で自己紹介をするときには、代表作を言う決まりになっている。と言っても、そもそもここでは官僚の呼び名はその人にとっての代表作であるので、名乗った上でそれ以外の作品を言う。
「そうだな、右回りで行こう、まず私は局長のティラノだ。代表作はティラノサウルス、モア、人間だ。二足歩行をキーコンセプトにすることが多い」
局長が今の地位に居るのは「人間」を作ったからだ。人間が特別に偉いとかすごいとかではなくて、作った結果が地球に与えた影響が多かったことと、面白いことがたくさん生じたことが評価された。それでも彼は代表作はティラノサウルスだと言う。そこには何かエピソードがあると、下っ端連中で飲み会になれば毎度誰かが話すくらいに当局最大の謎の一つだ。
「クジラです。他の代表作は、メガネウラ、ティタノボア、ブロントサウルス辺りです。巨大化をキーコンセプトにしています」
メガネウラは巨大トンボ、ティタノボアは巨大ヘビだ。クジラを大きくするために海に適応させたと言うのはあまりに有名な話だ。
「デンキ、デンキウナギです。イルカ、コウモリ、蛍などが代表作です。キーコンセプトは超能力です」
電気、音、超音波、光など、生物が受容したり使用したりするに留めていたものをそれまでと違う形で使わせるようにするデンキは巷での人気が高い。まさかそんな超能力を生物に持たせられるのかという新鮮な驚きをくれる。私もファンだ。
「キリンです。代表作はあとはゾウくらいです。キーコンセプトは一部を伸ばすです」
異端児と呼ばれるキリンさんは他にもシカの角をあり得ないくらい大きくしたりしている。でもそれ以外のことはあまり知らない。
次は私だ。
「ゴキ、ゴキブリです。新しい種はまだ作ったことはありません。一番注力した仕事はこの前まで継続的にやっていたゴキブリの体質の変化についてです」
何人かが小さく頷いてくれた。気持ちが一気に会議の内側へ切り替わるのが分かる。
「スギです。同じく新種の作成は未経験です。植物畑でやっていまして、スギの花粉の性状を変えたり、量をいじったりしていました」
同じ人が頷いている。スギの表情が引き締まる。
「チーターです。トンボやペンギンが代表作です。キーコンセプトはすでにある能力を最大にする、です」
デンキさんとチーターさんはライバルと言われている。超能力と強能力。チーターの速力は言わずもがな、トンボのホバリング飛行やペンギンの弾丸のような泳ぎは、ほぼ超能力と言っていいレベルだ。ずば抜けたものを生み出すときに、新しい能力を付加するのか現行のものを強化するのかという哲学的な問題は、私達が成長しようとするときの方略とも重なる。
「カリスです。アノマロカリスやナマケモノが代表作です。キーコンセプトは、何て言えばいいんでしょう、悪のり? みたいな感じでしょうか」
変態カリスも局の内外を問わず有名だ。もちろん本人に変態なんて言わない。でも、彼の言う通り悪のりとしか言いようのない生き物を生み出している。アノマロカリスがあのデザインで生命活動をしていたというのはむしろ奇跡のように思えるし、ナマケモノの首の骨を一つ増やすために生態をあんな風にしたのも彼だ。それは一つのアートのようでもあるけど、自分の進化を決して彼には任せたくない。その奇異なデザインセンスはだからこそ固定の強力なファンがいる。
植物系、菌系の人がスギ以外居ない。今回の議題を考えれば当然だが、だとしたら変異原性人物の本命はスギなのかも知れない。
「はい、これで一回り。会議をするのに必要なだけの顔通しは終わったな。じゃあ、今日の議題のおさらいをする。みんな、手許の資料は見ないで俺の話を聞け。メモは取っていいぞ」
ほう。場に集中させる狙いだな。
「今回は『人間』のデザイン変更が議題だ。人間は最初、知性を持つ生き物というデザインの結果生まれた。でも大してその知性を活用させなかったから第一回のデザイン変更で『情緒』を持たせた。それでもただ平和に暮らしていた。だから次に『言葉』を組み込んだ。そしたらそこそこ発展し始めて、アフリカから出た。世界中に広がったがそれまでだったので、第三回で『足るこころを減らす』ということをした。満足を感じ辛いということは欲望が強くなるということとセットで、現在までの発展が一万年足らずで生じた訳だ。で、ここで再び変更を加えることを考えているのだが、何でだと思う? スギ君」
急に指されたのにスギは堂々としている。彼もまた臨場の姿勢が出来ているようだ。
「人間はここ数百年、戦争ばかりしています。そして、農業工業によって自然環境を破壊しています。そういう行動が問題だからではないでしょうか」
「残念ながら大違いだ。クジラ君、その理由を説明して貰えるか」
え、まじ? と顔に貼り付いているスギの目をゆっくりと覗き込むようにクジラが喋り出す。
「人間も数多いる生物の一つに過ぎません。環境と生物は常に相互作用をしています。例えば、昆虫の巨大化した時代は酸素濃度が非常に高かった、しかしその酸素を消費する生物が増えることによって濃度は低下し、結果的に巨大昆虫は絶滅した。今人間が環境を壊すというのはその酸素濃度を低下させた生物がしたことと同じで、一つの環境変化に過ぎません。人間自身が環境破壊にビクビクするのは破壊の後の環境で人間が生き辛いからです。もし徹底的に環境が破壊されてもまた次のそれに適応した生物が地球に溢れるだけです。それが自然にも生じますし、さらに私達が新環境に適応した生物をデザインもするので、人間が戦争しようと環境を破壊しようとあまり関係がないのです」
言われてみれば進化の大河から見たら戦争も環境破壊も内包されて当然のものだ。スギはちょっと人間を勉強し過ぎたのだろう。しまったの顔になっている。そう、ここで働く以上はそれくらいのことは分かっていないといけない。
「指数関数的な発展を遂げている人間だが、その発展の仕方が物質的なものばかりで面白味がなくなってきたから、味付けを変えようというのが今回の会議の意図だ。すまんなスギ君、当てるのは無理だったかも知れん」
「いや、当てることは出来たものです。自分が人間の立場に立って考え過ぎました。精進します」
スギのこういう踏ん張りのあるところは大好きだ。勇気が出る。
しかし、そもそもこの局で生物のデザインを変更をすること自体がどうやって決定されているかは末端職員には分からない。自分がゴキブリに耐性を付けるか否かを議論していても、どうしてそれを議論することになっているのかは、上層部が決めていて、不明だ。耐性なんてものは自然に放って置いても付くときは付くし、付かなければ絶滅するだけのものだ。それを誘導して耐性を付ける。もしくはそのままにする。それを考えることを提起しているのが何者かは分からない。だからスギが答えられないのは当然だし、当てることは出来たというのは見栄でしかない。そして目の前に居るのはその上層部の人達であり、変異原性人物はその秘密に触れるチャンスを与えられた者なのだ。と言うより、その答えが今言われた、よな?
面白味って何だ? デザイン変更ってそういうノリみたいなもので決まってたのか?
「ゴキ君、その胸の内にあることを言ってみたまえ」
瞬き一つ分の逡巡、貰った勇気。
「面白味でデザイン変更するんですか?」
「そうだよ」
絶句してしまった私に横からカリスが声を投げ込む。
「じゃなかったら俺のようなデザインが通る訳ないだろ」
異形を生み出した実績に打ち付けられる説得力。そこにデンキが重ねる。
「生物がどうなるかってのは本来は、放置するだけのもの。だけど私達はそこに干渉している訳だ。もし、そこに哲学的な理由があったなら、入局の最初に叩き込まれると思わないか? 現実はそうじゃない。どれだけ面白い生物を作れるかを、私達はやっている」
だから超能力。
「そしてそれを面白いと思うことが私達の中では共有されている、そうだろ?」
「その通りです」
「つまり、私達と君は最初から同じ穴のムジナということなんだよ。今、入局を後悔したかい?」
臨戦態勢の私の頭の回転は最高潮で、この問答がイニシエーションであり、通過出来なければ出世はない、そういうものであることを理解すると同時に、自分の胸の内にある感情がどっちを向いているかを正確に把握した。面白い作品を作るためにデザインをするのは、いい。とてもいい。そもそもゴキブリのデザインをしている時点でそれがどうなるかという将来に責任を感じるよりも、そのデザインによって何が起きるのかという視点で見ていた。それは面白い方へ進もうというのと同じだ。だから、その始まりが「面白いからやる」で、全然問題がない。
「いえ、面白いです。キュンキュンします」
「スギ君はどう思う?」
「私は今朝、スギ花粉の量を増やしました。スギの立場では繁殖のスピードが上がります。でも、他の植物からしたら場所を取られます。人間は花粉症が悪化します。でも、私はスギの花粉を多く、強くしたい、そういう気持ち、まさにコンセプトでやってきました。その理由はそっちの方が面白いから、と今さっきの議論を聞いたら分かりました。私にとってスギがどうであるかなんてのは生活に関係のないものの筈です。その議題の出自が不明でもやって来れたのは、使命感でも義務感でもなく、そこに面白いがあり、面白いに向かっているから、そう気付きました」
「熱いね」
チーターがぼそりと呟く。
一同がふふ、っと笑う。
その笑いが侮蔑のものではないことは分かっている。彼等は皆熱いのだ。そうでなければあんな生物を作れない。面白い方へ向かう、その自分が面白いと思ったところまでの道は熱くなければ通れない。だから、まるで俺自身を見ているようだ、と笑ったのだ。
よし、と局長が注目を求める。
「面白味がなくなったから、どうすれば面白くなるか、つまりこの会議はそれを考える。実現可能性は後で議論するから、まずはコンセプトを決める。と言うか、この会議でするのはそこまでで、もしどうあっても実行不能な形質変化だった場合には再招集とする。逆に言えば今日一回で結論まで行く」
す、とチーターとスギが同時に手を挙げる。
「じゃ、スギ君」
「植物と話が出来るようになる、はどうでしょう」
「具体的にどの植物とだ?」
「それが全ての植物だったら面白いかなと」
それは広過ぎだろうと思ったが、局長はホワイトボードに書く。機論は後でとはこういうことか。
「チーター君」
「やっぱり、言語を操るってところを伸ばしたいです。現在は一度に一つの会話ですけど、それを同時に二つにする」
「超音波でのコミュニケーションを足す感じだろうか?」
デンキが入って来る。
「いや、超能力ではなくて使っている能力の延長線上で、あ、でも聴覚と発声の音域を拡げるのはありですね」
「超能力でもいいんじゃないのかな。電気的なコミュニケーションとか」
「聴覚だけでなく、視覚もその受容範囲を増やすのもいいかも知れません」
局長が「五感の強化」と書きその下位として聴覚、視覚などを書き込んでゆく。並行して超能力案を記す。
「私は、でかくしたい」
クジラが割って入る。皆自分の好きなコンセプトを言ってるだけの様にも感じる。
「全身を、もっと、でかく」
「首だけとか手だけとかでもいいんじゃないですか?」
当然その声はキリンのものだ。黙々と書き込む局長。
「羽根生やそうぜ」
カリスの一言に視線が彼に集中する。
「羽毛だけでもいいけど」
それは流石に冗談だろうと思わせない、彼のポートフォリオ。
「足を四本にしてもいいかな。ケンタウルスみたいに。あれって何で下半身だけ毛が生えてるんだろうな」
誰も何も言わない。だが、彼の弁を苦々しく思っているというよりも、異端児がアイデアの出す様を飲み込みたいと言った様子だ。私も彼に集中する。
「あと、角! 三本くらいあってもいいかも。一以外の奇数ってのは動物のデザインではキラリと光るんだよ」
私はメモしてしまった。
「だからペニスを増やして場所を変えるってのもありだな。イカみたいに触手の先端にするとかね」
ふと、ペニスの大きさが子孫を残すのに有利かという話を思い出した。結論は大きいかどうかよりも個体の能力とかの方が人間では影響が高いというもの。もし今のように隠しておらず丸見えの触手の先にペニスがあったら変わるのだろうか。それとも、やはり隠すのだろうか。デザインの変更がどう生物の個体を有利にするかは分からないが、有利だった個体が子孫を残すのだけは確かだ。触手の先端にペニスがあったとしても、それに適した環境に置かれれば有利だし、環境が合わなければ逆になる。面白いのは人間のみがその環境を自分好みに大幅に変えることで、ペニスの位置が変わったらそれに対してどう環境を変えるかというのは見物だ。そう言う観点では今のところ出た変更の候補は全て同じことが言えるものの、生殖に直接関わるものの変更というのはドラスティックに影響を与えることが期待出来る。カリスさんがただの変態ではないということがよく分かる。
クジラとキリンが交互に応戦する。
「でかくして、クジラ的な浮力が必要なら海の生き物にするのはどうです」
「頭をもっと大きくして、その中身も強化したらどうでしょう」
「だったら尻尾だろ」
カリス。
そもそもコンセプトの種類がこういう場では大きな差を生む。それぞれが自分の好きなコンセプトに縛られなければこうはならないのだが、巨大化、部分肥大というやり方では異形化という幅には到底届かない。というよりも両方とも、さらには、強能力、超能力ですら、異形化というコンセプトには飲み込まれてしまうのだ。しかし異形化は絶滅の香りが強い。他の四つのコンセプトを持つ人がここに居ることでバランスが取れているのだ。
その後も四人対カリスの図式の時間が暫く続いて、私達二人は取り残された、言葉を発することが出来なかった。
あらゆる物質的変異が白板を埋めて行く。いっぱいになったと思ったら二枚目のホワイトボードが出て来た。それも徐々に同じに。
そこではたと気付く。そうか、この視点が変異原性人物を入れる理由だ。
「あの」
手を挙げる。
「お、やっと喋るね、ゴキ君」
「ずっと形の話ばかりだったのですけど、以前の変更のように『知性』や『情緒』と言ったものをどうにかするという視点はどうでしょう」
水を打ったように静まり返る会議。
ギロリとカリスが目を剥く。
穏やかながらに眼光強いクジラ、同じくキリン、チーター。
透明ながらにも射抜く目のデンキ。
ニヤリと笑う局長。
「それだ!」
一同の声が揃う。
「きっと、そっちの方が面白い」
局長が代表するように言う。
「で、具体的な案はあるのかい?」
そこまでは考えてなかったので咄嗟にスギの顔を見る。スギはこのテーマでもう思案を始めている。負けられるか。
会議室に入る直前に二人で話したことが脳裏に蘇る。
「リアリティー」
小さな声は注目を強めたが、届かない。
「リアリティーを動かすのはどうでしょうか」
今度は十分な声量だ。
ほう、と一同。
「リアリティーをどうするんだ?」
「もっと、感じるようにするんです」
「それは五感とかの強化に繋がるイメージだが」
ん、となった途端にスギが私にだけ聞こえる声で「逆だろ」助け舟を出す。
そうか。
「違いました、逆です。リアリティーが減る、例えば子供の頃にはあるのが大人になるに従って減ってくってのはどうでしょう」
「最初からじゃなくてか」
「それではリアリティーが減ったことを認識出来ません」
「なるほど」
ふむ、という空気。
「局長」
カリスがそれを割る。
「これで行きましょうよ。その変更、人間に起きることがかなり面白いことになりますよ」
他の皆も頷いている。
「スギ君はどう思う?」
局長が指名したのはスギだった。
「私は、嫉妬を感じる程、面白いと思います」
「他の皆もいいか?」
一同頷く。
「じゃ、決まり」
拍手が沸き起こる。
嬉しい。
「それでは今回の人間のデザイン変更は『リアリティーを大人になるにつれて徐々に失ってゆく』ということにする。これは物質的な変更は殆どないので数ヶ月以内に準備が整うだろう。その日を楽しみにしてくれたまえ」
会議が終わったら一人ひとりと話を少しずつ。伝わって来たのは、俺たちと同じ土俵に立ったのだ、一緒に仕事をする日を楽しみにしているぞ、という強いメッセージだった。
地球に降り注ぐ宇宙線は私達の手先で、これを操作することで生殖細胞内の遺伝子を改変する。同時多発的に出来るので、デザイン変更が遺伝子に反映されるのに日数は掛からない。もし目標のデザインが元の生物とかけ離れている場合には何世代もかけて徐々に繰り返し改変して行くが、今回の変更は一世代で完了する予定だ。施行日以降の全ての受精卵、つまり個体が新デザインになる。
後日、豪華な手紙がポストに届いた。
「ゴキブリ氏
今回の重要会議で決議した、人間のデザイン変更『リアリティーを大人になるにつれて徐々に失ってゆく』の施行日が西暦1981年1月に決定しました。同年11月以降に出生する人間は全てこのデザインとなります」
(了)
生物のデザイン会議 真花 @kawapsyc
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