第8話 オディプスという男【4】


 カッポーーーーン……。


 天井から落ちる水滴。

 ゴシゴシとブラシで磨くのは女湯の浴槽。

 突然ステータスが開く。

 見れば『掃除スキルレベル4→5』と割としょうもないレベルアップが報告された。

 複雑な気持ちになりつつステータスをオフにする。


「疑問なんだが」

「?」


 そして浴室と脱衣所を隔てるガラス扉を開けて、そこに寄りかかるローブ姿の男。

 一切手伝うつもりのないオディプス。

 彼が唐突に疑問を口にする。


「この世界には『国』がないのかい?」

「くに……?」

「ああ、町の集合体と言うべきか……町それぞれに行政があり、機能しているのは分かったのだが、こう、土地の奪い合いのような事はしないのかい? 人民とはそういうのが好きなんだろう?」

「…………」


 これはミクルにも分かる。

 酷い偏見で物を言っているぞ、この人。

 思わずモップを持ったまま固まってしまう。


「……ない……と、思う……町同士は、あまり近くにない、し……」

「町の偉い人間が金儲けをする為に戦争を起こしたりは?」

「? ……せん、そう? 知らない……聞いた事、ない、です」

「ええ……? この世界の人間どこかおかしいんじゃないのかい?」

「……えぇ……」


 肩が落ちる。

 そんな事を言われても、土地の奪い合いだの町の偉い人には会った事もない。

 何しろミクルは今回初めて村から出たのだ。

『くに』や『せんそう』は初めて聞いた。


「……ふーん? ……ああ、もしかして、これからそういう歴史を歩む世界なのかな? これはこれで興味深い。比較的生活水準は高いようなのに、この水準に到達する前に戦争などによる技術向上は起きていない……? こんな不思議な事があるものなのだね?」

「……?」


 オディプスが何を言っているのかさっぱり分からない。

 ブラシで浮かした汚れを水で流し、布で軽く残った汚れを拭き取り、もう一度流して浴槽の掃除は終わり。

 同じように男風呂も掃除していたらすっかり昼過ぎになっていた。


「ありがとう! とても綺麗になってたよ!」

「……は、はあ、いえ……」


 ぐう、と腹が鳴る。

 ミクルが報告に来たのは銭湯の女店主、番頭さんだ。

 その腹の音を聞かれて恥ずかしくなる。

 お腹を押さえると、丸々とした番頭さんはケタケタ笑って「ご飯食べてくかい? サービスするよ」と言ってくれた。

 しかし、オディプスは良いのだろうか?

 ホールを見回すがオディプスの姿がない。


「ああ、あのローブの人はギルドで待ってるって言ってたよ」

「え……」


 不安が胸に広がる。

 あの人を一人にするのは……なぜかとても不安だった。

 どうしよう、迎えに行くべきか。

 しかしご好意で食事を出してくれると言われたし。

 腹の減り具合は、思い出すとかなりのもの。

 オロオロと悩んでいると番頭さんに「呼んでおいでよ。二人分用意しておくから」と言われる。

 お辞儀とお礼を言って、ギルドへと走った。

 どうか何も起こしていませんように。


「っ——!」


 全員がテーブルに突っ伏して眠っていた。

 ロビーにただ一人佇むのはロープの男。


「な、なっ——!」

「終わったのかい?」

「なにを、し、した、の!」

「眠らせて『解剖』したんだ。さすがにこの人数は起きている状態で『解剖』出来ないからね」

「っ〜〜〜〜!」


『解剖』。

 アレの事だろう。

 あの、人が骨と臓器と血に分かれるもの。

 どうやら彼は、アレで他社の記憶や知識を盗み見るらしい。

 それをここの人たちにも施した?


「な、なん、なんで、そ、そんな事、す、す、する、ですか……」

「好奇心だとも♡」


 ウインクに、舌がペロン。

 今絶対語尾にハートが付いた。

 しょうもない事を察して両手で頭を抱える。


「しかし、面白いほど魔法が使える者は少ないな。補助……強化のような魔法は比較的使える者は多いようだが、あまりにも稚拙。あまりにも未熟。この世界の人間たちは、この程度で満足しているのかい? 魔道士と呼ばれる職業の者でもあの程度なんてね。参考にもならないよ、あれでは」

「……」

「退屈だ。この世界には僕の求める刺激がない。つまらない。……はあ、もういい。君の仕事が終わったのならさっさと行こうか。ん?」

「……あ……、あ、あの、せ、銭湯の人、が……ご飯……一緒、に、ど、どうか、って、言って、くれて……」

「食事か。僕は必要ないのだけれど……いや、ご厚意を無駄にするのは良くないか。相伴にあずかろう」

「…………」


 この状況を前に、自分の用件を普通に伝える異様さ。

 残念ながらミクルにその認識はなかった。

 なので普通に、オディプスをギルドから連れて銭湯に戻る。


「そういえば君は魔道士見習い……僕の世界でいうところの魔法使い見習いなんだったね」

「?」

「魔法のレベルは初級以下だが、興味深い点はある。この世界の人間は属性に縛られる事がないところだ。君の使える魔法を見たけど」

「……(勝手に解剖された時かな……)」

「全部初級。しかし、全ての属性が使えたね」

「……は、はあ?」


 それは普通のはずだ。

『土』『水』『火』『風』『光』『闇』……。

 魔法は例外なく、必ずこのどれかに属する。

 だが、恐らくオディプスはこの『例外』。

 人をバラバラに解体し、元に戻すなどあり得ない。


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